………。
まさか風子が自ら朋也と渚の縁結び役をッ?!
こりゃもうたまんないんですよ。原作と同じようなシーンを用意してありながら、そのシーンの持つ意味合いがほんのりと拡張される仕掛けになっていて。ほっぺキッス×二人分には、もう言葉が出ませんでしたよ!
ラストシーンも、そう。要所要所をきっちりとピックアップしながら、だけど原作には無い「寝こける朋也」がいて、「まだ続いている夢がある」ことを暗示していて。それと今回のサブタイが結びついて、もう一つの意味を明らかにする時、この願いもまた叶うのではないか?という温かい希望をくれるわけです!!
僕らはこの願いを紡ぎ続けててもいいのだ、と。
今こそ叫ぼう、その少女の名を!いや、もうそのネタは読めたとか飽きたとか言うな。…言うなって。
【繋がっていく願いを】
消え行く風子の願いを、もう一つだけ。
お姉ちゃんと祐介さんみたいに、渚さんと岡崎さんも、きっといつまでも幸せに。
やられた、と思いました。この瞬間、風子のこの願いはCLANNAD全体に緩く長くいつまでも残っていくことが示されたのですから。例え彼女自身は目に見えなくなっても、彼女の願いは続いていくのだ、いつか叶うその日まで…まるっきり、風子シナリオそのままじゃないですか!
Kanon最終話を、思い出さずにはいられません。Kanonという作品全体の構成を、最後にもう一度リフレインして見せたあの神話を。今回はそれと逆で、風子単体シナリオを入念に描いていきながら、去っていく彼女の存在をCLANNAD全体に織り込んでしまうという大ワザになっていて。さすがだ!あの頃から全く衰えないそのクオリティで、今もCLANNAD街道を爆走中じゃないか!!
もうガマンできないです、はぁはぁ(最悪だよな、オレ…)。
~~~
原作では、夜の校舎のシーンは朋也と風子二人きりでした。選択肢によっては風子との恋仲に進めるシナリオですから、これは当然といえば当然です。つまり、原作における風子シナリオは、極論すれば「朋也との恋愛関係成就」が目的の一つに位置付けられているわけです。
しかし、一本道のアニメ化においては、「風子と朋也との恋愛要素」は、やはり削る方がすっきりするんですね。だから、風子の最後のセリフも「お友だちになってください」のバージョンになるだろうことは予想できたんですが…まさか、風子自身に「渚と朋也の関係を後押しさせる」役まで振るとは、全然思っていなかったわけで、こりゃもう衝撃と言うしかない訳ですよ。
それも、「ご都合主義的」な挿入に留まらず、この追加部分が先に述べたようにCLANNAD全体にも深みを与える仕組みになっていますし、更には風子自身のシナリオにもまた強化されている気がするんですね。
そう、風子は「願う少女」なんですよ。
それも、自分自身は忘れられても、他の誰かの幸せを願う少女です。
公子さんの結婚を皆に祝って欲しいという願いが叶った時、風子は物語的にも消える運命を負ってしまいます。彼女を無理にでもここに出現させていた「目的」が達成されたならば、もう無理は利かないわけですから。
でも、次の願いが生まれていたら?
渚と朋也にも、姉と同じように幸せになって欲しいという「願い」。姉に向けたのと同じ、「人のための願い」。それがまだあるのならば、彼女はまだここに居続けることができるのではないでしょうか?
もちろん原作でも「風子と友だちになって欲しい」という願いが彼女に残っているため、それが彼女の再来を匂わす終わり方に繋がるわけですが、姉への願いと同じ「人のための願い」が引き続きある、というのはオリジナルなんですよね。
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原作とは異なり、ヒトデ談義に参加せずに寝こける朋也。彼は「少女がいつの日か戻ってくる夢」を見ていますが、一方ではその少女が見ている夢もまた続いているのではないか?という含みを残します。だとすると…。
「夢の最後まで」というサブタイの、「最後」って一体いつのことだ?
