特集 2017年4月7日

産業道路を愛でる

神奈川、岡山、千葉。産業道路・三都物語。いますように! 産業道路好きが。
ぼくが今住んでいる家の近くに「産業道路駅」という駅がある。京急大師線だ。その名の通り、駅をでるとそこには産業道路が走っている。

で、ふと思い出した。実家のそばにも「産業道路」が走っていたな、と。

質実剛健、なんともそそる名前ではないか、産業道路。これはぜひとも愛でてみたい。

今回、神奈川、船橋、そして岡山の3つの産業道路をめぐったのでその様子をご覧頂きたい。どのような「産業っぷり」を見せてくれるのか。

そのうち同好の士を集めて(ぼく以外にもいますように!)「産業道路を愛でる会」を結成したい。
もっぱら工場とか団地とかジャンクションを愛でています。著書に「工場萌え」「団地の見究」「ジャンクション」など。(動画インタビュー

前の記事:開通前の高速道路を歩いたら伯父さん気分になった

> 個人サイト 住宅都市整理公団

出発地点がすでに興味深い

まずは近所の「産業道路駅」へ。
冒頭いきなり地味な絵面だが、まごうことなき「産業感」がただよう。これは現在地下化工事を行っているため。
駅前。この道路が「産業道路」。
交差する道路にある道路標識にも「産業道路」とある。そしてこのダンプカーの群れ。その名に恥じぬ産業っぷりである。
家の近所だが、これまでしみじみと産業道路を味わったことはなかった。なぜそうしなかったのだろう。産業好きなのにぼく。

今回の試み、すごく楽しみで、折しも季節も春めいて、うきうきしちゃった。

ちなみに産業道路駅のそばには大師ジャンクションがある。
かっこいいジャンクションなのだが、なかなか良い鑑賞ポイントがないため、ジャンキー(ジャンクション観賞趣味者のこと)にとっては歯がゆい作品、大師ジャンクション。
特別に換気塔から観賞させてもらったときの写真。さながらとぐろを巻く大蛇といったフォルムに大興奮であった。かっこいい。
あと、川崎大師の自動車交通安全祈祷殿もそばにある。マンションの横にやおらインド風のデザイン。この風景すごく好き。やばい。
その名の通り、交通安全を祈願するところ。こうやって、並んだ車に向かって般若心経が唱えられる。すごい光景。
ジャンクションをバックに、左に僧侶、右に祈祷を受ける方々。ほんとかなりおもしろい光景。
この祈祷殿のとなりにあるOKストアでいつも買い物をしているので、日常的に目にしているのだが、何度見てもすごい光景だな、と思う。

この祈祷殿について詳しく書くとそれだけで4ページぐらいになるので、詳しくは公式HPあるいは「はまれぽ」の記事をご覧ください。いずれにしてもさすが「初詣」の元祖・川崎大師である。時代のニーズを捉えた御利益に一日の長あり、という感じだ。

ここがいい! 産業道路愛でポイント

というか、産業道路スタートもしていないのにすでに脱線だ。話を戻そう。

この産業道路は正式名称「東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線」というもので、下記の線を引いた部分がそれに当たる。
京急の大森町駅付近から生麦駅付近までのおよそ13kmほど。
Wikipediaによれば産業道路とは「工業地域を通る道路や工業団地と埠頭を結ぶ目的を持って作られた道路を指す」とのことだが、上の地図で見るとまさにその通りで、京浜工業地域をなめるように走っている。

今回はその神奈川県側の2/3を行く。多摩川の北、東京都側は比較的「産業感」が乏しいことが分かっていたから(ちなみに以前書いた「ある戦後映像の謎を解く」の終点は東京側の産業道路である)。

省略したもう一つの理由は、家のそばからスムーズに始めたかったから。なんせ、自転車だし。
そうです。自転車です。免許もってないから。
前置きが非常に長くなったが、こうしてうきうき気分でスタートした。
もうね、しょっぱなから「産業感」すごい。
産業感を高めている要素のひとつは、なんといっても頭上の高架だ。
この高架、終点までずっと上をついてくる。
ご覧の通り、首都高横羽線の高架がずっとお供してくれている。

