「たった7組」か? 「7組もいる」のか? マジョリティ目線の妄想ユリトピア(笑)『屋上の百合霊さん』 

もっと新規の内容を盛り込むつもりだったが、気付けばほとんど前の記事の繰り返しになってしまった。『屋上の百合霊さん』がノベルゲームとして落第点であることは前回で十分に説明したので、今回は百合ゲーとしてどんなところが薄気味悪かったか補完していこう。
『百合霊さん』のセクマイ描写に関するすこぶるつきの不快さは、マジョリティが妄想する身勝手なセクマイ像だから、の一言でおおよその説明が付くと思う。ぱっと見では、幸せな同性カップルが何組も誕生することになる微笑ましい作品だ。しかし、その幸せが「女同士は普通じゃない、でも愛さえあれば関係ない」という百合厨御用達のロジックに立脚しているのが気味悪いんだよなぁ。素直に祝福する気になれない。
以下は前回の記事で加筆した箇所の引用だ。既に加筆部を読んでくれた人はスルーしてくれぃ。
こんなカビくさい表現を平然と使いつづけている時点でライターの底が知れるよ。いくらリベラルぶって理解があるよう取り繕っていても、馬脚が見えてるっつの。Goo辞書先生で確かめたが、「なのに」「だけど」って前者(女同士)と後者(好き)が相反するとき、矛盾する時に使う言葉だよ? もし、当事者の視点で真摯に書こうと思っていたら、登場人物に延々こんなことを言わせるなんてことは出来ないはずだよ。誰だって、自分たちのアイデンティティを「なのに」「だけど」などとスティグマ扱いしたくないし、されたくないだろう。公表するかどうかはさておき、自分の性に胸を張って生きていきたいだろう。私は「確かに普通じゃないかもしれない、でも私たちは愛し合っている!」などというお高尚な思考は、しょせんは空想のキャラクターだからできるものだと思っている。一度きりの人生を歩む、血の通った人間の思考じゃあない。あくまで書き手にとって他人事に過ぎないから、こんな無茶苦茶なことを言わせられるんだよ。自分が「普通じゃない」扱いされる側に回ることを考えたこともない奴がひりだすクソたわ言だ。結局『百合霊さん』は、マジョリティ側の「こうだったら美しい! こうだったら萌える!」という都合のいい妄想――ユリトピア(爆笑)だったっけ?――の具現化にすぎないんだよ。フツーじゃない恋愛に憧れる、思春期真っ盛りなガキ向けのお花畑ファンタジーだ。
そもそも「でも愛さえあれば」理論って、「恋愛をしてキラキラ輝いている同性愛者は美しいからOK^^シングルの同性愛者は普通じゃない人たちです^^;」と暗に言っているよなぁ。なんという横暴なスイーツ理論だと私は思う。
たった7組!? 思いのほか居るかもしれないが!?
前回の記事にはたくさんのコメントをいただいた。どんな怒りのコメントが来るのかと身構えていたのだが、ほとんどが想定の範囲内でちと拍子抜けした。だが、正直、この二つのコメントには度肝を抜かれたね。
全校生徒数がはっきりしないが、たった7組で「ありふれてる」と語らせたら、それこそアホだろ?
学園中から百合霊さんの二人が探し出して五組、百合霊の二人入れて六組。思いのほか居るかもしれないが、「ありふれている」と思えるかどうかは微妙なところ
……たった7組!?
たった7組!?
たった7組!?
「たった7組」って!?
なるほど、このコメントのように、少数派を「たった7組」呼ばわりして一顧だにしない人たちは、無邪気に『屋上の百合霊さん』を楽しむことができるんだろう。
私は『百合霊さん』主人公の、自分と同じセクマイで彼女持ちの知人が「6組も」いるにもかかわらず、自らのホモフォビアをほんの少しも改善せず、あろうことか知人を異常扱いしだすとんまっぷりに呆れかえり、楽しむどころか激しい嫌悪感を催した。
それにしても、この「たった七組」という物言い、すっげぇなぁ。二重三重の意味で衝撃を受けたよ。思わず4倍文字を使っちゃうほどの驚きだ。たった、たった、たった、たった、たったかぁ。私は『百合霊さん』のレビューを“何だか不安になってきたんだが、「なぜそこから『同性同士って案外ありふれているのね』という結論が出てこないんだ」と思ったのは私だけじゃあないよね?”と締めくくった。あれはぶっちゃけ「みんなもそう思ったよね、普通はそう思うよね……チラッチラッv(^^」というニュアンスだったので(GEGEさんとtrivismさん、反応してくれてありがとう)、ここに上記のような突っ込みが来るとは想像だにしていなかった。これだけ猛反発を受けるとは想像の斜め上を行っていた。「それこそアホだろ?」の彼(彼女?)からは「女の子同士の恋は特別で崇高で純粋なものなのだ! 『同性愛』『レズビアン』『ありふれている』などと俗物扱いするのは断じて許せん!」というもの凄い気概を感じた。いやぁ、私と違って全体的に『百合霊さん』を楽しめた人でも、主人公のクライマックスにおける度を超えた優柔不断さや、友人知人への冒涜とも取れるトンチキ発言には辟易したと思っていたよ。
そもそも全校生徒が何人いてそのうち何人なのか、という問題ではないと思うが……仮に全校生徒を1クラス40人×10クラス×三学年の1200人と仮定しよう。『百合霊さん』に登場するレズビアンのカップルは、主人公のペアを除けば6組12人だ。100人に1人の割合になる。ここで声を大にして聞いておきたいことがある。
100人に1人って「たった」なの!?
