中野区弥生町の良店
お目当の店は中野区弥生町にある。弥生町といえば、「太陽にほえろ!」の「なに? 弥生町でころし?」でお馴染みの、あの弥生町だ。
最寄駅は中野富士見町駅。僕は西新宿からバスで向かった。方南通りを下って5、6分、南台の交差点付近に「遊ゆう」はあった。
1階部分が駐車スペースと通路になっていて、宙に浮いているような雰囲気。
浮いてるような立地の「遊ゆう」
「鳥焼処」と書いてあるし、外に置かれた看板のメニューにもタイ料理の気配は一切ない。「こだわりやきとり」というのぼり旗が風に吹かれてはためいている。
ここまでのところ、「和」の要素しかない。
串焼きと一品料理
やきとりへのこだわり
階段を上がり、お店の中へ。入って左に折れると右側がカウンター、左側に座敷席が広がっている。いわゆる普通の焼き鳥屋さんである。
カウンター席には1人で食事を取っている男性客が2人座っていて、座敷席の一番手前に少年が1人、携帯ゲームで遊んでいる。
ん? 少年?
1人でお酒を飲むにはまだ若いから、おそらく店主の息子さんだろう。
一般的な焼き鳥屋さん
息子さんらしき少年の存在が気になりながら、僕は奥の座敷席に座った。辺りを見渡すと、手書きのメニューが貼り出されている。
店内には
バリエーション豊富な
手書きのメニューが
でも、全部和食
どこにもタイ料理っぽいメニューがない。僕がゲットした情報はガセだったのか? 今日は普通に串焼きと一品料理に舌鼓をうって帰るしかないのか…、と諦めかけた時、僕の目に象のイラストが飛び込んで来た。
タイ風料理のメニュー!
タイ風料理のメニューである。タイの国旗と象が描かれているので間違いない。揚げ春巻き、揚げソーセージ、パッタイにパッポンカリー、トム・ヤム・クンもある。
情報は本当だった。
まずは、串焼きと一品料理を
席に着くとすぐ、若い女性がおしぼりとお通しを持って来た。お通しはマグロの炙り。さっき見つけたタイ料理のメニューから、再び和の世界に引き戻される。
お通しはマグロの炙り
あくまでも「串焼きと一品料理」がメインなのだろう。炙ったマグロの美味さが、この店の和食のポテンシャルを物語っている。
いきなりタイ料理を頼むのはルール違反のような気がして、気になった串焼きと一品料理を何品か頼んだ。一杯目のお酒はもちろん生ビールである。
まずはお通しで一杯。しかし、後ろの少年が気にかかる
串焼きと一品料理で、僕が選んだメニューは次のラインナップだ。
平目のうす造り
宮城産生うに
山うど酢味噌
インゲンの胡麻和え
串焼き。左から、はさみ、トマト、うずら、砂肝
魚は新鮮だし、酢の物や胡麻和えの味付けも絶妙だ。炭火で焼かれた串焼きは、タレ、塩ともに美味しい。つまり、普通に良い焼き鳥屋さんである。
これだけ串焼きと一品料理が充実しているのに、なぜタイ料理なのか?
店主に聞いてみよう。
なぜ、タイ料理なの?
店内に手描きのイラストがいくつか貼ってあり、そこに描かれているのが恐らく店主だと思われる。
この人が
恐らく店主
イラスト化された店主は、どれもお姉キャラだ。タイはニューハーフの人が多いと聞く。もしかして、店主は…。このイラストに焼き鳥屋でタイ料理のヒントが隠されているのかもしれない。
店主さんに声をかけてみた。
「なぜ、焼き鳥屋さんなのにタイ料理を?」
店主さんに聞く
それは、ワタシがタイでキレイになれたからよ~。
ということではなく、店主の是澤さんの奥様がタイの人だから、という理由だった。
今年で創業20年目を迎えた「遊ゆう」さん。オープン当初は普通に串焼きと一品料理のみの営業だったが、奥様が家で作るタイ料理が美味しかったから途中からお店のメニューに加えたのだとか。
奥様はカウンター席のお客さんと談笑している。
お客さんと談笑する奥様
奥様の名前はニパーラットさん。タイのノンケームという町の出身で、結婚して22年になるという。
「ということは、和食は旦那さんが作って、タイ料理は奥様が作るということですか?」
と、是澤さんに聞くと、
「そうなんです。タイ料理に関しては、一切ノータッチでして」
と笑った。
物腰が柔らかくて笑顔が優しいが、あのイラストにあったようなお姉キャラ感はない。あのイラストは奥様が描いたのだろうか?
「いえいえ、うちで15年くらい働いているアルバイトの女の子が描きました」
さっきおしぼりを持って来てくれた女性だ。アルバイトが15年も続くのは、きっと是澤さんと奥様の人柄だろう。ずっと気になっていた座敷席の少年についても聞いてみた。
「あれは、うちの一番下の息子でして。あの子の上にお姉ちゃんが2人います」
親の職場で静かに息子さんが待っている。やっぱり、是澤さんと奥様は良い人に違いない。
焼き鳥屋でタイ料理、の秘密が解けたところで、いよいよ、タイ料理を注文することにした。
絶品、タイ料理
タイ料理のメニューから数品をオーダーすると、タイ料理担当の奥様、ニパーラットさんが動きだす。
私がタイ料理を作ります
まずは、タイの焼きそば「パッタイ」を作っていただいた。
パッタイ
唐辛子の入ったお酢をかけて
食べてみる
是澤さんが、「本場のタイの味をというより、少し日本風にアレンジしているんです」と言っていた通り、日本人の僕の舌にちょうどいい味である。
僕はナンプラーが苦手なのでトム・ヤム・クンがダメなのだが(だったらタイ料理を食べるなと言われそうだが、他のタイ料理は好きなのだ)、この感じだったらいけるかもしれない。
ニパーラットさんのトム・ヤム・クンはどんな味がするのか?
