太平洋戦争終盤において、日本では航空機による組織的な体当たり作戦、いわゆる特攻が行われました。
もし当時の日本軍に特攻作戦を封じた場合、代わりにどのような戦術が取りうるでしょうか?
・昭和19年中盤以降(マリアナ海戦以降)の状況から考えてみてください。戦局を覆すのは無理でも、死を約束された攻撃以外に取れる手段があるでしょうか?
・陸軍海軍の区別は特にありませんが、航空攻撃を主として考えてください。
・当時の状況下で可能そうな機材の改造・転用はOKですが、技術的に実現不可能な方法(「富嶽」やジェット/ロケットエンジン機を運用する、みたいな)は避けてください。
・降伏、同盟などの政治的手段のみ書いた回答は不可です。
※ここでは、特攻についての是非はあえて問いません。あくまでも歴史のIFとして考えてもらうための質問です。
どうも、おくれましてのsdkfzです。
さて、特攻のアンチテーゼと言えば芙蓉部隊
隠匿された基地から夜陰に乗じて組みやすそうな敵ばかりをねちねちと攻撃し続ける……一言で言ってしまえば奇襲ですな。
そこそこ戦果を上げた手段ですので全軍挙げて実施したいところですが、そういう訳にも行きません。
奇襲が常態化すればそれは奇襲ではありません。敵に対応策を取られ終わりです。
奇手が奇手であり続けるには正手を、どんなに犠牲が出ようと正面切った攻撃を行い続け敵主戦力を誘引し続ける必要があります。
ただ史実よりも、もうちょっと夜襲部隊の層を厚めにしてみたらもうちょっとだけ戦果が増えるんではないかと。
あと主戦力に対して攻撃するにしても空母や戦艦は狙わないようにしましょう。
どうせ死ぬならと大物狙いに走りがちなのも特攻の欠点。
守りの堅い高価値目標などは狙わず手薄な輪形陣外縁の小艦艇を狙い少しでも損害を少なくしたいものです。
これらを生き残るための戦法と言ってしまえば聞こえはいいのですが、まぁ勝ための戦法じゃありません。
逆に言うと特攻とは勝ための戦法です。
大量生産に適した簡易かつ高性能な専用機≠桜花の一挙大量投入により戦局を打開する。
決戦に勝ために生み出された戦法、それが特攻です。
ですが実際は敷島隊の場当たり的な実施に始まり以後も余り深く考えられることも無く拡大されていった訳ですが……
まぁその辺は置いといて、勝ための戦法を捨て負けない戦法を取りつづけるのが許されるのは決戦のため戦力を温存しなければいけない時期だけです。
という訳で、今回のお題に合うように『特攻作戦は本土決戦のため温存されたまま終戦になった世界』を作ってみたいと思います。
で、マリアナ以降の決戦といえば比島と沖縄。
目指すべき世界のためには両方ともパスと言いたい所ですがそうも行きません。
比島は日本の生命線である南シナ海を守る最後の砦、ここを無抵抗で明け渡すというのはさすがに無理があります。
幸い特攻に関しては敷島隊のアレが上層部にとっても不本意な形で発生したイレギュラーな出来事であり、言いだしっぺさえ早期退場していれば発生しなかった可能性は十分高いと思いますので、まぁ海軍戊とか己とか事件が起きて無かったことにします。
比島決戦の陸戦に関しては時間稼ぎのために史実通り粘ってもらいますが、航空決戦に関しては趨勢が決まった11月初旬で打ち切ります。
そもそも11月以降もだらだらと続けてしまったのは栗田艦隊が空母多数撃沈なんて大ボラ吹きやがったのが原因で、この誤認がなく敵戦力を正しく見積もることが出来れば無駄な損失を抑えることが出来ます。
でもって沖縄航空決戦は完璧にスルー
陸さんは史実通りがんばって貰いますが、航空戦は昼夜ともに嫌がらせ攻撃以上のことはしません。
天皇陛下がなんと言おうと大和も出しません。乗員の皆様には犬死してる暇があるんだったらモッコでも担いで四国あたりに隠匿飛行場でも作ってもらいます。そうそう使わない高角砲も近畿の都市部あたりに再配置しちゃいましょう。
さて、勘のいい人ならもうお気づきですね。
そう疾風を高稼働率で保った飛行第47戦隊も近衛飛行隊の異名を誇る飛行第244戦隊も海軍最凶の迎撃機雷電を擁する第302航空隊も沖縄で消耗することなく皆関東で健在です。
飛行第56戦隊も特攻に戦力を引き抜かれることなく関西を守護しています。源田の剣こと第343航空隊も奄美に出張ることも無く松島で軍都広島の守についています。
さぁ今こそ溜め込んだ戦力を解き放つとき本土防空決戦の幕開けだぁ!
