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2011年7月 1日 (金)

将来像を描くべき日本

 

 

加藤徹という方が「貝と羊の中国人」という著書のなかで、王朝の推移というものを述べていた。全ての物には栄枯盛衰がある。王朝を国ととらえると、現在、日本が歩む過程は、どこにあたるのだろう。少し長いが本から下記に引用してみよう。

 

 

 

<建国期>

 

ある王朝が建国すると、「小さな政府」のもと、民を休ませる政策をとる。平和が続き、人口増加率はプラスに転じる。経済政策では農業が重視され、商工業の過熱は抑制される。文化では、質実剛健の気風がたっとばれる。

 

<最盛期>

 

人口が増え、税収も増える。政府は官僚や軍隊の数を増やし、「大きな政府」になる。之内の開墾も進められるが、人口の増加には追いつかない。経済は商業が発達する。文化は、雄大なものがたっとばれる。

 

<中期>

 

人口が増えすぎ、農民は困窮する。先覚者は破局の到来を警告し、政府もあれこれ改革案を打ち出すが、どれも成功しない。経済は停滞する。商人は寡占化をもくろみ、官僚は腐敗する。文化では、社会不安を直視する作品が増える。

 

<晩期>

 

破局の予感のもと、あやしげな宗教や迷信がはびこり、農民反乱が頻発する。農業も行き詰まり、文化は頽廃と爛熟の美を追求するようになる。文明の衰退に乗じて周辺民族も侵攻を開始する。王朝は滅亡する。

 

<調整期>

 

群雄割拠の戦乱のなか、飢饉や疫病のせいで乳幼児死亡率が高まり、平均寿命も低下し、人口が激減する。最後に勝ち残った英雄が、天下を再統一し、新王朝を建てる。こうしてサイクルの最初にもどる。

 

 

 

この中で、日本という国は、建国期や最盛期はすでに過ぎ去っている。とすると、中期、晩期、調整期のいずれかということになるだろうか。それとも、国として考えるより、一つの時代と考えるべきだろうか、それとも、戦後の政党政治ととらえ、政治の推移と置き変えていくべきだろうか。判断は、読者におまかせしよう。ただ、国として日本がどの位置にあり、今後将来にわたり具体策を講じていかなければ、国としての晩期も危うい。

 

 

 

戦後の中国は、上記の過程では、建国期か最盛期にあたる。ほぼ最盛期と言ってよいだろう。反面、ひたすら経済が停滞する中期に向かっているような気がする。現代を中国人自身もバブルととらえているようだ。バブルは、いつかは破局を迎える。

 

 

 

過去の中国社会では、官僚というと士大夫のことだった。現在の政治家と行政を行う官僚との関係と同じように、ありとあらゆる行政を天子のもと士大夫が行った。それは、辛亥革命や、共産党政府ができるまで、存続した。戦後の日本は官僚の社会、官僚が行政を行い、政治家が変わっても官僚主導型が続いた。田中角栄の時代に日本列島改造論がブームとなり、行政をより効率的に動かすため、財団法人などの行政法人を多く作り、官僚には天下りというポストを増やして、トップダウンの風潮を作り上げ政治家、官僚にとってもウィンウィンの環境をつくりあげたと言ったのは立花隆氏だったと思う。それゆえ、官僚は政治家の思惑に応え、政治家は見返りとして官僚の天下りを支えるといった悪弊がはびこってしまったのだろう。

 

 

 

農耕型社会というのは、官僚機構の下、集団でシステムを作り上げるのには適しているようだ。一つのシステムを立ち上げると、そこに既得権益集団が働き、システムを効果的に運用する。そのシステムが花形なら良いのだが、時代遅れになっても、システムと権益は機能しつづける頑迷さが欠点としてある。これを考えると、農耕型社会の官僚システムは、臨機応変という急激な変化に対応することには、適していないようだ。ひとつには官僚自身が一つのポストを2~3年で変わっていくという問題があるだろう。少ない任期で、あたりさわりのない仕事をしようとすると、どうしても前任者がたどった道を歩いている限り、踏み外すことはない安心感がある。民間企業に行くと「改善」の言葉が飛びかい、実行され工場システムや現場の改善に役立っているようだが、こと官僚機構の中では、聞いたことがない。むしろ、官僚機構の中で改善を訴える人間のほうが異端児に思える。

 

 

 

そういった意味では、確かに「事業仕分け」は、そういった既存権益だけにしがみつく危険性に警告を与えてくれた。しかし、官僚システムはいまだ変わっていないように思う。どうも、「こうしたほうが良いのではないか」「こう改善したほうが、効率的だ」というような意見が正当に評価され、思い切った政策提案ができ、実行される社会をつくりあげなければ、この官僚社会は変わらないだろう。さもなければ、20年前に提案されたプロジェクトが再評価されることなしに、予算があまったので施工するという奇妙な結果になりかねない。