まずはシンプルに数字の問題として考えるが、100人に1人、コミュニティの1%に当たるってもの凄い数字だよ? 日本の総人口1億二千万人に対して120万人だ。さらに言うなら、セクシャルマイノリティが人口に占める割合は3~5%だと言われている。これは何件もの統計から出されている、信頼に足る数字だ。あんたらセクシャリティが違うというだけで、ン百万という人を「たった」で片付けちゃっていいの? 本当にいいの?
また、単なる数字の多寡に還元されない問題もある。100人のうちの1人だろうが何だろうが、その人は自分の人生を歩んでいて、お金なり、物なり、経験なり、価値観なり、家族なり、友人なり、様々なものを積み重ねているんだ。そして、普通に学生をやっていたり、仕事をしていたり、家族を持っていたり、友人がいたりで、いろんな人々に関わりあって生きているんだ。「たった1人」の生活が生み出して蓄積しているものって途方もないよ。セクシャリティの異なる人々を、1%・1人に過ぎないから語るに値しない、問題ないという発想が出来るのは、自分がその1%に回って黙殺されることを考えたことがないからだよ。
ユリトピア(笑)従業員紹介
私の『百合霊さん』で嫌いなキャラワースト3は、1位が電波教師、2位が主人公、3位が友達病、次点がロッカー(笑)で後はだんご状態だ。後者二人については「脚本家がクソしながら考えたような設定のキャラをけなげに演じている、カワイソーな三文役者」という印象で一致している。1位と2位の気色悪さについては、これからじっくりと語っていこう。
電波教師
教師と教え子のシナリオを要約するとこんなあんばいだ。
数理部:かわいい物が好き。教師:国語科の教師で数理部の顧問。とある理由から、同性同士の恋を「一過性のもの」「一時の気の迷い」と思っている。
数理部、今まで教師をかわいいかわいいと思っていたが、いつの間にか恋愛感情を抱いていることに気付く。
数理部、教師に告白する。教師は「それは一時の気の迷い。はしかみたいなもの。大人になれば心の整理がつく」と諭す。数理部、あきらめられない。
教師の
教師、主人公&幽霊のキラキラ☆大作戦(説明するのもアホらしい)で、数理部の綺麗さに心を奪われる(実にアホらしい)。
数理部、2回目の告白をする。教師、トラウマのせいで同性同士の恋愛を疑問視していたことを語り、告白にOKを出す。
ここまでは理解できる。しかし、この後の教師の行動は全くもって理解できない。この電波さんは、恋人同士になったにもかかわらず、ぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだと「でも、本来は間違っていること」「許されないこと」「教え諭して、告白にも応えるべきじゃなかった」と語りつづけて、恋人兼教え子の数理部に偏見を刷り込みはじめるのだった。……ここまでの流れは一体何だったの!? あんた、過去の記憶を払拭して、数理部の思いをきちんと受け止めてあげたんじゃなかったの!? そして、電波教師が下痢便のように垂れ流した偏見については特にフォローされないまま、学校行事をこなして、いちゃこらして、流れで校内セクロスをバッチリ決めてTRUE END! 意味がわからない。
私が考える、自分がセクシャルマイノリティだと初めて気付いた教師が、同性かつ未成年の恋人のために取るべき正しい行動はこうだ。未成年者との性交渉に関する条例等について調べる(アダルトゲームで何言ってんだと言われそうだが)。自分にセクマイに対する正しい知識が足りないなら、文献なりネットなりで徹底的に情報を仕入れる。二十何年も生きてきて、また教師という人に物を教える立場にあって、この程度の発想が出てこないとは言わせないぞ。その上で、恋人にセクシャルマイノリティに関する正しい知識を教えて「あなたはおかしくなんかないよ」「何も間違っていないよ」「だから、胸を張っていいんだよ」と教え諭す。こんなところじゃあないか。だがこの電波教師は(まあ、いいか)(なんとかなる、そういうものよ)とかほざいて積極的な行動は何一つ取らなかった。それだけならまだしも、「普通じゃない、でも愛し合っている私たち! あなたがいてくれるから!」とホモフォビアなポエムを立て続けに披露して悦に入り、後は流れに任せて校内ファックに及んだ。なんだこの浅薄野郎は。
