日本人に団結とか連帯の精神、あるいは助け合いとかかばい合いのこころがあるだろうかと悲観的になることが多くなりました。
きのう、人は自分の考えを変えることはできないと書きましたが、
ところが外圧というか外部の状況次第では実にあっさりと見事に変身するのです。
もっとも連帯し、助け合わなければならないときに、日本人は足の引っ張り合いをするのです。
西尾幹二さんが、「「日本をここまで壊したのは誰か」という自著の中で、鈴木敏明著「逆境に生きた日本人」に触れ、次のように書いておられます。
「権力者や組織という背景を失うと、多くの日本人はいかに弱い人間になってしまうのか、そして次の権力者に身を摺り寄せて迎合していく、これが日本民族の姿なのです」
「(ロシアで出されていた)日本新聞の編集長、イワン・コワレンコ中佐は日本人について『集団主義で勤勉な反面、権力に弱い。
それが日本人の民族的特性だ。
何か命令されて言い争うことがまずない。
私は日本人から〈はい、そうですか〉の返事以外、聞いたことがない。
そんな特性が収容所の管理や捕虜の政治教育に大変役立ったよ』と語っています」
「日本人のこの徹底して媚びる性質のため、地球上に人類が存在するかぎり、日本民族は決して滅びることはありません。
例えどんな民族に日本人が征服されても、日本人は徹底して媚びることによって生存していくでしょう。
そのかわり日本の文化はめちゃくちゃになります。
そんなことを気にしないのが日本民族なのです。
自国の文化が傷つけられ、あるいは否定されても無頓着であるということは、戦後7年間の占領政策が半世紀以上たってもほとんど何一つ変わらずに続いているのが証明でしょう」
「『日本人は猿に支配されたら、団結して抵抗するより国民こぞって木登りの練習を始める民族である』これは名言ですね。
実を言うと、私が常日頃思っていることを言葉にしただけです」
「日本人は1.権威、権力に極端に弱い。2.変わり身が実に早い。3.裏切り者や変節者が多く出る。4.団結することができない。5.日本人は日本を愛せない」
「私たち日本人は、変節、裏切りの遺伝子を持つため、変節者や裏切り者には実に寛大だが、信念を通す人には冷淡なのです」
わたしは最後の「信念を通す人には冷淡」というところで、植草さんを思い浮かべました。
しかし、植草さんに向けられたのは「冷淡」などという生易しいものではなく「憎しみと悪罵」でした。
わたしは、そのとき、なんでそんなに憎いのだろうと思いましたが、
これは、仲間から外れることを極度に恐れる心理の裏返しで、仲間に合わそうとしない人間は裏切り者であり憎しみの対象になるということだろうと思いました。
なんで親は子どもに勉強を強いるのかということで書いたのですが、日本人がいちばん重視するのが、「みんなといっしょ」といことと「仲間外れ」になることの恐怖なのです。
狭い社会で、監視し合い足を引っ張り合って生きてきたのです。
どんな小さな単位でも、たとえば、先生一人に生徒が二人という場合でさえ、生徒の一人は先生の権威に媚びてスパイのような存在になるのです。
(これはわたしの経験したことでもあります。)
シベリア・ラーゲリの記録は日本人として目をそむけたくなる記述に満ちています。
ラーゲリで起きたことは日本社会の縮図です。
同胞に対する精神的肉体的虐待はとても人間の仕業とは思えません。
「―以上のような記述を読むと、日本人として何とも情けない思いがします。
日本人捕虜は団結できないのです。
生き残るために各自勝手に共産主義者になってみせたり、転向したふりをしてソ連当局に媚びたのですが、新しい権力であるソ連当局への忠誠心を競い合い、その目的のためには同胞を冷酷に傷つけ、死地に追いやることも平気だったのです。」
「道徳心麻痺のきわめつきは「スターリンへの感謝状」でした。」
「いくら無事に帰りたかったからといって、ここまで自分を失い、誇りを捨てて、しかもしなくてもいい同胞への迫害を重ね、加虐快楽に陥った捕虜囚人の恥ずべき言動は世界史的にも例がない不名誉な記録です。」
(慰安婦問題もそうですが)ほんとうに日本人であることが嫌になる、、
恥ずかしくなる、、
日本の自然はこんなに美しいのに、なんで日本人は人に優しくなれないのでしょうか。
美しい自然に罪があるとでも、、?
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