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M17星雲の光と影

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2006.12.07
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テーマ:感じたこと(2893)
カテゴリ:その他
ひとつの表現をある言語から別の言語に翻訳することは、きわめて創造的かつ刺激的な行為である。

それはまず母語に対する意識を高める。自分が日頃使っていることばの意味の範囲がどこからどこまでなのかということは、その語だけを使って生活している限り、あまり意識されることはない。外国語との意味領域の違いやずれを知ることによって、そのことに気づかされることが多い。

自分が言わんとすることの意味の不明瞭さに気づかせてくれるのも翻訳の利点である。日常生活において意味の明瞭でないことば、形式的で中味に乏しいことばを私たちは(少なくとも私は)大量に使っている。それらのことばの「意味のなさ」にはっと気づかせてくれるのも、それを外国語に置き換えようとする時であることが多い。

しかし、いくら翻訳が有意義だからといっても、それを行うためには、ある程度の語学力が必要になる。日本人の多くは外国語ベタである。かくいう私も例外ではない。だからほとんどの人にとって「翻訳なんてとてもとても」ということになってしまう。

せっかく自分の母語を振り返り、ブラッシュアップし、ことばへの意識を高めるための有効な方法があるのに、それを多くの人が使えないというのではもったいない。なにかよい方法はないものだろうか。

そこで私はひとつの提案をしたいと思う。たとえば「ひらがな」訳のすすめというのはどうだろうか。

「ひらがな」訳とはなにか。それは漢字を主体とした表現をすべてひらがな語に翻訳することである。

そんなの簡単じゃないか。漢字をぜんぶひらがなにすればいい。そう思われる方もおられるだろうが、そんな単純なものではない。

たとえば「平仮名で書く」という文を考えてみよう。これは誤解の余地のない表現である。しかし、これをひらがなにあらためると、「ひらがなでかく」となる。ああ、ひらがなで書くんだなと思われる方が多いだろうが、なかには「えっと、もっと巨大なひらがなで書かなきゃいけないのかな。なんだか怒られちゃったよ。」と思われる方もいるかもしれない。「ひらがな でかく!」というわけである。

漢字は便利な表現媒体だ。それは独立性、自立性が高く、意味をコンパクトにまとめた情報パックのようなものである。「平仮名」というパックと「書く」というパックを「で」という助詞で連結すれば、誤解しようのない表現が生まれる。

しかし、ひらがなは基本的に音である。意味ではない。だから、ひらがなだけで書くと「え、いったいどこで区切ったらいいの」という問題が頻繁に生じてくる。漢字をそのままもとの音にすれば、それで済むというものではない。ひらがな訳とは、漢字をひらがなとして意味の通る自然な表現に置き換えていく作業なのである。

漢字が意味を担う媒体である以上、意味の明確さ、一義的な解釈が求められる法律の世界は、当然、漢字が支配する世界である。いま、試しに憲法の第九条の第一項を書き写してみよう。


日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。


これをひらがな語に訳してみるとどうなるか。

訳例その1

にほんじんは、ただしいことときまりをまもることのうえにきずかれるせかいのへいわをこころからのぞみ、たたかいのどうぐをつかっておどしたり、じっさいにたたかったりすることは、せかいじゅうのもめごとをおさめるてだてとして、とわにこれをつかわないことをここにちかいます。

こんなところだろうか。すくなくとも日本人が何を切実にのぞんでいるかということはひらがな訳のほうが具体的に伝わってくるように思える。すこしだけ地に足がついた感じがする。あるいはひらがな訳に対しては「空疎な理想論」という批判をぶつけにくくなるのではないだろうか。

ことは翻訳に限らない。ひらがなだけで文章を書くということは、かなりの集中力と神経の細やかさを必要とする。これは外国語の翻訳に類似した行為といっていい。このひらがな訳によってことばの音に対する感覚を養い、空疎な観念語を多用することを避け(という表現自体にかなり空疎な観念語が含まれているが)、正確でわかりやすい日本語表現力を育てることができるのではないかというのが、私の考えである。


訳例その2。「グレート・ギャツビー」冒頭部(しかし、しつこいな)

ぼくがまだわかくて、こころがきずつきやすかったころ、おとうさんがこういってさとしてくれたことがある。そのことばについて、ぼくはなにかあるたびにおもいをめぐらせてきた。
「だれかのことをとがめたくなったときには、こうおもうんだよ」おとうさんはいった。
「よのなかのすべてのひとが、おまえみたいにめぐまれてるわけではないんだって」


こう訳してみて気づいたのだが、村上春樹氏の訳文はほとんど「ひらがな」訳する必要がない!だって、元の訳文はこうですよ。


僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。
「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」


彼の訳文がほとんどひらがなで、あるいは「ひらがな」文脈ともいうべきもので構成されていることがわかる。そのことが彼の文章のしなやかさ、読みやすさ、わかりやすさ、イメージの鮮明さにつながっているようにも思える。いや、これは意外な副産物だったな。少なくともひらがな訳の有効性を示す貴重な実例といえるかもしれない。

訳例その3

わがはいはねこである。なまえはまだない。
どこでうまれたか、とんとけんとうがつかぬ。なんでもうすぐらいじめじめしたところでにゃーにゃーないていたことだけはきおくしている。


驚いたな。いうまでもなくこれは漱石の「猫」の冒頭だが、漢字をそのままひらがなに改めるだけで十分に意味が通る。最後の「記憶している」を「おぼえている」とするくらいしか手の入れようがない。どうも名文家は同時にひらがな使いの名手でもあるらしい。

しかし、この世には名文ばかりが存在しているわけではない。

続いて、今朝の朝日新聞「天声人語」の冒頭を引く。


「この欄のちょうど裏、本紙朝刊2面の下に毎月今ごろ、文芸誌の広告が四つ並ぶ。今月は新年1月号の広告で、右から群像、文学界、新潮、すばるの順だ。」

これをひらがな訳してみよう。

訳例その4

このぶんしょうのちょうどうらがわ、あさひのちょうかんのにまいめのしたのほうに、まいつきいまごろ、ぶんがくさくひんののっているざっしのおしらせがよっつならんでいる。こんげつはしんねんごうのおしらせで、みぎから「ぐんぞう」、「ぶんがくかい」、「しんちょう」、「すばる」のじゅんになる。

なんだかいらいらしてくるなあ。あんまりあたまのよくないおじさんが延々とぐちを垂れているような文体になってしまう。ひらがなにしてもちっともよくならないし、むしろくどさが増してくる。どうもひらがな訳には欠点を際立たせる効果もあるらしい。どうもこれでは気分が悪いので、添削を加えた「ひらがな超訳」に挑戦してみよう。


訳例その5

このぶんしょうをあかりにすかしてよんでみてください。うらがわにざっしのおしらせがよっつならんでいるのがすけてみえるでしょう。いわゆる「ぶんげーし」のしんねんごうのおしらせです。みぎからじゅんに「ぐんぞう」、「ぶんがくかい」、「しんちょう」、「すばる」となります。

せめてこれくらいにはならないのかしら。すくなくとも天声人語の書き出しを全文ひらがなにすると、意味はまったくちんぷんかんぷんになってしまう。ひらがなをイメージしないで文章を書くと、こういうことになってしまうんですね。よいこのみんなはきをつけましょうね。あんまりよくないこ、わるいこもついでにきをつけておきましょう。

ということで、今回はささやかなる「ひらがなのすすめ」でした。ちゃお。






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Last updated  2006.12.07 20:00:15
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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