失敗について
若者の不安
先日ある大学の講堂で行われたパネルディスカッションに出たときのこと(下の写真は開催前の雰囲気)。新進気鋭の4人のベンチャー起業家がさまざまな質問に答えるというセッションがあり、いろんな質問を壇上からうかがいました。そのとき一番前に座っていた活発で積極的そうな女子学生がはい、と手を上げて「皆さんにおうかがいしたいのですが、皆さんがこれまでに経験した最大の失敗ってなんですか?もしよろしければ目もあてられないようないちばんひどかった失敗を教えてください」という質問をしました。
その質問に対して会社の経営で手痛い失敗をした話をした人もいれば 、火事で家が全焼しすべてを失ったけど、家財道具など失ったモノそのものよりも、それをきっかけにギクシャクした人間関係やこれまでの思い出を失ったことの喪失感など精神的な落ち込みのほうがひどかった、という悲惨な話をおもしろおかしく「すべらない話」にして話した人もいました(さすがです)。
並び順的にたまたま僕は一番最後に答える順番でじゅうぶん考える時間があったので、過去の数ある失敗の記憶を思い出しながらそのなかでどれがいちばんおもろくて聴衆のためになるだろうか、と彼女の反応や表情などを見ながらいろいろ思いを巡らせていたのですが、ふと、そもそもなぜこの子はこんな質問をしたのだろうか?と疑問に思いました。
それで、僕の順番がまわってきたとき僕はこう答えました。「僕にも山のように失敗はいっぱいあるのでなんぼでもお話ししてさしあげようと思うけれども、まずその前にあなたに聞きたいのだけれど、あなたはなぜそういう質問をしたの?その意図を教えてくれればより的確な答えをできると思うから逆に質問してるんだけど」
すると彼女は少しためらいながらこう言いました。「私も将来なにか新しいことを自分でやってみたいなあと思ってるんですけど、その反面失敗がすごく怖いなって思うんです。それでためらっているようなところがあって・・・。私が驚くようなみなさんのひどい失敗談を聞いて、それでも大丈夫なんだってことを確認できれば、少しは私もやれると思えるかなと思って・・・(一同笑)」
僕はなるほど、と膝をポンと打ちたくなるほど得心がいく思いがしました。
「そうか、失敗が怖いんだね。そりゃあたしかにそうだよねえ」とこちらが同意を示すと、彼女はこくりとうなずきました。「みなさんもそうですか?失敗って怖いなって思う?」と聴衆全員に問いかけるとそこにいた学生ほぼ全員がうん、とうなずきました。
「そうだよね。失敗は怖いよね。僕も失敗が怖くないかと問われて怖くないといえば嘘になるし、そりゃあ絶対いやです。実際、あちゃーって目を覆いたくなるような失敗をいっぱいしてるし、あんな思いをするのはいつも二度と嫌だって思うもん(笑)みなさんの顔を見るとこのことに大いに関心があるようだから、僕の個別の失敗体験を話すのもいいけれど、失敗ということそのものについて少しお話ししてみようと思います。」
と言って、次のような話を始めました。
失敗について
「質問してくれたあなたとみなさんにまず申し上げたいのは、『失敗しようと思ってもなかなか大失敗なんてそう簡単にできない』もんなんだよ、ということ。これは良くも悪くもそれが現実なんだけど、まだ皆さんたちは社会で信用をなにも築いてないまっさらな状態なので、たとえば事業をやるためのお金を借りたい、もしくは投資してもらいたいと思っても残念ながら第三者からお金を調達することはたぶんほとんど難しいと思います。また、失敗したらとりかえしのつかないようなものすごく大事な仕事をパートナーとなる企業がみなさんたちに任せるようなこともまだないです。人は実績を少しずつ積み上げることによって信用を築いていくことができるわけで、もちろんその信用はなかなかうまくいかないときに不義理をしたり誠意のない対応をしたりすると一瞬でパーになったりするわけで、そういう着実な信用の積み重ねのなかでだんだんお金や仕事をみなさんたちに少しずつあずけて任せてくれるようになるんだ。