見るまでは、当然今話のことだと思っていたのですよ。風子が見ていた、公子さんの結婚を皆で祝うという夢。それが叶う日が最後なのだろうと、そう信じて疑わなかったわけですが…。
甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘いっ!!いやーもー全っ然甘かったですよっ!!今まであれだけ「京アニはサブタイに命かけてるんじゃないか」と思わされてるのに、全く進歩することを知らず、一向に「その先」が読めないでいる自分に絶望ですっ!
続いていく夢、渚と朋也にも幸せになって欲しいと願う風子の新たな夢が示された今となっては、「まだ夢の最後は来ていない」と解することが可能になっちゃうわけじゃないですかっ!それがサブタイに「もう一つの意味」としてかぶせられていることは、十分に考えられるじゃないですかっ!
公子さんの幸せという夢が叶い、いったん風となって行った風子を示すとともに、その最後の瞬間までどうにか風子とともに歩めた渚・朋也を表す意味での「夢の最後まで」。そして、まだ少女の願いは続いていること、つまり彼女がまた戻ってくる日も来るのではないかということを、そして彼女を待ち望む周囲の願いも続いていくことを示すための「夢の最後まで」。深い!深すぎるよ京アニ!多重に意味を織り込んでくる技には何度も泣かされているけど、今回もグッジョブすぎるよ京アニ!!
「複数シナリオの一本化」は、普通はハンデになるものだと思います。切り捨てなければいけないところ、意味を改変しなければならないところがあちこちに出てきて、結果として原作の雰囲気を壊してしまったり、無理の生じる場所が出てきてしまったり。でも、それを逆手にとって「思いもしなかったプラスアルファ」を出してくるところが、いつものことではあるけどホントに尊敬ですよ!
のみならず、その目的を目指した画面作りもまたかっちり組み合っていて、これまた素晴らしい!例えばクラッカーを飛ばした後の紙テープがそれぞれ頭についていることを指摘し合うシーンでは、あえて風子一人しか画面に入れず、朋也と渚の姿を見て微笑む風子のアップで「願い」をもう一歩踏み込んで示していたり。三人並んで寝たはずが、朝には朋也と渚のみになっているというシーンでは、あたかも「風子が間に入って朋也と渚の距離を縮めた」かのような画面になっていて。
細かい!細かすぎるよ京アニ!微に入り細を穿つその作りには何度も泣かされているけど、今回もグッジョブすぎるよ京アニ!!
【オトナの階段上る?】
信じてたの~?こっども~!
これはAIRから佳乃のセリフですが…実は本当のオトナというものは、コドモとかオトナとか、ムキになって気にかけたりしないものです。そう思うと、夜の校舎でどっちがこどもとかムキになっている彼らは、まあどいつもこいつもみぃんなコドモなわけですな。
もちろん、それで、いいのですけれど。
達観したオトナな主人公が織り成す、人との触れ合いや家族愛を描いた心温まるストーリー。…それじゃクラナドじゃなくなっちゃいますっ!(><)
CLANNADに限らず、ですが、主人公とその仲間が悩みや苦しみに向き合う物語は、やはりある程度以上の若さを残した人物でないとうまくはまらない気がします。それは「未熟」と言うとアレですが、だからこそ「成長」というものが順行のストーリーとして映えるのだと思うんですね。
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オトナになる、って、どういうことかしらね?
無断外泊してもお咎めなしになること?
コドモっぽいグッズに目をくれなくなること、ガマンできるようになること?
不用意な体の接触にも、顔を赤らめずに対処できること?
男女が下の名前でお互いを呼べるようになること?
いやいやガキども、どれもこれも違うだろ。ここは一つ、オトナなおいちゃんが特別に教えてやろう。それはな、オトナしか入れないピンク色のコーナーに堂々と立ち入ることができr(超サイアクですっ!)
