インタビュー

冨田勲


電子音楽の聖典、いよいよULTIMATE EDITIONで登場

冨田勲の名作をサラウンド作品としてリマスタリング(一部リメイク)する「Ultimate Edition」シリーズ、昨年の第1弾『惑星』に続く2枚目は、お待ちかね『月の光』である。言うまでもなく、冨田がシンセサイザーを使って独力で作り上げたアルバムとして実質的に初めての本作は、後続者たちに与えた影響という点でも、エレクトロニック・ミュージック、いやポップ・ミュージックの歴史においても最重要作の一つである。このアルバムがなかったら、電子音楽の歴史のその後は間違いなく違っていたはずだ。
約1千万円でアメリカから個人輸入したモーグ・シンセサイザー「モーグⅢ」を使い、72年から1年半をかけて制作された本作は、74年にまずアメリカでリリースされ、その大ヒットを受けてようやく日本でも発売された。今回の再発に際し、ミックスダウン前のマスター・テープを40年ぶりに引っ張り出してきた冨田も、さすがに特別な思い出と感慨を呼び起こされたようだ。

「これを作り始めた頃は、沖縄がまだ返還前だったんです。アナログ・テープは10年で高音部分が落ちてしまうので、今回はイコライザーで調整したりと、大変でした。昨年夏から今年春までかかった。もちろん、サラウンドへのミックスダウンにも相当神経を遣ったし」

結果、完全サラウンド(4ch)のSACDハイブリッド盤として、劇的にクリアな音質でよみがえっているわけだが、それだけでなく、オリジナル盤には入っていなかった曲も3曲追加され、また曲順も変更されている。追加された3曲のうちの《アラベスク第2番》と《雲》は、当時録音はしたものの、収録が見送られた未発表音源である。

「《アラベスク第2番》はそうでもないけど、《雲》は長過ぎたしね(8分21秒)。それに、《ゴリウォーグのケークウォーク》などに顕著なように、当時は、特殊な音をシンセサイザーから引き出すということに頭が行っていたから、それからすると《アラベスク2番》も《雲》も特殊な音をあまり使っておらず、特徴が無いということで…結局、収録は見送ったんです」

ただし、「本人に頼まれた」ということで《雲》はその後、坂東玉三郎の舞台『天守物語』(77年)でBGMとして一部使われている。制作当時「失敗したもの」や「中途半端だと感じたもの」など、結局アルバムに収録されなかった曲は他にもたくさんあったという。

最終的にはメガ・セールスを記録したこのアルバムだが、発売当初、日本の専門家などからはかなりの酷評を受けた。たとえば、作曲家の黛敏郎やオーディオ評論家の菅野沖彦などからは、それこそボロクソにけなされたという。

「でも、特に意気消沈することもなかったな。逆に、こんちくしょう、もっとやってやろうという気が起きたんで、僕にとっては恩人でもある。反対に、手塚治虫さんやNHKの吉田直哉さんなどには、とても勇気づけられた。手塚さん自身は電子音よりも生のオーケストラが好きだし、吉田さんも賞賛の言葉を口にするわけじゃないんだけど、音を聴かせた時の表情で、気に入っている、面白がっているということがわかるんです」

一方、まず最初にリリースされたアメリカでは、発売当初から大変な反響だったという。

「ウォルター・カーロスの『スウィッチト・オン・バッハ』を手がけたプロデューサーが担当して、ニューヨークで大々的な試聴会や発売記念パーティなどを開いてくれたこともあり、メディアもかなり好意的に取り上げてくれたんです」

そのパーティには、「モーグⅢ」の生みの親であるロバート・モーグ博士も来たという。

「わざわざバッファローから飛行機で飛んできてくれてね。博士のスピーチがまた素晴らしかった。僕を指して『今日はミュージシャンとエンジニアの二人のアーティストを紹介します』という文句で始まり、これからの電子音楽に対する抱負みたいなことをアルバムに絡めて話してくれた」

この歴史的名盤『月の光』を作り上げるのに冨田がいかに苦労したかを象徴する、夢にまつわるエピソードがある。

「どこかわからないけど岩だらけの入江で、暗い夜の海を沖に向かって舟を漕ぎだしていくんです。後ろから知っている人たちがついて来るんだけど、しばらくするとどんどんいなくなって、やがて一人きりになって…」

ほとんどの仕事を断り、背水の陣で本作に臨んでいた72〜73年当時に頻繁に見たその夢を、彼は、なんと今も時々見るのだという。

「学生時代のつらい試験の夢を大人になっても見るのと同じですね」

40年前、暗い海に一人漕ぎ出していった冨田勲は、今80歳。今秋発表予定の、宮沢賢治の世界を題材にした『イーハトーブ交響曲』では、初音ミクも登場するという。航海は、まだ終わらない。

LIVE INFORMATION

冨田勲新制作「イーハトーブ」交響曲 世界初演公演

大友直人(指揮)日本フィルハーモニー交響楽団、シンフォニーヒルズ少年少女合唱団他
11/23(金・祝)15:00開演
会場:東京オペラシティ コンサートホール




掲載: 2012年06月29日 12:38

ソース: intoxicate vol.98(2012年6月20日発行号)

取材・文/松山晋也