ということは、みなさんたちがどれだけ「俺はめいっぱいリスクを取ってチャレンジしてるぜー!」と思ってやったとしても、そしてそれを派手にしくじったとしても、そもそもたいしたお金や仕事をみなさんたちにあずけていないので、みなさんたちにも周囲の人達にもそんなにたいした被害は出ない。最初はそういうものなんだ。だったらそれを逆手にとって、自分たちにできることをなにも失敗を恐れることなくおもいっきりやったらいいんです。おもいっきり。自分たちが考えられる最大限をどかーんと派手に。失敗したってそもそもたいした被害がないんだから。たいした被害がないのに何を恐れることがありますか?どうです、そう考えれば少し気が楽になりませんか。」
彼女も含めた聴衆は、わかったようなわからないような、はあ、という反応でした(笑)社会人なら僕が言いたいことはなんとなくわかってもらえると思うんですが、まあ、社会人経験がない人はそういう反応になるのも無理もないかもしれません。
「ちょっとピンと来ない人もいるみたいだから、こんなわかりやすいたとえ話をしてみたいと思います。人生って言うのはスーパーマリオみたいなもんなんです。1面をクリアできるようになってからやっと2面、2面をクリアできるようになってからようやく3面、というふうに段階をおってだんだん高いレベルの仕事ができるようになるもんなんです(この後詳細を説明したのですが、この内容は前に記述したのでここでは割愛します。詳しくはこちらのブログの「人生はスーパーマリオ」の章を参照してください)。なので、まず自分たちにできるちょっと無理めかなあと思える最大限の挑戦をすればいい。そして目の前の高い階段を一段ずつ乗り越えていくように一所懸命がんばっていれば、しばらくたってふと気がついて後ろを振り返ると、おおだいぶ上まで来たなあ、と自分が歩んできた道のりの高さに気づく。そんなもんなんですよ。」
そして一呼吸おいてこのように続けました。
「さらに言いましょう。みなさんに絶対失敗しない極意を教えてさしあげます。え!?そんなのあるの!?と思うでしょう。なんだと思いますか?」
聴衆は皆しーんとしていました。
「それは、どんなにひどい状況になっても『失敗した』と思わないことです。自分が『失敗した』と思わなければそれは失敗ではないんです。なんだかヘリクツか禅問答のように聞こえますかね(笑)いいえ、僕は大マジメに言ってまして、これは松下幸之助さんの教えなんですけれども、僕はこれこそが失敗に関する至言だと思います。この教えを実践している僕はほとんど失敗がありません。まったくの失敗知らずです(笑)なぜかというと失敗したわけではなく『一時中断』だと思ってるんですよね。たまたま今回精一杯チャレンジしてみたけどうまくいかなかった、予算が尽きた、人がいなくなった、など諸般の理由によりやめざるを得なくなりもうこれ以上挑戦ができなくなったとしても、その状態イコール失敗ではなく、あくまでも一時中断だと言い張る(笑)もう二度と自分の生涯においてこのテーマについてチャレンジしない、金輪際二度と考えない、というときはこれは失敗だったと結んでもいいと思いますが、まだあきらめるつもりはない、別の方法論をとってでもいつか再チャレンジするぞ、と思ってるならばそれは失敗ではなく、あくまでも『一時中断』と位置づければいいんです。その意味では僕にはそういう一時中断中のテーマがたくさんあります(笑)いつか死ぬまでには必ず再びチャレンジして、次こそは絶対成功させてやろうと思っているものがいろいろあり、もし次でダメでもまたそのとき一時中断すればいいと思ってます。その次でダメでもさらにまたその次でリベンジや!成功するまで何回でもやったるでー!とね。僕はよく言えば好奇心旺盛、悪く言えばいろんなことに首を突っ込みたがる性格で、そういうリベンジしたいことがどんどん溜まってちょっとアップアップ気味なのですが(笑)、そういうものを胸に秘めて日々生きていて、なにか別のことをやってる時にふと『お!このアイデアはあのテーマに使えるんじゃないか!?』とインスピレーションを得て試しにちょっとトライしてみたらそれまでまったくダメだったのにパーッと光明がさして道が開けた、なんていうときにはゾクゾクと鳥肌が立つような快感があったりします(マゾですかね?(笑))」
