特集 2014年5月16日

現代の「ドラえもんの空き地」は屋上である

しずちゃんの入浴回数について調べたりしてたら、最終的には「屋上って面白いな!」ってなりました。
今回は「マンガにおけるユートピアは、空き地から屋上に変わった」という話をしたい。

なんだかデイリーポータルZらしくない、小難しい内容に聞こえるかもしれないが安心して欲しい。ぜんぜん頭良さそうじゃないので。

まあ聞いてよ。しずちゃんの入浴シーンの話とかする予定だし。
もっぱら工場とか団地とかジャンクションを愛でています。著書に「工場萌え」「団地の見究」「ジャンクション」など。(動画インタビュー

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実際の空き地に土管はない

ドラえもんの空き地といえば、これだ(藤子・F・不二雄/小学館/てんとう虫コミックス44巻「恋するジャイアン」を元にしました)
まずはドラえもんの空き地の話からだ。

ぼくは現在41歳なのだが、この年齢の人間はすぐガンダムとかドラえもんの話をするのでよくない。若年層が団塊ジュニアのこういう懐古話に辟易しているのは承知しているが、がまんして聞いてほしい。すまん。思いついちゃったんで。

ドラえもんといえば例の空き地だ。そして例の空き地のアイコンは土管だ。3本の土管が積まれて、そこでのび太が昼寝したりジャイアンに追われて隠れたりする。

「空き地の絵を描いて」って言われたら多くの人が土管を描き入れるのではないだろうか。それぐらい印象が強い。

これ、小学生のころ夢中になって読んでいたときはどうも思わなかったが、大人になって考えると、あれ、なんで土管があるんだろう?と疑問に思う。

じつはぼくものび太たちのように空き地で遊んでいた。が、そこに土管は置いてなかった。
ぼくが子供の頃遊んでいた空き地。現在はゲートボール場。昔はもっと雑草だらけだった。
以前「理想の空き地を求めて」という記事を書いたことがある。タイトル通り空き地を求めてあちこち行ったが、土管が置いてある場所はなかった。
ザ・空き地って感じの空き地。すごくいい。うまく説明できないけど、すごーくいい。でも土管はない。
花が咲きまくっていた。子供の遊び場と言うよりは、どうも近所のお母様方が活発に利用しているようだった。
こんにち、土管云々以前にほとんどの空き地は立ち入り禁止だ。
何人かのぼくと同世代の人に聞いてみたのだが、空き地に土管がある風景を見たことがある人はほとんどいなかった。そうだよねえ。団地の公園にはよく土管を利用した遊具があるけど、素の土管なんてなかなかない。

藤子・F・不二雄先生の幼少期には空き地に土管があったのだろうか?

例の空き地の「土管率」を調べよう


しかし、まずはドラえもんの空き地と土管の関係を調べてみよう。てんとう虫コミックスを全巻読み直しだ。

すると意外なことが分かった。
「空き地といえば土管」ではなかったのだ!少なくとも初期は。
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じつは初期にはそれほど土管登場しなかった!

懐かしくて、ついつい読みふけっちゃって、なかなかはかどらなかった。
ドラえもんのコミックには何種類かあるのだが、ぼくが今回全巻読み直しの挙に出たのは、伝統的な「てんとう虫コミックス」だ。

なにが伝統的かというと、ぼくが子供の頃読んでいたのがこれなのだ。懐かしい。

wikipediaの「ドラえもん プラス」の項によると、この「てんとう虫コミックス」に収められていない作品がたくさんあるようなのだが、手元にあったのがこれなのでこれを今回の調査対象にする。それでも全45巻である。

さて、読み返してみて意外だったのは、予想よりも土管が描かれていないことだった。上の写真は初版1975年発行の第6巻なのだが、ご覧のように空き地に土管は描かれていない。

