おおきく振りかぶって 第8話おおきく振りかぶって第8話 スゴイ投手? 『ストライク!!』 『やったぜ、ナイスピッチング!!』 『勝ったぞ、やったぁやったぁ』 『電話がいっぱいだ。お祝いの』 「廉、廉!!廉、起きなさいよ!!もう7時だよ。朝から練習あるんでしょ?」 目覚まし時計の時間を見た三橋は慌てて起き上がります。 三星学園との練習試合に逆転勝利した西浦高校。 しかし勝利の余韻に浸る間もなく、西浦高校は翌日も朝から練習があります。 《いい天気だなぁ。昨日まで合宿で、GW最後の日も練習か。3年間休みないんだろうな、分かってたことだけど。でもこのチームなかなか面白そうだよな》 「あれ?三橋じゃん」 「さ、栄口君…」 目を逸らす三橋は挨拶した方がいいのか、挨拶したら返してくれるのか、嫌な顔されないか心配だった。 「お、おはよう!!」 「はよっ」 《栄口君はいい人だぁ》 《こいつ、目が合うようになったなぁ》 「三橋って家はこっちにあるんだ?」 「う、うん…。何で?」 「三星学園は群馬じゃん。中学は寮か何か入ってたの?」 「親戚の家に。高校行ったら多分寮だった」 「どうして?」 「そこん家、女いるから。同い年の」 「え?」 「ご、ごめん…」 「あ、いやいや…そうか、女か…。例え親戚でも高校まで一緒はまずいか。可愛い?」 鼻の下を伸ばした栄口は三橋は訊ねます。 「――…怒る…」 「おーい、会話になってねーぞ」 「この間、三星に行くの教えなかったこと凄い怒ってた、電話で」 「うん、そりゃ応援したかったんだろ」 「な、投げてるとこは格好悪いから見られたくないよ」 「な~んでよ、勝ったんだぜ。格好悪くなかったよ」 「栄口君、格好良かった」 「いいって、褒め返さなくってさ」 三橋は阿部と中学が一緒だった栄口から、阿部がシニア時代に1歳上にいる“すごい投手”とバッテリーを組んでいたと聞かされ、どんな投手なのか気になるのだった。 《凄い投手と比べられてるはずだ、俺は。阿部君はどんな投手と組んでたんだ?凄い投手ってどんな投手なんだ?》 「おはよう、さぁ今日から練習前に瞑想するよ」 「瞑?」 「想?」 「そう。ま、瞑想なんて言うと、捉え所がないけどよーするに5つある脳波のうちの1つ、α波出す訓練しようってこと」 「α波…」 「さて、α波、どんな時に出てると思う?」 「部屋で寛いでる時?」 「好きな曲聞いてる時とか」 「リラックスぽい感じ?」 「うんうん、篠岡、足下に蛇!!」 「え!?キャァァァァァ!!」 「今、篠岡はすっごいα波出てる。」 「せ、先生…蛇は?」 「あぁ、嘘嘘」 「いないんですか?」 「うん、嘘だから」 安心した篠岡は座り込んでしまいます。 「酷い…」 「もう出てない」 「何それ!?」 「今のでホントにα波出てたんすか?全然リラックスしてるようには見えなかったっすけど」 「いや、篠岡からはちゃんとα波は出ていたよ。要するにリラックスとは体をだらんとさせることじゃなく、集中して余計な力を抜くってことなんだ」 「集中して…」 「リラックスする?」 「そう、篠岡はさっき何も考えずに蛇に備えてた。それはかなり高いレベルの集中なんだよ」 「何か極端だな…」 「けど、何も考えてなかったら野球できないっすよ」 「別に2時間かかる野球の試合中ずっと集中してろってことじゃない。もっとずっと短い時間の話なんだよ。例えば9回裏、2アウト、さよならのチャンスで打席に立ったとして、その状況を忘れてリラックスして打席に立つ。な~んてこと、君らにできるか?」 「無理だな」 「想像しただけで緊張してくる…」 「それが反射でできるとしたら?リラックスは条件付けでできるんだよ」 「条件付け?」 「所謂、梅干見ると唾液ってやつ」 「じゃあ、ボール見るとリラックスできるみたいな?」 「そういうこと」 「マジっすか!?」 「じゃあ、試合中緊張しないの?」 「嘘でーぇ」 「でも本当ならスゲェ」 「とは言っても、今日明日ではできるようにはならないよ。蛇から逃げるだけじゃないから体に覚えさせなきゃならないこともたくさんあるしね。で、まずはα波の出てる感じを覚えてもらう。その為の瞑想ってわけ」 「前振り、長ぇ」 「さて、誰でも日常的にα波の出てることはある。けど、いつ出てんのかは分かんないよね」 「全然」 「つーか、考えたことねーし」 「リラックスしてるかどうかを知る簡単な方法は手の温度でね。手の平ってのは緊張すると冷えて、リラックスすると温まる。個人差はあるけど、この差は大体2度だと言われている。2度っつうたら触れて分かる温度差だ。これからやるのは体感瞑想というやつだよ。体のどこか、例えば手の平に意識を集中して、そこが温かくなるイメージを持つ。