橋下徹という人は次から次へとエキセントリックな行動を繰り返しては衆目を集め、そのたびに自らを「世間の敵」や「空気の読めないやつ」と戦う「フツー目線」の代弁者を気取って人気を獲得しているのだが、またしても彼にとって格好の舞台があったようである。以下、読売新聞(2008/10/27 00:33)より。
大阪府の橋下徹知事と府教育委員らが教育行政について一般参加者と意見を交わす「大阪の教育を考える府民討論会」が26日、堺市の府立大学で開かれた。 橋下氏の主張に従えば、要するに組合教師はダメで、体罰を行う教師はよいということになる。 私は小学生の時に日教組の教師に体罰を受けたことがあるんだけど。 ・・・と不快な記憶が蘇るが、「毅然と」体罰を行う教師が組合員の場合も多々あるわけで、その場合橋下氏はどう応えるのだろうか。「組合嫌い」を重んじて体罰を批判するのか、「体罰好き」を重んじて組合を支持するのか、聞いてみたいところだ。 世間的には教職員組合=左翼=民主的=「子ども」中心と誤解されているが、元来左翼の教育論は「教師の指導性」と「子どもの平等」を何よりも重視する。子どもは学校教育を受けない状態では悪しき資本主義社会のイデオロギーの影響下にあり、それを正しく矯正するのが教師の役目というわけである。実際、私が大学で教職課程をとっていた時、講師で来ていた全教(日教組の連合加盟に伴い分裂した組合、共産党系の人が多い)所属の教師は、基礎的知識はすべての子どもに教え込まなければならないと力説していた。また、教職員組合で熱心に活動していた教師がしばしば生徒を懲罰として殴っていた例も見ている。ある意味「教師の指導性」重視の当然の帰結である。 一方、これに対して文部科学省は1980年代頃から「教師の指導性」を軽視するようになり、「子どもの平等」を否定した「新しい学力観」が幅を利かせていた時期には、教師を子どもの「指導者」ではなく「支援者」と位置づけていた。よく「ゆとり教育」と俗称された時代の学校教育の特徴は、学習内容の削減もさることながら、何よりも子どもの「個性」や「意欲」を重視し、教師は子どもの本来の属性を引き出すのが仕事であるとされたことにある。極端な話、子どもが問題を起こしても、それは「個性」であって矯正されるべきでないとなってしまったのである。そして、当然の結果として教師の地位は低下した。教職員組合は当初から教師の指導性を奪う「改革」に抵抗していたのは言うまでもない。 以上のような経過を知っていれば、橋下氏やその背後に控える「世間」が求める、問題のある子どもを時には力でもって押さえつけ、「モンスターペアレント」の介入も跳ね返すような「強い教師」像は、実は左翼系の教職員組合のもので、文部科学省やその背後にいる中山成彬氏ら「文教族」こそが「組合つぶし」を通して教師を弱体化させたことは自明なのである。橋下氏がいかに思い込みだけで矛盾した行動をとっているか明らかだろう。 正直なところ学校教育に関しては橋下氏に限らず「外野」が口を出し過ぎなのが現状である(素人ばかり集めた安倍内閣の教育再生会議がその典型)。政府も教師の立場を弱める政策ばかり続けている。そうではなく、医療の世界で医師免許のない者が医療行為を行えないように、教育の世界でも教師や教育学者の専門性と独立性を回復し、教育内容や教育方法については専門家に委ねることが、学校教育再建の唯一の道だと思う。 【関連記事】 教育再生会議最終報告について 教育の「平等」をめぐる齟齬~和田中の夜間特別授業 「日本のがん」中山成彬が勝手に「ぶっ壊れる」
by mahounofuefuki
| 2008-10-27 20:22
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