「土管が描かれている空き地が登場する話」と「空き地は登場するが土管が描かれていない話」をそれぞれカウントしてみた結果が以下である。
24巻あたりで土管が定着した。
ごらんのように20巻あたりまでは、空き地は登場しても土管が描かれたり描かれなかったり、まちまちだ。

それが24巻あたりから「空き地といえば土管」になっている。ぼくが子供の頃読んでいたのは12巻あたりまでなので「空き地といえば土管」の印象はは当時マンガからは感じていなかったはずだ。おそらくアニメのほうの影響ではないかと思う。そのうちアニメの方も調査したい。でもなー、たいへんなんだよなー、アニメってマンガと違って見るのに実時間かかるから。

前ページ最後の集計表に「フェンスのある野球場」という項目が見えるが、前半期には例の空き地以外の広場がちょくちょく登場する。初期において、野球は空き地ではなく別の野球場でやっていた。これも意外だった。

「スタイル化」する空き地

つまり、これは長年ドラえもんを描き続けるうちに、F先生自ら「子供だけの広場といえば空き地」「空き地といえば土管」という「型」を見つけていったということではないだろうか。

後半の話を見ると、ストーリー上土管は全く関係なくても、空き地のコマの隅にその一部が描き込まれていたりして、「土管があることで空き地だと言うことが伝わる」というふうに記号化していることがよくわかる。
コマの隅に線と円があるだけで一気に「空き地感」が出る(藤子・F・不二雄/小学館/てんとう虫コミックス27巻「かがみのない世界」を元にしました)
しかし、この「スタイル化」については、一緒に「団地団」を結成している漫画家の今井哲也さんに「もしかして、アシスタントを多く使うようになった時期と一致しているのではないか」という、プロならではの仮説をいただいた。なるほどー!

つまり「ここ、空き地描いといて」という指示でもってアシスタントによって描かれるようになると、描写はより記号化していくということだ。あくまで仮説ですが。いやでもこれはすごくおもしろい。おもしろいよね。おもしろいと言って。

土管としずちゃんの入浴シーンの関係!

さてさて、ドラえもんにおいてスタイル化しているものといえば「しずちゃんの入浴シーン」である。彼女は水戸黄門における由美かおると並ぶ入浴キャラとして名高い。
いわゆる「のび太さんのエッチー!」ってやつである(藤子・F・不二雄/小学館/てんとう虫コミックス13巻「ロケットそうじゅうくんれん機」を元にしました)
しかしこれも、初期にはほとんど出てこない。出てこないというか、入っていない。
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10巻までしずちゃんは風呂に入っていない!
「空き地のスタイル化」と似ている。これは興味深い!

長く描き続けるということは、型を見つけ、その中でバリエーションを作っていく、ということなのかもね。

ただ、一方でこれに関しても「『小学二年生』などから『コロコロコミック』へ連載先が変わったことによって、ヌードシーンを描けるようになったのではないか」という仮説をいただいた。なるほどなるほど!

Wikipediaによれば『月刊コロコロコミック』での連載は1979年からで、ちょうど単行本の16巻、17巻の初版がこの年だ。上のグラフで言うとまさに「勃興期」にあたる。

この論でいくと「自重期」(別名「剥き身の谷」)がふしぎだが、てんとう虫コミックスに収められている話は、必ずしも発表順ではなく、過去の作品が後に登場したりしているらしいので、その影響かもしれない。

ちなみに、水戸黄門における由美かおるの入浴シーンの初出は1986年らしいので、しずちゃんのほうが先だ。

…って、なんだか入浴シーンに夢中になってしまった。「土管がなぜ空き地に置かれているか?」の話をしなきゃ。

「土地問題マンガ」としてのドラえもん

今回読み直して印象的だったのは、何回か「空き地が使えない」という回があることだ。
この後建設中止になったはずだが、その顛末を知りたい(藤子・F・不二雄/小学館/てんとう虫コミックス26巻「のび太の地底国」を元にしました)
ドラえもんの舞台の街がどこなのか、については諸説あるが、都内であることは間違いないだろう。