……と意気込んでみたものの戦力差は絶望的、戦局の行方を左右するよな戦果は得られないでしょう。
それでもほんの僅かでも救える命があるのなら、特攻よりも意味のある戦いになるんじゃないかなと思うしだいであります。
……と、ここで終わって味気がないので少しばかりファンタジー
goldwellさんは義号作戦ってご存知ですか?
占領下の飛行場に強行着陸して空挺部隊で殴り込みをかけ攻撃するって作戦です。
まぁ普通は特攻作戦扱いだし実際一人除いて玉砕しちゃってますんでお題には反しちゃってるんですけど、陸戦なら降伏も可能だよねってことで強引に話し進めちゃいます。
で、この作戦、一応成功したってことで味惜しめた軍は大戦末期に規模を拡大した剣号作戦を立案します。
空襲により機材を喪失したため中止された剣号作戦ですが、ほんの少しだけ防空体制の整った異世界の日本では数日遅れで実施されていたかもしれません。
頃は7月の立待月が昇る晩、テニアン島の沖合いに突如として浮かび上がる巨鯨伊400から夜陰に乗じて勝手知ったる何とやらと上陸する海軍陸戦隊。
時を同じ高度方位暦により導かれ遠路ウェーキからの欺瞞航路より奇襲突入した梓隊の地上掃射型銀河70機が20mmの雨を降らせる。
戦いが途絶え早数ヶ月過ぎ気の緩んでいたテニアン島守備隊の対応は後手に回った。
「偶然」居合わせた重巡インディアナポリスが対空射撃を始めるが時すでに遅しテニアン北飛行場に強行着陸した一式陸攻や飛龍からは完全武装の陸海軍連合空挺隊、剣部隊が展開を始めていた。
紅蓮の炎に包まれる掩体壕、日本の都市を焼き尽くした巨鳥が成す術も無く燃え尽きてゆく。その中には尾翼に大きくRと記されたものやNと記されたものも含まれていた。
数時間後鎮圧に成功した米軍だったが、この戦いの最中に3発の新型爆弾が行方不明になった事は戦後しばらく公表されることは無かった。
この新型爆弾の行方を巡り戦後占領下の日本でいくつかの珍事が引き起こされるがそれはまた別の話しであるとかなんとか。
質問者さんの「航空機中心で」取れる手段と言われても、正直マリアナ海戦の時には陸海空軍全ての航空機を合わせても使用に耐えうる数百機を導入するのがせいぜいといった所で、しかも性能はアメリカのものよりも劣っている訳ですね。
つまり、通常の航空攻撃では太刀打ちどころか、喧嘩にもならない一方的な攻撃でアメリカ1に対して旧日本軍5とか10の犠牲とかそういう戦争をしている訳です。このような有効な手段が無い中で「特攻」という手段以外の方法を質問者さんが聞いているのですよね。しかも、降伏や政治的手段を抜きで。なら技術的な回答が主になるでしょう。
ご存知の通りに、この頃(マリアナ海戦の時期)になってくると、アメリカは既に協力なレーダーを持っていました。更には、対空砲弾が外れても目標物が近くにいれば自動的に砲弾が炸裂するVT信管を導入していて、防空装備は本当に強かった。これがどれくらいの強さがあったのかは、旧日本軍の損害が物語っています。半端なく強すぎて、全く航空機を近づけない状況だったんですよ。正直、近寄れないんだから特攻どころじゃない。
この質問者さまの議論をあえて行うのであれば、アメリカの防空設備 VS 旧日本軍の航空機と位置付けられます。これは、上にも書いてあるようにアメリカ軍の設備が最新で、旧日本軍の設備が古いので、戦いになりませんね。特攻も航空機攻撃の一部と考えれば同様です。
特攻作戦を行わずに航空機を使う作戦は、このような強いアメリカ軍とは絶対に一戦を交えないという作戦です。どうせ勝ち目の無い作戦であれば、やらないという方法が一番です。航空機だけでは作戦の立てようがありません。戦争というのは、物資、補給、物量、作戦、人材、技術など総合的に行うものです。
航空機に頼った戦略というのは、旧日本軍には既に無理だったのです。航空機で全く相手に損害を与えられないのであれば、航空機なんてあってもなくても一緒です。
将棋で、最後に王様と歩が少し残って、さて何か方法が無いでしょうか?と言ったって、そりゃあプロでも勝てませんて。
おそらく前提としての認識は、hiroponta さんも私もたいして変わらないようです。
マリアナ海戦で明らかになったように、昭和19年以降は質量ともに日本軍がかなり劣勢だったのは戦後に生きている我々からすれば明らかですし、当時の軍人・知識人だって(一部を除き)把握していたでしょう。
でも限られているとはいえ戦力を有している軍隊が制空権・制海権を黙って渡せるの?
