医者の横暴の言いなりにならないように
2025/01/02 06:50:00 |
お勉強 |
コメント:2件
元日に「具体と抽象」の本を紹介させて頂きましたが、
実はもう一つ、紹介しようかどうか迷っていた本がありました。
それは昨年の後半に私が出会ったこちらの本です。
医者は神ではない 医者が教える病気をハッピーに変える秘密
単行本(ソフトカバー) – 2024/4/19
木村 謙介 (著)
著者は木村謙介先生という医師の方で、慶應義塾大学の循環器内科に入局され、医学博士を取得、カリフォルニア大学サンディエゴ校にも3年間留学されるなどの経歴をお持ちで、
2012年にきむら内科クリニックを開業され、2021年にはプロサッカーツームの川崎フロンターレのチームドクターも兼任されており、多彩な業務に当たっておられる先生です。 この本を読んで、木村先生は比較的私に近い問題意識をお持ちだということを感じました。
たとえば、ということで以下の文章を引用してみます。
(以下、p19-21より引用)
チーム医療を行っている大学病院や中規模以上の病院では、定期的に患者の病気の診断や治療方針について話し合うカンファレンス(症例検討会)が行われている。
ほとんどの場合、医者が主導して行われているが、そこで共有される情報は、患者の病歴、病状や病態、検査結果、診断、治療の経過、予後など、そのほとんどすべてが患者の肉体に関するものである。
けれども、本気で患者の病気を治そうとするのであれば肉体のみではなく、患者の心にも同じくらいの時間をかけて議論することが必須である。
例えば、会社で非常に厳しい立場にあるとか、何らかのハラスメントに遭っているとか、家庭内に深刻な不和があるとか、子育てや介護で相当に悩まされているとかー。
患者の日常に甚大な影響を与えているこれらの「心の事件」が、肉体にも重大なインパクトを与えることは素人眼にも明らかである。
ところが、患者を心身共に窮地に追い込んでいるこれらの心理的な背景事情が、身体的な病気を扱う領域のカンファレンスで取り上げられることはほとんどまれである。
あったとしても、それに対して議論を深めることは決してない。
看護師や介護職など医師以外の多職種が関与する、患者の全人的なサポートに軸足が置かれているカンファレンスの場合は、患者の性格や心情、家庭環境や家族関係などの情報も共有されるが、
医師が主導を取っている限り、それらが肉体情報以上に重視されることはほとんどない。
逆に、そのような医師主導の科学的根拠を求められるカンファレンスの場において、患者の心の状態や心的な環境、心に影響を及ぼした事柄などについて質問すると、非科学的なことだと一笑される。
一般に、患者の心や、心に影響を及ぼす生活背景に関心を向け、それをケアするのは看護師やパラメディカルの役割だと認識されている。
医師はそれよりも検査データなどの客観的事実から身体状況を正しく把握して診断を行い、最適な治療法を判断して指示を出し、治療による体や検査データの変化を観察し、分析することが仕事であるという認識だ。
まさに「病気を診て人を見ない」という状況が常態化している。
これが現在の医療の現場で行われている医師の標準的な姿である。
症状や検査結果から診断基準に基づいて病名を付け、あとはエビデンス(臨床研究から導かれた医学的根拠)に基づいて治療を行う。
それを施行される対象である患者が、どのような人物であろうが、どんな思いでいようが、どれだけの悩みを抱えていようが、
そこには科学的根拠がないため、そのことが原因となって病気が発症し、病気の重症度や治療効果にも大きく影響するなどとは決して考えない。
エビデンスに基づいた治療を行い、病気が治り、あるいは検査データが正常化すれば一丁上がりーというわけだ。それで本気で病気が治ったと信じている。
そのような現代の医者が行なっている診療プロセスは、将来、AIやロボットに置き換えられると、医者の存在価値はなくなってしまうであろう。
(引用、ここまで)
私はこの文章を読んで、自分が大学病院の勤務医をしていた頃を思い出しました。
大学病院で働いていた時は、一人の医師に対して数名の入院患者が割り当てられ、その患者のことを徹底的に調べて診断を明らかにして、治療方針を立てるというプロセスに邁進していました。
そのプロセスが正しいと信じて疑わなかったし、自分としては傲慢な気持ちなど一切持つこともなく、
ただ自分の与えられた医師としての役割をまっとうしようと日々必死でした。
患者の背景だって決しておろそかにしていたわけではありません。むしろ自分の意識としては何人暮らしとか、どんな仕事をしているのかとか、タバコやお酒の習慣はあるかとか、ペットは飼っているかとか、様々な観点から患者のことを把握しようと必死に努力していました。
その結果、私はカルテをよく書く医者であると自認していました。大学病院では他のドクターのカルテの文量と比較することもできますから、その辺は一目瞭然でわかりました。
もちろん、文の量が多ければ患者のことを把握できているとは限りません。要領を得ないことをダラダラと書いている可能性だってあるわけですから。
ただ、それくらい私は必死に患者のことを理解しようとしていた、少なくともそのつもりでした。