とすると、住宅街の中にあるこのような空き地はいずれなくなる運命だ。都市計画の用語では、空き地のことを「未利用地」という。つまり、使われるべき土地がまだ使われていないイレギュラーな状態、ということだ。

で、土管が何なのかというと、これ、たぶん下水道の管ではないかと思う。つまり、この空き地は未利用地を下水道工事の資材置き場として使っているということだ。

F先生が東京にやってきた1954年からしばらくは、実際そこらじゅうに土管が置かれていたのだろうと思う。

ただ、ドラえもんが人気を博した時代には都区部の下水道整備はかなり進んでいて、土管のある空き地は過去のものになっていたと思われる。すくなくとも、前述のように「空き地といえば土管」が定着していく時代には、もうほとんどなかったはずだ。
前出の「土管が登場する話の数」の推移に、東京都区部の下水道普及率を重ねたもの(数字は東京都下水道局「東京都の下水道2011・数字で見る東京の下水道」より)
試しに都区部の下水道普及率と前出のグラフを重ねてみた。どんどん空き地に土管が置かれている風景がなくなっていくにつれ、相反する形で「空き地といえば土管」が定着して行っている。つまり、どんどんフィクション化していっているのだ!

たぶんF先生は、上京してきた時の東京の風景に思い入れがあったのだと思う。漫画家として大成していく時期はちょうど高度経済成長期で、東京の風景がどんどん変わっていった時代だ。

そう思ってあらためてドラえもんを読み返すと「広い遊び場を未来の道具によって確保する」という話がすごく多い。ドラえもんは「土地問題マンガ」だったのだ。そして「土管のある空き地」はその象徴だった。

どうだ!なんかデイリーポータルZらしくないけど、いい発見じゃないか?これ!

現代のマンガにおける「空き地」は屋上!

さて、話はこれで終わりではない。じつはここからが本題だ。

さすがにもはや「空き地」がフィクションになりすぎた現代において、同様の機能を物語の仲で果たしているのは、どういう場所なのだろうか?ということに興味がある。

で、ぼくの仮説ではそれは屋上だ。
先日、Twitterで「屋上が印象的に使われている作品」を教えてください、とお願いしたところたくさん回答いただきました!→「屋上が印象的に使われている作品 - Togetterまとめ
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先日「香港ルーフトップ」という、香港のビル屋上に建てられた違法家屋の写真集の日本語版が出版された。
もうほんとうにすごくすてきな本!早くも今年ベスト!
恐ろしく素晴らしい本で、一目見て魅入られてしまった一冊だ。デイリーポータルZでは以前乙幡さんが「山岡士郎の家を探せ!」という記事で、日本版違法(?)屋上建築について記事にしているが、香港のそれはただごとではない。

で、この本の解説を僭越ながら書かせてもらうという栄誉によくしたのであった!うれしい。

そして不思議な縁で、その後すぐに日本を代表する「屋上鑑賞家チーム」である「屋上とそら」の主宰、堀江とお近づきになった。
もうほんとすごくすてきなサイト!フリーペーパーもあるよ!
そんなわけで、いまぼくは屋上に夢中なのだ。夢中すぎて今度の日曜日に、カルチャーカルチャーで屋上イベントもやる!(→【真昼の屋上好き大集会・第1回 屋上サミット~屋上とそら

こういう経緯で、ここ2ヶ月ほど、屋上のことばかり考え続けていた。そして気がついたのだ。「現代のマンガにおける空き地は屋上ではないか!」と。
かつて「屋上といえばバレー」という時代があったのだ( 「ニッポン無責任時代」より・古澤憲吾監督/東宝/1962年)
まだ調査中で確かなことは言えないのだが、どうやら「サラリーマンが昼休み屋上でバレーをやる」という文化があったらしい。もしくは実際にはなくても、そういうイメージがあった。

上の「ニッポン無責任時代」という植木等大活躍の映画に、まさにそういう場面が出てくる。だいぶ前にコマーシャルでそういう場面が描かれていたのを見た覚えもある。サザエさんにもなかったけ?

