シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

傑作ワインの基準で、傑作アニメについて考えてみる

 
orangestar.hatenadiary.jp
 
 No.I don't think so.
 
 私はid:orangestarさんから、このように言及されるとは思っていなかったので、驚いてしまいました。たとえるなら、「はてなシティの海辺で小魚を網で捕っていたら、突然、空から鯛のおかしらが降ってきた」ような驚きです。
 
 さておき、私も自分の意見ってやつを書き並べて、インターネットディベートごっこをやりましょう。「違った意見」をぶつけあってホカホカできる相手って、あまり見つからないですからねえ。
 
 

「傑作の定義は人それぞれ」という原則論に立ったうえで

 
 まず、あらかじめ断っておきたいのは、「傑作」という言葉の定義は曖昧だ、ということです。リンク先の記事についたはてなブックマークにも、さまざまな「傑作」定義に基づいたコメントが並んでいますね。「傑作とはなにか」の定義は人それぞれであって構わないでしょう。また、同一人物においても、時と場合と対象によって定義の揺らぎが生じるはずです。
 
 ただし、これでは「傑作」について意思疎通がとれなくなってしまうので、「私が語る傑作とは」「ここでいう傑作とは」みたいな但し書きが必要になります。
 
 ひとつ前の記事でも、私は
 

『鉄血のオルフェンズ』を、私は傑作と評することはできません。ただ、ここでいう「傑作」とは、セールス良好で、みんなの話題と記憶に残るような作品になる、という意味です。この視点で言うと、『Vガンダム』『ガンダムF91』といった、一部の愛好家に熱烈に愛される作品は「傑作」に含まれません。もちろん『TV版の新世紀エヴァンゲリオン』も「傑作」に含まれず、どちらかというと『けものフレンズ』や『魔法少女まどかマギカTV版』あたりのほうが「傑作」という認識です。

 と書いていて、ここではセールス良好でみんなの話題と記憶に残るような作品を意味していますよー、と前振りをしています。
 
 ですがちょっと失敗もしました。私は「傑作たるもの、完成度が一定の水準に達していて、破綻や欠点が大きすぎず、そのジャンルのほとんどの愛好家が高い評価を与えざるを得ない」と付け加えておくべきでした。なぜなら、『TV版の新世紀エヴァンゲリオン』も、あれはあれで社会現象に繋がるほどセールスに貢献し、みんなの話題と記憶に残る作品だったからです。でも、私は『TV版の新世紀エヴァンゲリオン』を「傑作」とは呼びません。24話までは、傑作と呼んで差し支えなかったでしょう。でも25話と26話は事実上未完成*1だったので、TV版だけでは「傑作」と呼ぶのは憚られます。劇場版の25話と26話が加わって、ようやく「傑作」らしくなりました。
 
 このような考え方は、ワインを楽しんでいるうちに身に付き、他ジャンルの鑑賞にも適用されるようになったものなので、それについてツラツラ述べてみます。
 
 

傑作ワインと、傑作に届かないワイン

 
 愛好家にとって、傑作の名に値するワインとは、どんなワインでしょうか。
 
 たとえば、良いヴィンテージの5大シャトーやロマネ・コンティを綺麗に熟成させた品が、「傑作」なのはほとんど間違いありません。ワインの場合、愛好家のコミュニティと市場が成熟しきっているので、コピー不可能な傑作ワインはたちまち奪い合いになり、傑作ワインほど高騰します。そういう点において、ワインは値札と「傑作度」が比例しやすいジャンルかもしれません。
 
 ところが、「値段の張るワインほど傑作ワイン」と言い切れないところがワインの面白くも恐ろしいところで。以下のような場合、ワインの値段は「傑作度」に一致しません。
 
 ・高評価なワイン生産者が失敗して、傑作とは言えないワインを出荷してしまった
 ・生産地のネームバリューが強く、生産者がヘボでも高い値段がついている場合がある
 ・傑作ワインの作り手が新たに誕生したが、まだ無名だから異様に安い
 ・世界的な味覚の流行に合わないワインだから、激しい奪い合いになっていない*2
 ・ヘボな生産者が良いヴィンテージに助けられ、すばらしい出来のワインを作った*3
 