当時の状況下で知恵を絞って、特攻以外になにかできることないの?
難問なのを承知の上であえて質問してみたわけです。
大和、武蔵、長門等、戦艦群を一時本土に戻し、大砲を下ろして対空砲に艤装し直した上で、
大和を囮にした空母群の引きつけを行うのはどうでしょうか?
また、サイパン、グアム、テニアン攻防戦は、硫黄島、ペリリューの様に水際作戦を放棄して
いれば良かったと思います。
>大和、武蔵、長門等、戦艦群を一時本土に戻し、大砲を下ろして対空砲に艤装し直した上で、
>大和を囮にした空母群の引きつけを行う
確かに戦艦は金剛級を除いて健在なので発想としては面白いですね。
結果として、主砲はほとんど不要だったわけですし。
問題は、未だ残っている大鑑巨砲主義者による抵抗と、対空砲による命中率の低さと少ない重油の備蓄量ですね。
航空機数、燃料、火薬 ともに物量は圧倒的に劣勢。
人員の数も熟練度も低く、航空機の性能も及ばなくなっている。
順当に考えれば、パイロットの訓練をしたいところ。燃料も少なく、それもかなわない。
戦術ではもはやこれまで。
戦略で対応。
一点集中、搦め手から攻め入って、一挙に本丸を落とす。
もう一度、真珠湾奇襲攻撃 を行う
かな。
なかなか、正攻法では、何ともならなくなっていたんでしょうね。
>真珠湾奇襲攻撃
残念ながら、昭和19年頃の真珠湾には大した軍艦は無くてガラガラかもしれんです。
昭和19年後半以降の米軍艦隊の集結地はウルシー環礁になっていて、実際に日本軍は攻撃を仕掛けています。
http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/koujinsha-02.htm
史実と違って生還を期す場合は練り直しが必要ですが、一度きりの奇手としては有効でしょうね。
個人的にはガダルカナル戦で消耗戦をしてしまった時点でもう詰んでいると思っているのですが
勝てないにしろ、負けない戦術、負けるにしても相手に損耗を強いる戦いを主目的とします
ランチェスターの法則より、海戦、特に航空戦では質、量がアメリカ側が勝っているために勝ち目はありません
特に海戦や空戦は堅固な陣地に立て篭もるという戦術が使えない為、モロに物量作戦が効きます
ということで、アメリカ側の目標であるマリアナ諸島への進行を妨害するという戦術になるでしょう
まず、戦力の集中を行うために索敵能力を上げます
具体的には劣っているレーダ技術をアメリカ側と同水準とし、潜水艦も攻撃ではなく、索敵に使います。
出来れば足の長い一式陸攻あたりに航空、海上レーダあたりを搭載し、
現代でいう早期警戒機として運用させます。
また、対空火器、特に大口径の三式弾を戦艦や重巡に配備させます
対空に特化した駆逐艦(秋月型駆逐艦)も配備します
マリアナ諸島のどの基地を攻撃するのかの予測が付いたら
その基地へありったけの戦力を集めます。
# ミッドウェイ海戦でアメリカ側が取った戦術のように基地の航空機も参加させる為
ここで、陸海合わせての日本の航空戦力はアメリカの航空戦力と互角としたいところです
なお、防衛のため優先的に戦闘機(ギリギリで零戦の五二型が間に合うはず)を配備し、
爆撃機、雷撃機は二の次とします
航空隊の錬度はミッドウェイから低下し続けているはずなので錬度も徹底的に上げます
アメリカ側が航空襲撃してきたら先ほどの早期警戒機で戦闘機を誘導し、片っ端から落とします
# 多分、アメリカ側は爆撃機を守りながらの戦闘になる為、
# 日本側は戦闘機のみで編成すれば数さえ同じなら勝てるはず
突破された航空戦力は三式弾、それでも残ったら秋月型駆逐艦で打ち落とします。
焦れて海上決戦となった場合はさらに基地からの砲撃も参加させます
さらに海上戦力、陸海の航空戦力の連携で相手に損耗を強います。
# これも当時日本は陸軍、海軍の仲が悪かったけれども、一致団結してることとします
自分よりも相手の損害が大きく、相手の作戦を妨害できたら勝利といっていいのではないでしょうか?