古地図を見たところ、この産業道路は廃線跡であるらしい。戦前には「鶴見臨港軌道」、そののち「東京急行大師線」として路線が記されていた。昔からこの道路はインフラ寄り合い所なわけだ。
そして「産業感」をさらに高めるのは、これらインダストリアルな働く車たち。タンク、良い形、良いツートンカラー。
なにも引っ張ってない大型トラックのアンバランスさって、なんかぞわぞわするよね。「生首」みたいな感じ。
重い車が頻繁に行き来する証が、路面のハードコアなテクスチャ。
個人的には(そもそもすべてが個人的ですが)、工業地域感を最も演出するのは、グリーンであると思う。この荒々しい緑地。ぐっとくる。
手入れされないので、おいしげっちゃって、逆説的に「工業地域ほど緑がうっそうとしている」という現象が。
「工場萌え」であるぼくが工場を見て回っていつも思うのは、「工業地域で一番『不自然』なのは植栽」ということである。
たとえばこういう植栽。
手入れをされない「建材」としてのグリーンが何十年かの間にうっそうとしてワイルドなものになっちゃってる様子に興味を惹かれている。高速道路の土手の緑地帯とか。

いつか「ハードコア植栽」も愛でて回りたい。
あとは、ポイ捨てを禁じる、警察署作成とは思えないラフな看板にも「産業感」を感じる。これ自体がもはや投棄物の佇まいを見せている。というか、これほんとに警察がつくったものか?
そしてそんな看板をよそに、あちこちにさまざまな投棄物が。
不法投棄禁止の看板を何種類見たことか。あと、きっとこの仮囲い、仮のつもりのままはや十数年ここに設置されてるんだろうな。こういうのもぐっとくる。

ぼくが子どものころ好んで遊んでいた場所がこういう雰囲気だったので、これらの光景に郷愁を感じる。まっとうに育った方には信じられないと思うが。落ち着くし、語弊を恐れずに言うと「いいなあ、こういう風景」と思うのだ。

後に大人になって「景観論」になじめなかったのは、こういうところに理由があるのだと思う。そして今回「産業道路愛でよう!」と思ったのも。
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「産業道路」ってふしぎな名前だ

だいじょうぶだろうか。だれか分かってくださる方はいるのでしょうか。というか、読んでくれている方、いるのか。不安だ。

もうちょっと穏当な「良い産業感」を紹介しよう。
こういうタイヤ屋さんとか、どうだ。この積み上げられたタイヤ。
ざっくばらんに置かれた工具たちとか。かわいいよね。
また、こういういかにも産業道路沿いって感じの業種およびディスプレイはどうか。
道路からふつうに見えちゃうサービス精神にも感謝したい。積まれた古紙。いいなあ、こういう風景。そしてご苦労様です。
同じように、オープンな光景。こちらはペットボトルのリサイクルか。薄暗いなかでキラキラ光ってて、きれいだな、って思った。
カラフルな樹脂を束ねたカタマリ。
あとは、看板の字体がかわいい。
穏当ではない、か。でもこういう都市のユーティリティーとでも言うべき現場の風景を、道を行くだけで垣間見ることができる。それが産業道路の醍醐味だと思うのだ。

それにしても「産業道路」ってふしぎなネーミングだ。時代がそう名付けさせたのだとは思うが、考えてみれば「産業」っておおざっぱすぎる。だいたいこの世に「産業」と関係ない道路ってあるのか。「消費道路」か。表参道とかか。

とか思いながら(自転車漕いでると、脳みそがいろいろ言い出すよね)先へ進んだら、ちょうど「消費」の代表格とでも言うべきものが表れたではないか。
コストコ!
コストコである。そうだ、近くにあるって聞いてはいた。そうか、ここにあるのか。はじめて来た。