 こういった状況があり得るので、「高価なワイン=傑作」と思ってかかると、ワインの道はたちまち阿呆の道に転げ落ちます。「高価なワインだけど、こいつは傑作に成り損なっている」「安価で無名なワインだが、こいつは傑作だ!いや、これから傑作として有名になる!」って可能性をよくよく見定めなければ、ワインが傑作かどうかわからなくなり、他のワイン愛好家からも「こいつは値札しか見ていない阿呆だ」と思われるんじゃないかと思います。

 私は傑作と呼べるようなワインには、香りの変化のバリエーションが豊かで、味わいにも飽きるところがなく、呑み心地良く、引っかかるところが少なく、それでいて人を感動させたり、ワインについて何かを語らずにはいられなくなるような、あるいは自分が頭が良くなったり、自分の五感が拡張したかのような、そういった体験を期待します。驚きも必要でしょう。
 
 酸っぱすぎるとか、渋みが強烈過ぎて飲みづらいとか、そういう要素で減点されるようでは「傑作度」は下がります。傑作ワインというからには、円満で調和のとれた、それでいてワインの造られた土地の個性が反映されているものであって欲しい。
 
 こういった基準になぞらえて「傑作」を考えると、例えば以下のワインなどは、私のなかでは直球に「傑作」に相当します。
 
polar-vineyard.hatenablog.com
polar-vineyard.hatenablog.com
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 これらのワインは、生産地も違うし、年齢も違うし、方向性も違います。ですが、さきに述べた「傑作」の要件はすべて満たしているし、減点されるポイントがありません。猛烈に感動し、自分の頭が良くなったような錯覚を伴い、美点ばかりが連想され、粗探しをしても欠点と言えるほどの欠点が見つからず、個性や主張がハッキリしていました。
 
 もちろん、こういった「傑作」ワインの足元には、「傑作」になり損ねたワインや「傑作」の2歩手前で立ち止まったワインがたくさんあります。
 
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 5大シャトーですが、まだ抜栓には早かったのかもしれません。2020年頃に呑んでいたら「傑作」なのかもしれませんが。
 
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 ここのワインは軽やかさが身上で、この2007も非常に軽やかです。でも、2007年のヴィンテージにありがちな酸っぱさが勝ちすぎていて、酸っぱいワインが好きな私でも弁護しにくいほど「難しい」ワインになってしまっていた。
 
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 まとまりがあって、品が良く、打ち解けやすい、大変良いワインでしたが、感動したり頭が良くなったりする錯覚を伴っていませんでした。「佳作」なのは間違いないし、むしろ普段飲むならこういうワイン。でも、「傑作」ではない。
 
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 ものすごく面白いワイン。香りもバリエーション豊かで、味は円やか。白ワインなのに濁っていて、ビックルみたいな色をしている。「問題作」としては十二分の出来栄えながら、フランスやカリフォルニアの王道ワインを倒すほどの総合力には至らない。
 
 
 上に挙げた4つのワインを、私は「傑作」とは言わないでしょう。「有名なワイン」「個性のあるワイン」「よくできたワイン」「問題作」として、それぞれ一定の水準をクリアしているとは思いますし、「佳作」というボキャブラリーなら似合います。でも、「傑作」と言って良いとは思えません。なぜなら、さきほど挙げた傑作の要件をみたしていないからです。
 
 そして、「傑作」か「佳作」か「駄作」かといった評価基準とはまた別に、「好きな」ワインという基準があるのは言うまでもありません。
 
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 このリンク先で挙げたワイン達は、お手頃価格で手に入るものです。感動を伴ったり、頭が良くなったと錯覚したりもできません。ただ、「酸味の強いワインが好き」という私自身の嗜好にはピッタリなので、万人にはお勧めできないけれども、一人で楽しむならこれらで十分という気はします。
 
