顔料と接着剤を混ぜた際に匂いが生まれる
きっかけは知人のツイートだった。「金色のインクだけにしかない匂いがある」。深夜3時に、彼はそう述懐した。インクとはアクリル絵の具のことだという。
夜は人を詩人にさせる
絵の具は色によって匂いが異なる。本当だろうか。ならば、「どの色が一番いい匂いなのか」をぜひ知りたい。
周囲に声をかけると「絵の具の匂い大好き」「存分に嗅いでみたい」という粋人が集まった。ツイートした本人は大阪在住のため参加できず。
向かうは埼玉県の朝霞。1928年創業の老舗絵の具メーカー「クサカベ」の本社工場だ。
絵の具の匂い嗅ぎまくり隊
対応してくれたのは技術開発部係長・岩﨑友敬さん(38歳)。
「趣味はスキューバダイビングです」
岩﨑さんは絵の具の原料について、こう説明する。
「色の素となるのは顔料という粉です。でも、粉だけでは紙にくっつかないので、油、アクリル、アラビアガムなどの接着剤を混ぜます」
この接着剤の種類によって、油絵の具、アクリル絵の具、水彩絵の具に分かれるんだそうだ。
本格的な講義風景
「顔料自体に匂いはほとんどありませんが、接着剤と混ぜて時間が経ってから生まれる匂いがそれぞれ違うんでしょうね」
お、やはり色によって匂いは違うのか。
左から亜麻仁油、水性アルキド、アラビアガム
必死で嗅ぐ生徒と熱を帯びる講義
また、顔料は色によって価格が異なる。 同じ青系でも「ウルトラマリン」は1kgで4~5000円、「天然ラピスラズリ」は同じく1kgで3~40万円もするそうだ。
「天然ラピスラズリ」の原石はパワーストーンとしても有名
「この色は確実に匂いがするはずですよ」
続いて、地下の工場へ。油絵の具の製造ラインを見学させてもらった。
すでに匂いが充満している
「この缶には顔料と油を仲良く混ぜるためのステアリン酸が入っています。これ自体はほとんど無臭なので、部屋の匂いは油そのものですね」
壁の絵が気になったので聞いてみると、「うちの従業員がラファエロの名画を模写したものです」とのこと。うん、絵の具といえばラファエロである。
「ご飯炊けました」的なステアリン酸は70℃で溶ける
次に、「これで油と顔料を混ぜます」と見せてくれたのが、マンガに出てくるタイムマシンのような機械だった。
時空を超える未来の絵の具
見学時は、「カドミウムイエロー」という鮮やかな黄色を作っていた。
ローラーでひたすら練り込む
「この色は確実に匂いがするはずですよ」と岩﨑さん。実際に嗅がせてもらったところ、おお、うっすらとだがマイルドな硫黄のような匂いがする。
初めての共同作業
ちなみに、下の写真は体質顔料を油で練ったもの。濃度調整用の顔料だという。
顔料には「着色顔料」「体質顔料」「機能性顔料」の3種類がある
十分に練り合わせたのち、チューブに詰めたら完成。この工場では、油絵の具だけでも340色を生産している。
サイロのような容器から注入
色の名前というのはじつに詩的だ
さて、いよいよ本題だ。隊員たちにそれぞれ好きな色を選んでもらう。
水彩絵の具
今回は、比較的匂いが強いという油絵の具の中からセレクトすることにした。
油絵の具
色ごとの光の波長を計測するソフト
できた製品と見本カラーとの照合は機械でも行うが、最終的には人間の目で検証するという。
しかし、色の名前というのはじつに詩的だ。「『パーマネントバイオレット』なんて、ジム・ジャームッシュっぽいね」という声が隊員から上がる。
たしかに『パーマネント・バケーション』という作品がある
6色の推しメンが決定、優勝は?
10分後、全員の推しメンが決まった。「フレッシュピンク」「コバルトバイオレット」「セルリアンブルー」「ピーチブラック」「フレンチバーミリオン」「パーマネントイエロー」の各色だ。
要するに、ピンク、紫、青、黒、赤、オレンジ
耐油性のペーパーパレットをお借りして、そこへ絵の具を少量絞り出す。
緊張の瞬間
無言で全神経を鼻に集中させる
ピンク…「熟女っぽい艶やかさがある」
紫…「ベーコン味のお菓子みたいな匂い」
青…「無臭です…」
黒…「インクの匂いに似てる」
赤…「もち肌の女の子の匂いかな」
オレンジ…「ちょっとスパイシー」
そして、他人の推しメンの匂いも嗅ぎ合い、かつ選ばれなかった色たちもひととおり嗅いでみたが、紫の「ベーコン」が満場一致でいちばんいい匂いとなった。
推しメンの優勝を喜ぶ隊員
僕が選んだ黒は「何か生焼けの匂いがする」という意見もあり、残念ながら支持を得られなかった。
生焼けのインク臭とは?
岩﨑さんによれば、経年変化で匂いもまた多少変わってくるという。おお、ワインのようではないか。
今回の記事のきっかけとなった「金色」についても聞いてみた。
「油絵の具の金色は作っていないんですが、アクリル系っぽい『アキーラ』 というシリーズにはあります。雲母に黄土色を混ぜるんですが、油は使わないので溶剤の匂いなんでしょうかね」
表彰台に上がる金、銀、銅
雲母+黄土色で金、雲母のみで銀、雲母+茶色で銅、になるんだそうだ。金色を嗅いでみると、たしかに溶剤的な、そして心なしか気品のある匂いがした。
紫は総合的に強かった
最後に、岩﨑さんの一番好きな色を聞くと「サファイアブルー」とのお答え。さすが、趣味がスキューバダイビング。皆で嗅いでみると、香ばしいアーモンド系の匂いがした。ちなみに、配合するのが一番難しいのは、白、青、紫を混ぜる「バイオレットグレー」だそうだ。うーん、紫は総合的に強かった。