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女神に花束を

女神に花束を 妨げるもの

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 しばらく進むと、脇に逸れる道が一本見えた。こんなところに分かれ道? とその先に目を凝らすとずっと遠くに灯りが見えた。
「あ、家があるのかも」
 事情を話したら泊めてもらえるだろうか、と考えた。一人ならまだしも、しずかちゃんをちゃんとした場所で休ませてあげたいと思ったのだ。それに、和多志もお風呂お借りしたいなぁ、と。
 ダメもとで行ってみようとその道に足を向けた。
 遠くに見えた灯りは近づくとやはり民家だった。一軒だけぽつんと建っている。暗くてよく分からないが、周囲は畑のようだ。農家さんかな、と思う。造りはごく普通の近代的な家で、古民家という雰囲気でもない。玄関を探し当て、和多志は呼び鈴を押してみた。
 家の中に電気が点いているので誰かがいることは確かなのに、返事がない。聞こえなかったのかな、ともう一度呼び鈴に手を伸ばしたとき、不意に扉が開いた。現れたのは暗い顔をした年配の女性だった。その顔色の悪さに和多志は思わずぎょっとする。
「あ、こんばんは」
和多志が挨拶しても彼女は眉をひそめただけで何も答えない。夜の訪問者が不審でない訳はないのだから文句は言えないが、彼女の顔は迷惑そうというより、何か独特の「病」のような匂いがする。
「すみません、あの、…お手洗いお借りしてもよろしいでしょうか」
 その空気にひるんでしまい、思わず和多志はそんなことを口走る。彼女は胡散臭そうに和多志をじろじろ見つけ、やがておぶっているしずかちゃんに視線を移した。
「妹さん?」
「あ、…ええと、はい、あの預かっているんです」
 しずかちゃんのことをじっと見つめて、彼女はどうぞ、と和多志たちを家の中へ入れてくれた。
「トイレはその奥を右だから」
 と、玄関から続く廊下の先を指差され、和多志は「ありがとうございます」としずかちゃんの手を引いて靴を脱いだ。
「一人ずつしか入れないからこっちで待ってて」
 と彼女は和多志についてこようとしたしずかちゃんの手を引っ張った。他人に不意に触れられて、しずかちゃんはびくりと身体を強張らせて、和多志にすがるような視線を向けてくる。
「あの」と、和多志が言いかけたとき、女性はおもむろに廊下の横の引き戸を開けた。
「こっちで待ってて。おせんべいもあるよ」
 手を振りほどいたしずかちゃんは、しかし、おせんべいという言葉に反応した。無理もない。お腹が空いているのだ。
「あ、じゃあ、ちょっとそこで待っててね」
 と和多志が言うと、しずかちゃんはこくりと頷いて彼女の後を付いて行った。ちらりと覗くと、そこは古い木製のダイニングテーブルが中央にどんと置いてあって、ビニル製の背もたれつきの椅子に彼女と同じような年齢の男性が座ってテレビを観ている。いや、テレビの音が聞こえていたので観ているのだろうと思った。
 確かにトイレにも行きたかったのだから有り難いには違いない。用を済ませてしずかちゃんのところへ戻ると、4脚ある椅子はテーブルの両脇に2脚ずつ置かれてあり、家族の人数は4人なのだろうか、とちょっと考える。彼女はしずかちゃんを自分の隣に座らせ、せんべいを与えていた。
「あんたもちょっと休んでいくかい?」
 市販のスポーツドリンクらしき飲み物をグラスに注いでしずかちゃんの前に置き、棚からもう一つグラスを出すと同じものを和多志の目の前に置いた。
「ありがとうございます」
 入り口側に座っている男性は和多志たちの存在にはまったく関心を示さず、じっとテレビ画面を眺めている。しずかちゃんは出されたせんべいを、ぽりぽり食べ始めていた。和多志は「お邪魔します」と言い、その男性の隣の椅子にそっと腰を下ろしバッグを足元に置いた。
