特集 2017年3月15日

「どうぞ、蚊帳の中へ」蚊帳の博物館で蚊帳体験

蚊帳の中へ、行ってみたいと思いませんか。
蚊帳(かや)とは、ざっくり言うと、家の中に吊って蚊の侵入を防ぐための網である。昭和の中ごろくらいまでは家庭で普通に見られたらしいが、私は実物を見たことがなかった。そんな蚊帳の博物館が静岡の磐田市に存在するという。
1975年神奈川県生まれ。毒ライター。
普段は会社勤めをして生計をたてている。 有毒生物や街歩きが好き。つまり商店街とかが有毒生物で埋め尽くされれば一番ユートピア度が高いのではないだろうか。
最近バレンチノ収集を始めました。(動画インタビュー)

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記憶の中の蚊帳

子供の頃にたまたまテレビで見たドラマ(映画かも)の記憶。時代は昭和初期あたりか、長屋で暮らすきっぷのいい父さん(荒井注だったような気がする)と家族の日常が描かれていた。

一家は蚊にひどく悩まされており、「蚊帳がなきゃだめだ、蚊帳!」と騒ぐものの高級品でとても手がでない。なんとか蚊帳代を工面しようと奔走する父さん(自信ないけど荒井注)。

ある日、妻や子供達の待つ家に向かって、けたたましく下駄を鳴らして走る荒井注。グリーンの生地を掲げながら「おーい、蚊帳だ。蚊帳だよー」と叫ぶ。どうにかして蚊帳をゲットしたのだ。
夜、寝間の梁から待望の蚊帳が吊るされる。目の前にハーフトーンの緑がかった世界がさっと広がり、歓声を上げる子供達、「きれいねぇー」つぶやく妻。

記憶はここでぷっつり切れる、そもそも、荒井注で検索してもそんなドラマ出てこないし、かなりあやしい記憶だが、あの、私と劇中の家族を隔てていた蚊帳の緑の美しさは忘れようもない。

昭和50年生まれの私の蚊帳の記憶はこんなもの。実物を見た事もなかった。

驚愕の蚊帳提案

ある日ふと、蚊帳って今でも売ってるのでしょうかと検索してみたらえらいホームページに接続された。
「安眠.com」こと静岡県磐田市の寝具店「菊屋」のホームページである。(http://www.anmin.com/kaya/

なんと蚊帳をマズローの欲求5段階を用いて提案している。蚊帳をマズローの欲求5段階でだ。
「安眠.com」より。段階が上がるにつれ付加価値を増す蚊帳。
この増設につぐ増設で九龍城のようになっているサイトには「蚊帳の博物館」とある。

店の中につくられた博物館らしい。行ってみたい。蚊帳の中にあるという世界を見てみたい、なんだこの気持ち、俺は蚊なのか。
いざ磐田へ。ヘディングするアーケード。
強風吹きすさぶ静岡県はJR磐田駅。ジュビロロードって言いにくいなあと思ったらジュビロードだった通りを行くと、でかい菊の御紋が見えてくる、ホームページで見たあれだ。
つなげて読むと「かやP」ってなってかわいい。
店に入ると、店を営んでいる三島さん夫妻が出迎えてくれた。
東京から蚊帳を見に来た旨を伝えると、ちょっと驚いた様子だったが、気さくに蚊帳の博物館を案内してくれた。
三島治さんと朋子さん。階段を上がると蚊帳が展示されている。
所狭しと並ぶ蚊帳達、ここは蚊帳の外。
蚊帳に入ることもできる。おー、蚊帳の中
なんというか、目にやさしい。
天井に吊るさずに設置可能なスタンド付き。UFOにさらわれている様。
--いやー蚊帳の中にはじめて入りましたよ。いい感じで紗がかった外を見てると、世の中はこんくらい見えれば充分だという気になってくる
「蚊帳っていうとあなたぐらいの歳だと、となりのトトロで見たとかいう人が多いんじゃないですか」
--いや、僕の中ではですね、荒井注が蚊帳のお金を工面しましてね…(冒頭のどうでもいい話を語る)
「へえー……東京からわざわざ来る人は違いますねえ」
店内の蚊帳の中へ。
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蚊帳のはじまり