…本当は、それも今回の画面から暗示されていたような気がします。オトナだコドモだと言い争っていた後のシーンでは、互いを思い合うような表情のアップが多用されるんですよ。そう言えばオトナは、人のことを大事にできるものですよね。
「では、お二人とも風子よりコドモだと確定です」「それで妥協しましょう」…ここまでコドモそのものだったような風子が、立ち上がって渚と朋也への思いを語るシーン、間髪入れずにほっぺへのキッスで思いを伝えようとするシーン。どちらの風子も、すごくオトナに見えますよね。というか、震えちゃいました、涙ぐんじゃいました。その思いに心打たれてしまって。
一方では、渚も朋也も、風子のことをとても思っていることが、あちこちから伝わってきます。三人並んで風子が寒くないように寄り添うシーン、翌日辛そうな表情で「とても大切なこと」を必死で思い出そうとするシーン。真剣な面持ちの彼らは、既にコドモなんかではなく、オトナな苦しみの中にいます。
なんだ、みんなオトナなんじゃないかよ。あれ?どっちなんだ?
コドモでもあり、オトナでもあり。その揺らぎの中に、必死な思いを抱えて進もうとする彼ら。だからこそ、魅力的なんですよね。コドモの部分も残しながら、苦しみを超えることでちょっとずつオトナの部分が増えていって。その成長劇は、だからやっぱり僕らに感動をくれるんです。
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「最悪じゃありません、自然なことです」
辛いような諦めたような表情で、朋也と渚を許す風子。彼女の言葉ではないですが、風子の不可思議な存在はあくまで「自然」であるような描写が徹底されてきました。
自然に、そこにいるように見えている。
だけど、公子さんには見えていない。
透過光もぼかしも入れず、ごく自然にそこにいるのに。
かと思うと、一瞬のカットの切り替わりのみでいなくなる。
まるで、その前からいなかったかのように。
超自然的な力など、一切働いていないように。
…それは、オトナとコドモがころころと切り替わるような、彼らそのものを思わせます。そして、それこそがものすごい効果を生んでいたような、そういうシーンがたくさんありました。今回、渚と朋也が風子を思い出す瞬間など、もうティッシュが何枚も必要になるような壮絶な破壊力でしたもの…。二人がそれぞれ風子のことを思い出す顔のアップで、瞬時に二人を同時に映すバストアップに引いた途端、二人の間に風子が、なんて。ホントに、今までもずっとそこにいたかのような。…アレはないよ、なぁ。泣くなったって絶対無理だろ。BGM「空に光る」とのシンクロ具合がまた反則級。こりゃもう、泣いてもいいよね?今一瞬だけコドモになるから。じゃ、さん、はいっ!
だはうおあふわああああああああああ、ぶえっ、ふえっ、ぬわああああああああああああ!!!!
でも、そんな描写が、今回ただ一度だけ、奇跡的な描写に変わるんですね。遂に渚からも朋也からも再び見えなくなったその先に、今一度、今度は公子さんにも見える存在として光をまとって。まるで、届かないはずのものが、辛うじて届くという「奇跡」が起こったかのように。実際に病院に寝ている風子を毎日見てきた公子さんは、今この場にいる風子を一番「見れない」存在のはず。でも、そんな公子さんにさえも見えるほどの、思いの強さで。最後の、輝きで。
あああああ!!風子が!!極上挿入歌「ANA」が!!もうオレ、このままコドモでいいや!!
どぅふああああああああああああああ、ふげっ、くっ、えっ、えっ、えっ、んがああああああああああああああああ!!!!