 

傑作ワインの基準で、アニメやゲーム等を考えてみる

 
 さて、このような観点をアニメやゲームを眺める際に適用してみましょう。
 
 まず、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』は、
 




 
 こんな感じです。
 
 素性も独自性もあり、キャラクターもよく磨かれた作品ながら、終盤になって手を抜いたか判断を誤ったために、「傑作」にあって欲しい円満さ・隙の無さが伴わなかった――ワインで比喩するなら、これはまさに、傑作になりきれなかった時のブルゴーニュの特級です。目を見張るものを含んでいるけれども、商品としての完成度に問題があり、愛好家が諸手をあげて称賛する作品にはなれなかった、そんな感じでしょうか。
 
 『ガンダムF91』『Vガンダム』は、バランスの悪いワインに喩えられます。好きな人を惹き付ける猛烈な個性はあるけれども、商品としての出来栄えは、これ、どうなのよと。ツボにはまると病みつきになる作品なのは間違いありません。問題作でもあるでしょう。そうですね、ワインっぽく言うと、これらの作品は“すごくスパイスが利いている”ので、“スパイスの香り”に惹かれる人が高く評価するのはわかるんですが。
 
 でも、どんなにスパイスが陶然としている品でも、酸っぱくて、粗があって、人を極度に選ぶようなら、私は「傑作」とは言えません。どんなに「好き」な品でも、「傑作」とは頭のどこかで区別しておかないと、頭が混乱してしまいます。
 
 私は、「「好き」と「傑作」を区別しておかないと、頭が混乱してしまう」と書きました。はい、ここでいう傑作の基準は、頭で考えて・頭で整理しているきらいがあって、自分の好みや、自分の心に突き刺さってくる度合いとは、いくらか*4距離を置いて判断したい、と思っているわけです。わざわざ冒頭に「No.I don't think so.」と書いたのも、そういうことです。
 
 
 ちなみに、この基準でアニメやゲームをいくつか総評してみると、
 
 ・『君の名は。』は傑作の名に値するとは思う。が、『天空の城ラピュタ』ほど円満なつくりとは言えない。しかしこのあたりまで来ると、円満かどうかは些末な問題でしかない。
 
 ・『攻殻機動隊S.A.C.』も、だいたい傑作なんじゃないかと思う。今見返したら古く感じられるだろうけど、それでも、だ。
 
 ・アニメ版『この素晴らしい世界に祝福を!2』は、すごく好みだがチープな作品。「傑作」には程遠いけれども、チープなりに円満なアニメに仕上がった。好きな人が酒を飲みながら観るにはちょうど良い。
 
 ・『けものフレンズ』を「傑作」としたけれども、ちょっと小柄で、「大傑作」とは言えない。ただ、完成度はメキメキ高い。マイナーな産地の、不人気な畑で、信じられない出来栄えのものを作ったという印象。『ガールズアンドパンツァー』もこれに迫る印象。
 
 ・『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』は、オープンワールドゲーだが任天堂っぽさが充満していて、その任天堂っぽさが、自分の好みではない。だが、よくできてはいる。「傑作」の部類と想定されるが、もっと奥のほうまで遊んでみるまでは、判断を留保。
 
 ・『ダライアスバーストAC』は「傑作」。『ダライアス外伝』も「傑作」。『Gダライアス』は、色んな意味でものすごく頑張っているとは思うけれども、「傑作」と呼ぶには粗が多すぎた。
 
 ・『Air』は、当時の表現力やジャンル内のリソースを考えれば傑作と呼べる完成度だった。人の心を動かす、かけがえのないパワーも十分に持っていた。だが、時間が流れ、『Air』を傑作と呼ぶ要素が剥がれ落ちてしまい、表現力のアベレージが高まった結果、『Air』を2017年に傑作と呼ぶのは難しくなってしまった*5。
 