展示してある蚊帳年表によると、諸説あるが、我が国での蚊帳の始まりは、紀元5世紀前後、応神天皇が巡幸の際に蚊帳をはったという記述が「播磨風土記」にあるという。
蚊帳の歴史がわかる。
アメリカ独立戦争が享保の改革と天保の改革の間だというのもわかる。
本格的に作られるようになったのは奈良時代からと言われている。
「唐から伝わった製法で絹や木綿から作られ、奈良蚊帳と呼ばれていました。室町時代になると近江(現在の滋賀県)の商人が材質を麻にして売り出した。琵琶湖の湿気が得られる近江の地は麻の加工に適していて、生産が根付いたんですね。そこから麻生地が主流になっていった」
蚊帳の製造が盛んだった頃の資料も見せてもらった。
蚊帳の生地見本。昭和はじめ頃のものと推測される。
網みのきめ細かさなど多様なバリエーションから選べる。
「当時はまだ高級品だったからこんなしっかりした生地見本帳があったんでしょうね」
--やはり僕の記憶の中の荒井注のドラマは実在するんだ(しつこい)
株式会社山甚商店(現在の山甚産業株式会社)の蚊帳創業七十周年記念絵はがき。会社沿革によれば蚊帳帳地の縫製を開始したのが文久元年(1861年)なので1931年前後のものではないか。
武者印というブランドの蚊帳。写真から当時の蚊帳製造の様子が見て取れる貴重な資料となっている。
蚊帳情報を発信しながら、菊屋では三島さんの考案した蚊帳を販売している。
--しかしこういっては何ですが、蚊帳が今、商売になるんですか?
「蚊帳をはじめたきっかけはね、そもそも私たちが売ろうとしたというより、お客様に頼まれたからなんですよ」
蚊帳を切望する声と三島さんを結びつけたのがインターネットだった。

独創的な販促、しかし……。

1978年、菊屋を創業した父が突如亡くなり、三島さんは若干22歳で店を継いだ。持ち前のアイディアとチャレンジ精神であれやこれやと販促活動を繰り広げる。これ、切り口が斬新ですばらしいのでちょっと厚めに紹介します。当時(80年代後半~90年代)のチラシより。
婚約発表記念セール!
いいイラスト。治さんと朋子さんは同じ商店街で育った幼なじみ。隣の隣の隣の隣の隣の隣の家同士だ。
以後、お子様が生まれるたびにイベントが。
年の瀬には流行語大賞にちなんだセール企画。
片岡鶴太郎の「ぷっつん価格」のインパクトときたら。
さらに驚愕したのが「ザ・シンデレラバーゲン」
夜が深まり深夜0時に近づくにつれ値引き率が最大5割まで上がっていくというタイムショック企画である。
わくわくする企画もコピーもすべて治さんによるもの。すごくないですか。
しかし、商店街の衰退とや景気の悪化と共に売り上げは減少、ついに先代の約半分に落ち込んだ。ピンチ!
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インターネットに活路が

いわゆる「ふとん屋」としての商売に限界を感じた治さんは「お客様に快適な眠りを提供しする企業」としてステップアップすべく「眠り」を改めて学び、1996年、「あなたの枕を探します」というホームページを立ち上げた。そのホームページに予期せぬ問い合わせが来た。
「殺虫剤が苦手という人がいて、蚊帳が欲しいけどどこで手に入るかわからない。あなたのところで買えないかと言われた。」
--ほー、ニーズが見つかった。
「そう、頼まれた事をやる、それでお客様が喜んでくれる。すぐにインターネットで蚊帳の販売をはじめました」
すると、他にも同じ思いで蚊帳を求める人がいただけでなく、また新たなニーズを掘り起こした。
「蚊だけでなくムカデが入ってこないものが欲しいと言われた」
--ああ、普通の吊るしの蚊帳だとムカデは下を這って中に入ってきちゃいますからね。
「で、底布をつけたムカデ対策の蚊帳を作った」
「ムカデント」名付け親は朋子さん。
メッシュのテントのような感じ。底生地が付いているのでムカデも侵入できない。
東京のマンションの1階に住む私も家の中でムカデを見た事がある。ちょっと田舎になると切実な悩みとなっている家もあるだろう。事実「そちらのムカデ用蚊帳をすぐに送ってください!」という危急の依頼もあったという。

こんな感じで「洗える蚊帳がほしい」と要望があった時は地元の織物工場を巻き込んで洗濯に耐える「カラミ織」生地を開発。
右が従来の平織、左が菊屋オリジナルのカラミ織。強度が強く、形くずれもしにくい。
さらに蚊帳をリラックス空間を演出するためのインテリアとして室内に常設したり、時にはビルの地下の浄化槽に蚊が卵を産みに来るのを防ぐために12mの蚊帳ですっぽり覆ったり、と思いもよらない依頼をこなしてきた。
蚊帳生地を使ったスピーカーなんてものまで。
今の生活の有り様に合わせた付加価値をつけて蚊帳を復活させた三島さん。冒頭で紹介したマズローの三角形は現在、サークルのマトリックスに進化して彼の思いを表現している。
様々な要素を取り込んだ「安心してぐっすり眠れる環境」として外界と境界をなす蚊帳。蚊帳の外から蚊帳の中へ。
「うちのサイトは安眠.com。眠りをトータルに提供してお客様によりよい生活を送ってもらいたい。その一環として害虫から身を守り、リラックスできる空間としての蚊帳がある。これからも”どうぞ、蚊帳の中へ”と提案していきたいです」
20年以上前の似顔絵が目印。ドリフの大爆笑ですか。

現在、蚊帳の蚊帳感を体験できるところは数少ない。建物の構えは店舗だが気軽に蚊帳に入りに来てくださいとの事。近くに来た際はどうぞどうぞ、蚊帳の中へ。
要所にダジャレが埋め込まれているのも注目。

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