日本の株価低迷と世界の株価上昇

2012年11月を境にして、日本の株価はある程度の上昇を実現した。しかし、より長期の観点から見ると、日本の株式市場は、長期低迷のさなかにある。今回は、日本の株価を、世界の国々の株価と比較する。このことを通して、日本の株価の長期低迷という現象は、世界の標準から見ると全く異質であることを確認する。そして、株価上昇のための政策変更の必要性を、いつもと同じ結論として書くことにする。

まず、日本の株価と諸外国の株価との動きを単純に示すグラフを4種類掲載する。4種類といっても、期間と掲載国の数が違うだけである。それだけでもいろいろな事実が浮かび上がってくる。

まず、OECDのHPから、1959年1月=100とした株価推移を表すグラフを下記に示す。


株価1959

OECDのHPにある株価データは、最古が1950年1月からであるが、その時期には日本の株価は掲載されていない。掲載され始めたのが、1959年1月からであるため、上記のグラフを作成した。

日本の株価というのは、TOPIXのことである。ただ、TOPIXの月末値ではなく、毎月の日次平均値を使っている。TOPIXは1969年7月1日が計算開始日である。それ以前のTOPIXについては、証券系の調査機関が算出したと思われるTOPIXを見たことがある。OECDはそうした算出値の中の1つを使用したのであろう。

1959年1月-2014年6月の株価上昇率は、インド426倍、次いでスウェーデン198倍である。イギリス50倍、アメリカ33倍、日本24倍、最下位のオランダでさえ15倍である。長期で見た場合、株価というものは、上昇するものなのである。そして同時に、上昇しなければならないものなのである。

加えて、1959年1月をスタートとした場合で、ラストの時期が、1971年4月から1990年10月までの期間であった場合、日本は、株価の上昇率という点においては、世界でトップの地位を占める月が多かった。その後の長期の株価低迷とは、全く対照的であったのである。

次に、1980年1月以降の世界の株価推移のグラフを下記に示す。


株価1980

1980年は、第二次オイルショックが発生した翌年の年である。1980年代は、日本以外の多くの国は、スタグフレーションに悩まされていた時代である。その年を基準にしても、インド198倍、スウェーデン77倍のツートップに変化は無い。アメリカ16倍、イギリス14倍、ドイツ9.4倍、ブービーのニュージーランドが6.8倍、そして最下位が日本の2.7倍である。

先に書いたとおり、1959年1月基準では、バブル崩壊直後までの日本の株価上昇率は、世界のトップであった期間が多かったのである。しかし、1980年1月基準の場合、バブルのピークであった1989年12月の数字を見ると、スウェーデンが12倍、イタリアが8.8倍、フィンランドが7.2倍、日本が6.2倍である。1980年代は、日本だけで大きな株価上昇が発生したのではなかった。スウェーデンを始めとして、日本よりもはるかに大きく株価が上昇した国が存在していた。そして、日本と同様に、スウェーデンとフィンランドでも1990年代前半にバブル崩壊が発生した。しかし、その後のスウェーデン、フィンランドと日本は大違いである。

スウェーデンでは、バブル崩壊後の金融危機に対して、早めに大量の公的資金が投入された。その後は、投資家の株・土地離れが発生する前に、資産価格が右肩上がりの上昇を続けることが可能なくらいの、十分に緩和的な金融政策が採用され続けた。短期的には公的資金の投入効果が大きかったが、中長期的には十分な金融緩和策の効果が大きかったと思う。1990年-2014年(2014年分はIMF推定値)のGDPデフレーターの幾何平均を計算すると、年率で、スウェーデン+1.9%、フィンランド+1.7%、日本-0.6%となった。マイルドなモノのインフレと資産価格の上昇を目指す金融政策と、デフレと資産価格の低迷を容認する金融政策の差が、バブル崩壊以降の1990年代後半からの株価の巨大な格差を発生させた最大の理由であった。

なお、フィンランドは、1990年代初頭のバブル崩壊とその後の政策については、スウェーデンと共通点が多い。ただ、フィンランドは、スウェーデンとは異なり、ユーロ圏への加盟を選択した。そして、株価は、1990年代半ばから急騰し、2000年3月をピークにして大きく下落している。これは、ノキアが1990年代後半に世界最大の携帯電話会社として急成長し、スマホの台頭と共に没落し、2014年には携帯電話事業から完全に撤退したからである。この特殊要因を除けば、フィンランドの株価は健闘している方であろう。