 

 

 

田中角栄が残した列島改造論も、日本中を道路網でむすんで産業の振興をはかろうとしたのはよかったが、基幹道路整備が終わっても、たいして交通量がすくない地方都市まで整備計画は延々き、現代まで続いている。港の開発も、主要港がすべてコンテナ港になると、地方の港もコンテナ化の波に乗り遅れまいと、小さな港にコンテナ用の大型岸壁を建造してみたものの、施設のわりにはコンテナの稼働率が低いまま、過剰投資に終わっているケースが見受けられる。まるで、田中角栄の死後も列島改造論が亡霊のようにさまよっているようだ。

 

 

 

現民主党政権は官僚否定から政治が始まったように思う。事業仕分けや天下りの廃止など、それは今まで誰もやらなかったようなパフォーマンスだった。政治を官僚ではなく政治家のもとに戻せというようなキャッチフレーズのもと、今までの政治を根本から見直しているようにも思え、拍手喝さいを送った人も多いだろう。確かに官僚主導と言われても仕方のない部分はあったし、悪弊があったことは確かだが、政治家には、それよりもっと重要な仕事があったのではないか。政治家の仕事でもっとも重要な部分である100年の大計を建てる仕事が、いまや疎かになりつつあるように思える。大臣が官僚をコントロールし、リードしなければならない対処療法のみの政治では、長期視点にたった政治が行えず、閉塞感が増すばかりだ。100年と言わなくても、20年先の行政を変えていくのが、政治家としてあるべき姿ではないだろうか。

 

 

 

どうも日本がここまで経済成長が落ち込み、活気がないのは、進むべき道を失っていることと、日本の進むべき道はこうだと指し示し、強いリーダーシップをもって改革しようという政治家や政党がいないためのようだ。それと、時代の変化のスピードが速すぎて、国も私たちも変化についていっていないことも確かだろう。しかし、変化を享受しなければ技術はあっても資源のない日本が世界から取り残されていくのは、間違いないだろう。

 

 

 

そのためには、国が進むべき方向を指し示すことと、同時に財政改革をすすめていかなければならない。日本の国の借金は900兆円だという。一人700万円の借金がある勘定だ。こういった財政危機は過去の歴史でもなんどかあった。田沼意次による産業振興策による幕府の行政改革があった。これに関しては以前、とりあげたので、今回は長州藩の改革を例にあげてみよう。

 

 

 

童門冬二氏の著書「吉田松陰」の中で、長州藩の財政についての記述がある。名君と言われた毛利吉元の藩政大改革である。萩城に入った吉元は、藩の借金が一万二千貫に達していた。そこで家老の二人に財政再建計画を立てさせ、給与の50%減を命ずる。三年後には藩の借金は約四倍に増えていた。借金の増額は二人の家老が何もせず酒食にふけったためとわかり、家老二人に隠居を命じ、新しい重役のもと財政再建をめざすと、藩の赤字は十八年後に一万五千貫に減っていた。「政治や行政は、すべてこれを行う人物の人格によるものだ」と吉元に言わせしめている。そして中興の祖である七代目の重就の改革へつながっていくのである。

 

 

 

こう考えると、童門冬二氏の言う通り、「政治や行政は、すべてこれを行う人物の人格によるものだ」という言葉を借りるなら、政治を行う政治家の人格こそが大事だとも言える。人から恨まれよう、憎まれようとも俺がやるといった強いリーダーシップがなければ、とても財政改革などできはしないだろう。

 

 

 

では、どういった政治的指導者が理想像なのだろうか?最後に老子の求める最上の指導者(リーダー)をとりあげて、この章の結論としたい。

 

 

 

大上、下知有之。其次親之誉之。其次畏之。其次侮之。信不足焉。悠兮其貴言也。成功遂事、而百姓皆謂我自然。

 

 

 

<政治にはいろんな形があるが、最も良い政治は民衆が統治されていることに気がつかないこと、次に良いのは民衆が政治に関心を持ち、親近感をもつこと。あとは、民衆が政治を恐れるたり、民衆が政治家を侮ることもある。下の者を信じなくなると、言葉や規則で縛ろうとする。治めることに成功したら、悠々として言葉を大事にし、民衆が「俺たちは自然に暮らしている」と誇れるような社会をつくることなのだ。>

 

 

 

これだけ、貿易に依存し、自給率も下がっている現代においては、一国だけで自然な暮らしは無理かもしれない。しかし、自然エネルギーや環境に配慮したエネルギーの発展を考え、果てしない人間の欲望がある程度抑制できれば、国家に管理されることなく、国の中で民衆が悠々と暮らしていける社会も、可能なのではないだろうか。

 

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