8/22雑記
雑談です。だいたい春香さんです。
・ガルシアPの気合いの入った 『眼鏡キャラ愛好志向概論』 を読んでいて。
私は春香さんのリボンが好きなのですが、リボンについて、リボンを結ぶスタイルには春香さんという女性のこんな性格や心理が表れていて、というような、 ”「リボン」と「リボンを結ぶ女性の女性像」の関係” みたいなことは考えたことがなかったなあ、と思ったわけです。
基本的に私は、映像と、その映像が表象する「意味」の対応関係、みたいなものをあまり信用していません。それは、私がそういうものを読み解く能力・知識がないことの裏返しでもあります。対照的に、私はテキストというものは結構信頼しているところがあります(書いてあることがそのまま事実を表わしているだろう、という意味ではなく)。
だから私は、この場面で春香さんがこんな台詞を喋ったから春香さんはきっとこんな人で、ということを考えるのは好きですが、春香さんがその時こんな色でこんな形のリボンをこんな風に結んでいた、ということは、私にとっては、そういうリボンを載せた春香さんの姿形は見ていて楽しい、ということしか意味しないのです。
なるほど、こういう部分でも眼鏡の掛けどころの違い、いや目のつけどころの違いは現れるんだなあ、と思った次第。
別名、私が鈍感な人間なだけである、とも言いますね、自分でよく知っています。
・胡桃坂氏の気合いの入った弓削P語り記事 ああ素晴らしきかな「ハチマユ」カルテット - めぐりあいクロニクルを読んだこととは……あまり関係なく。
この前、誰得なマイリストを公開するための作業をしていまして。そこで、弓削P作品はジャンケン大会決勝と削除されたはるちはコントしか入ってなかったから、日常ものから一つ入れようと思って。いろいろ見比べていましたが、結局 春香ちゃん春香ちゃん その2(12年04月21日 ) しかないな、というか、これを入れておけば後はいいだろう、と思ったんですね。
春香がおいしい役回りを貰っている回は他にもいろいろありますが、弓削Pの癖の強いキャラクター造型の、その癖の核の部分が示されているのはこの回だろう、ということで。
この動画で、あずさが春香に、それは貴方にとって重荷ではないのか、ということを訊きます。これはそもそも、こういう人間にそういう問い方をしたらこういう答えを返さざるを得ない、という決まった流れしか誘発しないという意味で、質問の仕方が下手だとは思います。が、それにしても春香の返答が、口を挟む余地もないくらい決然としたものであったと。
ここで、迷いなくそういう返答ができる春香を凄いと感じる見方もあろうし、非常に歪んだ不自然な状態だという見方もあろうし、それは光を当て方によって変わります。ただ私が言い表わすとすれば、彼女が持っているそれは、愛とかこだわりとかトラウマとか呼ぶよりも、妄執と呼ぶべきものです(「信仰」でもいいのでしょうが、それはちょっとイメージの輪郭がぼやける言葉なのでね)。良い悪いではなく、妄執を得てしまった人間は、こういう生き方をするしかないからこういう生き方をしている、ただそれだけの話なんだ、ということですね。
で、私が面白いと思うのは、弓削Pはなんでそういうものを、春香というキャラクターに与えたんだろう、というところです。たとえば『アイマスクエスト』の春香/閣下というキャラクターは非常にわかりやすくて、いろんな作品が描いてきた春香の流れの中に位置づけていろいろ言うことができます(言えるだけにやるのが面倒くさい)し、『ぷよm@s』の春香も、どこからああいうイメージが生まれて後のどういう作品に繫がっているか、というのが見えなくもありません。ところが、弓削Pの春香というのは、どうしてこういうキャラクターとして形成されることになったのかよくわからない、作者の脳裏世界から出てきた、という以上のことを言えないところが、私にはあります。
さて、オーソドックスに成長・解決に向かう物語であれば、春香が心に抱えた歪みは、物語の進行に従って解決解消され、より広い境地に達する……という方向性が想定されます。『マネージャー秋月律子』『GENUINE』はそういう方向性の物語でしたが、この春香のストーリーは果たしてそういうものなのか。それともこの妄執は今後も当たり前に春香が携え、春香を規定するものとして存在し続けることになるのか、少々興味深いところです。それは、あずさ・律子・春香をめぐる過去の因縁に作者がどのような決着を与えるのか(そもそも決着を与えるのか)という点と、すなわち作者がこの物語世界の行く末をどう思い描いているのか、ということと直結しています。
