立憲民主党 枝野幸男代表 演説全文(10月17日福島)
<福島が枝野幸男の原点>
たくさんの皆さんにお集まりをいただきありがとうございます。立憲民主党代表の枝野幸男でございます。
立憲民主党、福島では、小選挙区の候補は立てられませんでしたが、必ず福島の皆さんにお訴えをさせていただかなければいけないと思っておりました。実は、公示初日に来ようと思ったんですが、比例代表の届出は、東京の中央選挙管理委員会に行って、そこから街頭演説用の標記を持ってくるのが間に合わなくて、先週の火曜日には来られませんでした。1週間遅れてしまいましたが、いうまでもなく、あの東日本大震災、そして東電福島第一原発事故の時、官房長官という仕事をお預かりをして、この災害対応と事故対応の先頭に立たせていただきました。
もちろん、実際に被害に遭われた皆さんとは比べものになりませんが、私の政治家としての生き方、考え方を大きく変えた出来事でありました。あえていえば、そこから政治家としての枝野幸男の第二のスタートを切らせていただいたと、いわば原点というふうにも思っております。
是非、そんな福島の皆さんに、立憲民主党を立ち上げた思いというものを、直接お伝えさせていただきたいということで、今日福島に来させていただきました。どうぞよろしくお願いをいたします。
<立憲民主党の立上げ>
急な解散でした。しかも解散をしてからいろんなことがありました。民主党、民進党と、私にとっては20年以上積み重ねてきた政策、理念。その旗を掲げて選挙を戦うことができないということになりました。福島の仲間も、それぞれ苦渋の選択の中で、それぞれの道を選びました。私は、今まで積み重ねてきた政策、理念、これを少しでもぶれたとみられるような行動はとりたくないと、そんな思いで、最初は無所属で戦おうかという思いでおりました。
ただ、実は多くの皆さんから、「このままでは投票する先がない。受け皿がない。枝野立て。」と、大変大きな声で背中を押していただき、その声に押されて、これまで積み重ねてきた理念、政策をベースにしながら、どうしたらそうした声に応えられるのか。改めてそれをより良いものに、更に磨き上げて、立憲民主党という新しい旗を掲げさせていただきました。
なぜ、多くの皆さんが受け皿がない、投票する先がない、そんな思いがあるのか。私たちは、右でも左でもない、前へと、訴えています。今この国の政治の軸は右か左かではなくて、上からか、下からか。草の根の声に耳を傾ける政治。暮らしの足下に光を当てる政治。あまりにもそこからかけ離れてしまっている。だから、自分たちの声を届ける受け皿がない。多くの国民の皆さんがそんな思いで、私の背中を押していただいたのではないかと、私はそう思っています。だから、まさに今までの上からの政治に対して、草の根からの、暮らしの足下からの政治で前に進んでいく、そんな旗を、立憲民主党として立てさせていただきました。
<暮らしと経済>
上からの政治、上からの政策。いうまでもありません。いわゆるアベノミクス。強い者をより強くする。豊かな人をより豊かにする。でも、それで社会全体が引っ張り上げられましたか。むしろ、国と地方、持てる者とそうでない者。格差はますます広がって、社会の分断が進んでしまっているのではないでしょうか。高度成長の時代には、強い者をより強くすれば、輸出企業が儲かれば、それが津々浦々に行き渡って、分厚い中間層、世界有数の経済大国を作りましたが、少子高齢化の時代、人口減少の時代、強い者をより強くすれば、多くの人たちが置いてけぼりになって、むしろ暮らしが厳しくなる人たちが増えている。これが実態です。方向を変えなければいけません。
政治の在り方が上からになっている。だから上からしか国民の暮らしが見えていない。そう思います。
<立憲主義と安保法制>
安保法制、集団手自衛権。平和の問題としても大変重要な問題ですが、私たちの党名、立憲民主党。立憲主義を掲げています。戦後70年、この言葉はあまり言われませんでした。あまりにも当たり前だからです。近代国家なら、20世紀の、21世紀のまっとうな社会なら、あまりにも当たり前のことだから。それは、「権力は好き勝手にやってはいけないんだ。どんな権力も、ルールに基づいて使わなければいけない。」そのルールを憲法と呼んでいます。総理大臣といえども、国会議員といえども、憲法で決められているから、法律を作るという権限や、あるいは行政権が委ねられているんです。その憲法の範囲でしか、権限、権力は使ってはいけない。当たり前のルールじゃないですか。
