不味いペペロンチーノ

嬉しくもない自宅軟禁状態がしばらく続いた所為で
食事を専ら作ることに慣れてしまって2年が経とうとしている。
宅配に頼ることはなく、食材を買っては作り、悩んだときはYoutubeに頼って
そのとき作りたいものを思いのままつくることにしている。

キッチンに立っている間は、何も考えなくて済むし、気分転換にもなる。
完成までのプロセスを楽しめるのは、元プログラマーだからか
出来上がってしまう前の作業に重きを置き、食べることは作業と化して
何だか良くわからない、「おうちじかん」を自分なりに過ごしている。

ふと、思い出したことがある。
不味かったペペロンチーノのことだ。
誰かが言ってた、「不味かった思い出は強烈に残り、その後は語り草となる」と。

全く同感であり、今回の主題は「不味かった思い出」だ。
とはいうものの、いつ頃だったかはっきりと覚えていない。

親父がある日、突然言い出した。
「上手いパスタを食ったから、作ってやる」と。

普段、全くキッチンに立つことはない、昭和で食事のことは全てオカンに任せる男が
急にそんなことを言うものだから皆、「何が起こったんだ?」と耳を疑った。
キッチンに何が置いてあって、冷蔵庫の中にはどんな食材が入ってるかなど、一切気にもかけない人が
料理など、できるわけがないと家族全員が思ったことだろう。
食した料理が美味かったから、その味を再現できるほど技術に自信が仮にあったとしたら
彼は建築家ではなく、料理人になれたはずなのに、なんであんなことが言えたのか?今となっては謎である。

何ができるのか、どんな料理が出てくるのか想像がつかなかった所為か
作っている姿も、どんな工程を経たのかも全く覚えていない。
目の前に出てきたのは、ただパスタが茹でられた白い麺。
どこからどう見ても美味しそうには思えない代物だった。

・・・食す。・・・無味。

不味いというよりも、味がしない。ただ味のしないパスタを食べているに過ぎず、どうやって作ったのか分からないがこれを親父が食べたのだとしたら、舌は機能不全で、何を食べても美味い!と言うはずである。。。
それでもキッチンに立って料理を作った親父に対してそんなことを言える訳もなく、しばらく忖度の沈黙が続いたあと

「薄いなあ、醤油が足りないか」

と親父はドバドバと醤油を垂らし始めた。
もはや、なにか分からない。
醤油味のパスタだ。和風なのか洋風なのか、パスタなのかさえも。

親父が食べた「美味かったパスタ」は永遠に闇に葬られてしまい僕は密かに
「不味かったペペロンチーノ」と勝手に名付け、目をつぶって胃の中にかきこんだ。

その後、親父がキッチンに立った姿をみることはなかった。
見たのは9%の缶チューハイを黒霧島で割るために、キッチンのそばにある冷蔵庫へ向かう姿だけだった。

幸いにも、自分は中学生の頃から昼飯を作るためにキッチンに立ってきたので
親父のような無謀な挑戦者にならずに済んでいる。

ただ、自分が作った料理に対して「不味い思い出」は今のところないので
逆に言えば、残念なコトなのかもしれない。

そして、閉まっておいたはずの「不味い思い出」の扉を開いてしまったが故に
あの「不味いペペロンチーノ」を食べたくなっている自分がいる。
それは叶わぬ願いであるし、仮に目の前に出てきて1口食べたところで
忖度の沈黙時間が生じるので、やっぱり居た堪れない気持ちになってしまうのである。

コロナの仕業で、記憶を掘り返されるなんて。

年始の挨拶

2020年くらいから時が止まっているような感覚にあって
それが今も尚、続いている気がしてならない2022年の1月。

拍子抜けで、誰のために行われているのか分からないオリンピックや
科学的見地に立って、ここ2年を振り返り行動を変えようとしない政治や
それすらも、いつのことだったか忘れてしまった。