「一回きり」のこの衝撃よ。しかも、それまでの描写をまるで「オトナ」「コドモ」がころころと切り替わるような、と思っていたところにこれですもん、このシーンの風子が「オトナもコドモも超越した存在」になっちゃったような感覚で泣きはらして見ておりました。或いは、「オトナもコドモも内包する一個の存在として確定した瞬間」のような描写、と言ってもいいかも。いずれにせよ、作り手にそこまでの狙いは無かったのだろうと思いますが、私にとっては「いいハマり具合」をしたようですね。
原作プレイの時には、先がどうなるか知らずにいたので、もう悲しみの極致で泣きまくっていた覚えがあるのですが、今回の涙はナンだか違う味がしました。思いは、こうして届くことがある。そして、願いは、まだ絶えずに続いていく。そういう暖かさ故に、泣けてしまった気がします。
この「温かさ」がCLANNADだなぁと。
いやもう素晴らしい!!思わずレビューもいつもの3割増だ!!それでも触れられない部分がいっぱい出てきてしまって残念至極!!引き続き力いっぱいフォローしていきますよ!!だから私の願いもいつか叶えtいやナンでもないです。orz
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褒めるべき所はてりぃさんが全部、少なくとも俺が感じた以上の事を書いて下さってるので、以下ちょっと気になってる点を。
個人的には今話、いや今作CLANNADについては第1話からあまり良くないイメージがついて回ってます。
それはすなわち、「役者が大根」ということです。
断っておきますが、これは声優さんの演技がという意味ではないです。
問題なのは「絵」の方がやってる演技と、それに付随する演出。これが何ともわざとらしいと言うか、白々しいと言うか。
個人の感覚に依るところも大きいと思いますが、俺はこの点ちょっと演出過剰に感じています。
何と言うか、動きを緻密に、丁寧に、そして印象的に描こうとし過ぎて、結果オーバーアクションの大根役者が出来上がってしまっているように見えるんですよ。演出面においても然り。少し大仰過ぎてクドイ。もうちょっと自然体に描いてくれた方がいいのになぁと見ながら思ってしまうんです。
職人気質なのは京アニのいい所ですが、ちょっと張り切りすぎのような。過ぎたるは及ばざるが如しってやつですね。贅沢な話ですが(笑
ただ、邪推すれば。Kanonにおいてかなり抑えた演出をやりました(そしてそれを不満に感じる人もいました)から、その反動かなとも思います。CLANNADではとにかく分かりやすさを重視したのかなと。
以上、素直に感動出来なかった人間の負け惜しみでした(爆
>東西南北さん
うん。
おれも過剰演出には同意かな。いろいろと、例えばギャグ部分とか「狙い過ぎ」のあざとさすら感じるところも正直ありますね。
受けて側の問題なんでしょうけど。
これがCLANNADだと思いますよ
今回はそういった乗りで行く物なのかと
勝手に納得してたのですが
それよりも気になるのが
世界を斜めに見て
色々と自棄になってる筈の岡崎君が
今の所物凄い好青年な部分かな
演劇部再開に向けて古河嬢と共に行動する事で
また頑張って見ようと思い直す流れが不自然になりそうなくらい
現状極めて良い奴になってる
卒業して古河家に転がり込む直前に
親父殿と壮絶なバトルを繰り広げられても
取って付けたような印象になりそうで若干心配
でもっ!京アニなら…京アニなら何とかしてくれる!
と、思いますが
(Kanon、栞のセリフより)
まるでCLANNADだけは見逃せない
といわんばかりの旅行帰りですね。
やっぱり、てりぃさんは雄叫びナユキストですね。
なんかもう色々すごかったです。
AIRを、Kanonを“ある意味”超えてるというか
なんかそんな感じです。
前回の夕焼けのシーンは今回の2人の縁結びにも
繋がってたのでしょうか。
楽しそうにしている2人を公子さんと祐介に
重ねてみていたのかもしれませんね。
やはり「つづく」は出てきませんでした。
風子の話が終わったから、ってことでしょうが、
2話目から出てましたけどね「つづく」。
予告はKanonの18話の時の予告
(19話目の予告という意味です)と同じく、
セリフのつなぎあわせで遊んでますね。
Kanonの時といい来週からはまた
日常が描かれますよ、ということでしょうか。
皆さんのおっしゃる「過剰演出」の件ですが。
ギャグの部分はあのぐらい過剰でもいいと思いますね。
なにかの雑誌で石原監督が言ってた気もしますけど
(なんて言ってたのかあんまり覚えてないんですけど)、
わざと過剰にやってるんだと思います。
他のシーンは特に過剰演出とは僕は思いません
(でも明後日はまた修羅場でぅ)
>風子は「願う少女」なんですよ。
>それも、自分自身は忘れられ
>ても、他の誰かの幸せを願う
>少女です。
これって何気に凄いことですよね。
普通、自分の存在を忘れられてしまうと言うことは耐え難いことです。