実際、温度が上がればα波が出てると思っていい。丸くなって座っちゃおうか。隣の人と手を繋いで、隣の人の手の温度をそれぞれ感じてみてくれ」 三橋は阿部と手を繋ぎます。 《ん?また冷たくなっちゃてら》 「さぁ、目を瞑って。いいかい?心臓から指の先まで血液が流れてくのをイメージしてみて。自分の手が隣の人より温かければ自分の体温を分けてあげる。自分の方が冷たければ、相手に分けてもらうイメージだ。呼吸はなるべく長く吐く。長く吐くのは筋肉の緊張を解すのを助ける為だよ。さぁ、呼吸を揃えようか。吸って、ちょっとためる。ゆっくり吐いて――…吸って、ちょっとためる。朝御飯が消化されて、吸った空気で燃えて体温になるのを想像する。ゆっくり吐いて、上がった体温を隣の人にも分けてあげる。貰う人は遠慮なく貰う。僕らはチームになったんだ。―…吸って…吐いて…吸って…吐いて。はい、終わりー!!」 「もう?」 「早っ」 「5分でいいんだ。あんまやっても眠くなるしね」 《三橋の手、冷たいままだったな…》 『信頼されるっていいもんでしょ?』 《ま、相手は投手だからな。そう簡単にいくとは思ってないさ》 「さ、アップ始めるよ!!バッティングのできる時間は限られてるからね。他の部活が始まるまでロングティーやって、今日はその後県大会の試合を観に行くよ」 「試合!?どこ対どこ?」 「浦和総合と武蔵野第一!!」 《武蔵野第一だって!?》 「監督、これ何回戦ですか?」 「これに勝つとベスト8ね」 「何でこんな微妙な試合…」 「ん?微妙?」 「どうせなら決勝とか…」 「大きすぎる目標は目標にならない場合があってね、今は決勝よりこの試合の方が見る価値があるの。言ってること、分かるよね?」 「―はい」 《ベスト8の試合が微妙か…。言うね~」 その日、練習の一環として県大会の試合を観に行くことになった西浦ナイン。 「援団、浦総しかいないね」 「うん」 「俺、日焼けしよ。だって昼間はずっと練習してるから日焼けする暇ないんだも~ん」 ユニフォームを脱ぎ捨てた田島はトランクスまで脱ごうとします。 「田島君、いけない」 すぐさまユニフォームを着る「田島。 「どっちが強い?」 「浦総かな?」 「浦総は甲子園行ってからずっと強いよな」 「武蔵野は野球よりサッカーだもんね」 「そうそう、サッカー部の応援したくて、武蔵野行く女いたよ」 「あ~、いるよな」 スタンドで観戦をしていると、スタンドを見上げる男がいた。 怒らせるようなこと言ってないだろうと言いながらもフェンスを叩くので怯える花井達。 「隆也!!隆也!!隆也、ちょっと来いよ」 「誰?」 「タカヤさん?」 「タカヤさん、呼んでますよ~」 「あの、阿部君、あの人呼んでるんじゃ…?」 「隆也、手前来いつってんだろ!!」 立ち上がって、近づいていく阿部。 《阿部君、タカヤって言うんだ…》 「榛名さんだ」 「え?」 「朝言ってた人だ。ほら、シニアで阿部が組んでたって言う凄い投手」 彼こそがシニア時代に阿部とバッテリーを組んでいた榛名元希だったのだ。 「ちわっす」 「お前、どこ入ったんだよ?」 「西浦っす」 「西浦?どこ?それ」 「西浦だよ、同じ地区だよ。あれ?西浦って軟式だったんじゃ…?」 榛名を呼びに秋丸がやって来ました。 「今年から硬式になりました」 「今年から?じゃ、先輩いねえんだ。お前もつくづく人に従えない性格だよなぁ」 「榛名、試合前だぞ!!」 「うっせえなぁ。俺は4回からなんだからいいんだよ」 「公式戦なんだぞ。3年の事考えて真面目にやれ!!」 「分かってるよ、冗談だっつーの。おい、試合終わるまでいろよ」 「こっちも団体行動中ですから」 「何だ、その物言いは!?」 「榛名!!」 「分かってるよ。お前、俺の球まともに取れるようになるの半年かかったよな。体中痣だらけだったもんな。お前のパスボールで負けた試合もあったっけ…。ま、後半は形になったけど、また取れなくなってんぜ。よく見とけ!!」 「先輩ぽいな」 「シニアの人かな?」 《武蔵野の子と知り合いなのね。ベスト8がどうとかよりこの試合を見たくなかったのかな?》 「榛名さんだろ?」 「あぁ」 「でかくなったね」 「うん」 「朝、三橋に言ったんだけどさ、俺、阿部は榛名さんと同じ学校行くと思ってたよ」 「ぜってぇ、嫌だよ」 「何で?榛名さん、すっげぇ投手だったじゃん」 「あいつは最低の投手だよ」 《最低の投手…!?シニアで関東ベスト16で、阿部君が組んでたはずの投手なのに…何で最低なんだ?》 「葵、先発が違くねえか?」 「秋にうちとやった時も先発は香具山だったよ。香具山から2点とって、4回からあいつがリリーフした。