安保法制、集団的自衛権というのは、歴代自民党がずっと言い続けてきた。自衛隊の皆さんは、日本の領土、領海が攻められたときは、これは命を賭けて全力で、国を守ってくださる。そこはしっかりやる。でも、日本が攻められてもいないのに、戦争をすることはしない。これを勝手に変えてしまったんです。
北朝鮮のことをあおっていますが、万が一北朝鮮が日本を攻める。そんなことがあったら、個別的自衛権で、日本は、自衛隊は国を守るんです。集団的自衛権は直接には関係ありません。
勝手にルールを、解釈を変える。こんなことがまかり通ったら、日本は世界に向けて恥ずかしくて仕方がない。それくらいあまりにも当たり前のことを変えてしまっているということを、是非皆さんに改めてお訴えをさせていただきたい。
戦前の政党の名前には、実は「立憲」と名前が付いているのが多かったんです。立憲政友会とか、立憲民政党とか、戦前の明治憲法の下でも、立憲主義をちゃんとやろうね。戦後70年も経って、改めて立憲主義をいわざるを得ないのは、大変情けないけれども、でも言わなければならないことだ。
<民が主役の政治>
そしてもう一つ。立憲主義と同時に民主主義が空洞化をしていると思います。民主主義は単純な多数決とは違います。民主主義というのは読んで字のごとく、民が主役の政治です。主権者である国民の皆さんでものを決める。それが民主主義です。1億2000万を超える国民みんなでは集まれないから、国会議員をやむなく選んでいるんです。そして、みんなで議論をしても意見が一つにまとまらない。そのときに仕方がなく多数決で決めているんです。
もちろん、時代の変化、スピードが速くなっている時代ですから、時間をかけてじっくりとできないことがあります。だから、トップダウンで、強いリーダーシップでというところに目が行くのも分からなくはありません。でも、いやむしろだからこそ、基本を大事にしなきゃいけないじゃないですか。ましてや、かつて一億総中流と言われた、分厚い中間層と言われた時代がありましたが、今はまさにアベノミクスで格差が拡大をして、都市と地方、あるいは高齢者と若者、お金持ちとそうでない人、正社員と非正規、本当にそれぞれの暮らしが多種多様に分かれています。それぞれの意見、価値観も分かれています。多様な人たちがいるのに、一握りの人たちでえいやあと決めて言うことを聞け。これでは社会が回っていきません。良い結論は出せません。
多様な意見があるからこそ、できるだけそうした皆さんに、まずはきちっと情報公開をする。判断をするための材料をしっかりと提供する。そして、できるだけ多くの意見に耳を傾ける。意見が違っていたら、相手を抑えつけるんじゃなくて、説明をして、説得をして、納得してもらえるように努力をする。その基本があった上での最後の多数決じゃないですか。その基本があった上での、どうしても忙しい、時間がないときにトップダウンじゃないですか。残念ながら今の政治は逆の方向になってしまっている。だから、暮らしの足下に光が届かない政治になってしまっている。私たちは、こうした政治の流れを変えていきたいと思っています。
<暮らしに寄り添った復興>
福島の復興、私もその初期の段階は、政府与党の一員として、関わらせていただきました。あえて言えば、ハードの部分、つまり道路とか、建物とか、そういった部分については、一定程度進んでいると思います。でもあの時から一番心配をしていたこと。残念ながら、簡単には解決しない問題であることは分かっていますが、完全に置き去りにされていませんか。
