明治二十年のスタンフォード圖が、尖閣の西側までをチャイナ領土としてゐる。明治元年のシュティーラー圖から二十年後なので、さして貴重ではないが、輔佐的史料とはなるだらう。
「China」。Stanford's London atlas of universal geography
exhibiting the physical and political divisions of the various countries of the world.
1887. MAP Ra 186. Part 67. 豪洲國家圖書館藏本。
http://www.nla.gov.au/apps/cdview/?pi=nla.map-ra186-s67-v
http://nla.gov.au/nla.map-ra186
別の明治二十七年(西暦千八百九十四年)のスタンフォード圖が、先島諸島の附屬海域の彩色に尖閣を入れてゐることは、七月十八日の本ブログに述べた。西暦千九百一年のスタンフォード圖については拙著『尖閣反駁マニュアル百題』の第三百六十五頁で論じた。本圖はそれらを補足するものとして出しておく。
次にPlayfair圖。尖閣を擴大すると微かに微かに淡青。琉球國と同色。
James Playfair 「China and Japan」 1808 - 1814. MAP RM 486. 豪洲國家圖書館藏本。
http://nla.gov.au/nla.map-rm486
次に、下の二圖はレイスマゴスが臺灣島北端よりも北に在るため、
尖閣に相當すると考へられるが、ともに深緑色で琉球國に屬する。
第一、Jacques Nicolas Bellin
「Carte des isles du Japon et la presqu'isle de Coree avec les costes de la Chine depuis Pekin Jusqua Canton」 1735年 豪洲國家圖書館藏MAP RM 186.
http://nla.gov.au/nla.map-rm186
第二、John Speed「The kingdome of China」 1676年 MAP RM 272.
http://nla.gov.au/nla.map-rm272
次に、下の圖は西暦1914年だが、臺灣島がまだ日本領土となってをらず、諸地名も舊式である。明治二十五年頃までの情報にもとづいてをり、明治元年シュティーラー圖の系列に屬する。その尖閣の西側に國境線が有る。但し黑い斑點が線の西側に在り、汚れか島か辨別し難い。シュティーラー圖については拙著『尖閣反駁マニュアル百題』で論じた。
Cyril Dillon「War map : Australia, China, Japan, and the South Pacific」
1914 - 1918年 MAP G9231.F33 [1914]
http://nla.gov.au/nla.map-vn6257857
次に、下の圖は領有に關はらないが、チャイナ人の航路をしめす。北寄りの熟練琉球人航路に對して南寄りの未熟チャイナ人航路である。拙著『尖閣反駁マニュアル百題』第七十九至八十頁で論じた航路にもとづく一葉。
Robert Sayer and John Bennett (Firm)
The Oriental pilot, or, A select collection of charts and plans ... for the navigation of the country trade in the seas beyond the Cape of Good Hope
1778. MAP Ra 52. Part 74.
http://www.nla.gov.au/apps/cdview/?pi=nla.map-ra52-s74-v
http://nla.gov.au/nla.map-ra52
最後に、西暦1889年ジョンストン圖。臺灣が紫色。尖閣も微かに微かに紫色のやうな氣がしないでもない。まあ思ひ過ごしでせう。なぜなら數年後の西暦千八百九十三年に同じジョンストン圖では尖閣を琉球側の色に塗る。拙著『尖閣反駁マニュアル百題』の第三百七十三頁參照。
Alexander Keith Johnston 「China and Japan」
1880 - 1889. MAP RM 2603
http://nla.gov.au/nla.map-rm2603
「China」。Stanford's London atlas of universal geography
exhibiting the physical and political divisions of the various countries of the world.
1887. MAP Ra 186. Part 67. 豪洲國家圖書館藏本。
http://www.nla.gov.au/apps/cdview/?pi=nla.map-ra186-s67-v
http://nla.gov.au/nla.map-ra186
別の明治二十七年(西暦千八百九十四年)のスタンフォード圖が、先島諸島の附屬海域の彩色に尖閣を入れてゐることは、七月十八日の本ブログに述べた。西暦千九百一年のスタンフォード圖については拙著『尖閣反駁マニュアル百題』の第三百六十五頁で論じた。本圖はそれらを補足するものとして出しておく。
次にPlayfair圖。尖閣を擴大すると微かに微かに淡青。琉球國と同色。
James Playfair 「China and Japan」 1808 - 1814. MAP RM 486. 豪洲國家圖書館藏本。
http://nla.gov.au/nla.map-rm486
次に、下の二圖はレイスマゴスが臺灣島北端よりも北に在るため、
尖閣に相當すると考へられるが、ともに深緑色で琉球國に屬する。
第一、Jacques Nicolas Bellin
「Carte des isles du Japon et la presqu'isle de Coree avec les costes de la Chine depuis Pekin Jusqua Canton」 1735年 豪洲國家圖書館藏MAP RM 186.
http://nla.gov.au/nla.map-rm186
第二、John Speed「The kingdome of China」 1676年 MAP RM 272.
http://nla.gov.au/nla.map-rm272
次に、下の圖は西暦1914年だが、臺灣島がまだ日本領土となってをらず、諸地名も舊式である。明治二十五年頃までの情報にもとづいてをり、明治元年シュティーラー圖の系列に屬する。その尖閣の西側に國境線が有る。但し黑い斑點が線の西側に在り、汚れか島か辨別し難い。シュティーラー圖については拙著『尖閣反駁マニュアル百題』で論じた。
Cyril Dillon「War map : Australia, China, Japan, and the South Pacific」
1914 - 1918年 MAP G9231.F33 [1914]
http://nla.gov.au/nla.map-vn6257857
次に、下の圖は領有に關はらないが、チャイナ人の航路をしめす。北寄りの熟練琉球人航路に對して南寄りの未熟チャイナ人航路である。拙著『尖閣反駁マニュアル百題』第七十九至八十頁で論じた航路にもとづく一葉。
Robert Sayer and John Bennett (Firm)
The Oriental pilot, or, A select collection of charts and plans ... for the navigation of the country trade in the seas beyond the Cape of Good Hope
1778. MAP Ra 52. Part 74.
http://www.nla.gov.au/apps/cdview/?pi=nla.map-ra52-s74-v
http://nla.gov.au/nla.map-ra52
最後に、西暦1889年ジョンストン圖。臺灣が紫色。尖閣も微かに微かに紫色のやうな氣がしないでもない。まあ思ひ過ごしでせう。なぜなら數年後の西暦千八百九十三年に同じジョンストン圖では尖閣を琉球側の色に塗る。拙著『尖閣反駁マニュアル百題』の第三百七十三頁參照。
Alexander Keith Johnston 「China and Japan」
1880 - 1889. MAP RM 2603
http://nla.gov.au/nla.map-rm2603
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