こんにちは。ゲスの極みおじさん、パオロ・マッツァリーノです。
人は不愉快な真実よりも愉快なウソを信じたがります。だから、人が嫌がる真実を指摘する者は、往々にして憎まれるものです。
少年犯罪の実名報道にはなんの効果もないという事実を指摘した私も例外ではありませんでした。実名報道が犯罪を抑止しているという考えは現代の迷信でしかないのですが、それを認めたくない人たちが激怒してわめき散らしていらっしゃる。
Don't think, feel! というセリフで有名になったブルース・リーは、皮肉にも早死にしました。
さらに皮肉なことには、彼が残した言葉がおバカな人たちに免罪符を与えてしまいました。考えなくてもいいんだよ、感じたままに行動すればいいんだよ、と。
考えなければいけません。考えずに答えを得ようなんてのはずうずうしい了見です。
ざっと見渡したかぎりでは、批判はすべて論破可能なものばかりでした。でも、個々の批判への反論はしません。正式に仕事として原稿を依頼されれば書くかもしれませんが。
私だって、くだらないこととかおもしろいことを書きたいですよ。重いことばかり書きたかないですよ。だけど、世間のみなさんがあまりにも考えてないことに、私はムカツいてるんです。反知性主義がここまで蔓延していると、黙ってるわけにいきません。
これまで雑誌などに載った、少年犯罪の実名報道を擁護する記事やコラムに目を通しましたけど、プロの書き手ですらなにも考えてない。思考停止していることに呆れました。実名報道は絶対的な正義であり善であり天誅であり抑止力であると決めつけるところから、みなさん議論をスタートしているんです。己の正義を疑うこともせず、異論を唱える者を罵倒して、正義のジャーナリズムを気取ってる。
「海外では実名報道はあたりまえだ!」
じゃあ、なんで日本より海外のほうが圧倒的に少年犯罪が多いのですか?
「少年法は形骸化している!」
じゃあ、なんで少年犯罪はむかしより大幅に減ったのですか?
こんな初歩的な疑問にすら答えることができないでしょ。答えられるわけないですよね、シンクしないでフィールしてるだけだから。
情けないのは、「数は減ったけど質が変化したのだ、凶悪化しているのだ」なんて寝言をいう人がいまだにいることです。高度成長期にも戦前にも、山ほど凶悪な事件は起きてます。過去を美化して現代をこきおろすあなたがたのほうが、よっぽど悪質です。
犯人の実名を報じるだけでお手軽に悪に鉄槌をくだし犯罪を抑止できるのだ、と吹聴すれば大衆は安心します。喜びます。でも、そんな偽りの正義を広めるのがジャーナリズムなのですか? そんなのは安っぽいポピュリズムでしょう。
私も以前は、実名報道には溜飲を下げる効果があると思ってましたけど、どうやらそれもアヤシくなってきました。だれも溜飲なんか下げてないじゃないですか。逆に怒りと憎しみを煽ってるようにも見えますが。
世論の思いこみと現実との矛盾を伝え、人々に考えることをうながすのも、ジャーナリズムの大切な役割でしょう。実名報道の効果を検証することもなく、自己満足の正義に浸っているだけなら、形骸化しているのは、ジャーナリズムのほうです。
正義や大義は必ず内に狂気をはらんでます。悪を憎むのならばなおさら、現実を正しくとらえないといけません。さもないと、正義と悪と狂気の区別さえつかなくなってしまいますよ。
[ 2015/05/09 20:18 ]
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