土壇場の舞台裏。本田圭佑、今夏のミラン移籍はこうしてなくなった
8月30日。全てが動く日になるはずだった。この日の朝、シャルケへの移籍が決まったボアテングがドイツでメディカルチェックを受けている頃、ミランはCSKAへ公式オファーのFAXを送信していた。返事は20時までにもらえることになっていた。
その前日、チャンピオンズリーグの抽選会場でミラン側はCSKAのギネル会長とようやく対話の場を持つことができ、正式にオファーを出せば検討してもらえる約束を取り付けていた。CSKAが本田圭佑に値段をつけて売ることができる期限まであと3日。ギリギリまで待てば相手は譲歩してくるだろうと読んでいたミランのガッリアーニCEOは楽観的だった。OKが届いたら本田をすぐにミラノへ呼び寄せられるようプライベート機も手配した。
8月30日、アムカル戦に出場した本田圭佑。その後、日本代表に合流した しかしその夜、モスクワから届いた答えは「ノー」だった。それはミランに冷水を浴びせるものだった。それが最終回答であることはわかっていたからだ。こうして本田の移籍は1月までのお預けとなった。しかもCSKAがチャンピオンズリーグに出場するため、もしミランがベスト16に進出しても、本田をチャンピオンズリーグでは使えない。
CSKAの要求額500万ユーロ(約6億5000万円)に対し、ミランの出した額は400万ユーロ相当(300万+ボーナス)だったが、失敗の原因はそこにはない。
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