今日8月15日は敗戦記念日である。内外の戦没者を追悼し、不戦を誓い、平和実現を祈願する、というのが模範的な行為なのだが、親世代でさえ戦争体験がなく、親族に戦没者がいないこともあって、個人的には「特別な1日」という実感はどんどん薄れていることを告白しなければならない。「8月15日」をめぐるさまざまな綻びを近年感じるようになったこともその一因である。
今日の視点から歴史を顧みるならば、本来政治史的な意味での「敗戦」のメモリアルとなる日は、日本政府がポツダム宣言の受諾を最終的に決定した8月14日か、降伏文書に調印した9月2日なのだが、戦争体験者の実感に即せば、やはり「終戦の詔書」が公表された8月15日は特別な意味を持つのだろうから、それを軽視するつもりはない(旧植民地でもこの日は「解放の日」である)。この日に改めて「不戦」を誓うことの社会的な意味も認識している。しかし、「8月15日」が次第に儀式化・形式化する中で、形ばかりの「戦没者追悼」や口先だけの「平和の祈願」に距離感を覚えるのを否定できないのである。 「8月15日」に対する違和感は、政府主催の戦没者追悼式をはじめ「正午」に黙祷を行う慣習に最も現れる。なぜ正午なのか。昭和天皇の「玉音放送」に重ね合わせていることは承知しているが、この「正午の黙祷」という行為が昭和天皇の「聖断」に特権的意味を付与し、「敗戦」を「終戦」と読み替えた欺瞞を公認しているように思える。そこからは天皇制の戦争責任を問う契機は生じない。 戦没者の追悼に際しても、相変わらず戦没者の死に「平和のための礎になった」式の意味を与えようとする向きが強い。実際には戦争での死に意味などない。戦没者は国家によって犬死させられたという厳然たる事実を受け入れない限り、本当の意味で戦争を克服したことにはならない。国家の「せいで」死んだ人々を、国家の「ために」死んだと読み替え、あまつさえその死を「顕彰」する「靖国史観」などもってのほかである。 その靖国神社では今年も多数の人々が参拝に訪れている。web上で実際に靖国に行ってきた人の報告記などを読む限りでは、8月15日の靖国はますます「祝祭空間」化が進み、のぼりを掲げた右翼集団や軍装のコスプレイヤーが目立つ。「静謐な追悼の場」を汚すような街宣も例年通り。本当に戦死者を心から追悼している人がどれほどいるのか。戦争体験のない世代や戦死者と直接のつながりのない者にとって、靖国を参拝することは追悼というより、「日本人」であることを確かめる象徴的儀式となっているのが実情なのではないか。一種のナルシズムである。 福田康夫首相は賢明にも靖国参拝を行わなかったが、何人かの閣僚は参拝した。特にかつて集団強姦を「元気があっていい」と放言した太田誠一農水大臣が、戦争美化装置たる靖国に、それも8月15日に参拝するグロテスク。旧軍の性犯罪も「元気があっていい」と言っているようで非常に不快だ。戦没者追悼式で福田首相は過去の首相と同様、アジアへの加害責任に言及した上で「不戦の誓いを新たにする」と表明したが、いかに国家の最高首脳が公式にはそう言っても、一方で閣僚を含む多くの国会議員の矛盾する行動を放置している限り、国際社会はもとより、日本国内の良識ある人々にもその不戦の意思に疑念が生じざるをえない。 一方、「平和の祈願」の在り方にも疑問がある。「戦後63年」という時、その「戦後」は「平和」であったという認識が前提にあるが、以前沖縄の慰霊の日に当ブログで言及したように、その「平和」の内実が厳しく問われるべきなのではないか。 日米安保体制のもと、米軍基地や自衛隊基地のある所では必ずしも「平和」を享受できたと言えない。より大きな話としては、「戦後の平和」なるものがあまりに美化・特権化された結果、その間の社会の矛盾が忘却されている。「平和を守ろう」という掛声が、特に我々「氷河期世代」の社会的弱者にむなしく響くのは、その「平和」の恩恵を受けていないという「実感」が根強く存在するからである。 「戦後の平和」が「虚妄」であった、とまでは言わない。少なくともこうしてささやかなブログを書く自由はまだある以上、「不正義の平和」だとか「戦争の方がまし」などとは全く思わないが、他方で毎年3万人以上が自殺に追い込まれ、貧困が拡大し続けるような状況を、とてもではないが「平和」とは言えない。むしろポスト冷戦下での「新たな戦争」なのではないかとさえ考えている。 「既成の平和」を守るというスタンスをとる限り、現在「平和」に生活しえない人々には「平和」を守る意味を見出すことはできない。現実に世界が「核」の支配下にあり、世界各地で武力紛争が続き、また日本国家がさまざまな形態でアメリカの戦争に加担していることも含めて、「平和」が「未完の課題」であることを決して忘れてはならない。 【関連記事】 靖国神社とは何なのか 「戦争のおかげで日本は民主化された」論と「新しい戦争のカタチ」
by mahounofuefuki
| 2008-08-15 17:42
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