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ネット時代のコピペ・レポート・リテラシー【追記あり】

 大学の前期授業も終わりました。私の授業は欠席を認めない代わりに、2000字程度のレポートを提出すると出席したという扱いにすることにしていますので、欠席レポートが届きます。
 また、私は試験も嫌いなので、代わりにもレポートを課しました。
 講義を聞いて得たインスピレーションをもとに、「個体発生と系統発生」というタイトルでバイオロジカル・エッセイ(*)を書いてください。2000字以上で、参考文献・ウェブサイトを明示すること。

*単なる講義の感想ではなく、しっかりとした生物学的裏付けと科学的推論を含み、今後の研究の展望を示唆するようなもの。
 この時代ですから、当然のことながらレポートの内容はネットで見つけた情報のコピペが多いわけです。ネットで検索してコピペするだけなら、この写真にあるようにウィンドウズならばCtrl+CとCtrl+V(マックならばCmd+CとCmd+Vでしょうか)を何回か繰り返すと、見た目はそれっぽい「レポートのようなもの」が簡単にできあがります。

ネット時代のコピペ・レポート・リテラシー【追記あり】_c0025115_170654.jpg
(すみません。Tumblrでreblogされたものらしく、オリジナルを発見できませんでした。)

 文章だけではなく、図も使えますので、コピペを駆使して作られたものは、見栄えが良いものも良く見受けられます。しかし、基本的には読めばその質はたちどころに判断できます。質が悪ければ、コピペ作品であろうがなかろうが、評価が悪いので、問題にはなりません。もしも、良質のレポートであったとしても、その原本がネット上にあるかどうかについては、レポートを出した側には感知する「義務」があると思います。

 レポートは、もちろん印刷したものを提出しても良いのですが、私の場合はメールにテキストを埋め込むか、添付書類で提出することを推奨しておりますので、ちょっと長めの領域をコピペして検索すると、たちどころに原著(?:コピーのもと)が発見できます。私自身はあまりチェックをしたことはないのですが、あまりレポートを書いたことのない1年生にはしばしば見られる「大々的な引用」は、学年が上がるに連れて減るように思えます。

 また、最近は学生に必ず引用元を明示しておくように言ってありますので、探すまでもなく明示しているケースが多いものです。そして、たとえネット上にソースがある場合でも、多くの学生はあちこちのソースから少しずつコピペしたり、文章の順序を変えたり、語尾を代えたり、と「オリジナリティ」を出そうといういろいろな努力をしているようです。

 大々的にコピペしたもののあちこちを少しずついじると不自然な文章になり、一読して変なものになってしまいますので、真剣にレポートを読むと、そうしたものは自然と評価の低いものになります。この場合、コピペしたことで低い評価につながるのではなく、レポートそのものの出来が悪いので評価が低くなるのです。いずれにせよ、評価が低くなるのでコピペは問題になりません。

 IT時代になって、コピペ自体は技術的に簡単になりましたが、ネタ文献丸写し(まさにコピペです)によるレポート作成は別にネット時代になって始まったものではありません。昔も今も学生が書くレポートの多くは参考文献からのコピペであるという事情は変わっていないと思います。全文丸写しではなく、たくさんのコピペを含んでいながらも、素晴らしいレポートに作り上げることこそ、学生が書くべきレポート作法なのかもしれません。

 そもそも我々が書く「オリジナル」な原著論文にしても、その内容の多くの部分は先人が研究し発表した内容を引用したり、参考したりして書かれることが多いわけで、学生のコピペを否定できる筋合いのものではないと思っています。つまり過激に断言すると、学問というものがコピペを基本として成り立っているということです。

 そこで学生には、レポートというものはいろいろと調べ、時には実験や調査をして得た情報を、自分の中で再構築して文章化するものなのであるという、正しいレポートの書き方と、こちらがレポートのどこをチェックし、どのような基準で評価するのかということを知らせておけば、インターネット時代だからと言って、なにもコピペを恐ろしく思うことも嫌悪することもないように思うのですが、いかがでしょうか。

 ただし、ネットには存在しない、友達が作ったもののような、しかも素晴らしい作品をコピーした場合にはその真偽を確かめる術はありませんので、だまされて良い評価を与えてしまうことがあり得ますが、公的なコンクールでさえそのような「事件」が繰り返し起こっていることを考えると、ある程度以上のものは阻止できないと、あきらめるしかないと思っています。

 悪いことをする側でも、いつまでもすべての他人をだまし続けられるのであれば、それはその人の「才能」であい、才能であるならば評価されてもいいのかもしれません。

 結論: コピペそのものではなく、学生のレポートを正しく評価できないシステムが悪い。

【追記】この件に関しては、レポートだけにとどまらず、人間の文化活動すべてにおよぶ「オリジナルと引用」の関係についての大きな議論が必要だと思います。ボストンの島岡さんが関連エントリーを書いてくださいました。

 Plagiarism (盗作)
Commented by Yoshi at 2008-08-11 18:41 x
 昔:カット&ペースト
 今:コピー&ペースト

 あくまで引用元を明示するか否かが問題である。
 これだけでいいと思うのですが、ある種の若者叩きの感がありますね。
Commented by 通りすがり at 2008-08-11 22:18 x
コピペの弊害を認知しつつもレポートでしか学生を評価しない君にも問題ありだろ。

単純に試験すればいいと思うよ。
試験の採点も試験同様に時間的空間的に拘束して本人にさせればよかろう。
評価はそれらの過程も含めてメタ視点的に下せばいいだろう。
どうせ知識定着云々なんてものは瑣末事なんでね。
Commented by 一言 at 2008-08-12 00:10 x
>ネタ文献丸写し(まさにコピペです)によるレポート作成は別にネット時代になって始まったものではありません。

とありますが、書き写しでは情報が脳を通りますが、コピペは脳を通りません。教育効果は全然違うでしょう。

また、コピペと論文を同じように扱うのは、糞味噌一緒というか、恋人の頬を愛撫するのとパンチを食らわすのは同じだといってるのに等しいでしょう。

>レポートを出した側には感知する「義務」があると思います。
には賛成です。
Commented by Motomu Shimaoka at 2008-08-12 10:42 x
stochinaiさま、
豊富な話題を提供していただきありがとうございます。
「ネット時代のコピペ・レポート・リテラシー」にトラックバックさせていただきました。
by stochinai | 2008-08-11 17:31 | 教育 | Comments(4)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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