# ま、結局B-29が開発されて陸上基地が爆撃され、基地支援が期待できない状況で
# 相手に海上決戦を挑まれたら終わりです。
いろいろと考えてくれましたね。
ただ、マリアナ諸島を巡る戦いは19年6月から始まり夏ごろがピークなので、質問の時期的には防衛の機会は過ぎてしまいました。
サイパンから出撃したB29によって本土各地が痛めつけられたのは知られていますが、特に軍需施設が早期に狙われたことを考えると、代わりにあらゆる手段を用いてサイパンの基地化を徹底的に妨害するという方針ならばいいんじゃないかと思うのです。
艦隊決戦にこだわってた海軍も後が無いので、正面からの対決を避けて叩きやすいところを叩くようにすれば敗北を遅らせることくらいはできるかもしれません。
突撃前に脱出する装置を付けて飛行機の機体のみを突撃させる。
何とか、その程度の装置なら作れそうです。
そして、「捕虜になって来い」という指示もしておく。
降参した兵士を殺すことはできないので米軍も対応に困る。
今と違って当時の航空機による艦船攻撃は、最低でも1000m以内に近づかないと爆弾や魚雷を落とせないらしいです(命中率の悪い水平爆撃を除く)。戦争後半になると、そこに辿りつくまでが難しくなっていたわけで。
ちなみに「戦陣訓」および戦前からはびこってた降伏・投降の否定の思想をご存知ですか?
当時の戦闘機乗りは、重くなって邪魔だからとパラシュートを降ろしていたという逸話があるそうです。
太平洋戦争末期に見られる神風特攻隊への評価ですが、私はマイナス面の方が大きかったと判断
しています。
特攻の真の目的は軍幹部が現代でいうところの戦争責任を果たすというか部下にとらせたといった
見方が一番妥当だと考えています。象徴的な事例が大和特攻であり、指揮官なら富永恭次や牟田口
廉也だと考えます。
さて、質問への回答ですが私は特攻以上に有効な航空機利用はあったと考えています。
まず、機体についてですがエンジンの開発と機体の開発がリンクしていなかったことが新機種配備の遅れに直結し、航空戦での苦戦につながったと考えます。これは一例ですが液冷式の飛燕で使用
されたハ40/140を空冷式のハ112に換装した機体が五式戦闘機として活躍したことからも
明らかでしょう。因みにハ112は昭和16年に試作されています。つまり、飛燕が正式採用される
2年前の話しです。
この事実から考えて、軍に航空機のスペシャリストがいれば早い段階でより性能が良く、用兵の
しやすい機体が開発できたと考えます。
次に用兵と戦略ですが、航空機は太平洋上では艦隊と基地上空の防衛に戦力を集中し、攻撃(爆撃)
は大陸(中国本土)に限定し、さらに南方からの物資輸送の護衛に残存の航空母艦を中心とした戦力を
あてる。
要は国内での生産能力を維持しつつ敵には日本に近づくことへの恐怖を味あわせることです。
攻撃的防御。敵に仕掛けてレーダーに管制されたVT信管付の対空砲火で撃墜されるのではなく、
艦隊で反撃し、敵の航空機による艦隊の攻撃にはなんとか優位を保っている戦闘機で護衛し、接近を
試みる敵の雷撃機・爆撃機を叩きのめす。
占領された拠点には奪還ではなく、占領したことを後悔させるだけでいい。ベトナム戦争ではあり
ませんが、被害が大きくなれば厭戦気分が高まります。戦艦による集中砲撃、潜水艦により輸送船団
に壊滅的な被害を与えてやれば資材不足から戦意はさらに低下するでしょう。
国内に十分な燃料と弾薬が残っているようであれば、原爆投下も含め本土への攻撃も遅れたものと
考えられます。
やっぱり考慮する範囲としてこれくらい仕組まないとやりようがないでしょうかね。
ともかく、今のところ一番手堅くまとまっていて納得のいく回答です。
日本の航空機開発の泣き所はエンジンだったと記憶しています。少なくとも本土まで蹂躙された史実の状況を避けるには、エンジンを含めた航空機開発の効率化は至上命題ですね。
それには4番目の回答への返信でも書いたように、B29による爆撃をとことん遅らせる方策も必要かと。その間、誉(ハ45)の配備が順調にいけば・・・。
>占領された拠点には奪還ではなく、占領したことを後悔させるだけでいい。ベトナム戦争ではあり
>ませんが、被害が大きくなれば厭戦気分が高まります。
後知恵ではありますが、ベトナム戦争の例を見ても、日本軍があれほど正攻法というか戦前からの決戦思想にこだわらなかったらもう少しマシな戦いができたかもしれませんねぇ
漫画のストーリーの研究ですか?