でも、風子ちゃんはどうしても叶えたい願いのために自分の存在を忘れれても構わない…くらいに思っているのではないかと思うほど自然にそれをやってのけてしまったのですよね。
まぁ、なんで風子ちゃんがそういうことを願わなくてはならなくなったのかは置いてといてなんですけどね。
>東西南北さん
>問題なのは「絵」の方がやってる演技と、それに付随する演出。
>これが何ともわざとらしいと言うか、白々しいと言うか。
>ごすさん
>おれも過剰演出には同意かな。いろいろと、
>例えばギャグ部分とか「狙い過ぎ」のあざとさすら
>感じるところも正直ありますね。
>通りすがりさん
>過剰演出、私は感じません。
>これがCLANNADだと思いますよ
>moltenさん
>1話から飛ばしてたので
>今回はそういった乗りで行く物なのかと
>勝手に納得してたのですが
>それよりも気になるのが
>世界を斜めに見て
>色々と自棄になってる筈の岡崎君が
>今の所物凄い好青年な部分かな
>つちむさん
>わざと過剰にやってるんだと思います。
>他のシーンは特に過剰演出とは僕は思いません
…という具合に。
抜き書きした箇所の恣意性はこの際目をつぶって頂くとして、やはり人により意見が全く異なっていることがお分かり頂けるかな、と思います。私はと言えば、やはり演出過剰とも感じない方で、白々しさもあざとさも感じずに済んでいますね、今のところ。
ごくごく個人的な意見ですが、演出過剰ではないかとのご意見には
「…んー。こんなもんじゃなかったっけ?(汗)」
という感想を抱いていたほどなので、そういう意味ではつちむさんの仰るように「わざとやってる」どころではなく、以前からこうだったんじゃないかしら?違ったっけ?というほど突き抜けているかも。
これが、信者クオリティ(爆)。
まあそれは冗談としましても、ごすさんが最後に書かれた、
>受けて側の問題なんでしょうけど。
というご意見が、ある程度核心を突いている気もしますね。や、楽しく見られないのは受け手が悪い、という意味合いではなくてですね、京アニ作品に関しては「受け手によって受け取り方がかなり違う状況に陥っている」という意味合いです。
ハルヒ、Kanon、らきすたと突っ走ってきて、京アニはブランドとして大変有名になりました。良くも悪くも、です。そうして、満を持して、原作ファンも非常に多いCLANNADに着手、というのが現状なのですが…これは話題性としてはベストな流れでしょうが、こと批評的な意味合いからは最悪のタイミングとも言えるような気がするんですね。何故かと言えば、
「あの京アニが、あのCLANNADを制作する!」
という、大きな期待をそれぞれがバッチリ持っている状態で制作せねばならないからです。当然、皆それぞれに「こういう風に作ってくれるだろう」というものを思い描いてますから、万が一それと異なる方向のものであった場合のハレーションはすごく大きいですよね?そして、人それぞれの好みが異なるが故に、万人の要望を満たす作品はどうあっても作れず、結果としてあちこちで小さくはない不満の声が上がってしまうと言う…。
AIRが非常に大きな喝采を以て受け入れられた背景には、「みんなまだそれほど京アニに対する先入観を持っていなかった」ことが大きく作用していると思うんです。「あの京アニにしてはどうこう」という論調は出て来ようがないですから。AIRとは客層が異なった第一期ハルヒにしても、まだそういう土壌の中にあったと言えると思います。しかし、KanonではAIRと同じ何かを求める人が少なくありませんでしたし、らきすたでは原作付きストーリーもの(AIRからKanonまでは皆そうでした)で見せていた京アニらしさが無いことがよく取りざたされてました。もう既に、「京アニブランド」に対して期待するものを、個々人が持ってしまっているんですよね。
だから、AIRのような「9割大絶賛」というものは、今後は出て来づらいと思います。作品の出来不出来以前に、受け手側がそれぞれに「何か」をどうしても期待してしまうから。期待する側が悪いということではないんですよ?これは多分、有名になったクリエーターが必ず直面する問題なんだろうと思います。
以上、お寄せ頂いたコメントへの私見でございます。これが100パー正しいわけでもないでしょうから、あくまで「そういう見解もあるのね」程度でお読み頂ければと。
以下、この話題以外のレスを。
>つちむさん
>2話目から出てましたけどね「つづく」。
私はまだ鑑賞できていないんですが、DVDでは1話目にも「つづく」が追加されているそうです。色々と「1話目にだけつづくが無かったこと」について邪推されていた方も多かったようですが、結果的には「特にそのことに意味はなかった」ということで落ち着きそうです。
>きつねのるーとさん
>なんで風子ちゃんがそういうことを願わなくてはならなく
>なったのかは置いてといてなんですけどね。
えっと、これって彼女が事故に遭ってしまい、そのことを公子さんが気に病んで自分一人の幸せに踏み出すことを躊躇していたこと、で合ってますでしょうか?