「あの、この辺に宿泊出来るような所はありますか?」
「この辺? そんなものはないね」
「あ、…そうですか。あの、ではホテルのある場所まではどのくらい―」
「町まで車で30分くらいは掛かるけど、どこまで行くつもりなの? こんな小さい子を連れて」
 和多志は曖昧に頷いて、グラスに手を伸ばした。しかし、口元に持ってきた途端、なんとも言えないイヤな気持ちになって口に入れることが出来ない。飲んだ振りをしてグラスをテーブルに置く。
「しずかちゃん、おしっこは大丈夫?」
 せんべいを嬉しそうに食べているしずかちゃんに声を掛けると、その人は途端に嬉しそうな顔をした。
「しずかちゃんって言うのかい?」
 何故か、和多志はしまった、と思った。
「良い名前だねぇ。静かなのが一番。うるさいのは大嫌いだからね」
 子どもが好きなのか嫌いなのかよく分からない。しずかちゃんも何故か飲み物には手を付けなかった。せんべいを食べているのは食欲を満たすためで、それ以外何もないです、とでも言いたげな食べることに必死なしずかちゃんの様子が、なんだか和多志を落ち着かなくさせた。
「こんな夜遅くにこれからどこまで行くの?」
「あの」和多志は立ち上がった。「そろそろ失礼します」
「泊まっていきなさいよ」
 しずかちゃんは和多志が立ち上がったのを見て、慌ててせんべいの残りを口に押し込む。
「そんなに慌てて食べなくてもまだいっぱいあるよ」
 その女性は笑って言ったのだが、目がまったく笑わないことが怖かった。
「おしっこ」
 しずかちゃんが立ち上がって言った。
「あ、じゃ、お手洗いお借りします」
 どこかホッとして、和多志はしずかちゃんをトイレに連れて行った。キッチンを出るときにちらりと二人を振り向いたら、男性がこちらを見つめていた。同じように暗い顔色をして深い皺が顔じゅうに刻まれている。目に感情がなく、ちょっとぎくりとしてしまった。
 しずかちゃんのトイレに付き添い、キッチンに挨拶に戻ると、引き戸の前に彼女が待っていて、和多志が椅子の脇に置いていたバッグをわざわざ手渡してくれた。もうそこへは入るなというように。
「ごちそうさまでした」
 和多志が頭を下げると、中から「ああ」と男性の声が短く返ってきた。それには関心を払わずに、女性は和多志たちを玄関まで見送った。
「夜道に気を付けてね」
 彼女は目を細めたのに、それが笑顔に見えないとはどういうことだったのか。和多志は頭をさげて靴を履き、しずかちゃんが履くのを手伝った。扉を出るとすぐに鍵をがちゃりと掛ける音が響く。
 ご縁がなかったのね、と和多志は思った。元の道に戻りながら、しがみつくように和多志の手を握ってくるしずかちゃんのぬくもりを感じて、和多志はそのとき心から安堵した。しずかちゃんも、何かを感じていたのだ、ということ。
安心したら、そういえば車で30分のホテルに着くのはいつだろう、とちょっと苦笑する。そして、ふと思った。そうだ、お金、あといくらあるんだっけ、と。
 歩きながらバッグをごそごそやってみて、和多志はあれ? と思った。封筒がなかった。
「あれ?」と声に出して、立ち止まってバッグを地面に置いた。そして、ドキドキしながらバッグの中を探す。
「あ、水晶はあった。良かった」
 和多志は母の形見の水晶を取り出して抱き締める。そして、お金は消えていることを確認した。
「なるほど」
 と和多志は呟いた。財布はあったが、そもそもこちらはほとんど入っていない。しかし、戻って取り返そうという気持ちにはならなかった。しずかちゃんが不安そうに和多志を見つめている。戻りたくない、というようにさきほどの家とは反対の方へ和多志を引っ張った。和多志は立ち上がってしずかちゃんの頭を撫でる。