大戦末期には日本軍は空母の大半を失い、制海権、制空権も失って、もはや進出しての大規模な攻撃が行えなかったのです。艦隊も組めないので、最後まで抵抗していたのは潜水艦です。
ひとつの可能性として、当時の秘密兵器として、潜水艦に何機もの飛行機を搭載可能にした潜水空母というものがあったので、これを用いてアメリカ本土、ホワイトハウス攻撃なんてマンガチックでよくありませんか?もともとパナマ運河攻撃のために開発された兵器です。
http://nagasaki.peugeot-dealer.jp/cgi-bin/WebObjects/111c62c5682...
>漫画のストーリーの研究ですか?
え?いや以前から特攻について書かれた本を読んでいて感じた疑問であって、別に漫画や架空戦記のネタ探しじゃありませんよ。
潜水艦の活用ですか。確かに統計で見ると、他の駆逐艦などに比べれば潜水艦の損耗は低くて数は残っていましたね。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/gf-sakusen/shinjitsu-yam...
ただ、大戦中ナチスドイツのUボートとの戦いで対潜能力が飛躍的に伸びた連合軍に対して枢軸側の潜水艦の損失が増えていったのも事実ですよね。
>伊四〇〇型潜水艦
『紺碧の艦隊』などの架空戦記を思い出すなぁw
それ以前にも航空機を搭載可能な潜水艦を建造していてアメリカ本土西岸への偵察や通商破壊、それに伊号第二五搭載の零式小型水偵による本土爆撃もやっています。
物理的には期待できませんが、心理的な効果を狙うならば有りでしょう。ただ時期的に遅すぎますけど。
勝つ可能性だけを議論します。もっとも悲愴で悲惨な戦い方でしょうけれど、国民の苦難を屁と思わない戦法として「中曽根流不沈空母作戦」があります。
本土最終決戦の特攻抜きの自己流アレンジ版です。
以下、大本営が考えていた戦略とはそれほど大きな差はないでしょう。
第一に、全島を硫黄島のように地下要塞化します。しかも、水際撃退は避ける。
内陸まで海兵隊を上陸させてから、敵中に忍び込んで夜襲・奇襲を繰り返し、敵の消耗を促すことです。栗林精神ここにあり、です。
ともかく、白兵戦&肉弾戦でもって、一人十刹&粉骨砕身の勝利を期す以外はないでしょう。死中に活を求めるので、これは特攻ではないと理解してます。
第二に、航空戦力は連合国艦隊をできるだけ引き付けておいて、近海で強襲する。飛行場ではなく地下基地(神奈川県の野島に大型遺構があります)や掩体壕にある攻撃機で夜間攻撃を行うわけです。
(どうやって索敵するかですか? 答え:震洋・回天を夜間偵察用に改修転用するのです)
第三に、全然活躍しなかった帝国潜水艦はこれを敵補給艦に絞って、敵ロジステックの寸断に専念せしむ。
要は、ゲリラ的に戦う。ベトナム人民はこれで勝ちました。皇国の忠良なる臣民もやれば出来たでしょうが、全土阿鼻叫喚だったでしょうし、原爆を大量に落とされたかもしれないです。また、最終的にソ連とアメリカに国土分断されてたかもしれないですね。
いやぁ、すさまじいの一言です。というか想定外の回答でした。
しかし硫黄島というちっぽけな島嶼で一ヶ月以上出血を強いたことを考えれば、本土においても徹底してやれば連合軍が根をあげることは予想できそう(しかも史実よりも1年切り上げて準備が可能)。列島が破壊尽くされる中、史上最大の我慢比べになるやもしれません。
>原爆を大量に落とされたかもしれないです。また、最終的にソ連とアメリカに国土分断されてたかもしれないですね。
問題はそれですね。原爆によってアメリカの兵士の命が救われたと考えているアメリカ人は多く存在するわけで、原爆使用の可能性は高し。うまく講和に至るにしてもそのタイミングはソ連の侵攻にもよると思うので、どういう決着になるか幾通りも考えられそうです。