しかしその結果、私がやっていたことは、木村先生が言うように、診察や検査で目に見えるものに焦点を当てて、
現代医学の公式に当てはめて、エビデンスやガイドラインという名の規定路線に患者を乗せるような行為であって、
その患者さんの価値観だとか、患者さんの心身に重大な影響をもたらしたであろう「心の事件」については認識できていませんでしたし、
チーム医療という名で自分が医師以外の医療職をあやつるような権力構造の中で、患者さんに対して無自覚に支配的に接し続けてしまっていたように振り返ります。
ここで言いたいのは、きっと今でも多くの医師は、真面目にそのプロセスを営んでいるということです。
支配しようと思ってしている医師はまずいないでしょうし、いたとしても少数派であるという感覚には確信が持てます。
だから木村先生は「心」について現代医療の中でもっと丁寧に扱うべきであって、
それが医療を改革することにつながるという考えを持っておられるように私には感じられました。
私も今ならその考えがよくわかります。私自身も糖質(糖代謝)とストレス(心の在り方)は患者さん自身が病気を克服し心身を整えていくために重要な2大概念だと思っていますので。
一方で、木村先生の中で違和感を感じる部分もありました。
(以下、p49-51より引用)
ある患者は、感冒後の咳が長引いていたため呼吸器の専門クリニックを受診し、呼吸機能検を行ったところ基準値を下回ったため、気管支喘息と診断された。
この病気は一生付き合っていかねばならない病気であり、風邪をひいたり、ストレスが多いと悪化し、薬を中断すると再発してしまうので絶対にやめてはいけないと説明を受けた。
自治体によってはある特定の病気に対して治療に補助金を出しており、その患者も申請を勧められ、言われるまま書類を提出した。
専門医による診断と脅しのようなネガティブな病気の予後予測、さらに申請が受理されたことによって「自分は公的にも認められた喘息患者なのだ」と、潜在意識に刷り込まれてしまった。
ここには何の希望もない。残るのは憂鬱と不安だけだ。そのような経緯で医者の診断を受け入れるケースが多いのである。
もちろん、診断そのものは正しいことがほとんどなのだが、中には診断が正しくない場合や、病気に対する受け止め方が間違ったまま、それを信じ込まされている例も少なからず存在している。
潜在意識に刷り込まれた“確信”は、今後の物事の考え方や行動を決定する場合の判断や選択に大きな影響を及ぼすため、医者に予後予測されたそのままに病気が進行することが多い。
この患者も、案の定、風邪をひくと発作が悪化するので、いつも風邪のひき初めに過敏になる。
旅行にうっかり薬の持参を忘れてしまうと不安が高じて息苦しく感じる。
ちょっとしたことでパニックになって、過換気になり、手足がしびれて救急外来を受診する回数も増える。
そして何度も発作が起きて救急車を要請し、ERで点滴治療などの救急医療を受けたこともあったそうだ。
そのたびに処方される薬の量が増加して、憂鬱と不安が倍増することになった。
数年以上もそのような状態で過ごし、あるときにふと「あのとき診断されるまでは、喘息の気があるなどとは一度も言われたことがない。それなのに一生、この薬を使い続ける必要があるのだろうか。本当に自分は喘息なのだろうか?」と疑い、別の医療機関に行く患者も存在する。
僕のクリニックにもそのような患者が来ることが時折ある。このケースもそうであった。
よくよく経過を聞いてみると、最初は通常の風邪症状で、咽頭痛や熱などは引いたものの咳だけがしつこく残ってしまった。
その状態で病院へ行くと気管支喘息と診断されたとのこと。風邪の後遺症として気管支炎が残ることはよくあり、その患者も時間がたてば自然に治ったはずだった。
しかし、気管支喘息という名を付けられ、潜在意識もそれを納得してしまっているために、「一生治らない」「悪化する」という医者の予言どおりに、病気が展開したのであった。
患者の潜在意識の認識を変えるために、僕自身が「これは気管支喘息ではない。この患者は必ず元の健康な状態に戻る」と確信をもって診療に当たり、「元気になってほしい、ハッピーになって希望を取り戻してほしい」という強い思いで僕の解釈を伝えた。
その患者はそれを次第に肩じ、最終的に“喘息患者”であることを卒業した。
それでも、潜在意識を変えるには相当な時間を要し、ほんの少しずつ薬を減量して自信をつけながら、結局、吸入薬などの喘息治療薬がすべて不要になるまでに半年ほどかかった。
(引用、ここまで)
医者は概して医学的見解を無神経に伝えるところがあります。
入院の必要性を伝える場合にも、相手にどんな事情があるのかもおかまいなしに「いま入院しないと大変なことになりますよ」の一点張りで強く勧められることがあります。
自戒を込めて言いますが、そんなことを医師から言われて誰が断ることができるであろうかという話です。本当は入院できない事情があるのであれば、入院せずに対応する方法(たとえば在宅診療導入など)もいくらでも検討できるはずなのに、です。
引用文の病名を告げて「一生薬を飲む必要がある」もその典型的なパターンですね。医者は「一生薬を飲み続ける必要がある」という言葉の重みに無自覚な人が多いといいます。文字通り、「気軽に」その残酷な事実を伝えます。