 しずかちゃんはそれでも和多志の背後を気にしていた。何かから逃れたいとでも言うように、彼女は和多志の手を引っ張り続けた。
「なんとかなるでしょ」
 ならないかも知れないけど、その時はその時。仕方がない。月を仰いだら、光が柔らかく降り注いできた。
「おんぶしてあげるよ」
 しずかちゃんは頷いて乗ってきた。

 それは突然始まった。
 きーんという耳障りな耳鳴り。耳が塞がれたような不快感。しずかちゃんがびくりと怯えた気配がつたわってくる。
 頭痛がして歩き続けられなくなって、和多志は思わずその場に屈みこんでしまった。しずかちゃんが背中から下りた気配がしたが、その後、どうしたのかが分からない。そんな筈はないのに、周りは真っ暗闇で何も見えない。
「しずかちゃん」と叫んだつもりだったが、声が出ていたのかすら分からない。
 頭が痛み、両手で頭を抱えてしゃがみ込んでいたのだが、微かにしゃらりと音が聞こえて、和多志は目を開けた。左手に巻いていた数珠を握り、とにかく頭に浮かんだ言葉を片っ端から叫ぶ。
 しかし、今回はなかなか耳鳴りが止まない。視覚的に何かが襲ってくるような映像もなく、ただただ苦しいことに和多志は恐怖を抱いた。ぐらりと頭が揺れて地面に手をついた。そのとき、バッグが手に触れて、掌が熱くなった。そこに光るものがある、と思った途端、水晶を思い出した。必死にバッグを開けて水晶を手探りで探し、母がいつも唱えていた言葉を思い出して三度唱える。そして、その水晶を頭上に翳した。
「この水晶の力により、この空間の邪悪なエネルギーは浄化、一掃され再び戻ることはない!」
 これは本来閉ざされた空間で効力を発揮するものだが、この際、何でも良い。
 一瞬だけ、空気が澄んだ。すると、ちょっと離れた場所に女の子の後ろ姿が見えたような気がした。
「しずかちゃん」
 和多志は彼女の方へ走った。しかし、その子は振り向きもせずにどんどん歩き去っていく。ざわりと背筋が冷えた。喰われてしまう!
「しずかちゃん、そっちへ行っちゃダメ!」
 どれだけ追いかけてもなかなか手が届かない。次第に空気が澱んできて、再び耳鳴りが始まる。
「しずかちゃん、どこ?」
 女の子の姿は消えてしまった。耳鳴りが激しくなり、息苦しくなってきた。和多志は泣きながらしずかちゃんの名を叫び続ける。絶望的な気持ちになり、叫びそうになったとき、カイオウの面影が過った。
‘俺が、お前を無事に送り届ける’
 そう言った無表情の彼の声色を思い出した。あのとき、和多志はそれを信じてすがったのだと知った。気負いもなく情もなく、使命感だけがそこにあった。だからこそ、信じられたのだと。
「カイオウのバカっ! ちゃんと和多志たちを守ってよ!」
 すると、聞き覚えのある声が不意に頭上から降って来た。
「般若心経唱えなよ。知ってんでしょ?」
 それが誰の声かなどを考える余裕はなく、とにかくその言葉に従った。一度目で耳鳴りが止んだ。二度目で頭痛が治まった。三度唱えたあと、周囲が見えるようになった。そして、振り返って気が付いた。しずかちゃんが怯えた顔で和多志のバッグの横に立っていたことを。
 やがてマナスとカーヤが木々の間から現れた。
「カイオウに頼まれてるからね」
 和多志はぜいぜいと肩で息をしながら二人をじっと見つめた。
「もっと早く助けろって?」マナスはふふんという笑みを浮かべて言った。
「自分の身くらい守れないとねぇ」
「悪かったわね」
 疲れ果てていたために思考が停止していたが、いつからそこにいたの? という気持ちはあった。追いかけてきてくれたのか、という感慨と、しずかちゃんのことを思うと複雑な気持ちと。
 しかし、しずかちゃんは二人を見ても特に表情を変えなかった。酷い目に遭ったとは思っていないのだ。
「このまま進むんでしょ?」
 マナスはくるりと向きを変えて道を進み始める。カーヤもちらりと和多志たちを見てそれに従った。