いずれにしても、半島での戦争の前倒しになった可能性は大きいですね。
古い架空戦記ですが、檜山義昭『日本本土決戦』(こちらは原爆開発が失敗した世界)を昔読んで、つくづく本土決戦が無くて良かったと思いましたよ。
どうも、おくれましてのsdkfzです。
さて、特攻のアンチテーゼと言えば芙蓉部隊
隠匿された基地から夜陰に乗じて組みやすそうな敵ばかりをねちねちと攻撃し続ける……一言で言ってしまえば奇襲ですな。
そこそこ戦果を上げた手段ですので全軍挙げて実施したいところですが、そういう訳にも行きません。
奇襲が常態化すればそれは奇襲ではありません。敵に対応策を取られ終わりです。
奇手が奇手であり続けるには正手を、どんなに犠牲が出ようと正面切った攻撃を行い続け敵主戦力を誘引し続ける必要があります。
ただ史実よりも、もうちょっと夜襲部隊の層を厚めにしてみたらもうちょっとだけ戦果が増えるんではないかと。
あと主戦力に対して攻撃するにしても空母や戦艦は狙わないようにしましょう。
どうせ死ぬならと大物狙いに走りがちなのも特攻の欠点。
守りの堅い高価値目標などは狙わず手薄な輪形陣外縁の小艦艇を狙い少しでも損害を少なくしたいものです。
これらを生き残るための戦法と言ってしまえば聞こえはいいのですが、まぁ勝ための戦法じゃありません。
逆に言うと特攻とは勝ための戦法です。
大量生産に適した簡易かつ高性能な専用機≠桜花の一挙大量投入により戦局を打開する。
決戦に勝ために生み出された戦法、それが特攻です。
ですが実際は敷島隊の場当たり的な実施に始まり以後も余り深く考えられることも無く拡大されていった訳ですが……
まぁその辺は置いといて、勝ための戦法を捨て負けない戦法を取りつづけるのが許されるのは決戦のため戦力を温存しなければいけない時期だけです。
という訳で、今回のお題に合うように『特攻作戦は本土決戦のため温存されたまま終戦になった世界』を作ってみたいと思います。
で、マリアナ以降の決戦といえば比島と沖縄。
目指すべき世界のためには両方ともパスと言いたい所ですがそうも行きません。
比島は日本の生命線である南シナ海を守る最後の砦、ここを無抵抗で明け渡すというのはさすがに無理があります。
幸い特攻に関しては敷島隊のアレが上層部にとっても不本意な形で発生したイレギュラーな出来事であり、言いだしっぺさえ早期退場していれば発生しなかった可能性は十分高いと思いますので、まぁ海軍戊とか己とか事件が起きて無かったことにします。
比島決戦の陸戦に関しては時間稼ぎのために史実通り粘ってもらいますが、航空決戦に関しては趨勢が決まった11月初旬で打ち切ります。
そもそも11月以降もだらだらと続けてしまったのは栗田艦隊が空母多数撃沈なんて大ボラ吹きやがったのが原因で、この誤認がなく敵戦力を正しく見積もることが出来れば無駄な損失を抑えることが出来ます。
でもって沖縄航空決戦は完璧にスルー
陸さんは史実通りがんばって貰いますが、航空戦は昼夜ともに嫌がらせ攻撃以上のことはしません。
天皇陛下がなんと言おうと大和も出しません。乗員の皆様には犬死してる暇があるんだったらモッコでも担いで四国あたりに隠匿飛行場でも作ってもらいます。そうそう使わない高角砲も近畿の都市部あたりに再配置しちゃいましょう。
さて、勘のいい人ならもうお気づきですね。
そう疾風を高稼働率で保った飛行第47戦隊も近衛飛行隊の異名を誇る飛行第244戦隊も海軍最凶の迎撃機雷電を擁する第302航空隊も沖縄で消耗することなく皆関東で健在です。
飛行第56戦隊も特攻に戦力を引き抜かれることなく関西を守護しています。源田の剣こと第343航空隊も奄美に出張ることも無く松島で軍都広島の守についています。
さぁ今こそ溜め込んだ戦力を解き放つとき本土防空決戦の幕開けだぁ!