インドの株価の上昇が一番大きいのであるが、実質GDP成長要因は確かに寄与している。しかし、それ以上に大きく寄与しているのは、インフレ要因である。1980年-2014年のGDPデフレーター上昇率は、年率+7.5%であった。株価だけが大きく上昇したのではなく、物価も比較的大幅に上昇し、次いで実質GDPも上昇している。この場合、株価だけではなく、名目GDPも大きく上昇しているので、バブルの発生にはつながらない。ただ、株価の上昇の中には、比較的高率のインフレという不健全な上昇要因が、かなりの程度寄与し続けている。従って、インドの株価上昇を、手放しで賞賛することはできない。

次に、1990年1月以降の世界の株価推移のグラフを下記に示す。


株価1990

日本のバブルのほぼ頂点を、スタート時の基準にしているので、日本の株価下落が目立つものとなっている。

上位を占める、トルコ、メキシコ、インド、チリ、イスラエルのGDPデフレーターを見ると、最悪のトルコが年率+34.9%、一番ましなイスラエルが年率+5.1%であり、いずれの国もインフレ率が高い。従って、健全な株価上昇とは言いがたい。その他の代表的な国の株価上昇率を見ると、スウェーデン6倍、アメリカ5.5倍、イギリス2.9倍、ドイツ2.7倍、ブービーのニュージーランド1.6倍、最下位の日本0.5倍と、日本が断トツに悪い。これは、先に書いたとおり、日本だけが、物価と株価の下落を、促進ないしは容認するような金融政策をとり続けてきた結果である。

次に、2000年1月以降の世界の株価推移のグラフを下記に示す。


株価2000

わかりにくいグラフであるが、39ヶ国もあるグラフを一覧にするためには、上記のような表示方法しか思いつかなかった。

2000年1月以降の39ヶ国の株価は、だいたいにおいて似た動きを示してきた。それは、「アメリカの住宅バブルの進行とともに株価は大きく上昇し、バブル崩壊とともに大きく下落し、リーマンショックの少し後から回復する」という傾向であった。国によって、高値安値の時期は異なるので、アメリカの株価ピークの2007年10月と、アメリカの株価ボトムの2009年3月の2点だけを選択した。2014年6月は直近であり、2000年1月はすべての国において100である。

上位のロシア、インドネシア、メキシコは、GDPデフレーターの上昇率が、年率+13.1%、+9.3%、+5%と比較的高い。従って、あまり健全な株価上昇とは言えない。その他の代表的な国の株価上昇率を見ると、アメリカ+62%、スウェーデン+37%、ドイツ+6%、イギリス+5%、日本-25%、ギリシャ-76%である。この期間だけ見ると、日本は39ヶ国中、下から7番目であり、マイナスであっても、断トツに悪いとは言えない。

しかし、この見方は正しくない。海外投資家による日本株の買い越し金額を表すグラフを下記に示す。


株価と海外投資家の買い

何度も掲載したことのあるグラフであるが、海外投資家は、バブルが崩壊した1991年以降、直近の7月1日までの間に89兆円もの日本株を買い越している。このうち、1991年-1999年に30兆円、2000年-2014年7月1日に59兆円買い越している。日本の株価は、この巨額の海外投資家による日本株買いがなければ、その水準は、現在よりも大幅に低い位置にあったはずである。海外投資家による日本株買いがなければ、日経平均株価はより大きく下落し、バブル崩壊後の不況はより激烈なものとなったことは間違いない。日本の株式市場は、海外投資家による巨額の日本株買いに救われたのである。しかし、そのツケのコストも高かった。昨年1年間に日本の対外純資産を3483億ドルも減少させるというひどい結果を導いた(*1)。それでも、2000年以降の株価の下落率が世界最下位にならなかったのは、こうした海外投資家による巨額の日本株買いがあったおかげなのである。

だが、これには反論があるはずだ。1990年以降、世界の機関投資家のグローバル運用は拡大し、海外投資家は、日本株だけではなく、他の国の株も大量に買い越している、というものだ。この意見に対して完璧に反論をできる人はほとんどいないと思う。私にもできない。ただ、一つの例として、イギリスをあげてみる。イギリスの場合、1997年において、海外投資家のイギリス株保有比率は20%であった。しかし、2012年においては65.9%にまで拡大した。日本は1990年3月末が4.2%、2014年3月末が30.8%である。この数字を見る限り、日本以上にイギリスの株価の方が、海外投資家によって買い支えられていたように見える。しかし、2014年3月末時点において、イギリスの投資家は外国株を9161億ポンド保有し、海外投資家はイギリス株を9823億ポンド保有していた。イギリスの株式部門の負債超過額は、662億ポンドであり、それほど大きな金額ではなかった。そして、イギリスは2014年3月末時点で、818億ポンドのネットの負債を持つ対外純債務国であった。確かに、1990年以降、世界各国間で、株の相互持ち合いというような関係が強まっている。規制の多い一部の発展途上国は、海外投資家の保有比率はまだ低いと思う。しかし、グローバル化した国、特にヨーロッパの小国などでは、国内株の多くを海外投資家が保有するという国は存在するであろう。