「ごめんね、しずかちゃん、怖かったでしょ」
 和多志はしずかちゃんの手を取って彼女の前にしゃがみ込んだ。しずかちゃんは最初からここに立ち、和多志が叫びながら森の奥へ走って行くのを見ていたのだろう。しずかちゃんは不意に和多志に抱きついてきて、胸の中で小さな声で何かを言った。それは和多志には聞こえず、聞き返そうとしたとき、マナスのちょっとイラついた声が聞こえてきた。
「早く山を下りないとまた大変だよ」
 しずかちゃんはにこりと和多志を見上げた。差し出してきた小さな手を握って、和多志はバッグを肩に抱えた。

 明け方になって、和多志もしずかちゃんも限界が来た。眠くて足はふらふらしてくるし、宵闇は一段と暗さが増す。
「どっかで休みたいんだけど」
 とぼうっとした顔で二人を見つめる和多志たちの姿に、マナスは特に不満気な表情もせず、道から少し入った大きな木の下、苔がたくさん生えていてふかふかの地面を見つけてくれた。
 仮眠程度、と思って和多志は木に寄りかかり、しずかちゃんの頭を膝の上に乗せた。目を閉じた途端、眠りはあっという間にやって来た。ちょっと癪だが、マナスとカーヤがいてくれることに安心したことも確かだった。
 ‘カイオウに頼まれているからね’
 マナスの声を思い出した。そして、ちぇ、羨ましいな、と和多志は思った。
 え、何が羨ましいの? と質問が浮かんだところまでは記憶にあった。
「カイオウはあたし達のボスだからね」マナスがそぐわない満面の笑みできゃらきゃら笑っている。
「ボスって何?」
「親玉ってことだよ」
「カイオウも人間じゃないってこと?」
「そんなの当ったり前じゃん。あんたとは棲む世界が違うんだよ。あんたとは九州でお別れ」
「今、もういないじゃない」
 マナスはふわりと空中で一回転してきゃらきゃらと笑い続ける。
「もう見捨てられたのかもね」
「そんなことないっ! だって約束したんだもん」
「約束?」
「和多志を無事に送り届けるって」
「それくらあたし達にも出来るよ。もう、カイオウは戻ってこないよ」
「なんでよ」
 あはははは、とマナスは笑う。くるくると空中を回りながら高く高く昇っていく。そして、その軌跡はキラキラと光を放ち、その影はするすると伸びて長く尾を引く。
「え…、龍?」
 眩しくて目を細めて見つめていると、龍の顔にカイオウの面影が見えた。
 えっ? と驚いて目を開けると、すでに朝日が昇り、光が思い切り顔に当たっていて眩しくて目がくらんだ。
「ううう、変な夢」
 座った姿勢で眠っていた和多志はすっかり身体が固まってしまい、腕を伸ばして思い切り伸びをする。固い木に当たっていた背中がちょっと痛む。眠っていた筈のしずかちゃんはもう起きていて、木の脇にしゃがみ込んで苔を触っていた。名前は分からないが、ジュータンのような手触りの綺麗な緑色の苔が一面に生えている。夜には露をもって不思議な雰囲気だったが、朝の光を浴びた苔は地面に近い目線で見るとミニチュアの森のようで、壮大な気持ちになる。
「おはよう、しずかちゃん」
「ふかふか」
 しずかちゃんは嬉しそうに苔を撫でている。その顔が初めて無邪気な子どものものになっていて、和多志は思わず嬉しくなる。
「ああ、そうね。苔のベッドだったね。苔って可愛いね」
 半分寝ぼけたままの和多志のとんちんかんな返事に、しずかちゃんは声を出して笑った。
「柔らかくてくすぐったい」
「今日こそ、何か食べ物にありつきたいねぇ」
 少ししっとりと湿ってしまったお尻をパンパンと叩いて、和多志は立ち上がり、荷物を持ちあげる。
「あれ、マナス達は?」
 しずかちゃんが指さす方を見ると、二人はすでに道に戻って待機しているようだ。木々の隙間に人影が見えた。

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