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トランプの多極型世界戦略
2025年12月9日
田中 宇
トランプ米大統領が12月4日に、米国の世界戦略をまとめた文書である国家安保戦略(NSS)を発表した。
3-4年ごとに発表されているらしいこの文書は従来、米国が欧州や日豪韓イスラエルなどの同盟国を率いて、脅威である中露イランなどを包囲抑止し、世界の民主主義や人権を守るという、リベラル単独覇権主義を示す内容だった。
トランプは今回それを大きく転換した。民主や人権を口実にした戦略は抹消された。「冷戦後、米国が世界覇権を背負い続けたこと自体が間違いだった。米軍は同盟国のために無償で防衛してあげる必要などなかった」と、覇権放棄屋のトランプらしい内容になっている
(National Security Strategy 2025)
(Breaking down Trump’s 2025 National Security Strategy)
ロシアに対する敵視は消えている。代わりに、欧州がロシアを敵視しているのは「自信のなさの表れ」だと、欧州と非難している。
米欧が協力して極悪なロシアを抑止する英国好みな冷戦型の従来構図は消され、代わりに、米国が欧州を矯正して安定した対露関係を持たせる戦略が掲げられた。ロシア政府は今回のNSSに対し「われわれの考え方と同じだ」とコメントしているが、当然だ。
(Trump’s key foreign policy document aligns with Russia’s views - Kremlin)
NSSでは、文明(その国らしさ)の繁栄が強調され、左翼リベラルによる覚醒運動やDEI(や温暖化対策などリベラル全体主義)が欧州の文明を破壊し、このままだと欧州文明は消滅するので、その前に欧州を(AFDやルペンを与党にして右傾化させて)蘇生せねばならないと書いている。
これはトランプ陣営が就任前からやっていたことと同じだ。文明にこだわっている点ではプーチン政権も同じで、露国内での覚醒運動を抑止してロシアらしさを振興したり、多極型世界の「極」は文明ごとのまとまりだと規定したりしてきた(ならば、文明的な独自性が強い日本も、世界の極の一つだよ)。
(Trump's New National Security Strategy Stuns Mainstream In Saying Europe Faces "Civilizational Erasure" Within 20 Years)
今回のNSSは、地政学的な対ロシア戦略が全く書いていない(対イスラエル戦略も書いてない)。NSSは、まだ米国内や同盟諸国の上層部に巣食っている英国系の勢力に見せるためのものであり、だからトランプの世界戦略として最重要な対露と対イスラエルの関係について無言なのだろう。
英国系のシンクタンク群が、NSSに対する批判的な分析をいくつも出したが、どれもこれも味気なく、浅薄でお門違いだ。日本も含め、リベラル左翼やマスコミ専門家など英傀儡勢力のほとんどは、今起きていることの本質が見えていない。
(The National Security Strategy: The Good, the Not So Great, and the Alarm Bells)
(Trump’s Security Strategy Is Incoherent Babble)
NSSは、(国連やソロス系NGOなど)国際機関が力を持っていた時代は終わり、国家が最強の存在になる、とも書いている。国際機関は英国系の代理勢力であり、民主や人道や環境など、いろんな屁理屈を駆使して英覇権を維持してきたが、近年リクード系によるねじ曲げ策に引っかかり、超愚策を連発して自滅させられた。ざまみろである。
(Washington's New National Security Strategy Details How Trump 2.0 Will Respond To Multipolarity)
これまでの米国の世界戦略は、英国系が米中枢を支配してきたので、まず米欧(米英)の関係であり、米欧同盟の重要性を語るためにロシアの極悪性や民主人権の重要性が語られ、次にイスラエルと組んでイランやアルカイダの脅威と戦うことであり、その次にインド太平洋の中国包囲網だった。
だが今回のNSSでは、米国が中南米を支配する米州主義が地域戦略の冒頭にきている。これからの多極型世界において、米国は世界覇権でなく南北米州を統括(支配)する極だからだ。