一方、日本は、2013年末時点において、日本の投資家は、外国株を75兆円保有していた。それに対して、海外投資家は、151兆円の日本株を保有していた。株に関しては、資産は負債の約半分であり、負債超過額は76兆円にのぼる。一方、日本の対外純資産は、325兆円で世界一である。にもかかわらず、株に関しては、資産が負債の約半分というのは、正常な姿ではないと思う。加えて、国際収支ベースで見た場合、1991年-2014年6月の期間の海外投資家による日本株の買い越し金額は110兆円、国内投資家による外国株の買い越し金額は35兆円である。この差をとれば、海外投資家による日本株の買い越し金額の方が75兆円多くなる。先に示した89兆円と110兆円の差は、110兆円の中には、発行市場での買いや非上場株の買いなどの金額が含まれているからである。海外投資家によるネットの日本株の買い越し金額が75兆円というのは、やはり日本の株価は、海外投資家による買いによって支えられていたと表現するのが適切であろう。

日本の株価が、1959年1月基準の場合、最下位でない理由は、バブル期以前の大規模な貯蓄があったからである。2000年1月基準の場合、最下位でない理由は、海外投資家が日本株を大量に買い越したことと、ギリシャが大きな経済危機に陥ったことである。海外投資家による大量の日本株買いにより、日本の株価水準は大きく高まったはずであるが、日本の株価は、1980年1月基準、1990年1月基準の場合、世界の中で上昇率がズバ抜けて低い国となってしまっている。

日本が、長年、世界で断トツの株価低迷が続いている最大の理由は、バブル崩壊後の金融政策にあった。少し前にも書いたことであるが、1992年に宮崎義一氏の「複合不況」という本がベストセラーになり、不況の原因の半分が資産価格の下落であることは、その時点で広く認識されていたのである。その場合、必要な政策は、資産価格を引き上げるための政策である。すなわち、公定歩合を速やかにゼロにまで引き下げ、国債を大量に買うという政策が必要であった。異次元緩和という政策は、2013年4月ではなく、20年前の1993年4月に実施されるべき政策であった。この時に異次元緩和が実施されていたならば、物価、株価、地価はすべて反転上昇に転じ、その後は、スウェーデン並の高い株価上昇を実現することができた可能性は十分に考えられる。失われた20年などは存在しなかった。異次元緩和の実施が20年遅れたために、日本はあまりにも多くのものを失い過ぎ、2度と取り戻すことができなくなってしまったものが多すぎるのである。日本は、もはや、以前のような経済大国として復活することは、非常に困難になってしまった。

ただ、当時の雰囲気を知る者としては、1993年4月の異次元緩和実施などという政策は、ほとんどの人の夢の中にすら存在しない政策でもあった。バブル期以前の経済成長の体験に、当時の日本人は染まりきっており、何もしなくても、時間がたてば、景気は回復し、株価も地価もいずれ戻るという確信がほとんど揺らいではいなかった。宮崎義一氏のいうように、資産価格の下落は問題ではあるが、そのうち戻るであろうという根拠なき楽観論が蔓延していたのである。

しかし、1993年4月は無理にしても、異次元緩和実施の機会は、その後いくらでも存在していたと思う。1995年住専に対する公的資金投入決定、1997年山一證券破綻、1998年長銀と日債銀の破綻、2001年ITバブルの崩壊、2008年リーマンショックなど、資産価格の下落や不況を阻止するために、金融を思い切って緩和することが必要な機会は何度も存在した。

特に、リーマンショックが起こった翌年である2009年の実質GDP成長率は、ショックの震源地であるアメリカやヨーロッパの主要国よりも、日本のマイナス幅が一番大きかった。しかし、このことは、リーマンショック前から下げ続け、リーマンショック直後に急落した株式市場では、既に予想され、材料として織り込まれていたのである。日経平均株価は、リーマンショック直後の2008年10月27日に7161円まで暴落し、バブル崩壊後の最安値である2003年4月28日の7607円を下回っていた。その後も株価は変動を繰り返しながら、2009年3月10日に7054円の大底をつけ、その後は緩やかながらも上昇に転じる。株式市場を見ていれば、2009年の日本経済が急激に悪化することは、十分に予想ができたのである。1990年代初頭のバブル崩壊時にも、真っ先に株価が大きく下落し、その後の経済不況を先取りしていたのであった。