・カズマ氏の記事に、タイトルが気に入らんといちゃもんをつけたら、記事そのものが消えてへこんだのがいつのことだったか、もう忘れました。ないわー。
・貴音と響はどちらがラスボスか、という問題が以前からありますね(え、ない?)。超能力バトルの世界では昔から、最初にわかりやすくラスボス臭を漂わせて登場するのは貴音の方だが、最終的にほんまもんの人外なのは響の方である、という法則があります。
……いえ、『Bullet×M@sters』の二人がそういう感じだった、というだけの話ですが。あと、『ブラックロォズ』の二人も立ち位置的にそうなんじゃないかなー、と予想していたり。
『アイドルたちの念能力バトル』だとどう考えても貴音の方だろう、Vinegar56%敗れたり! と思われるかもしれませんが、あれは3人チームで美希がラスボスになるので、二人のうちどちらが、というこの話には当てはまりません。論旨に一点の曇りもない。え、それなら『ブラックロォズ』も美希を含んだグループになっているから考え直すべきだって? 困ったな……。
・自分で探しまわって好みに合うものを見つけるということは、なかなか面倒な作業なのであります。従って私は、架空戦記卓m@sの新作に関しては、ab-cd氏の 見てれぅ! と、こえら氏の ニコマスあたりを勧めるブログ。 の両ブログの記事から自分に合いそうなものを見る、というのが動画を見る主要なきっかけになっています。
そういうわけで、今回もab-cd氏の記事 見てれぅ! 毒を食らえば皿まで から、ブースPの ダブルクロスオンラインセッション!!!!11172(12/6/24~) を見て、非常に面白かったわけです。
これはとにかく、ひたすらに面白おかしい動画で、プレイヤーのほとんど暴走に近い言動をアドリブで全部きちんと受けて生かすGMすげえ、とか、これはアイマス分がどうという以前に単純にリプレイとして面白いのだけれど、ではアイマスでなくて良いのかというと、その面白さの間隙の部分を埋めているのが、これを演じているのがどこかの見知らぬ他人ではなくて律子であり雪歩なんだ、というところなのであって、とか、いろいろ言えることはありますが。
しかしまあ、インパクトとしては、とにかくガットゥーゾが全部持っていく、という。
ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾはイタリアの実在のサッカー選手なわけですが、あの、普通にプレイヤーキャラクターとして出てくるんですね、ガットゥーゾが。律子がガットゥーゾで、ガットゥーゾが超能力者で、超能力者がボールを蹴りながら事件を調査するんですね。何を言っているのかわからんと思われるかもしれませんが、私は動画の内容をそのまま説明しているだけです。そういうノリの動画です。
で、このシリーズにはまた、FPSゲーム『Portal』『Portal2』に登場する「GLaDOS」さんも、ネタというかキャラクターとして出てきます。この『Portal』関連のネタは、近頃あちこちで見かける気がしますが、しおいやんPの im@s×Portal 響穴○○シリーズ(12/4/8~12/6/6完結) を視聴したおかげで、なんとかネタについていけるのがありがたいことです。
そもそもこのしおいやんPのシリーズを視聴したきっかけも、ab-cd氏の記事だったと思いますが、まあ、何事であれそれが急速に盛り上がったり浸透したりする時には、それなりの土壌が存在するのであって、「うどんm@ster」だって何もない所から突然それだけが生えてきたのではない、ということですね。
・さっきたまたま アイドルマスター さよなら慈風P(09/4/1) を見まして。
これを見ていて思ったのが、そうか、ここで集って元老院と呼ばれている人たちって、この時たかだかデビュー2年くらいなのか、と。そして盛大に引退を惜しまれて? いる慈風Pは、デビュー1年少々なのか、ということです。つまりこれは今だったら、 "10年デビューPが11年デビューPをネタにして遊んでいる風景" に相当する、ということになるのか。いや、当たり前の話なんですけどね。
で、周知の通り『さよなら慈風P』には2010年版もありますが、2011年、2012年版はありません。まあ、はじめは大いにある、1年後にもなんとかあるが、その後は…、というのは、ひとりニコマス企画だけのことではなくて、しばしば世の中にあることですよね。
・みゃーも氏の記事 ハルカニの夜。 - Hall of Fame を読んで、いやあ全くその通りだわなあ、と膝をうって喜んでいたわけですが、つまり、逆に言えば、ハルカニという企画が4年にわたって続いている理由は、まさに、”こういうふうにやっていれば良い” ”こういう風に楽しめば良い” というルーティーン、毎年不変の強固なシステムが構築されている点にあるのでしょう。