ここまで話をするとみんなクスっと笑ってくれました。
「そうやって考えれば、失敗なんてぜんぜんどってことないというか、普通の人たちでは知りえない知識を得、経験することのできない経験を積んで、そうやっていろんな問題を解決するための引き出しが自分の中にたくさん増えていってるんだと考えれば、たとえうまくいかなくて恥ずかしい思いや残念で悔しい思いをしたとしても、そんな一時の悔しさや恥ずかしさなんかよりもどんどんそういう引き出しが増えていったほうが全然いいと思いませんか?」
「これは日米をよく知る人達がみんな言うんですけど、『日本では失敗すると二度と立ち直れないような社会的ダメージを受けるのでみんな失敗をすごく恐れるけれど、シリコンバレーでは失敗(failure)は経験(experience)ととらえられてむしろ高く評価されるのでみんなどんどんチャレンジする』という違いがあります。 ほんとに実際そうなんですよ。シリコンバレーはこういうカルチャーだからこそ、あそこからは世界を席巻するようなベンチャーが毎年毎年続々と生まれるんです。 僕はシリコンバレーと日本の差ってここにいちばんあると思います。 ここが決定的にちがう。」
「しかしそこでみなさんはこう思うでしょう。シリコンバレーは素敵でいいかもしれないけど、 ここは日本だし、 僕らはなかなかシリコンバレーには行けないし、とね。大丈夫、少なくとも僕や僕の仲間や僕らと志を同じくする多くの人達は、ちゃんとみなさんたちの失敗を経験ととらえてポジティブに評価してあげます!僕らはみなさんより少しだけ先に生まれた人生の先輩で、僕らと同世代の人間や、世代は違っても僕らと同じような価値観をもって日本を活性化したいと思っているいろんな人々が、少しだけみなさんより先にこれからだんだん社会の中枢で重要な役割を担うようになっていくので、みんなで力を合わせてそういう失敗を積極的に評価してくれるような社会を作っていきます。ですからみなさんたちもぜひ後に続いてください。そういう想いの連鎖が世の中を変えていくんです。」
そしてこの答えの最後にこう結びました。
「そりゃあ成功したら最高だし、成功したことによって初めて見られる世界ってあるし、成功体験から学べることというのはたしかに多いですけど、僕の経験で言えば、それと同じかそれ以上に、失敗体験(いや、失敗じゃないので『一時中断体験』(笑))からも学べることはめちゃめちゃいっぱいあります。そしてそれ以上に人生において最も大事ななにかを得ることができます。こうやったらダメだ、こうなったらマズイ、という教訓を学べるのはもちろんのことですが、それ以上に、自分が苦しい時にほんとうに力になってくれる人が誰かわかったり、絶体絶命の時に救いの手をさしのべてくれる人に運命的に出会えたりとか、ほんとうに心から人に感謝する機会を得ることができるんです。普通にぼさーっと生きてたら『この人にはどれだけ感謝してもし足りないくらいありがたい、神様よりも大切な人』なんてなかなかできないですよ。みなさんのまわりにそういう人います?それがベンチャーをやるとそういう出会いをすることができるんです。環境や状況がそういう人間関係を創りだしてくれるんです。このような出会いはなにものにも代え難いと僕は思います。極論すれば、僕はそういう人と出会い、助けたり助けてもらったりしながら、そういう熱い想いと感謝の気持ちを分かち合うために必死こいて仕事をしているといっても過言ではないかもしれない。もうね、涙と鼻水が同時に出るくらいうれしいですよ(笑)僕はそういう出会いがあるたびに、誰もいないところで人知れず涙と鼻水とヨダレでズルズルになっとるわけです(笑)。」
「どうです、かなーり気が楽になってきたでしょう?(笑)」