明らかにコロナ禍によって、時が止まった。
まるで、インフィニティ・ストーンで姿を消されてしまったかのように。

すべてはウィルスによってもたらしたものだけど
だからすべて、悪いとも思っていない。

静かに、淡々と時間の針は進んで日々を繰り返す。
手の届く範囲での幸せしか得られないことをきちんと理解できる。

変わらぬ仕事に、変わらぬ賃金。
だけど、どこか心に余裕が生まれた気がする。
立ち止まっていても、許される現実が今ここにあるように思える。

とは言っても年明けの挨拶で言わないように決めていることがある。
「明けましておめでとうございます」だ。

全くもって、おめでたくない。
明けたから、めでたい気持ちなんて微塵もないからだ。
良くも悪くもない年が終わり、次の年に希望など僕には持てないし
持とうとも思わない。口にしたくもない。

だから
「今年もよろしくおねがいします」
しか言わない。

僕にとって、この挨拶こそが
手の届く範囲の距離を身をもって感じることができるからだ。

ということで
「今年もよろしくおねがいします」

弔事

外に出て30秒もすれば、背中から汗が吹き出し不快にさせる。
まとわり付くTシャツは、眠りに入る寸前に耳元で存在証明する蚊の如く、鬱陶しい。

夏特有の雲が8月を知らせている。
父親の死から5年が経とうとしている。

こんなご時世になってしまい、外でゆっくり飯を食うことすら憚れるようになり暑さも状況も煩わしいことばかりだと。
きっとそれは自分だけではないだろうし、息抜きも必要だよなと家族である、母親を早い時間から飯に誘ったのは緊急事態の隙間。

地元の小さな居酒屋に入って話すことは、決まってる。
この状況と昔話。逆に言えば、それを聞くために飯にいっているようなもんだ。
長男だからと言って、昔に起こった子供の頃には知る由もなかった話をしてくれる。
今後、誰かに話すこともなく、僕は静かに胸の中にしまう。
誰かが知ることで幸せになることもなく、もちろん不幸になることもない。

いつかの時間軸で起こったことをこの瞬間にトレースしつつ、冷えたビールを胃に流し込む。
事実をそのまま、自分の中に取り込んでしまうだけ。

何故、この話になったのか覚えてないが
今のうちに、生きているうちに、僕が母親に向けて語るであろう弔事の中身について話した。

僕は今、こう思っていて、だからこう話そうと思う。
母はこういう人でした、と。

父親の弔事を読んだのは僕だ。人生で初めての経験だった。
だが、この親父が弔事を聞くことは絶対にない。弔事というのはそもそも、そういうものだ。
だからこそ、先に、今度は伝えておきたいと思っていた。

言葉であれ、手紙であれ、相手に伝わらなければ意味を為さない。
コミュニケーションのはじまりは、発信側であり伝わらないのであれば
発信側に問題にあると常々思っている側の人間だ。

弔事は、その視点でみればコミュニケーションを為してないことになる。
だから、先に伝えておきたかった、母親がどれだけ家族の為に生きて、家族を愛したのかを。
それを、ぼくらはきちんと受け取っていますよと、そして感謝していますよと。

きっと、伝えられたと思う。涙を拭っていたから。
いや、酔っ払っていたからかもしれないけど。
それでも、僕は自己満足で十分だった。伝えられた気がしたから。

父親の弔事を読んでから5年が経つ。
その原稿がどこにあるかを知りながらも、これまで開くことはなかった。
命日にそっと、読み返してみようと思う。
そして、墓前で返事のないコミュニケーションをはじめる。

「アナタは相変わらず幸せ者ですね」と。

30代の終わりに差し掛かる

20代前半に思っていたオジサンの年齢になり、30代は終わりに近付いた。
長く生きたくはないと、世間知らずのガキが足掻き、苦しみ、傷つけ、自分の思うが侭に結局は生き長らえてきた。