ニパーラット仕込みのトム・ヤム・クン
香りからして優しいトム・ヤム・クン。これならいけそうなのだが、残念なことに、中にエリンギが入っている。僕はエリンギが苦手なので、エリンギを避けてスープだけをいただいてみた。
トム・ヤム・クンにトライ
うまい! 絶品スープ、ここに参上! である。辛味と酸味がちょうど良く、味に深みがある。ニパーラットさん、「グッジョブ!」である。
先日観た「セッション」という映画で、鬼のように怖い教官が「グッジョブという言葉は危険だ」と言っていた。あの鬼教官に怒られてもいい。僕はニパーラットさんに「グッジョブ」と言いたい。
ニパーラットさんのグッジョブは更に続く。
パッポンカリーの登場だ。
ニパーラットのパッポンカリー
このカレーは、ライスかバケットか選べるシステムになっている。ライスの方がよりタイ風だと聞き、ライスを選択した。
そして、これも本当にグッジョブである。
先ほどまで和食で埋め尽くされていたテーブルが、一気にタイの食卓になっていく。
タイの食卓
本場のタイ料理との違いは?
どれも絶品なタイ料理であったが、本場の味とは少し変えていると言っていた。長年、タイに住む友人にニパーラットさんの料理写真を送って、どう違うか聞いてみた。
すると、「タイの家庭料理というより、屋台料理って感じかな。まぁ、タイでも屋台料理=家庭料理みたいなところもあるけど」
と答えが返ってきた。
「味付けを変えてると言ってたんだけど、どう違うか分かる?」
と更に質問を投げかけたら、
「写真で分かるわけがない」
と返された。確かにそうだ。タイの友人がいつも食べているのは、次のような料理だと、写真に解説を添えて送ってくれた。
センミー・ムートゥム(細いライスヌードルに豚の煮込みが乗ったやつ。血の入った黒いナムトックというスープ)
バミー・ガイウゥム(上と同じスープ。卵麺に鶏の煮込みが乗ったやつ)
ムー・クラティアム(豚のにんにく炒め)
パッ・パック・ルワムミット(タイの野菜炒め)
どれもうまそうだが、「血の入ったスープ」という記述は少し気にかかる。
ニパーラットさん、大活躍
次々とグッジョブを繰り出すニパーラットさん。タイ料理を作るだけでなく、常連さんの相手も明るくこなし、大活躍なのだ。
一家団欒のような雰囲気で常連さんと談笑
時には横に座って親身に話を聞き
またある時はお客さんの間に座って一緒にテレビを鑑賞し
カウンター席が埋まると後ろに立って常連さんを見守る
少し僕の方も構ってもらいたかったので、メニューにあった「本日のおまかせごはん」という料理を頼むことにした。
ニパーラットさんは、「うん、いいよ」と言ってチャチャッとガパオライス風のものを作ってくれた。
ニパーラットのガパオライス風
これがグッジョブだったことは、もう、言うまでもないし、あんまりグッジョブを繰り返しているとあの鬼教官から叱られるので、もう言わない。
お店を象徴するコーナー
「遊ゆう」さんの一角に、このお店を象徴する一角があった。
お店の、そしてご夫婦の象徴がここに
タイの祭壇
是澤さんは、
「奥さんが大事なものも尊重しないとね。熊手とタイの祭壇、なんか変ですけどね」
と言って笑っている。
お互いを尊重し合って20年以上、それぞれの思いやりがお店のメニューにも反映されていたのだ。僕は弥生町でイッツ・ア・スモール・ワールドな空間を見つけた。
あっ! そういえばあの少年がいなくなっている。
少年がいない
是澤さんに聞くと、今日はもう帰ったのだという。
「お父さんの働く姿を見てるなんて、何かいいですね」
と僕が言うと、
「僕も料理人になるなんて言ってますけど、どうなることやら」
と、是澤さんは照れくさそうに頭を掻いた。僕はその人柄すっかりやられてしまい、常連客がみんな帰ってしまうまでお店に残っていた。最後にご夫婦一緒の写真を撮りたかったのだが、ニパーラットさんの姿が見えない。是澤さんに聞くと、
「常連さんたちと、飲みに行っちゃいました。お酒を教えたらすっかりお酒好きになっちゃって」
と言って、一人で閉店の準備に取り掛かった。
根っからいい人なんだなぁ、と感動しつつ、僕はお店を後にした。
また来ます!
お酒の締めにタイ料理という選択
焼き鳥屋さんなのにタイ料理が食べられるお店は本当にあった。和食もタイ料理もどちらも本当に美味しいし、飲んだ後にタイ料理で締める、という新しいスタイルを発見できて満足だ。
ちなみに、ニパーラットさんと常連さんが飲みに行った先は「サイゼリア」とのことでした。
常連さんのお子さんが描いた是澤さん。愛されてるんだなぁ。
取材協力
「遊ゆう」
東京都中野区弥生町4-24-1 シャンポール南中野 2F
tel:03-3384-1295