ひとりでだいぶ長く話してしまって他の登壇者に申し訳ないと思ったけれど、ひょんなことから彼女たちにこういうお話をしてあげられて僕はとても嬉しかったし、彼女もにこりと笑顔を見せてくれました(と少なくとも僕にはそう見えました(笑))。そして彼女だけでなく聴衆も他のパネリストもみな満足気に明るい顔を見せてくれました(と僕にはそう見えました。ジコマンです(笑))。
実はこのイベントにかぎらずいろいろなところでスピーチやパネルに参加して質問をどうぞというと、ほぼ必ずといってもいいくらい同じような失敗についての質問が出ます。以前は、みんなそんなに失敗が怖いんやあ、と僕にはとても意外でしたし、そんな失敗ばっかり怖がってちょっと情けなくないか?とすら思っていたのですが、違います。僕は今では彼らの気持ちがよくわかります。
現代は古い価値観とこれからの未来の価値観との狭間で不安定に感じている人が多い時代です。なので、たしかに自分でやってみたい気もするけど、失敗したときにはいったいどんなことになるのだろうと失敗時のマイナスを計りかねて不安に思って聞いてくるんです。ライブドア事件などを目のあたりにして、ああ、本音を言いすぎてやんちゃをしてしまった人間はああやって社会的に抹殺されるんやあ、出る杭はああやって打たれるんやあ、と若者たちはビビりまくったわけです(僕らはこれを「ホリエモンショック」と呼んでいます)。なので失敗したときにどんなことになるのか、まあホリエモンほどのことにはならないにしても、失敗するといったいどうなるのだろう、とすごく疑問と不安にかられているのです。このホリエモンショックが若者に与えた悪影響はほんとうに大きくて、僕にとってはニクソンショックよりもリーマンショックよりもソニーショックよりもはるかに深刻で、なんとかこのショックを払拭しようといま躍起になっています。(ちなみにホリエモンのことは小学生のときから知っている中高の同級生で、堀江には何の恨みもありません)
また、一方でポジティブにとらえれば、マジで自分でやってみようかと思う子たちの絶対数が以前よりも飛躍的に多くなっていて、失敗のことを先輩に聞いてくるというのは、ある意味本気でやろうかと考えていることの裏返しでもあるからだと思います。その意味では、失敗について聞いてくるのはとても良い兆しだと今では考えるようになりました。もちろん、シリコンバレーはその先を行っていて、失敗=いい経験積めてやったぜ!という境地までたどりついているので、日本やアジアの若者も早くその境地に至れるようみんなを励ましたり(イベントへの参加やこのブログはその活動の一環です)、失敗しても大きな失望感を感じるヒマもないくらい次にやることがあって経済的にも空白の期間ができないようになって何度でも再チャレンジできるフェイルセーフ(失敗の被害を最小のものにする安全装置)の仕組み(僕らはそれを「セーフティネット」と呼んでいて、それはどういうものであるべきかをいま議論しています。)を作ったりして努力していきたいと思います。
僕ですか?・・・僕はどうせ失敗するなら派手に失敗してネタになるような失敗をしたい!と思っています(笑)。たとえうまくいかなかったとしても、おもしろくて笑ってもらえるようなものであれば、失敗(くどいですが一時中断です(笑))も「おいしい」とか思っているフシがあり、ひどい結果のときですらも「うわー、こりゃあまたネタができた」と楽しくなってニヤニヤしているという、「失敗界」でもかなり上位の、ランクで言えば大僧正のような悟りの境地に近づきつつあります(笑)
悟りに近くなってくると、失敗ですらも人生を彩るスパイスです。「いやあ、人生ってなかなかうまくいかんようにできとるなあ。楽しいなあ(^^)v」って。こうなったらもう人生最高に幸せです(笑)キャッシュフローの黒字化と資金が底をつくまでの時間との戦いで資金繰りについてギリギリの真剣勝負をし続け、成功したり失敗したり悲喜こもごもな経験を重ね続けた後には、きっとみなさんもこんな境地になれます。
人生は深いんですよ。
※この最後のくだりは半分冗談です。僕はまだ全然悟ってませんから!