……と意気込んでみたものの戦力差は絶望的、戦局の行方を左右するよな戦果は得られないでしょう。
それでもほんの僅かでも救える命があるのなら、特攻よりも意味のある戦いになるんじゃないかなと思うしだいであります。
……と、ここで終わって味気がないので少しばかりファンタジー
goldwellさんは義号作戦ってご存知ですか?
占領下の飛行場に強行着陸して空挺部隊で殴り込みをかけ攻撃するって作戦です。
まぁ普通は特攻作戦扱いだし実際一人除いて玉砕しちゃってますんでお題には反しちゃってるんですけど、陸戦なら降伏も可能だよねってことで強引に話し進めちゃいます。
で、この作戦、一応成功したってことで味惜しめた軍は大戦末期に規模を拡大した剣号作戦を立案します。
空襲により機材を喪失したため中止された剣号作戦ですが、ほんの少しだけ防空体制の整った異世界の日本では数日遅れで実施されていたかもしれません。
頃は7月の立待月が昇る晩、テニアン島の沖合いに突如として浮かび上がる巨鯨伊400から夜陰に乗じて勝手知ったる何とやらと上陸する海軍陸戦隊。
時を同じ高度方位暦により導かれ遠路ウェーキからの欺瞞航路より奇襲突入した梓隊の地上掃射型銀河70機が20mmの雨を降らせる。
戦いが途絶え早数ヶ月過ぎ気の緩んでいたテニアン島守備隊の対応は後手に回った。
「偶然」居合わせた重巡インディアナポリスが対空射撃を始めるが時すでに遅しテニアン北飛行場に強行着陸した一式陸攻や飛龍からは完全武装の陸海軍連合空挺隊、剣部隊が展開を始めていた。
紅蓮の炎に包まれる掩体壕、日本の都市を焼き尽くした巨鳥が成す術も無く燃え尽きてゆく。その中には尾翼に大きくRと記されたものやNと記されたものも含まれていた。
数時間後鎮圧に成功した米軍だったが、この戦いの最中に3発の新型爆弾が行方不明になった事は戦後しばらく公表されることは無かった。
この新型爆弾の行方を巡り戦後占領下の日本でいくつかの珍事が引き起こされるがそれはまた別の話しであるとかなんとか。
お待ちしておりました。やはりこの手の質問にsdkfzさんのidが無くていいだろうか、いやいくまい、と勝手に思っていたりして。
予想以上の力作です。
と書いておきながらなんですが、じっくり読ませていただいて明日返信します。
読みました。
奇襲というのは相手の意表をついて一度きりで行うから効果あるものであって、そういう意味では真珠湾攻撃は確かに奇襲でありましたが、結局日本軍は奇襲の果実を忘れられないで引きずっていたような気がします。
その割には、輸送部隊狙いのような、相手の嫌がるようなねちねちしたような戦法はやりたがりませんでした。
芙蓉部隊の活躍はまさにすごいの一言ですが、それが筋を通し続けた美濃部正少佐の努力と初期にあげた実績によるもので、主流となりえなかったのは象徴的です。
>決戦に勝ために生み出された戦法、それが特攻です。
つまり、特攻は本土決戦のための最終手段(実際、伏龍のように史実以上のバリエーションの特攻兵器が考えられてましたねぇ)ということで温存、嫌がらせに励む、というわけですか。
ちなみに戦艦大和に関しても、軍令部総長が余計な一言を言わなきゃ「揚陸可能の兵器、弾薬、人員を揚陸して陸上防衛兵力とし、残りを浮き砲台とする。」案にまとまりかけていたわけで、宇宙戦艦ヤマトが作られない世界になりそうですね。
本土決戦になり、航空兵力に関しては、兵力を溜め込んだことで初期は派手で激しい戦いが繰り広げられそう。
結果は変わらないとしても、特攻やら誤認戦果による作戦ミスで人材機材を消費するよりはよっぽど現場の将兵たちも戦い甲斐はあったと思います。
>義号作戦
はい、知っています。
つい最近、特攻関係のページをいろいろ見ていて、ちょうどウィキペディアの該当ページも読みました。いかにも日本陸軍らしい作戦だなぁと。(ドイツの降下猟兵も飛行場奪取を多く行ったらしいですが、あそこまで厳しい作戦はあったでしょうか?)