例えば、原発事故の避難地域。年配の皆さんは、長く住んだふるさとに一日も早く帰りたい。でも若い皆さんは、お子さんの放射能のことが心配だ。実はあの事故は、ふるさとが奪われただけではない。家族の中の絆まで弱めてしまっている。家族の中で、それまではお互いに支え合っていた。でも、それぞれの立場によって、考え方が分かれてしまって分断をされてしまっている。帰りたい。帰った方がいいのかな。帰らない。帰らない方がいいのかな。それぞれの心の中にも、いろんな複雑な思いがある。だから、道路や建物だけでは本当の復興につながってはいかない。
簡単なことではありません。でも、そうした一人ひとりの暮らしの事情に応じて、きめ細かく対応していかなければ、本当にこの事故の責任を果たしたとはいえない。私は思っていますが、今それが進んでいるでしょうか。残念ながら、いろんなところで、いろんな話を聞いています。避難をされている皆さんに対する対応。これは実は、福島の事故の避難の方だけではありません。災害、津波の被害を受けられた皆さんにとっても、同じようなことがあります。残念ながら、外見だけはきれいだけれども、それぞれの暮らしに寄り添っていない。これでは本当の意味での復興にはなっていかない。私たちは、簡単なことではありません。簡単なことでは(ないと分かっている)けれども、でも、最大限努力しなければいけない。その責任が政治にはあるんではないか。そう思っています。
<恐怖の中の再稼働>
そしてもう一つは、原子力政策です。実際に避難をされた皆さん。あるいは、避難はされていなくても、例えば福島市でも、原発の近い地域の皆さん。誰よりもそうした皆さんが、原発の事故の恐ろしさというものを一番感じておられると思いますが、私も、そうした当事者の皆さんの次に、原発は、一度事故が起こってしまったら、その事故を止めるのが、拡大を防ぐのが、こんなに難しいんだ。そして、そのことによる被害は、影響は、こんなに大きいんだ。当事者の皆さんの次に、その恐怖を感じた一人だというふうに思っています。
だから、百歩譲って再稼働しなければならないとしても、そうした事故を実際に経験をして、今も苦労をされている人たちがたくさんいるという中で、その恐怖を感じながら再稼働できているのか、再稼働しようとしているんですか。あるいは、原発をこれからも使い続けようとしているんですか。残念ながら、私にはそうは感じられません。
経済産業大臣のときに、大飯原発を、実は私が再稼働しました。あのときは、電力が不足をするかもしれない。電力が不足をして、本当に突然電力が切れれば、それこそ医療機関などで命にかかわることが出るかもしれない。そのバランスの中で、ぎりぎりの選択で、やむなく大飯の原発の再稼働をあのとき決断しました。
でも、とにかくその稼働をしたものがまた停止をするまでの間、万が一にも事故が起こったらどうしようかと、私はある意味での恐怖に駆られながら、大飯が止まるのを待っていました。今、原発政策を推進している人たちに、こうした感覚はあるでしょうか。私にはそうは感じられません。
<リアリズムとしての原発ゼロ>
そして今は、再生可能エネルギーの拡大など、あるいは節電なども定着して、電力は余っているんです。余っているのに、なんで再稼働しなきゃいけないんですか。これだけの被害を実際に与えて、今も苦労をされている方がこんなにたくさんいるのに、電力が余っているのに、なんで再稼働しなきゃいけないのか。きちっと、この状況で再稼働をするべきではないという、このことを明確に掲げる、そういう政治勢力が必要だ。
そしてそれは、あの時私は官房長官として、実は立憲民主党の福山哲郎参議院議員は、当時の官房副長官として、実は実際に避難をされた地域の首長さんたちとの間の様々なやり取りなどを、現場の最前線に出向いてやってきた。そうした当事者として、この流れは許すわけにはいかないと思っています。
そして、福島の皆さんが多大なご苦労をされた。そうしたことの触発で、今や原発ゼロは、リアリズム、現実の世界になっています。主義主張とかイデオロギーではありません。やろうと思えばできる、現実のものになっていると私たちは思っています。あとはどういう段取りでどう進めていけば、影響を最小化する中で止めることができるのかという、その工程表、プロセスと、その意思だけが問われていると、私は思っています。