しかし、この倉庫感。「産業道路」にお似合いの消費形態だ。さきの祈祷殿を思い出した。なんとなく。

バス停と歩道橋に「産業感」あり

目にするものすべてが「産業感」にあふれていて、とても楽しい。

ほかにも、いろいろな「産業道路アイテム」があり、すべて紹介したいが、ぐっとこらえてあと2つにしよう(こらえてもまだ2つあるのかって感じですが)。
ひとつはバスについて。営業所やターミナルがあって、なるほどここが「日常市街地のエッジ」なんだな、と気づかせる。
そして道路にあるバス停の名前がみんな企業名。これ、いい。なんか、いい。
富士通の出身母体である富士電機を名に冠するバス停。
ふたつ目は歩道橋。産業道路には歩道橋が多い。もっぱら車のため、しかもダンプカーなどヘビーな自動車がガンガン走る場所であることを物語る。
中でもこのタイプがいい。この重厚感あふれる函型のもの。すごく産業っぽい。
こちらもいいタイプ。
あがってみると、この通り。丈夫さこそが命、といった佇まい。そして首都高の下ギリギリ。いい。
歩行者にとってシビアな道路を渡る歩道橋が最も求められるのは、学校のそば。歩道橋名に学校の名が。
渡った先に、折しも桜ほころびる学校が。産業道路を見て育つ子どもたち。すばらしい情操教育である。校歌に「嗚呼、われらの産業道路」とか入ってないかな。
全国に歩道橋がたくさん設置されたのは「交通戦争」という言葉があった高度成長期。子どもの交通事故は重大な社会問題だった。

ちなみにこのころ歩道橋とならんで子どもの交通安全対策のひとつとして導入されたのが「みどりのおばさん」だ。

そんなわけで、いまでも小学校のまわりには歩道橋が多い。歩道橋とともに登下校の光景を覚えている人も多いのではないか。

出発地点も終点もジャンクションだった

あ、あと溶接技術検定の看板も「産業道路だなー!」って思った。
で、のぞいたら、焼肉屋と並んで建ってた。なんというか、熱い組み合わせである。
あ、そうそう、こういう建設作業に必要な消耗品の専門店とかも産業感ある。
結局、2つでおわらなかった。個人的にぐっとくるポイントがたくさんあって、つい。あまりこの高揚伝わってないのではないかと思いますが。すみません。

ともあれ、こんな感じで楽しくサイクリングし、最終的には鶴見川を渡り、ゴールだ。
最後、橋の先に見えてきたのは!
生麦ジャンクション!
今回出発するまで知らなかったのだが、産業道路の終点は、先日開通前の様子を記事にした首都高北線の入口付近だったのだ。
できたてのジャンクション。かっこいい。
もとからあった高架(奥)と、先頃できた新しい高架(手前)の色の違いとか、構造の違いとかに見入って、ここでまた小一時間。
この前ここ歩いたんだよなあ…と、今は当然歩行者は入れない道路の光景に不思議な気分になった。
ジャンクションの先、国道15号に行きどまって、ここが産業道路の終わり。
右折して15号から見た道路標示。「産業道路」の名がある。
以上が、うちの近所からはじまった産業道路観賞。みなさんに伝わったかどうかはなはだ不安ですが、すごく楽しかった。
どれぐらい楽しかったかというと、全く同じルートで帰ったぐらい。

岡山の産業道路はほんとうに産業道路なのか

さて、びっくりすることに、本記事、これで終わりではない。

次は岡山の産業道路だ。行くぜ! ひゃっほう!
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ここを右折すると岡山の「産業道路」のはじまり。県道45号がそれだ。
線を引いた、岡山市を流れる旭川の左岸を南北に走る道路が産業道路と呼ばれている、らしい。
調べてみると「産業道路」と呼ばれている道路は全国にけっこうあって、岡山の場合はここ、らしい。

「らしい」と気弱なのは、岡山在住の友人、内海さん(「100均フリーダム」の記事などに登場して頂いてます)に「あそこ、産業道路なんでしょ?」とたずねたところ「いや、聞いたことない」と言ってたから。