1990年代初頭の日本と同様にバブル崩壊に見舞われたアメリカ、イギリスでは、短期間で金利をゼロ近辺にまで引き下げた。そして、アメリカでは2008年11月、イギリスでは2009年2月に量的緩和政策が開始された。日銀は、この後に訪れる大不況の悪影響を可能な限り緩和するための政策、すなわち異次元緩和を、アメリカとイギリスに追随して開始すべきであった。しかし、株価暴落というあまりにもわかりやすい経済の先行指標が存在していたにもかかわらず、日銀は、従来と同様の、遅すぎて効果のない小出しの金融緩和策しか実施しなかった。

異次元緩和が開始されたのは、2013年4月4日である。しかし、あまりにも遅すぎた。リーマンショック直後には、株安だけではなく、円高も同時に進行した。一方、日本周辺のアジア諸国は、自国産業の競争力を高めるために、極端な自国通貨安誘導政策を続けていた(*2)。リーマンショック後の超円高・アジア通貨安によって、半導体、薄型テレビを始めとする国内のいくつかの重要な電機産業は、韓国、台湾の製品に全く勝てなくなり、回復不能の大打撃を受けた。そして、「業績不振の原因を円高に押しつける経営者は無能であり、為替相場に左右されない体質を作ることこそが経営者の役割」といった、とてつもなく誤った意見が、正しい意見であるかのような認識、雰囲気が、世間に広まってしまった。自動車を中心に、国内での競争力を保持していた企業も、輸出から大規模な現地生産へと移行する計画を立て、実行に移すことになる。超円高時に、為替相場に左右されない体質に変えるために作られた空洞化計画は、現在でも進行中である。対先進諸国通貨に対する円高は、かなり是正されたが、対アジア諸国の通貨に対しては、現在でも超円高・アジア通貨安が進行中である(*3)。一旦、決定した大方針を、超円高・アジア通貨安が少しばかり是正されただけでは、方針を変えることはできないのである。その結果、輸出は増えず、輸入ばかりが増え、貿易収支は、異次元緩和実施以降、悪化したのである。

異次元緩和の実施は必要不可欠であったが、時期を失していたのであった。従って、現状では、目に見える効果は、あまり多く現れていない。20年の遅れは、日本人の様々な行動パターンを大きく変えてしまった。普通なら効果のあるはずの政策が、効果が現れなくなってしまったのである。何度も繰り返しているが、異次元緩和のような政策の実行とその予想が出始めたならば、国内投資家は16.8兆円くらいの日本株を買い越すのが、普通の投資行動パターンなのである。ところが実際には、国内投資家は、16.8兆円の日本株を売り越したのである。現在の日本では、本来なら「異次元」であるはずの金融緩和策が、「同次元」になり、目に見える大きな効果を発揮することのない力不足の金融緩和策に変化してしまっていたのである。

金融緩和策の効果が発揮できているかどうかを識別するための、わかりやすいベンチマークの一つは、日本の株価と国内投資家の投資行動を見ることである。日本の国内投資家が、日本株を買い越し、その結果、株価が上昇するという、20数年間忘れ去られている普通の投資行動パターンを取り戻すように変わったかどうかを見るのである。国内投資家が高値で株を買い上がる、これが実現すれば、初めて金融緩和策が目に見える効果を発揮できたと言えるであろう。加えて、高値で買った国内投資家が損をしないように政策を誘導することも必要である。これは、日本の株式市場を、国内投資家の買いによって株価が上昇し、長期で見れば、右肩上がりの相場が続くという、普通の株式市場に戻すということだけを意味する。長年の株価低迷の結果、普通ではなくなった株式市場を、普通の株式市場に戻すことが必要なのである。そのためには、異次元緩和を大きく上回る大規模な追加金融緩和を繰り返すことが、必要不可欠であるのだ。


リンク先記事
2013年末対外純資産が過去最高を更新 ドル建てでは減少(*1)
購買力平価から見た円相場 超円高による産業の空洞化(*2)
実質実効為替レート 超円高・アジア通貨安の構造(*3)



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テーマ : 経済
ジャンル : 政治・経済

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