榛名から1本も打てねえで、3-2で負けたんだ」 「榛名、ライトじゃないっすか。榛名が投げねえんなら寝る」 「寝るな、利央」 「明日の試合に備えて睡眠とる」 「明日は準々決勝だぞ。1年に出番なんてねえよ」 「ベンチ入りしてんだから分かんねえでしょ。例えば、今日、和さんが車に轢かれれば…」 「お前、嫌なこと言うなよな」 利央は首からさげていた十字架を取り出します。 「ごめん、ばあちゃん。今のはなしって神様に言ってくれ」 「ラスト、行きます」 《ライトの子って、さっき阿部君が話してた子じゃないの。あれが榛名君だったんだ…。野球じゃ無名だった武蔵野が急成長した原動力。秋は見逃したのよね。一体どんな投手なのか》 「な、さっき話してた人ピッチャーなんだろ?」 「投げないの?」 「投げるよ。4回から投げる」 「何で4回から?」 「自分で厳密に球数制限してるんだ。シニアでは80球しか投げなかった」 「厳密って何だ?」 「80球で絶対降りるんだ」 「絶対か…」 「ホントに80以上投げないのか?」 「投げない。例え満塁でも、2-3でも、敬遠の3球目でも、その球数が来たらマウンドを降りてく。そういう奴なんだ」 「でも、スゲェな」 「それで許されてたんだ…」 「ってことは…」 「相当、いい投手?」 「球は速いよ」 「何!?燃える!!」 「榛名はよっぽどスタミナねえのかな?香具山もそう悪くはねえけど初めから榛名が投げてればもっと楽に勝てんじゃん?芝先輩、何でだと思います?」 「分かんねえ。けど、投げられるんなら投げるべきだろうぜ。毎年、ベスト16までは色んな学校が混じるんだよ。私立、公立、古豪、新設、部員数だって9人ギリギリから、うちみてーに100人越えるとこまで。だけど、ベスト8になるとグッと実力が均衡する」 「武蔵野は負けますか?」 「涼、お前はどう見るよ?」 「そうっすね…少なくとも力温存しといていい試合じゃないでしょうね」 「チッ」 《榛名さんだ、阿部君が首を振る嫌いな投手は榛名さんだ。阿部君の根元んトコに榛名さんいる!!》 「おーい、また先頭出したぞ」 「香具山じゃ無理だって。手遅れになる前にリリーフした方がいいぞ」 「ま、監督の読みじゃ武蔵野はここまでなんだけどな」 「そうなんすか?なら何で?」 「夏のためだ」 「偵察っすか?」 「あそこ、川越北だ。その向こうは大宮経済、所沢南、上尾一高、他にも近場の奴らが来てる。おっさんだけでビデオ回してんのは私立陣営だ。もしかしたらプロのスカウトもいるかもしんねえ」 「プロ…すか!?」 「俺も今んトコ、晴菜はイロモノだと思ってる。けど、こんだけの人を集める奴なのも事実だぜ。それにお前、同学年だろ?今年はイロモノでも来年はどうなるか分かんねえぞ」 香具山は調子が良いのか浦和総合のレギュラー相手に1回1点で抑えていた。 「3回まででいいと思うと、初めっから全力出せるんだよね。9回まで投げようと思ってたら、いっくら気合入れても序盤にこういう投球はできねえもん。全力だと案外何とかなるもんだな」 「ニヒヒヒ…」 「ムカつく、さっさとブルペン行け!!」 スパイクで蹴られる榛名。 「うほっ」 「柔らけぇな、おい」 榛名が出てきたので、姿勢を低くして見ている田島。 「何、怒られてたん?」 「怒られてねえよ」 三橋もキャッチボールしている榛名に驚いていた。 「おい、金網の向こうは公式戦だぜ。隠れろよ」 キャッチが座り、榛名がボールを投げるのを息を呑んで見ている田島と三橋。 そのボールを見て泣いている三橋は小さくなります。 《榛名さんは最低じゃない。最低じゃないよ、阿部君!!阿部君がこんな球受けてた人だったなんて…コントロールがいくら良くても…っ…変化球がいくつあっても、この速球の魅力とは比べものにならない・―…阿部君が俺を褒めてくれたのは相手が気持ちよく投げられるように…って褒めてくれたんだ。褒め言葉をそのまま受け取って図に乗っちゃ駄目だぞ。阿部君はスゴイ投手を知ってる人なんだ。俺が投げやすいようにって思ってくれたのはホントだよ。そこだけもらって、それは大事にしよう、大事に》 「なおったか?榛名、行っちゃったよ。あー夏、当たんねえかな。そしたら俺が打つからさ、厳密にさ。そいで厳密に勝つ!!」 《た…田島君、その厳密、何か違う…。俺は当たりたくない。けど、もし当たったら…。そうだ、俺と榛名さんの勝負じゃない。野球は皆でやるんだ。投げさせてもらえるんなら、俺は一生懸命、投げよう…!!》 次回、「過去」 ジャンル別一覧
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