ソースはtwitterで目にしたのと、かつて岡山に住んでいたことのある別の友人、そしてWikipediaである

記事を書く際に鵜呑みにしてはいけないもの代表・Wikipedia。しかし知らない土地の産業道路をめぐりたい、という得体の知れない情熱には勝てず、暫定的にこれを産業道路と認定。ちゃんと調べることなく見切り発車した。
個人的に認定・産業道路。
さあ、どんな産業っぷりを見せてくれるのか。
当然、自転車です。レンタサイクルです。この自転車も、まさか後楽園とかではなく産業道路を走ることになるとは思わなかったに違いない。
勇んでこぎ出した、この県道45号線ですが、
ぜんぜん産業っぽくない。
旭川の土手から産業道路(暫定)方向を見た光景。いや、確かにこれも一次"産業"ではある。
ガスタンクが顔を出したときは「お! 産業産業!」とうれしくなった。
しかし、全体的には産業道路というより、ロードサイド。
やはり産業道路ではないのか? とも思ったが、考えてみれば、最初の産業道路が濃すぎたのである。あれは別格。きけばあれは戦前から産業道路だったという由緒正しい産業道路、キング・オブ・産業道路だ。ちゃきちゃきである。つまり、ぼくは産業道路ズレをしてしまったのではないか。

どのみち、ぼく、ロードサイドも好みだし。これもたいがい景観的には嫌われるけど。
消費者金融がとりそろえられている。産業感はないが、おもしろいぞ。
地元のヒーロー、桃太郎を彫ってきた。お供含めて、キャラごとに石材を変えている。なんとなく不本意そうな表情がいい。
「東京靴流通センター」も、ロードサイド感を高めるアイテムだ。
こういう虚飾を排した佇まいのインディーズ系ラーメン屋も、
絶妙、と言っておきたいデザインを見せるパチンコやも、
その駐車場の広さが、なんとなく「食べ放題」に説得力を持たせる系の焼き肉屋も、いずれも「産業道路」というよりは「ロードサイド」である。もちろん、どれもぐっとくる。もういいんじゃないか、産業道路じゃなくても、とこの時点では思っていた。
釜を模した建築造形のお店とか。
水路ギリギリに挑戦する駐車。チキンレースか。
いいじゃないか、おもしろいじゃないか。

あいかわらず、というかさっきよりもさらにぼくの感じていた楽しさが伝わらない気もしますが。

こういう風にどうということのない風景の中をただ散歩して回るだけの楽しい人生を送りたい、と思った。

そして、実際そういう人生送ってるじゃないか。ようするにぼくは幸せなんだな、と思う。

何の話だっけ。

そう、で、道中もっとも面白かったのが以下のお墓だ。
道路脇に印象的に盛りあがった丘。その斜面は墓石で覆われている。すごく目を引く光景だ。
墓守をしているおばあさまに声をかけて登る。どこから来たの、と問われたので、神奈川から、と答えると、何しに来たの、と重ねてきかれ、答えに窮した。「産業道路に興味があって…」って言ってもわけわかんないだろうなあ。
てっぺんに着いたら、なんかあの世っぽかった。
で、裏に回ってみてびっくり! 一面、すべての斜面がびっしり墓石で覆われてる!
びっくりして、おばあさまに「すごいですね!」って言ったら「なにが?」って言われた。「土地がないからね」とこともなげに。航空写真で見てみたらさらにすごかった。ぞわぞわする。
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どっこいちゃんと産業道路だった

そろそろ「産業道路」と呼ばれている区間(ほんとうに呼ばれているのであればだが)も終わる。まあ、おもしろかったからいいか、ぐらいに思っていたら、最後の最後で急に本気を出してきた。
おや、でかい倉庫。産業っぽいじゃないか、と思ったら、
湾に出て、本気を見せてきた。
向こうには正真正銘の産業ビュー。
しかし残念ながら、このカーブの手前までしか自転車は行けない。
カーブの先は、こういう橋。そして高まる産業感。
ああ、そうか、と気がついた。神奈川の産業道路は、沿線に産業が立地しているという意味で産業道路だったが、ここは、産業地域に/から運搬するための道路、ということなのだ。

こう書いてみるとしごくあたりまえだが、ひと口に「産業道路」と言ってもいろいろあるのだ、と思い知った次第だ。
産業道路感ある看板はあった。味わい深いタッチ。

水路で判明(たぶん)産業道路の成り立ち

驚いたことにこの記事、まだ終わらない。

次は実家のそばの産業道路だ。思い出の産業道路と言ってもいい。
ここが産業道路が始まる交差点。
上の写真の交差点はこの地図の東端。この道路は千葉県道283号というらしいが、地元では完全に「産業道路」と呼んでいる。
いま地図に記して気がついたが、今回の3つの産業道路はいずれも県道だ。ただし、国道14号線の例に違わず、ぼくの実家のこのあたりの道路は「国」「県」を冠していても、そうは思えないほどすごく狭い。
もちろん自転車で走ったが、道が狭く、いちばん走りづらかった。なれた地元の道でなければひるんでいたかもしれない。
スタートからものの数分、ここを右折してすこし行くと、ぼくの実家である。
そしてほどなくななめに川を渡る。ここは以前成田新幹線が通っていたかもしれないと記事にした場所である。
ここで、はっと気がついた。そうだ、ここ、川と道路が浅い角度で交差してる、と。