こういう、「大きな悪意のないところに起きてしまった大きな不幸」というモチーフは、深いところに刺さったトゲのようにいつまでも気になるんですよね。作中の人物にとってもそうでしょうけれど、作品を外から見ている僕らもやり切れなさとともにそれを見ることになり、同じようにいつまでも引きずってしまいます。仮想敵と言うか、憎まれ役がはっきりしている方が気が楽なんですよね。
だから、風子の取った方法論は、やっぱり正しく強い在り方なんだと思います。父親に怒りをぶつけようとする朋也を、渚が必死で止めているのも、多分そういうことなんでしょう。そういう不幸は世の中にあるし、だからといってわかりやすく責任の大きそうな人に憎悪をぶつけても、いい生は送れないのですよ。
かなり脱線してしまいましたが、そんなことをつらつらと考えてしまいました。
とりあえず、自分としては出鱈目を書いたつもりはもちろんありませんが、それでも先のコメントはラストに書いた通り半分以上「負け惜しみ」ですので。あまり気になさらないでください。
それと、不満とは書きましたが、演出過剰の一点を除けば大概の事には満足してますし、またどこもかしこも演出過剰と言うわけでもないので、ほとんどは楽しく視聴しております。一応、念の為。
お騒がせして、失礼しました>てりぃさん&All
大丈夫大丈夫。コワくないコワくない。コワいと言うならKanon最終話のレビューについてたコメント群の方がずっとコワかったじょ?(汗)
お騒がせってことはないですので、お気になさらずに。極端な話、「お前の意見はおかしい」とか一方的なこととかを言い出さない限りは、当ブログのコメントでは色々書いていただいて結構ですよん。多分、東西南北さんご自身にとってご不満な点があることは事実なのだと思いますから。
つーことで、次回もお待ちしております。
ついカっとなtt・・・ … …
その節はお騒がせいたしました。いや、いろんな意味で楽しんだんだけどねw
他人の意見を否定するのではなく、正反対の自分の意見を述べるってのも、難しいものです。
事実、全体的なクオリティは高いのに、どこぞでは炎上してるようですよ。此度のアニメ化。
>その節はお騒がせいたしました。
いやぁ、全然そんなことないっすよ?大丈夫、大丈夫。
>他人の意見を否定するのではなく、
>正反対の自分の意見を述べるってのも、難しいものです。
これですよ。特にね、リアル生活でね、ヒートアップしちゃうとなかなかこれが出来なくなっちゃう。まだまだ精進の必要な「不惑のハズの四十歳」でございます。
>どこぞでは炎上してるようですよ。此度のアニメ化。
ありゃま、そうなんですか。いや、別にいーっちゃいいんだけどさ、どこかが炎上してようとしてまいと、自分の取る行動には全然影響しませんから。だけど、なんだろうねぇ、肯定派も否定派も、相手をつぶさんと気が済まんのかしら、とは思いますなぁ。ええやん、人がどう思おうと。違う?
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