「菩提の道場」愛媛県
四国遍路はかつての国、現在の県ごとにステージが分かれている。徳島県は「発心の道場」、高知県が「修行の道場」、そして今回の愛媛県は「菩提の道場」だ。
菩提とは、すなわち悟りの事である。という事は、私はこの愛媛県で悟りを開かねばならないという事か。しかしそれとは裏腹に、高知県から愛媛県に入っても、疲れただとか、天気が心配とか、そんな煩悩ばかりが頭をよぎる。
う~ん、幸先が不安だ。
愛媛県は、人との出会いが多い県であった。もはやおなじみとなったポングたち二人とも、この愛媛県に入った直後に再会している。
この二人は、徳島県で幾度となく顔を合わせたフランス人である。三ヶ月の休暇を利用して来日し、四国88箇所霊場を周っているという。
高知県に入ってからは長い間姿を見かけなかったものの、土佐久礼でまさかの再会を果たし、そして愛媛県ではこの二本松集落での再会を皮切りに、毎日のように会う事になる。
40番札所、観自在寺に到着
観自在寺でお参りを済ますと、時間はちょうど17時であった。私は基本的に宿を使わず、野宿で遍路をやっている。そろそろ寝床を探さねばならない時間であるが……。聞くところによると、この観自在寺には通夜堂があるらしい。
通夜堂とは、本来は夜を徹して行をする為のお堂であるが、現在は遍路が無料で宿泊できる仮眠所の事を指す。野宿遍路にとっては大変ありがたい、ご好意の施設である。
通夜堂は基本的には寝るスペースがあるだけなので、そこにマットや寝袋を敷いて雑魚寝する。お寺によっては、トイレ掃除などのお手伝いを条件としている所も少なくない(まぁ、泊まらせていただくのだから、当然ですな)。
この日は、私の他に二人の遍路が通夜堂のお世話になっていた。一人は、私よりもやや若いお兄ちゃんで、ストーブ(ガスバーナー)や食材をたんまり背負った完全自炊派。もう一人は、真言に関する知識が豊富で、読経も相当気合が入った本格派おじいちゃん。
ちなみに、右上の写真の右端にある黒光りした菅笠は、その本格派おじいちゃんのものだ。装備からして、かなり本気な感じ。このおじいちゃんとは、その後も度々寝床が一緒になる。
感涙モノ、読者さんからのお接待
龍光寺に到着したこの日、私は近くにあった道の駅に泊まる事にした。
とりあえず日が沈むまで時間を潰そうと、iPhoneでtwitterとかしながらぼんやり過ごしていたのだが、その時、ふと一人の男性が私の側に近寄ってきた。
そして一言、「木村さんですよね?」。
そう、なんと読者の方が来てくださったのだ。そして「お接待です」と、南予地方のお菓子や、特産品の河内晩柑(かわちばんかん)、それと湿布を差し入れいただいた。
これには驚き、そして感激した。これまで一ヶ月以上遍路を続けていたが、読者の方とお会いするのはこの時が初めてだったのだ。
本当に、ありがとうございました
頂いた品々も、津島町の善助餅や、宇和島の唐饅頭、薄クッキーのだんだん、それに大洲の志ぐれ餅と、まさに南予の銘菓が勢ぞろい。
どれもこれもおいしかったし(特に志ぐれ餅はもちもちの食感が気に入り、この後も見つけては購入していた)、何よりそのお心遣いが、物凄くありがたかった。
この出会いを皮切りに、愛媛県や香川県では度々読者の方がお越しくださり、お接待頂いた。いずれの方もその土地土地の銘菓など、地域への愛が感じられる、心のこもった差し入れで、大感激であった。
私なんぞにここまでしていただいて、本当に申し訳ないくらいである。遍路というのは、人の善意で成り立つものなのだなぁと実感した。
歩いて、寝て、人の助けに感謝して、また歩く。その繰り返しである。
峠と町並み、楽しい南予の遍路道
さて、引き続き南予の遍路道を歩いていく。
この辺りには、思っていたよりも良好に遍路道が残されている。まぁ、要は峠が多いという事なのだけど、山道は木陰が多いし、地面も柔らかいので足に優しい。昔の遍路の雰囲気にどっぷり浸れるのも素晴らしい。
また、町は町で、なかなかに立派な町並みを見る事ができる。古い道に古い町並み。古いもの好きな私にとって、南予地方はたまらないエリアなのだ。
お大師さんが寝られなかった場所で寝る
ところで、大洲の町から少し進んだ所には、十夜ヶ橋(とよがはし)と呼ばれる橋がある。