『百合霊さん』の世界では、教師という若者を導くべき立場の人間が率先して偏見を刷り込んでいるんだぜ。私にはとてもユリトピア(笑)とは思えないな。
主人公
主人公のメインシナリオを要約するとこんなあんばいだ。
主人公:料理が好き、とある理由で人から距離を置いている。幼なじみ:陸上部所属、主人公にご飯を作ってもらってる。メガネ:友人A。幽霊が見える。
主人公、学校の屋上で幽霊2人に出会う。幽霊2人は学園内で同性カップルが生まれることを望んでいて、それを手伝ってくれる人を募集中らしい。主人公、よくわからない流れで手伝いを承諾する。
主人公、カップル候補のために部活動や委員会活動を手伝ったり、恋愛ムードを高めるシチュエーションを用意したりと東奔西走する。
主人公の
手伝いの過程で、カップル候補のほとんどと交流して知人になる。その延長で部活動の夏合宿に料理担当として参加する。再び人の輪の中に入って好きな料理をするうちに、トラウマを癒やしていく。ついてに幼なじみともフラグを立てる。
主人公たちの手伝いの甲斐もあり、学校に何組ものハッピーなカップルが成立し、何人かは肉体関係も結ぶ(主人公は幽霊情報で知る)。
ここまでは理解できる。この後に、大方の予想通りに幼なじみが主人公に告白するのだが、それを受けての主人公の行動と言動がまるっきり意味不明だった。事ここにいたってうじうじうじうじうじうじうじうじ悩みだし、ホモフォビアをメガネらにばらまきはじめる。……ここまでの流れは一体何だったの!? そして、メガネらの助力を受けて、最終的に導き出す答えがまた酷いんだこれが。
『屋上の百合霊さん』の主人公が、他の百合作品の主人公と決定的に違うところは、幽霊二人の存在によって、劇中で「6組12人もの」自分と同じセクシャリティの人々と出会えたことだろう。世の中には、たとえ自分の性を正しく認識していても、機会に恵まれず、気軽に話せるようなセクマイの友人が一人もできなかった人もざらにいるだろう。社会人になり、自分の生活基盤を整えて、それからアクションを起こす人も少なくないだろう。そんな人たちに比べたら、学生のうちに、10人以上の同じセクシャリティの友人が出来た主人公は恵まれているにもほどがある。セクマイの学生が健全な自己形成(「同性愛自体が健全じゃないし^^;」と思ったあなたは、くたばればいいと思うよ)をする上で、同セクシャリティの友人以上に優れたインプットは存在しないだろう。そいつらと一緒に勉強したり、部活や委員会活動で汗を流したり、同じ釜の飯を炊いたり食ったり、趣味について語ったり、物の考え方について話をしたり、恋バナの一つもしたりすれば、自分自身と友人のことを「普通じゃない」なんて考えなくなると思うんだけどな。身近で普通に生活している仲間の存在って、それくらい心強いものだろう。
何? セクシャリティを異常視するのと、友人そのものを異常視するのは話が別だって? 人の根幹に係わるアイデンティティを「普通じゃない」扱いするのは、友人そのものを「普通じゃない」と言っているのと何ら変わりはない。この点に納得いただけないんなら、もう手の施しようがない。
して、「6組もの」同性カップルと短くない期間を過ごし、そのうちの何組かの月下氷人となり、そのうちの何人かと親しい仲になった主人公が吐くのがこんな台詞である。
比奈の想いを変だと思うことはもうない。今まで、女同士でも、あんなにひたむきに、まっすぐに、想いを相手に向けている人を見てきた。
「お、女同士なんだよ? もう今さら、それが変だとか思わないけど……。
でも、まわりの人は、そう考えてくれないかも。お父さんやお母さん、比奈のおじさんやおばさんを困らせるかもしれない」
「比奈にだって……、私が恋人だってことで、迷惑かけるかも。比奈が、変な目で見られたら、どうしよう……」
「結奈、別に、同性愛とか百合とか、女の子同士とか、そういうのが嫌いってわけじゃないんだよね?」
「そう思っている。確かに、最初は変なことだと思った、恋愛って男女の間のものだと思っていたから。それが普通だと。
でも、確かに普通じゃないかもしれないけど。誰かを好きという気持ちの行き先には、たとえその先が同性であっても、変じゃないと」
そう思っている(キリッ)。強調は引用者による。作品の締めであるグランドルートで、狂言回し的ポジションにいる主人公にこんなことを言わせちゃうのを「繊細な心理描写」「リアリティのある葛藤」と思える人なら、この作品を楽しめたんだろうなぁ。
