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「子供をグローバルな人材に育てるにはどうすればいいのでしょうか?やはり留学させないとダメでしょうか?」 「◯◯のインターナショナルスクール、いえ外国語、IT、数学に特化するインディアン・スクール、✕✕中華学校もいいと聞きますが、どこがいいのでしょうか?」 最近、よくこうした質問を受けます。御依頼頂く講演、企業研修でも「グローバル人材育成」は頻出のお題です。 グローバル経済、グローバル経営、グローバル人材・・・最近は、どこを見回しても「グローバル」です。長年グローバルという言葉と付き合ってきた我々経営コンサルタントへの要件も「将来展望のグローバル」から「成り行きのグローバル」へ、そして昨今「必要に迫られるグローバル」へと変化しています。そしてもちろん教育の現場おいても、「次世代グローバル人材育成」は喫緊のテーマとなっているようです。 しかし、私個人的には、「将来グローバルな現場で活躍できる人材になる」という命題に対して、特別な教育機会に恵まれていることは必要十分条件であるとは全く思いません。私が日ごろお目にかかるグローバルに活躍する優秀なビジネスパーソン(日本人)が必ずしも、特別な生育環境に恵まれておられた方々かというと必ずしもそうとは言えません。逆に幼少から各国を渡りあるき、数ヶ国語を母国語同様に使いこなす帰国子女達が、そうではない日本人より段違いのパフォーマンスを発揮できるかというと、これもそうではなさそうです。むしろ「日本との架け橋」という文脈でのグローバリゼーションの現場ではだいぶ苦労しておられる姿をよく見かけます。 異質対応力、アイデンティティ ものの見方、考え方は、そもそも互いに異質であり、しかしお互いに立場は平等である、という前提に対しての尊重と対応力、これが異質対応力です。それにはまず「自分自身がそもそも異質である」事を相手に理解してもらう必要があります。アイデンティティーの自覚と発信です。 元国連事務次官の明石康氏はこうおっしゃっておられます。「国連本部において、いわゆる『外国人のように』振る舞う、例えば日本人が『アメリカ人のような』英語を話す事にはリスクが伴う。『アメリカ人のように』話をすれば、相手はあなたがアメリカの文化、社会、歴史、法制度、政治、経済に通じており、あなたのアイデンティティや思考がそれらに由来している事を前提に議論が始まってしまう。」 だから「日本人は、日本語なまりの英語で堂々と日本人らしく主張する必要があるのだ」と。ここには深遠なる示唆があります。 異質なものとのぶつかり合いの中で、自身のアイデンティティーと意思をしっかりと品格をもって発信、そして「誰か」ではなく「私」のイニシアティブで議論を深めていく。これがグローバル・マネジメントに関わるマネージャーにとって、ひいてはグローバルを標榜する教育の現場においても重要視されるべきスキル要件です。20年後、高層ビルの会議室で経験するであろうチャレンジをシミュレーションさせる小学校の教室は必ずしも海外である必要はありません。それどころか習慣化という意味においては家庭においける教育の重要性を忘れてはいけません。なぜなら、上に書いた「重要視されるべきスキル要件」は「言語」の問題ではなく「思考と態度」の問題だからです。 少しの遊学や留学で外国(おもに西欧)かぶれになる前に、自分はどこから来た何者であるのかという自分自身の異質性、アイデンティティについて思考を深め、言語化できているということ、これがグローバルの始まりなのかもしれません。 なぜか?グローバル、つまり世界は“こちらのことをよく分かっている”「同質性」ではなく、見たこともない圧倒的な「異質性」にこそ魅了され、動き出すものだからです。
by smkwkm321
| 2014-04-30 15:39
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