これより手前、スタート地点付近でも、実は暗渠と道路が微妙な角度で交差していた。
ここ。右の道路に対し、水色の暗渠が浅い角度で交わっている。
これが何だというのか。実は岡山でも頻繁に水路と産業道路が妙な角度で交差していたのを思い出したのだ。
これは岡山。水色が水路。場所はここ

岡山の産業道路のまわりは田んぼだった。この水路はもとは田んぼのためのものだ。そして、実家のそばもむかしは田んぼだった。

つまり、産業道路がかつての水路と変な角度で交わるというのは、田んぼのグリッドを無視して通されたことを示している。

このことに当時の産業界の勢いを感じ、田んぼの文脈と関係なくずばっと通った道路の光景が「産業道路」と呼びたくなるものだったんだろうな、と思った。

岡山を先に見ておいて良かった。地元なだけに見慣れて水路の角度など気がつかなかった。

意外な産業道路感の原因

長い上によくわからない小理屈も書き連ねてしまった。すまん。いいかげん、スピーディーに先に進みたい。

走る前、および走り始めた当初思っていたのは、地元のこの道路もまた「たいして産業感ないよな」ということだった。

なんせ、子どものころの、産業以外の印象が強すぎる。そして、ここ10年ぐらいまともにこの道を通ってなかったので、光景の変わりように気をとられたのだ。
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川を越えたこの団地群、ここに初恋の子が住んでた。
えー、ここ、商業施設になったのか—。前なんだったっけ?
あの古本屋はけっこう昔からあるな。あと、手前の看板、絵柄と書かれてることがマッチしてない。
ここを右折すると、ぼくが通っていた小学校に行き着く。
ここ、ラウンドワンになったのかー。前もボウリング場だったよな、確か名前は…「サンオー」だ! そう、サンオー!
そういえば旧サンオー裏に高校のときの友達が住んでたっけ。元気かな、島田。
「産業道路」と書かれた看板を発見。今でもそう呼ばれてるんだな。
上の写真にあるように、現在も「産業道路」の名は健在のようだが、やっぱり産業感を感じられないなー、と思っていたところ、中盤に入って、急に産業感が出てきた。

道を行く車がことごとく働く車になったのだ。
2台に1台はミキサー車かダンプ、タンクローリーなど乗用車ではない車。
ミキサー車だらけ。
このローリーの形、かわいい。
「工事中」の看板とその先の風景に、なんでこんなにミキサー車だらけなのかの答えがあった。
あー、外環道の工事か!
1年分ぐらいのミキサー車を見たが、これらは外環の工事のためのものだったのね。

そしてここでも最後に本気の産業感

納得しつつも、ということは、この工事が終わってしまえば産業道路感はなくなってしまうのか、と得体の知れない残念感を感じていたところ、岡山と同様、後半になっていよいよ真打ち登場とあいなった。
江戸川に近づいてきたあたりから、工場が増えてきた。
うん、これは完全に工業地域だ。そうか、正真正銘の産業道路だったのだな。安心した。
ふと道路と交差する道の先を見ると、江戸川の土手が。そうか、工業用水の都合でここに工場が建ってるのか。
同時に気がついたのは、これら産業道路と交差する道がどれも極端に細いこと。おそらく、田んぼのあぜ道のサイズからさして計画的に広げられることなく現在に至ったんだろうな、と。逆に言うと、ほかの産業道路に比べれば狭いがこの道路がいかに経済成長期に気合いを入れて引かれたかが分かるというものだ。
そして工場の横には保育園があり、庭から園児たちがミキサー車を見つめていた。すばらしい教育環境だ。
ほかにも、園児たちが産業道路を歩く姿を見かけ、
産業道路情操教育を受けた彼らの将来が楽しみだな、と思った。
地元産業道路の産業感健在にほくほくしながら、JRをくぐり、
国道にぶつかって、ここでおわり。