でも「医者がそう言うのであれば観念するしかない」と、多くの患者はその理不尽な推奨に疑問を持つことなく従ってしまうのではないでしょうか。
しかし実際には、気管支喘息と呼ばれる状態にはストレスが大きく関与します。気管支喘息の治療にステロイド(ストレスホルモン)という薬が使われていることはその傍証です。
そして木村先生が言うように、本当は気管支喘息ではなく風邪の後の気管支炎が長引いた状態で、もうしばらく療養していれば整っていたかもしれない心身が、
その「一生薬を飲まなければならない病気」という観念を潜在意識に刷り込まれたことで、これから本当に大丈夫なのだろうか、仕事はやっていけるのだろうか、など色々な不安を抱え、そうした思いが慢性持続性ストレスとなってストレス対抗システムを過剰に駆動し続けてしまいます。
言わば医者の宣告が、ただの「風邪の後の気管支炎」を「気管支喘息」へと難治化させてしまったとも言えるかもしれないのです。きっとその医師からすれば夢にも思わない構造ですし、指摘されたとしてもきっと認めることはないだろうと想像します。
そんなことが起こるのも、「お医者様にお任せ」の文化があまりにも浸透し過ぎてしまっているためではないかと私は思うのです。
本来であれば、医師から理不尽な宣告をされた場合に、「先生、それって本当なの?」と疑ったり、自分で調べたりして、別の解釈や考え方が存在しないかどうかを検討しても良さそうな状況です。
それなのに、その理不尽を多くの患者は受け入れてしまうのです。それだけ「お医者様にお任せ」が根付いている証拠だと思います。
よしんば自分で疑って調べたとしても、たとえば「気管支喘息」で調べても、医師側の説明を補強する説明しか出てこないはずです。世の中が病原体病因論の前提に立った現代医学の情報に溢れており、
私が今書いたようなストレスホルモンの話は生理学の教科書の中の話としては出てきますが、気管支喘息の情報としてはどこにも書かれていません。
患者に起きている事象を患者側の視点(宿主病因論)で捉え直すからこそ、患者にできる具体的な実践につながるというのが「主体的医療」の基本的な考え方です。
だから木村先生もそういうことを伝え、患者さんもそれに不安を抱えながらも応答して、無事に気管支喘息を克服できたというストーリーではあるのですが、
実は私はここにほのかな違和感を感じました。
そんなに大きな違和感ではないのですが、ここで木村先生は「これは気管支喘息ではない。この患者は必ず元の健康な状態に戻る」と患者さんに伝えた、とあります。
同じ場面でもし私だったらこう伝えるかもしれません。
「これは現代医学の立場からは気管支喘息と診断されうる状態ですが、主体的医療の立場では必ずしもそうは考えません。なので現代医学側の解釈に全面的に従わないといけない必然性はありませんし、主体的医療の立場でできることをやってみるという選択肢もあります」
つまり、「お任せする対象が従来の医師から木村先生に変わっただけになってしまってはいないか」というのが違和感の正体ではないかと思うのです。
ただ、少なくともこの引用文の中では、紆余曲折を経て半年の時間をかけて気管支喘息から卒業できたとあるので、結果としては良好ですし、行うアプローチも木村先生と同じように、患者さんの状態を見ながらゆっくりと減薬していくことを勧めるとも思うのですが、
結局、この患者さんは「お医者様にお任せ」の姿勢が変わっていないのであれば、
また何かの折に病院へ受診した際に、医者からそれっぽい病名を言い渡され、一生薬を飲み続けないといけないと気軽に言われ、それにしぶしぶ従うという未来がまた来てしまうのではないかと心配してしまいます。
「心の在り方」に注目し、「心」を整えていく医療を普及するという木村先生のお考えには私は大賛成です。
確かに現代医療は「心」の問題をないがしろにして、医者側の論理を一方的かつ無思慮に押し付けてはばからない文化となってしまっています。
しかしもし、その「心」を整える作業が、木村先生に会わないとできないことなのであれば、
それは「お医者様にお任せ」の文化のままですし、下手すると時間がかかって効率の悪い、とてもではないけれどたくさんの患者には提供することができないアプローチにもなりかねません。
だから、「お医者様にお任せ」から脱却してもらうためには、患者自身の医療の捉え方を変えていくこと、
それを支援するための何らかの仕組みを作っていく必要があるというのが私の考えです。
「医者は神ではない」というタイトルにはすごく共鳴しますし、
神どころかすごく考えが偏った人達なので、そんな人達の言うことに縛られなくていいという意味で私と同じ方向性の考えを木村先生はお持ちなのだと思いますが、
細かく掘り下げていくと違いが明らかになってくるのかもしれません。
たがしゅう
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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Re: タイトルなし
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