>剣号作戦
機材さえ失わなければ、実施されていた可能性高いですね。
インディアナポリスは7月26~27日はテニアンに在泊。剣号作戦の決行予定は1945年7月24日だけど、機動部隊の空襲迎撃による退避で2日ほどずれたり。
それくらいのタイミングを狙ってもバチは当たらんでしょう(笑)
梓隊や伊400を組み合わせるあたりがニクい演出。横山さんあたりが好みそうな題材です(もちろん私も)。
まず、その質問に対してですけど、日本は必ずしも特攻への道を進んでいました。
特攻ではない、戦術でも
死を覚悟するのは、確実です。
たとえば、人間魚雷が主流に
なってたでしょう。
その時代の人たちは、
[お国のためなら、死ねる]
が、当然のようでしたから。
ただ、考えるなら人間魚雷
しかないでしょう。
あのう、すいません。
おっしゃることがよくわかりません。
回天=海の特攻と練習機も含めた旧式機まで飛べるものはあらいざらい出撃させた航空機による特攻では、経緯などの違いはあれどどちらも特攻に違いありませんよね。
>[お国のためなら、死ねる]
>が、当然のようでしたから。
蛇足ながら返しますと、それはあくまでも建前であって、皇国教育を受けた当時の若者といえども「御国の為なら当然のように死」ねたわけじゃありません。
私が知るかぎり、彼らは悩みぬいた上で、「愛する家族や故郷を守るため」と無理にでも自分を納得させたり、最後まで死にたくないと抵抗した人が多かったようですよ。
お待ちしておりました。やはりこの手の質問にsdkfzさんのidが無くていいだろうか、いやいくまい、と勝手に思っていたりして。
予想以上の力作です。
と書いておきながらなんですが、じっくり読ませていただいて明日返信します。
読みました。
奇襲というのは相手の意表をついて一度きりで行うから効果あるものであって、そういう意味では真珠湾攻撃は確かに奇襲でありましたが、結局日本軍は奇襲の果実を忘れられないで引きずっていたような気がします。
その割には、輸送部隊狙いのような、相手の嫌がるようなねちねちしたような戦法はやりたがりませんでした。
芙蓉部隊の活躍はまさにすごいの一言ですが、それが筋を通し続けた美濃部正少佐の努力と初期にあげた実績によるもので、主流となりえなかったのは象徴的です。
>決戦に勝ために生み出された戦法、それが特攻です。
つまり、特攻は本土決戦のための最終手段(実際、伏龍のように史実以上のバリエーションの特攻兵器が考えられてましたねぇ)ということで温存、嫌がらせに励む、というわけですか。
ちなみに戦艦大和に関しても、軍令部総長が余計な一言を言わなきゃ「揚陸可能の兵器、弾薬、人員を揚陸して陸上防衛兵力とし、残りを浮き砲台とする。」案にまとまりかけていたわけで、宇宙戦艦ヤマトが作られない世界になりそうですね。
本土決戦になり、航空兵力に関しては、兵力を溜め込んだことで初期は派手で激しい戦いが繰り広げられそう。
結果は変わらないとしても、特攻やら誤認戦果による作戦ミスで人材機材を消費するよりはよっぽど現場の将兵たちも戦い甲斐はあったと思います。
>義号作戦
はい、知っています。
つい最近、特攻関係のページをいろいろ見ていて、ちょうどウィキペディアの該当ページも読みました。いかにも日本陸軍らしい作戦だなぁと。(ドイツの降下猟兵も飛行場奪取を多く行ったらしいですが、あそこまで厳しい作戦はあったでしょうか?)
>剣号作戦
機材さえ失わなければ、実施されていた可能性高いですね。
インディアナポリスは7月26~27日はテニアンに在泊。剣号作戦の決行予定は1945年7月24日だけど、機動部隊の空襲迎撃による退避で2日ほどずれたり。
それくらいのタイミングを狙ってもバチは当たらんでしょう(笑)
梓隊や伊400を組み合わせるあたりがニクい演出。横山さんあたりが好みそうな題材です(もちろん私も)。