実は山﨑さんは、どうやったら現実に原発ゼロを早く実現できるか。そうしたことをしっかりと検討する。そしてそれを組み立てる。それをこの間議員でなかった、落選をされた後も、一緒にやってきた、そういう仲間であるから、だから福島の、そして東北の比例代表の名簿に加わってもらいました。簡単なことだとは思っていません。様々な政治的な影響、力関係があります。でも明確に、ゼロに向かって最短距離をどう進んでいくのか、そのことをしっかりと掲げて、立憲民主党は前に進んでいきたいというふうに思っています。
<ふるさとを守るのが保守>
それは、イデオロギーとか主義主張ではありません。立憲民主党はリベラルな勢力とかと新聞で書かれたりしていますが、私は、自分は保守だと思っています。日本の歴史と伝統と、ふるさとを大事にする。守らなければならない。そういう立場の政治家だと思っています。
この日本の、狭い日本列島の国土の中に、ふるさとに、長期にわたって住むことができない場所を作ってしまった。それをまた作るかもしれない。こんなものを加速をさせる保守がどこにあるんですか皆さん。ふるさとを守るのが保守じゃないですか。本当の保守なら、どうしたら一日も早く原発をやめられるか。そのために最善を尽くすのが、私は本当の保守だと思っています。
そんな方向に向けて、最大限の努力をしていく、そのことを福島の皆さんにお約束をさせていただきます。
<一緒に戦いましょう>
それぞれが苦渋の選択の中で道を選びました。勝手に応援していいのかどうか、後で怒られたら困るんですが、この福島1区は、無所属という選択をして、金子恵美さんが頑張っています。震災からの復興、そして原発事故からの復興、そしてこれからのエネルギー、ふるさとを守っていくんだ。そうした思い、金子さんは、私と一緒だというふうに、私は確信を致しております。無所属の今回は立候補ですから、小選挙区で勝たないと、比例で救われる可能性がありません。必ず小選挙区で皆さん勝たせていただいて、国会で金子さんと一緒に仕事をさせてください。
立憲民主党、立ち上がったばかりの政党です。本当に10月2日に記者会見をやったときには、自分も含めて、党は立ち上げたけれど、一人も当選できないかもしれないなあ。そんな覚悟で立ち上がりました。でもお陰さまで、この間大きなご支援、ご期待をいただく中で選挙戦を戦わせていただいています。やはり多くの皆さんが、今の上からの政治おかしいんじゃないかと、思っていただいている。そこに新しい流れを作ることを期待をしていただいているんじゃないかというふうに思います。その責任を、立憲民主党、しっかりと果たしてまいりたい。その掲げた旗を、高く掲げて進めていきたいと思っています。
でもそれを進めるのは私枝野幸男ではありません。私もこの選挙、無所属で戦おうかなあ。金もないですしね。全国の仲間に責任を一人で背負うのもしんどいなあと思いましたしね。無所属なら今頃自分の選挙区、大宮で自分の選挙だけやっていればよかったんですよ。正直迷いました。迷いましたが、私が決断をしたのは、多くの、「このままの政治では困る。受け皿がない。自分たちの声を受け止める、そんな政治を誰か作らないと困る。」背中を押していただいたあなたが立憲民主党を作ったんです。私の背中を押して、立憲民主党をあなたが作ったんです。
私たちは、これまでの政治のこうしたやり方とは違う、まさに皆さんと一緒に進む政党でありたい。皆さんと一緒に寄り添う政党でありたいと決意をしています。だから、選挙のときは、皆さんにお願いをするのが筋かもしれません。でも私は、皆さんにあえて呼び掛けたいと思います。
私たちと一緒に戦いませんか。私たちと一緒に新しい政治の流れを作りませんか。私たちと一緒に安倍政権の暴走を止めませんか。一緒に戦いませんか。そのことを皆さんに呼び掛けさせていただきます。日本の新しい政治の流れを作り、お互い様に支え合う、困ったときに寄り添える、暮らしの足下に光の当たる政治を作るために、私にはあなたの力が必要です。一緒に戦ってくれませんか。一緒に戦いましょう。一緒に頑張りましょう。ありがとうございました。
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