それは、年を経るにつれ運営者の負担が軽減されている、ということを意味せず、むしろその逆だと思います。ただ、1年目、2年目、そしてアイマス2発売を挟んだ去年まではいざ知らず、少なくとも今年のハルカニという存在は、本質的に、”去年よりも凄い、去年よりも新しい何か” を造る、ということを目指していないし、必要としていない。それは、強みだと思うのです。
もっとも、そのハルカニにしたところで、中心人物の何人かが、自分はもうやれない、ということになれば、存続は一挙に困難になるでしょう。そういう意味で、ニコマスでもっとも強固なシステムを構築することに成功しているのが、週マス編集部という組織です。週マスにおいては現実に、個々の作者の進退に関わらず、全体としては一つのシステムに従って同じものが連綿と作られ続ける、という状態が成立しています。このようなシステムが確立している場合には、後継者が連綿と現れ続ける限りにおいては、つまりは同じものを作り続けるだけで当たり前にその意義を認める人が存在している間は、人員と人心の流動は問題にならないでしょう。
ともあれ、そういうシステムによる解決ではなく、俺は俺の意志でここに居続ける! と高らかに宣言するのは恰好よくもありますが、こっ恥ずかしいことでもあります。けれども人間は感情豊かな生き物なので、その恰好よくもこっ恥ずかしいことを、本気で言える瞬間があるものです。本気で、全力で、言えるのです。
ただまあ、そういうのは大概、もってせいぜい一年しか続きません。だから、私はそういう言葉はあんまり信用しませんが、だからこそ、そういう言葉は、本気で言える時に言っておくべきだ、ということでしょう。
・日本でもそら、2千年前の蓮の実が花を咲かせたことがあるじゃないか、という話。
夏休みのしくだい - 箱の外から
天才カゴシマという人の動画で、夏休みの宿題を冬休みになって提出した双子がいましてね……って、この反応自体がもう一ヶ月遅れだよ!
まあほら、なんだ、小学校の宿題に、70年ぶりにクニマスっぽいものを再発見しました、同定してください! と持ってきてもらっても困るというか、どんどんやってくれというか、ええ、蝶になりましたね。
ところでボックスのアウトさんというフレーズは自分では気に入っているんだけれど、実に使いどころが少ないですね、これ。
・去年の6〜7月頃、私は非常に気分がふさぎ込んでいて、それが過ぎた8月頃には、バテて記事を書く気が起こらない、という状態になっていた記憶があります。ちょうど今年も、同じ時期に同じような感じで精神状態が推移したので、なるほど、ブログにも年間を通じてのバイオリズムのようなものがあるのだなあ、と2年目になって知った次第です。
佐野倉PというPははじめ、デビュー1周年の日に、無印のプロデュース期間に倣って動画を削除されたそうですね。1年という期間はやはり、単に世の中のスケジュールがその区切りになっているというだけではなくて、なにか人間が生きているリズムと深くリンクしているところがあるのだなあと感じて、今となってみるとなんか面白い消し方だなあ、と思ったりします。
ところで、8月は私のニコマスライフ上いろいろ重要なイベントがあった月で、今月でニコニコ動画に加入して4周年、かつブログを開設して2周年だとか、あとハルカニ開催の月だったりもするし、かのんPの『日刊天海春香』は8/7で投稿4周年でしたし、あとは、ななななな〜PというPは、8/9でデビュー5周年だったり、とかね。
5年前の8月、私はアイマスのアの字も知らなくて、4年前はまだニコ動に入ったか入ってないかという頃で、3年前にはまだどのPがいつデビューしたかなんて全然意識してなかった。2年前の8月9日、今日はデビュー日だと思ってそれまでほとんど打ったことのない広告というものを打ってみたら、その2日前の日刊天海春香2周年とイメージが混ざって「デビュー2周年おめでとうございます!」とコメントしてしまい、顔から火が出る思いがした。1年前は、低テンション状態でやっとこさ記事を1本上げた。そして今年は忘れていた。人間、俺が憶えていなかったら誰が覚えておくんだんだろうみたいなことでも、わりと平気で忘れていくということで、とりあえず思い出したのが今なので、何の脈絡もありませんが、ここで、
ななななな〜P、デビュー5周年おめでとうございます!
、と言っておかなければなりません。1年というのは、そういうものですね。
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