「短編」
いつか見た夢
いつか見た夢 ~革命~
あまりに記憶は曖昧だ。
ただ、腕の中で冷たくなっていくあの子の命の重みを感じ続けていた。感じ続けた痛さだけが、ずっしりとだるい腕と、血を流すようにじくじくと痛み続ける心臓の鼓動で辛うじて覚えている程度だ。
救ってあげたかったのだと私は泣き叫んだ。地獄の底から、せめて人として生きていける道を歩かせてあげたかったのだと。
だけど、結局立ちふさがる大きな壁に阻まれ、弱いものは翻弄され、人としての尊厳も奪われ、モノとして扱われた挙句、命を奪われた。
銃弾で倒れたのか、やりや剣や弓矢のようなものだったのか、或いは飢餓で逝ったのか。まったくそれは分からない。だけど、そのときの叫びだけが木霊のように繰り返し心を引き裂く。
助けられなかった。その、泥のように重い後悔が身体にまとわりつくようにこびりついて離れない。
革命も、世直しも、夢を語る未来は一部の勝者にだけ用意された過酷な現実。新しい世の中は、生き残った者たちだけが謳歌するものだ。その影に、こんなに沢山の命が犠牲になり、笑うことも知らず、喜びを知らず消えていった清らかな魂があったことを忘れるな。
楽しいことを何一つ知らなかったあの子なのに、抱きしめてくれる優しい腕も、温かい母の懐も知らなかったあの子なのに、最後に腕の中であの子は微かに笑った気がした。
「ありがとう」
そう唇が動いた。
「待って、待って、待ってよ。死んじゃダメだ! まだ、君は人生を何も知らないのに! 何も、知らないのに!」
だけど、叫びはきっともう届かなかったろう。虚ろに淀んだその瞳からすうっと光が消えていき、命の最後の炎が燃え尽き、魂がその小さな身体を離れていくのを見送るしかなかった。
最後に、ゆらりとその瞳が揺れた気がした。その目から涙が一粒頬を伝い、キラキラと光を吸って大地に零れ落ちた。ああ、まるであの子の命のカケラのように。生きたかった緑の大地を潤すように。
「もう一度、会おうね。…また、生まれておいで。私と同じ時代に。同じ世界に、きっと! 今度は、私の子として生まれておいで。きっと、きっと今度こそ、幸せにしてあげるから! 愛してあげるから。抱きしめて、あっためて育ててあげるから!」
そう言って動かなくなった身体を抱きしめて泣いた。あの子の身体が冷たくなるまで。涙が枯れるまで。
暗黒を切り裂き、光を手にした人々の中で。
「…っていう夢をいつかみたんだ」
とダイニングの椅子に座っているもう成人した娘に話してみた。すると彼女はクッキーをぼりぼり食べながら、あっそう、と素っ気ない。
「人の話し、聞いてる?」
私もクッキーをつまんだ。娘の手作りのそれは、素朴な味がした。甘い物なんて、お菓子なんて、あの子はきっと食べたことはなかったろう。憧れの甘いお菓子。娘が昔からお菓子作りが好きなのはそれがずっと夢だったからだと思うのに。
「だって、それ、夢でしょう?」
「まぁ、そうだけどさ。でも、そういう記憶みたいなのって、ない?」
「ある訳ないじゃん」
「つまらんのう」
私は未婚で、しかも18歳で娘を産んだ。相手は、つまり子どもの父親は、赤ん坊が出来たと分かったとき、堕ろせと私に迫った。しかし、私は何が何でもこの子を生むんだとそのとき思ったのだ。意地になっていた訳でも、この子の父親をものすごく愛していたからとかでもない。ただ、ごく自然にこの子をどうしても生んで育てるのだ、とまるでずっと前からの約束のように、すとんとその決意のようなものは降りてきた。
母一人子一人で、娘が幼い頃から今まで、まるで親子というより友人のように暮らしてきた。二人きりの生活だったので、他に相談する相手もいなかったので、私は娘がものごころつく前から、何でも話して、何でも相談してきた。いや、もちろん明確な答えが返ってきていたわけじゃない。それでも、分からないながらに一生懸命母の話しに耳を傾ける澄んだ瞳に、私は支えられてきた。涙を零す私に寄り添うようにおぼつかない足で必死に立つ娘の小さな足を愛しく見つめてきた。そして、私はデ・ジャ・ヴュのようにその光に包まれた立ち姿に何かを思い出しそうになるのだ。
ほとんど覚えていないあの夢のあの子も、いつでも一人で立とうとする後ろ姿だけが映像のように浮かぶ。短く切りそろえた黒髪の、小さな背中を。決して誰にも頼るまいという孤独な影を。甘えることも頼ることも知らず、愛を、知らず。
「だいたい、それ、夢でしょう?」
娘はしまいに呆れて、お湯を沸かすために席を立った。あ、私にもコーヒーね、と言いながら見上げると、そのすっと伸ばした背中が少し、あの子の後ろ姿に似ている気がした。
ただ、腕の中で冷たくなっていくあの子の命の重みを感じ続けていた。感じ続けた痛さだけが、ずっしりとだるい腕と、血を流すようにじくじくと痛み続ける心臓の鼓動で辛うじて覚えている程度だ。
救ってあげたかったのだと私は泣き叫んだ。地獄の底から、せめて人として生きていける道を歩かせてあげたかったのだと。
だけど、結局立ちふさがる大きな壁に阻まれ、弱いものは翻弄され、人としての尊厳も奪われ、モノとして扱われた挙句、命を奪われた。
銃弾で倒れたのか、やりや剣や弓矢のようなものだったのか、或いは飢餓で逝ったのか。まったくそれは分からない。だけど、そのときの叫びだけが木霊のように繰り返し心を引き裂く。
助けられなかった。その、泥のように重い後悔が身体にまとわりつくようにこびりついて離れない。