(Trump has shattered the European liberal illusion)
米国は、近代初めの1820年代にも「大英帝国は南北米州に入ってくるな」というモンロー宣言を発していた。NSSは「トランプはモンロー宣言に戻ることにした」と宣言している。
その皮切りとして、間もなくベネズエラのマドゥロがトランプに加圧されて辞める(そのことはNSSに書いてないが)。
今回のNSSは、多極化が進み、世界が多極型に転換したことを示している。ウクライナ戦争(英欧自滅の完成)とガザ戦争(イスラエルの中東覇権化)が終わると、多極化が完成する。
南北米州に次ぐ、米国にとっての重要地域はアジアになっている。ハワイやグアム島まで米国なのだから、これも多極型世界のあり方として当然だ。欧州は3番目に下がった(しかも批判される存在として)。
台湾問題に言及しているが、台湾が民主主義だからでなく、半導体製造と貿易航路の面で重要だからだと書いている。
トランプはNSSで「台湾をめぐる紛争は、米国が軍事的な優位を保ちつつ回避するのが理想的(だが、状況が悪いと、米軍より中国軍が優勢になりうる)」という趣旨も書いている。米国が中国に負ける可能性を指摘したのは、これが初めてだ。
(America's New National Security Strategy: A Surprise Departure On China Policy)
「台湾周辺(第1列島線)の防衛は、米単独でなく同盟諸国(日韓)と一緒にやらねばならない。日韓はもっと軍事費をかけねばならない」とも書いているので「日韓が軍事費をもっと出さないと、米国側が中国に負けてしまうぞ」という日韓への加圧策だと考えられる。
高市早苗がトランプ訪日後、台湾問題に言及して中国を怒らせて一触即発の事態を作っているのは、日本人に中国の脅威を感じさせ、トランプに頼まれた日本の軍事費増額を実現するためと考えられる。そしてまたもや、中共は日本と軍事衝突寸前の事態を演出して、トランプと高市に協力している。
(高市を助ける習近平)
アジアに関してはもう1点ある。NSSは、北朝鮮に全く言及していない。それを見て、トランプは来年、金正恩に会うつもりだから何も書いてないんだと推測する記事も出ている。
私の見立てはそうでない。北朝鮮は、トランプの隠然同盟相手であるプーチンのロシアが面倒見るようになったので、トランプが何もしなくても良くなった。
以前の米国は、英国系の単独覇権なので中露朝を永久に敵視する策だったが、今後の米国はユーラシアの安定(と米州主義)を望むので、北朝鮮が露中の傘下で安定しているなら、何もする必要がない。
(Trump security roadmap omits North Korea reference, raising diplomacy hopes)
(非米側の防人になった北朝鮮)
911以降、米国の世界戦略として最重視された中東は今回、4番手に下がっている。パレスチナもイランもシリアもレバノンも不安定なままなのになぜ??、という感じだが、実はもうそれらの問題は本質的にイスラエル優位の中で解決への山を越えたのかもしれない。
イスラエルは、イスラム世界との和解が目標だが、そのための早道は、パレスチナ国家創設などイスラム側の要求を聞き入れるのでなく、それと正反対に、相手の要求事項を全部破壊した上で和解(降伏)を求めるやり方だ。
イスラエルがパレスチナ国家を作ってあげたら、そこで交渉が終わるのでなく、そこから永久の交渉が始まる。だから交渉はしない。瓦礫と遺体の山を認めさせる。
しかも、これはイスラエルの戦略であり、米国はそれに協力しているだけだ。トランプを潰そうとする英国系をイスラエルが潰してくれるので、トランプはイスラエルの戦略に全面協力している。
このほかNSSは、ドル基軸性の維持にも言及している。私は以前、ドルの基軸性が崩壊してから多極化が進むと思っていたが、現実はそうでなかった。多極化が完成するまで、ドル基軸は崩れない。
トランプのちからの源泉であるリクード系(イスラエル)は、中東覇権を確立するまで米国の強さが維持されることを望んでいる。米国の強さの源はドルの基軸性だ。
ドル基軸の延命には、中露も協力している。プーチンはBRICS共通通貨の具現化を棚上げした(これには、共通通貨自体の実現困難性もあるが)。習近平は最近、ドルの仇敵である金地金の価格上昇を止めている。
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