このくだりを読んだ時点で、私にとって『屋上の百合霊さん』は物語ではなくなった。睦月たたらなるライターの欲望を満たすためだけに存在するハリボテ御殿――ユリトピア(笑)――に変わった。主人公は人間ではなくなった。ユリトピア(笑)の従業員として、用意された萌え萌え台詞を吐く木偶人形に変わった。
ここで冒頭の「たった7組」の話を振り返ろう。主人公が「全校生徒1200人のうち6組12人が同性愛者」という「数字」だけを聞いて、女同士は普通じゃない、おかしいかもしれないと思うなら、まだ理解は出来るんだよ。正直に申し上げると、まともな人権教育を受けていないんだな~とは思うが。見聞の狭い学生ということを考えれば、理解出来ないことはない。しかし、この主人公は事情が全く違うだろう。単なる数字ではない、普通に考えて普通に生活する生身の同性愛者と学園生活を送っていたじゃあないか。そんなまたとない機会に恵まれていたにもかかわらず「女同士は普通じゃない」とひたすらオウムのように連呼する。その人間らしさが著しく欠けた反応が不気味でしかたなかったんだよ。だけど、「これは百合萌えファッションヘルス『ユリトピア(笑)』の従業員さんが、用意された台詞をしゃべっているだけなんだ。友情とか共感とか、そういった人間らしい感情を求めるのが間違いなんだ」と考えると、すっと腑に落ちたね。雇われの身に無理なことを要求した私が悪かったよ。
主人公にしろ電波教師にしろ、「この関係は間違いなんかじゃない」「変じゃない」と発言はするが、その前には必ず「女同士なのに」「たとえその先が同性であっても」という偏見まる出しの枕詞がつくんだよね。うぜーのなんのって。いつまでたっても、たとえ何があろうとも、「同性同士はおかしいけれど」というスタンスを頑なに崩さないところが、主人公やアホ教師、ひいては『屋上の百合霊さん』の胸くそが悪くなるところだ。
好きだからこそ(笑)迷う、悩む
そんなこんなで、『百合霊さん』は個人的にリアリティの欠片も感じられない作品だったが、主人公による下記の弁明だけは、悪い意味で現実味があって笑ってしまった。この箇所を何遍引用したかわからないけれど、『百合霊さん』を象徴する名台詞だと思うので何度でもやる。
「お、女同士なんだよ? もう今さら、それが変だとか思わないけど……。
でも、まわりの人は、そう考えてくれないかも。お父さんやお母さん、比奈のおじさんやおばさんを困らせるかもしれない」
「比奈にだって……、私が恋人だってことで、迷惑かけるかも。比奈が、変な目で見られたら、どうしよう……」
「結奈、別に、同性愛とか百合とか、女の子同士とか、そういうのが嫌いってわけじゃないんだよね?」
「そう思っている。確かに、最初は変なことだと思った、恋愛って男女の間のものだと思っていたから。それが普通だと。
でも、確かに普通じゃないかもしれないけど。誰かを好きという気持ちの行き先には、たとえその先が同性であっても、変じゃないと」
いるいる、こういうこと言い出す奴いるわ! あくまで「私は偏見とか抵抗とかない」「私は悪くない」けれど、「まわりの人は変に思うかも! 相手にも迷惑かけるかも!」と責任転嫁するやつ。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
太宰メソッドがドンピシャリ当てはまるじゃあないか。友人を変人扱いする冷血漢ぶりに腹が立つのと同時に、マワリガーアイテガーというリアルすぎる中坊思考に笑いがこみ上げてきたなぁ。
まとめ
私は『屋上の百合霊さん』のように、女同士の恋愛をダシに使って「私たちの想いは本物!」と悦にいる中二病スイーツ作品は大嫌いだ。この業界は十年一日のごとく進歩がないな。いつになったらこんなくだらんマンセーをやめるんだ?
※参考記事
同性愛嫌悪と主人公マンセー
そういう趣味、そういう嗜好、ソッチの世界、そっちの気
※コメントありがとうございます
「たった7組」説から弱者憑依まで - どうしても同性愛を「普通じゃない」ことにしたい百合オタさんたちのロジックが変すぎる - みやきち日記
![]() | 屋上の百合霊さん Liar-Soft 2012-03-30 by G-Tools |
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