コロナ禍によって、極端に人との付き合いが無くなり、起きている9割の時間はパソコンに向き合っている。
デジタルの世界で生きていくと大学3年の頃思った自分は今、その通りになっているものの、これが望んだ世界なのかは分からない。

幸せなのかもしれないし、不幸せなのかもしれない。そこに主観を置かないようにしている。
ただ、人は必ず死ぬことを、それはどんな人にも平等に訪れるけど、残念ながら志半ばで突然迎えることもあると2020年は思い知った1年でもある。

意図せずに、運命によって命を絶たれてしまうことの無念さは計り知れない。
長くは生きぬと勝手に意気がった20前半の自分がこの事態を目の当たりにしたときに、一体何を思うのだろうか。

そして、30代の終わりに差し掛かった今の自分が思うことは、まだまだ終わることはしたくない、だった。
これからの世界を見ていたいと、単純に思うからだ。

それは希望ではなく、絶望でもなくて、好奇心によるものだ。
どうなってしまうのだろうか、この世界は。どうなっていくのだろうか、この国は。
そのときに、自分の役割はあるのだろうか?何かできるのだろうか?
そんなことを思うのだ。

記憶にないから、もしかするとはじめてなのかもしれない自分への誕生日プレゼントを自分の金で買った。
なんてことはない、上着。ここ2,3年で趣味としてすっかり習慣化した体を鍛える時に着ようと思った上着。
こんなことで、不思議と笑顔になる今の自分はもしかすると、他人から見れば幸せに見えるのかもしれない。

まだ、人生の続きを描きたい。
そう思って、文字を打った。

静かに降り続く金曜の雨

日常が日常でなくなり、それが日常となってしまった。
誰にも望まれてないのに、日常を変えざるを得なくなった。

2020年の節目が全くもって色のない無色の年となり
どんよりと暗く、静かな雨がしばらく降り続いているかのように
ずっと晴れない気持ちだけが、時を刻んでいるようだ。

Yahoo!ニュースが明るく下らない見出しで溢れる頃には
きっと落ち着いてるさと、短絡的な考えを持っていた4月の自分は
あっけもなく、静かな雨でズブ濡れになるしか無いようで。

マイナスの感情を前に前にだすことすら許されなさそうな空気感をまとって
息を殺すようにして密かに生き長らえてはタイピングする音だけが
生きている証拠を残している。

希望とか、そういうものは無くなってしまったのか。失ってしまったのか。
そういうことを考える。ムダに。ただ、時間のムダだとしっていても。
そこからずっと動きたくない自分と、ダッサいと思ってる自分と。
結構、両方にどちらにも自分がいて、とりあえず社会との距離を取る。

守りたいもの、大切にしたいものってなんだっけ?
どんなことが起こっても手放したくないモノってなんだっけ?
結局はここに落ち着く。

そんなに多くはないし、そんなに多くも抱えられない。
そんなに欲しくもないし、そんなに多くも与えられない。

手放せるものはこの機会に、勝手に失くなったように思う。
今、手元に残ってるものこそが答えなんだと思う。

世界が落ち着くことはきっと訪れない。
そして、過去の日常が戻ってくることもない。
環境が激変してしまったら、元の環境には二度と帰らない、帰れないから。

壊されてしまったのかもしれないけど、それはあるべき姿への序章なのかもしれない。
この時代に、この環境で生きていかないといけないメッセージならば
運命を享受すべきで、全うしなくちゃいけない。

仕事が落ち着いたから
静かで冷たい雨が金曜に降るから
少し、振り返って最近を書いてみることにした。

今、手元にあるモノこそ
本当に必要なモノで、それらを大事にすればいいんじゃないかって。

日常は混乱し、絡まってほどけないコンセントの紐みたいになった。
だからって、希望が無くなった訳でも光が失われた訳でもない。

ただ、ひたすらに、日々を過ごすだけ。