産業道路の思い出話

楽しかった。全国に10人ぐらいいるとおもうんだ、このとりとめのない記事におけるぼくの興奮を。

最後に(ほんとうにこれが最後です)ひとつ。この地元の産業道路を走った後、高校生のころから髪を切りに行っている美容室に行った。

(川崎に引っ越してからも、髪を切るのは実家のそばのこの店だ。今住んでいる家の向かいが床屋だというのに。同じようにわざわざ髪を切りに遠くまで行っている人、多いと思う。これについてはいずれ別途記事にしたい)

馴染みの美容師さんも長く地元に住んでいる人なので、産業道路の話を振ってみた。そうしたら、すごくいい話を聞かせてくれた。
その時の様子。関係ないけど、髪切ってるときってメガネとっちゃうから、ほぼなにも見えてないよね。
彼女(美容師さんは女性です)のお父様は、昔ダンプカーの運転をしていたそうだ。そして、よくその助手席に乗せてもらっていたと。

「わたし、ダンプでお父さんの隣に座ってるのがほんとうに好きで、母親に呆れられてた。たしか高校生ぐらいまで乗ってたと思う。おかげで思春期の女の子にありがちな、お父さんを毛嫌いするっていうのが、なかったんだよねー」

で、そのルートがしばしば「産業道路」だったという。

「だから、いま『産業道路』って聞いて、あの時の風景とか感じとかがフラッシュバックした! ひさしぶりに思い出したな—」

「あの道路沿い、工場たくさんあって、そこにセメント? 砂利? そんなのを運び込んでたよ」

そうなのか! どうやら今よりもたくさん工場があったようだ。それにしてもまさか「産業道路」で家族の、しかも父と娘の思い出話を聞けるとは思わなかった。

ぼくの両親は免許を持っていないので、子ども時代の自動車の思い出というのがぼくにはない。

そして彼女の

「ダンプカーって、なんか安心するんだよね。よく寝ちゃって、お父さんには『お前は乗りたがるくせにすぐ寝るなあ』って言われてた」

っていうエピソードで思い出したのは「スヌーピー」のある話。

ペパーミント・パティがチャーリー・ブラウンに聞く。「ねえチャック、『安心』ってなんだと思う?」それに対するチャーリーの次の答えが、まさに彼女の話そのもの。

「ああ、それはクルマの後部座席で眠ることだよ。家族で出かけた帰りのクルマの中で、君はなにも心配せずに後部座席で眠れる。パパとママは前の座席にいて、すべての心配ごとを引き受けてくれる」

ペパーミント・パティが「それはすてきだねえ」と言ったように、ぼくもすてきだと思う。ただ、そういう思い出はぼくにはない。でも理解できる。実際にそういう経験があって「わかるー!」っていう人多いのではないか。

なにが言いたいのかというと、ぼくは産業道路を車ではなく自転車で、また大人になって知恵がついてから愛でたわけだが、その名前や風景、成り立ちとは関係なく産業道路に思い出や郷愁を感じる人もいるんだろうな、ということ。そして、それってちょっとうらやましいな、ってことだ。

全国の産業道路を制覇したい。ぼくはあくまで自転車で。

ペパーミント・パティとチャーリー・ブラウンの会話には続きがある。

「でもそれはずっとは続かない。ぼくらは子どもじゃなくなって、突然終わってしまうんだ。そして二度と安心して後部座席で眠ることはないんだ」

「二度と!?」

「そう、二度と」

そしてペパーミント・パティは叫んで言う。

「私の手をにぎって、チャック!」

大人になったぼくらは、チャーリー・ブラウンが知らなかったことを知っている。今度は、自分が前の席に座って、子どもに「安心」をあたえる番なのだ。きっと。ぼくには子どもがいないから分からないけど、たぶん。

そういう親の立場になった同世代の同好の士の「産業道路話」も聞いてみたいな、と思う次第だ。

なんでさいごにこんないい話になってんだ。
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