しかし、現在はこんなことは行われていない。少なくともネットも張っていないこのような状態で球技をやることはありえないだろう。

そもそも、現在、たいていのビルでは、屋上に出られなくなっている。

なのに、マンガにはいまだに屋上シーンがよく出てくる。特に学園モノ。実際には学校の屋上はロックされているケースがほとんどだと思う。でも学園モノには欠かせない舞台だ。ちょうどフィクションになった空き地とおなじだ!

なにかと周りにわさわさと知り合いがいる学校という舞台で、唯一屋上だけが二人きりになれる場所だったりする。下からも見えないので「密室」でもある。だから恋人同士の大事なシーンはよく屋上なのだろう(「涼宮ハルヒの消失」の病院の屋上とか「君に届け」の最終話とかがその典型だ)

あと同様の理由でエロマンガではことをいたす場所として頻繁に登場する(これも今回調べたんだけど、さすがに画像をお見せすることが出来ない。無念)。

バックヤード化する屋上

もうひとつ、屋上にスペースがなくなっているという問題もある。現在のオフィスビルの屋上はバックヤードなのだ。
大手町から丸の内にかけての1979年の屋上の様子。赤い部分が、ネットが張られていて、おそらくレクリエーションの場所と思われる箇所(「地図・空中写真閲覧サービス」より1979年。キャプチャして加工)
上は1979年の東京のビジネス街の様子。目視かつ推測だが、緑色のネットが張られている屋上がけっこうあって(赤く塗りつぶした部分)、「屋上バレー」がまだ行われていた可能性がある。

これが2009年になるとこうだ。
ほぼ同じ場所の2009年。もう屋上は憩いの場所ではなくなっている(「地図・空中写真閲覧サービス」より2009年。キャプチャして加工)
赤く塗りつぶせる場所はもうほとんどない。

これはどうしてかというと、屋上は室外機やガラス掃除のためのゴンドラレールの場所になったからだ。かつてビルには「裏手」があったが、現在平面方向の裏表はあいまいになり、屋上がバックヤード化したのだ。
ほぼ同じ場所の1963年。こんなに屋上がすっきりしているとは!つまり空調がまだそれほど設置されていないのだろう(「地図・空中写真閲覧サービス」より1963年。キャプチャして加工)
ビルの高層化を支えたのはエレベーターと空調技術だが、それによって屋上はユーティリティーになってしまったのだ。

1963年のこののっぺりした屋上を見ると、そりゃあこの広い平らな面をほっとく手はないよなあ、と思う。

他にも飛び降り自殺が問題になった時代があったことや、消防によるヘリポート設置の勧告、といった理由もあるだろう。そもそも100mを越えると、風が強くてバレーなんかはもちろん、人がいて心地良い場所ではなくなる。

つまり、屋上がなにか出来る場所だったのは、ある一時代だけの現象だったのかも知れない。ちょうど空き地がそうだったように。「実際にはあり得ないけど理想的な場所」という意味では文字通り空き地と屋上はユートピアなのではないか。

お、いまなんかいいこと言った気がするぞ。

屋上登場作品についてはもっと調べますよ!

最後、屋上が登場するマンガ作品については不完全燃焼な感じでした。今後引き続きドラえもんと同じぐらいしつこく調べて結果をご報告したいと思います。

とりあえず、今回のこの話と、その続きを2014年5月18日のお昼からカルカルで行われる「屋上とそら」でご披露したいと思います。堀江さんによる珠玉の屋上写真とその解説も楽しみ!あとぜひみなさんの「屋上作品情報」「屋上の思い出」などをお聞かせくださいませ!

イベントについて詳しくは→こちら
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