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アフォーダンス的海賊論

アフォーダンスという考え方があります。ウィキペディアを見ると

環境が動物に対して与える「意味」のこと


などと書いてあります。たとえば通りに面した白い壁にはすぐいたずら書きがされます。ところが黒い壁だとなかなかいたずら書きはされない。

いたずら書きはいたずら書きをする人の公共心のなさとかが普通は問題にされるけれども、アフォーダンスの考え方では、白い壁がいたずら書きをしてくれとメッセージを発しているのだと考える。発想の逆転ですね。

さて、海賊版が作られるのも発想を逆転させれば、作品のほうに海賊版が作られる要因がある、と言えます。

わたしは二つの異なる要因を考えたいと思います。

まず最初に、「作品に内在する価値ゆえに海賊版が作られる」ということがあります。

ある作品に感動したら、つい友達にも「これを読んでみろよ」と勧めてしまいますね。それが物理的な本の形をしていれば合法的に貸すことができるのですが、電子書籍の場合だとなかなか難しい面があり、ついつい海賊版を作って分け与えるということになってしまう。この場合、別に海賊版を作ってもうけようというわけではない。ただ感動を分かち合おうということが海賊行為の動機です。文化というのはこういうふうに広がるし、こうした活動の中で作品の選別が行われ、文化のピラミッドが形成されていく。

次に海賊版が作られる要因として、「出版社なり企業のサービスが悪すぎる」ということが考えられます。

たとえばフェイスブックとかいろいろなフォーラムでアメリカの第三シーズンのドラマが評判になったとしますね。ネット上に国境はないからヨーロッパの人もこの話題に興味をもつわけですが、さてドラマを見たいと思ってもヨーロッパではまだ第二シーズンのDVDしか出ていない。そういう場合、最新のドラマ見たさについ海賊版を入手するというのは、違法だけど、人情としてよくわかります。

ずいぶん昔の記事で恐縮だけれど、いつも海賊版をダウンロードしていたゲーマーが、あるゲーム・メーカーのサービスのよさに海賊版の使用をやめてしまったという記事が載っていました。(こちらです。)

わたしはゲームのことはよく知らないのですが、どうもこのゲーマーの方はめんどくさがり屋さんらしい。ゲームを買うとシリアルナンバーとかいちいち覚えて置かなければならないし、店に買いに行くのも面倒くさい。アマゾンに注文したら何日か待たなければならない。

しかしあるゲーム・メーカーはそうした手間を一切省いて、すぐにゲームを楽しめるシステムを開発したのだそうです。するとこのめんどくさがりのゲーマーはもう海賊版の使用をやめてしまった。メーカーの正規のバージョンを使ったほうが便利だからです。

わたしは本に DRM をつけて消費者の製品使用にいろいろな制限をつけることは、逆に海賊版を作ってくれというメッセージを発しているような気がします。

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No title

初めまして。

仰る通りですよね。。でも、たとえユーザビリティの良いサービスを作って多くの人が正規版に移ったとしても、それでも海賊版がなくなるわけではない…。企業側としてはそれは利益損失と考えてしまい、何とかして防ぎたいと思ってしまう―。

この「何とかして防ぎたい」という思いも、アフォーダンスになるのでしょうか…。あるいは「利益追求主義」がアフォーダンスになるのでしょうか…。この辺りのご考察をぜひお聞きしたいです。

Re: No title

コメントありがとうございます。
ご質問の趣旨はよくわかります。ただこの問題は歴史を振り返らなければなりませんね。海賊退治とか企業の利益追求というのは著作権ができてから以降の、ごく近年の現象でしょうから。海賊行為やパブリックドメインの歴史はとても面白い研究テーマで、わたしも勉強の途中です。
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tkaoru

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