革命も、世直しも、夢を語る未来は一部の勝者にだけ用意された過酷な現実。新しい世の中は、生き残った者たちだけが謳歌するものだ。その影に、こんなに沢山の命が犠牲になり、笑うことも知らず、喜びを知らず消えていった清らかな魂があったことを忘れるな。
楽しいことを何一つ知らなかったあの子なのに、抱きしめてくれる優しい腕も、温かい母の懐も知らなかったあの子なのに、最後に腕の中であの子は微かに笑った気がした。
「ありがとう」
そう唇が動いた。
「待って、待って、待ってよ。死んじゃダメだ! まだ、君は人生を何も知らないのに! 何も、知らないのに!」
だけど、叫びはきっともう届かなかったろう。虚ろに淀んだその瞳からすうっと光が消えていき、命の最後の炎が燃え尽き、魂がその小さな身体を離れていくのを見送るしかなかった。
最後に、ゆらりとその瞳が揺れた気がした。その目から涙が一粒頬を伝い、キラキラと光を吸って大地に零れ落ちた。ああ、まるであの子の命のカケラのように。生きたかった緑の大地を潤すように。
「もう一度、会おうね。…また、生まれておいで。私と同じ時代に。同じ世界に、きっと! 今度は、私の子として生まれておいで。きっと、きっと今度こそ、幸せにしてあげるから! 愛してあげるから。抱きしめて、あっためて育ててあげるから!」
そう言って動かなくなった身体を抱きしめて泣いた。あの子の身体が冷たくなるまで。涙が枯れるまで。
暗黒を切り裂き、光を手にした人々の中で。
「…っていう夢をいつかみたんだ」
とダイニングの椅子に座っているもう成人した娘に話してみた。すると彼女はクッキーをぼりぼり食べながら、あっそう、と素っ気ない。
「人の話し、聞いてる?」
私もクッキーをつまんだ。娘の手作りのそれは、素朴な味がした。甘い物なんて、お菓子なんて、あの子はきっと食べたことはなかったろう。憧れの甘いお菓子。娘が昔からお菓子作りが好きなのはそれがずっと夢だったからだと思うのに。
「だって、それ、夢でしょう?」
「まぁ、そうだけどさ。でも、そういう記憶みたいなのって、ない?」
「ある訳ないじゃん」
「つまらんのう」
私は未婚で、しかも18歳で娘を産んだ。相手は、つまり子どもの父親は、赤ん坊が出来たと分かったとき、堕ろせと私に迫った。しかし、私は何が何でもこの子を生むんだとそのとき思ったのだ。意地になっていた訳でも、この子の父親をものすごく愛していたからとかでもない。ただ、ごく自然にこの子をどうしても生んで育てるのだ、とまるでずっと前からの約束のように、すとんとその決意のようなものは降りてきた。
母一人子一人で、娘が幼い頃から今まで、まるで親子というより友人のように暮らしてきた。二人きりの生活だったので、他に相談する相手もいなかったので、私は娘がものごころつく前から、何でも話して、何でも相談してきた。いや、もちろん明確な答えが返ってきていたわけじゃない。それでも、分からないながらに一生懸命母の話しに耳を傾ける澄んだ瞳に、私は支えられてきた。涙を零す私に寄り添うようにおぼつかない足で必死に立つ娘の小さな足を愛しく見つめてきた。そして、私はデ・ジャ・ヴュのようにその光に包まれた立ち姿に何かを思い出しそうになるのだ。
ほとんど覚えていないあの夢のあの子も、いつでも一人で立とうとする後ろ姿だけが映像のように浮かぶ。短く切りそろえた黒髪の、小さな背中を。決して誰にも頼るまいという孤独な影を。甘えることも頼ることも知らず、愛を、知らず。
「だいたい、それ、夢でしょう?」
娘はしまいに呆れて、お湯を沸かすために席を立った。あ、私にもコーヒーね、と言いながら見上げると、そのすっと伸ばした背中が少し、あの子の後ろ姿に似ている気がした。
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- いつか見た夢 ~革命~
- いつか見た夢 ~革命~ (作品説明)
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もくじ 緑の泉黒狼の郷
~ Comment ~
お久しぶりです。
私は生まれてくる前に、イギリスの空からお母さんを見ていた。
あ、あの人のところに生まれよう、
そう思ってやってきた。
そんなことを言った幼い子がいたのを思い出しました。
いろーんなことを考えさせてもらえる、ぎゅっと濃縮された短編ですね。
あ、あの人のところに生まれよう、
そう思ってやってきた。
そんなことを言った幼い子がいたのを思い出しました。
いろーんなことを考えさせてもらえる、ぎゅっと濃縮された短編ですね。
Re: お久しぶりです。
あかねさん、
ありがとうございます♪
実はこれ、半分ノンフィクションです。
さて、どの部分が本当で、どの部分が創作でしょうか!
なんてね(^^;
ありがとうございます♪
実はこれ、半分ノンフィクションです。
さて、どの部分が本当で、どの部分が創作でしょうか!
なんてね(^^;
- #176 朱鷺(shuro)
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- 2014.06/21 07:48
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