弘法大師がこの地を訪れた際、どの家でも宿泊を断られてしまい、しょうがなくこの橋の下で野宿をした。しかしながら、寒さと空腹、そして橋の上を通る人の杖がうるさくて全く寝られず、一夜が十夜と思えるほど長く感じたという。
その伝説から、現在も遍路は橋の上で杖を突いてはならないという慣習がある。私はそれを知らず、遍路三日目に吉野川を渡る沈下橋の上で杖をガンガン突いてしまい、他の方から大声で注意されてしまった。
そしてこれが、弘法大師が野宿したという十夜ヶ橋
うん、まぁ、何ていうか、いたって普通なコンクリートの橋である。
現在、十夜ヶ橋には交通量の多い国道56号線が通っており、さらにその上には高速道路の高架橋が覆いかぶさっている。しかも、すぐ側には鉄道の線路というオマケ付きだ。
弘法大師が野宿したという平安時代より、明らかに騒音の要素が増えている気がするぞ。
へぇ~、四国霊場唯一の野宿修行道場とな
なるほど、どうやらここは、野宿をしても良い場所らしい。なんせ、四国霊場唯一の野宿修行道場なのだから。っていうか、野宿修行道場って、四国どころか日本唯一、いや世界唯一であるような気がするが。
この看板によると、十夜ヶ橋を管理している永徳寺に申し込めば、ここで野宿をする為のゴザを貸していただけるそうだ。
弘法大師が寝られなかった、そんな場所で野宿してみるのも面白い。私は早速、お寺に野宿修行を申し込んでみる事にした。
おじいちゃんが泊まるという、立派な永徳寺の通夜堂に後ろ髪を引かれながら、私は十夜ヶ橋の下、大師像の前にゴザを敷いた。
そうしてできた今夜の寝床は、寝床というよりむしろお白洲の下手人が座る場所みたいな、そんな悲しくなるくらいにシンプルなものだ。
とりあえず、横になってみる
よし、これでOK
はい、スミマセン。結局、私はザックからエアマットと寝袋を引っ張り出し、フル装備で寝る事にした。だって、地面が凄く固いんだもの。そして冷たいんだもの。
まぁ、このように寝袋を使用していても、実際橋の下に寝そべってみると、十分修行と言えるような辛さがある。安眠を邪魔する要素は、想像以上に多いものだ。
ひっきりなしに響く車の音がうるさいのはもちろんの事、意外にも鯉とか鳩とかが、頻繁に私の気配センサーに感知されてしまうのだ。うつらうつらしていても、鯉が跳ねたり、鳩が鳴いたりするだけで、意識が戻ってきてしまう。
あと、やはり水辺の側という事もあって、蚊が多い。少し風があったので大丈夫かなと思ったが、蚊の軍団は風などものともせず、まさにどこ吹く風で、私に攻撃を仕掛けてくる。
夜になっても国道56号線を走る車の量は減らず、特にトラックのような大きい車両が通ると相当大きな音が鳴り響き、それでまた目が覚めてしまう。
とはいえ、やはり体の疲労には抗えなかったのか、それら数々の障害の中でも何とか眠る事ができたらしい。ふと気が付いたら真夜中、次に気が付いたら朝になっていた。
しかし、熟睡はできなかったらしく(何台ものトラックが行きかう夢を見た)、寝起きなのにすっきりした感じがしない。疲れも残っている。
眠れない事はなかったけど、単に意識を失っていただけという感じだ。体力の回復には繋がってないというか。むしろ、疲れた。
内子の町並みと味噌パスタ
十夜ヶ橋を後にした私が次に到達したのは、松山方面と久万高原方面への分岐点である、内子町であった。
ご存知の方も多いと思うが、内子には和紙や木蝋で栄えた時代の立派な町並みが、良好な状態で残されている。愛媛県、いや四国を代表する歴史的な町並みと言えよう。
たどり着くのが内子町
遍路道は、内子から東の久万高原へと続いていく。この内子の町並みは、内子から北の松山へと向かう街道の入口にあるので、遍路道とは若干外れてはいるものの、ここまできて見逃すのは惜しい。近くの公園のベンチに荷物を置き、町並みを見学させて頂いた。
とりあえず満足し、荷物を置いた公園に戻って一休みしていると、ふとエプロン姿の男性が私の方へと歩いてくるのが見えた。その方はやはり読者さんで、この内子でイタリアンレストランをされているという。しかも、なんと昼食をご馳走して下さるとおっしゃる。
頂いたのは、内子の味噌と豚肉を使ったパスタ
これが、お世辞抜きで本当にうまかった。
味噌と豚肉、それとナスを使ったパスタで、左の小鉢にあるもろみ味噌を加えて頂く。味噌、豚肉、ナスという相性抜群トリオが、またパスタと合うんですな。