 ・アニメ『神撃のバハムート』は、一期はかなり良くできていた。二期も、二期なのに頑張っている。好きな作風ではないし、小品には違いないけれど、手放したいとも思えない。
 
 ・『シヴィライゼーション』シリーズで傑作を一つ挙げろと言われたら、迷わず4を挙げる。個人的な好みで言うと3を挙げたくなるが、3はシステムがこなれていなかったので、4の完全無欠さにはかなわない。5はイマイチだったので6はやっていない。
 
 
 こんな感じになります。
 
 

ただし、自分の好みを忘れるのは愚の骨頂

 
 ここまでを読んだ人のなかには、「なんだなんだ? 頭で考えてアニメを見たりゲームをやったりしているのか、こいつバカだなぁ」と思った人もいるかもしれません。
 
 いやいや、私だって、頭でこねくり回すだけじゃ駄目ってことは心得ているつもりです。四年前の私は、以下のようなブログ記事を書きました。
 
p-shirokuma.hatenadiary.com
 

 その際、たぶん注意しなければならないのは、「凄い/凄くない」を意識しすぎて、自分自身の「好き/嫌い」を忘れてしまうこと。
 「俺は凄いアニメを知っているんだぞ」的な功名心がはやるあまり、自分自身の「好き/嫌い」をほったらかしにし、傑作といわれる作品を必死に追いかける人をみかけることがある。もちろん、そういう時期もあっていいとは思うけれど、やり過ぎは危険だ。自分の「好き/嫌い」の感覚がだんだんうすらボケてきて、巡り巡って「凄い/凄くない」がかえってわからなくなってしまうかもしれない。

 
 これは、ワイン愛好家にもよく当てはまると思います。巷には、好きなワインを好きなように呑むことを忘れて、傑作ワインを探し求めてグルグル目になっている愛好家もいます。でも、自分が好きなワインをほったらかしにして、頭で考えて傑作ワインを探し過ぎると、ワイン愛好家は魂を失い、アンデッドモンスターになってしまうのではないでしょうか。私はワインセラーの幽霊にはなりたくないので、傑作ワイン狙いはほどほどにして、好きなワインと日常を共にしたいと願っています。
 
 アニメやゲームについても同じで、傑作と呼ばれる作品ばかり渡り歩くと、魂が死ぬんじゃないかと思っています。私は、傑作ワインの基準で傑作アニメを考えるのは楽しいと思っていますが、それが自分の「好き」を押しつぶすほどになったら、愛好家としては終わりだとは思っています。逆に言えば、頭で考えても魂を汚さないためには、「好き」って気持ちが強くなければ駄目なのでしょう。
 
 だから、冒頭リンク先でorangestarさんが切々と説いていることを、私は否定的に読む気にはなれませんでした。ただ、「好き」だけでは何かが足りないと思い、ワインというジャンルに赴いて作品と向き合う際の新しいモノサシを手に入れたつもりです。こんなモノサシでみてるんだぁ、と、生暖かく見守っていただければ幸いです。
 
 

ワインがわかる

ワインがわかる

 

*1:ちなみに私自身はあの25話と26話がものすごく“好き”で、私の人生を変えたのはここだと思っています。自己啓発セミナーみたいだって?うるせえんだよ!

*2:例:ソーテルヌ

*3:例:2009年の、あまり有名ではない生産者のブルゴーニュワインの幾つか

*4:絶無、とは申せませんが

*5:私は、「時代や状況が傑作を定義する」という考え方をわりと持っていて、たとえばゴッホの絵が傑作と呼ばれるのは、ゴッホの死後にゴッホの絵を傑作とみなす枠組みが生じたからだと思っています。バッハもまた然り、古風/現代風のワイン達もまた然り。鑑賞・評価する枠組み無しに「傑作」という観念を語るのは難しいのではないでしょうか。