内子のもろみ味噌もうまみが強く、豚肉もプリプリしているのに柔らかい。久々に充実した食事を堪能させていただきました。Poco a Pocoさん、本当にありがとうございます。
おじいちゃんと行く久万高原
さて、うまいパスタを頂いてモチベーションが高まった私は、内子を後にして久万高原へと歩みを進めた。
久万高原は、高原という名前が付くくらいなので、当然ながら山を上ったその先にある。内子からは、川沿いの国道379号線や、その旧道を通って、まずは小田町方面へ向かう。
この日は、久万高原に向かうその途中で日が暮れそうだったので、寝床を求めて歩いていたのだが、途中にあった「千人宿大師堂」に、本格派おじいちゃんがいて驚いた。
おじいちゃんに話を聞くと、この大師堂に宿泊させていただく事ができるという。なんでも、これまでに千人の遍路を泊めたから、「千人宿大師堂」というらしいのだ。
私もまたそのご好意に甘えさせていただき、おじいちゃんと共に、ここで一夜を過ごした。
おじいちゃんと出発
翌朝は、おじいちゃんと一緒に大師堂を後にして、共に久万高原に向かった。特に一緒に行こうとか、そういう言葉は無かったのだけど、何となく成り行きでそうなったのだ。
私は、これまで基本的に一人だけで歩いてきた。誰かと一緒に歩いたのは、たったの一度。徳島県の藤井寺に向かう途中、おばぁちゃん遍路と一緒になったその時だけだ。この時もまた、何となくの成り行きだった。
一時間ほど歩いて、突合という場所に出た。ここは、鴇田(ひわた)峠を経由して久万町に向かうルートと、小田町と農祖峠(のうそのとう)を経由して久万町に向かうルートの分岐点だ。
鴇田峠ルートは久万町への最短ルートであるが、途中に町が無い。私は手持ちの食料が心もとなかったので、とりあえずは小田町に向かう事にした。鴇田峠へ向かうおじいちゃんとは、ここでお別れである。
成り行きで一緒に歩き出し、成り行きで別れる。遍路では、その全てが成り行き任せだ。
松山市内の札所ラッシュ
昔から人が多かった場所には霊場もたくさんあるようで、松山市内には全部で8つもの札所が存在する。
それぞれの距離も近く、歩く事よりもむしろお参りに忙殺される、札所ラッシュのエリアだ。
とんとん拍子に進んでいるように見えるが、実際こんな感じである。46番から47番までの間なんか1kmにも満たないし、他の札所もせいぜい2~4km程度の距離。
しかし、これほど札所が密集していてもなかなか変化はあるもので、徐々に郊外から町中に遷移していくその光景が意外と楽しい。
松山から今治、そして県境へ
さて、松山市から今治までの道のりは、なかなか険しいものであった。それは地形的なものではなく、主に雨のせいだ。
53番札所を後にすると、次の54番札所は今治市。およそ35kmの距離が開く。まぁ、歩く距離が長いだけなら問題無いのだが、それに雨が加わると、一気に気が滅入るのである。
大雨の中、長距離歩くのはとてもキツイ。靴の中はびしょびしょで、足がふやけているのでマメもできやすいし、ザックカバーをかけても背中や底からじわりじわりと水が浸入。寝袋が水を吸った日には、泣くに泣けないものがある。
雲辺寺は正確には徳島県だけど、まぁ、三角寺から山続きでもあるし、切りも良いので私としては愛媛県扱いとさせていただいた。
まるで私が愛媛県から出るのを阻止するかのように降り続いた雨も止み、いよいよ愛媛県を抜け香川県へと入る。88番札所まで、残すところはあと22ヶ寺だ。
遍路まとめは次回でちゃんと完結します
札所巡りのみならず、他の遍路との出会い、沢山の方々からのお接待、十夜ヶ橋下での野宿など、あまりに出来事が多すぎて、収拾が付かなくなった感のある愛媛県。
「菩提の道場」を歩き切り、果たして悟りは開けたのかと問うてみると、う~ん、どうだろう。分かった事と言えばただ一つ、人間いくら歩いてもそう簡単に変わったりするモンじゃないって事ですかな。足裏の皮は厚くなるけれど。
さてさて、次回こそ本当に最後の最後。遍路日記まとめ香川高野山編は、7月22日の掲載予定です。どうぞ、よろしくお願い致します。
高知県の足摺岬で出会い、三角寺の登山口で再会して二夜を共にしたお坊さん遍路。ポーズはお茶目ですが、毎日托鉢修行もやっており、私が諦めた石鎚山にもしっかり登った凄い人