2024年 01月 27日
和声学:旋法和声_教会調の概念
和声の生成はどのようにして経過していったか。和声が始まった状況をこれから考えていくわけであるが、この論議はどうしても実証的・分析的・理論的・論理的な命題を設定する必要がある。なにしろその現場に居合わせた音楽理論家がいるわけでもない。また和声のもっとも古い文献や資料にしても、何世紀もたった頃のものである。しかしだからといって、規則禁則を設定して歴史的存在から離脱してしまう規定、つまり、歴史的存在を規則論のための単なる材料におとしめる反自然的な推論・俗説などではなく、確かな歴史的・実践的実在の証明に基づいたものであることは、いうまでもない。もちろん、私たちが獲得した和声学の知識が和声の生成のいわば始原的な姿においても成立するとしたうえでの話である。 前置きはこのくらいにして、和声の始まりについて実証的な思索を進めよう。 ________________________________________ 古くから和声の事象現象とは、相対立する構造によって相互に影響され存在しているものである。何を多旋律的とし、何を和音的なものとするか、という構造認識においても、絶対的な基準は存在せず、すべては相互依存的であって歴史的に変化する。中世・ルネッサンスそしてどのような時代にも、双方の様式_「多旋律的(ポリフォニック)」と「和音的(ホモフォニック)」は常に和声構造の領野に存在していたのである。音楽辞典でもふれているように、この区分は多旋律的と和音構造ということになる。すでに、中世の音楽理論家 J.ティンクトーリス がこの区分を「多旋律的であるということ」と 「多旋律的ではないということ」というかたちに概念化している。それがやがてルネッサンス時代、ツァルリーノ が論じる以前に B.ラモス、P.アロン によって、音楽作成の方法論の説明として「多旋律的構造」と「和音的構造」という意味になる。だが、この存在は従来の音楽理論が説明してきた用語の概念操作といったものではなく、むしろこの存在の同時的思考の遂行こそが和声を成立させたのである、と現代の理論家はみるのである。 「多旋律的と和音的構造が共存して和声になる。この共存の同時的思考とその準備とともに、和声としての存在の歴 史が始まる。多旋律的存在と和音的存在との同時的思考は、和声的思考の単なる1教程といったものではない。それ は和声の歴史における音楽の主要な_作成原理_を示している」 このように、この同時的思考が和声を成立させるのだとしたら、当然その和声には、この思考の区分(どこから多旋律的で、どこから和音的構造であるか)を明らかにするどころか、それを問うことさえできない。和声には「この共存の同時的思考の区分は隠されている」のである。和声学しても同じことだ。実在検証のなかで分析・比較分類の機会が生じ、事実認識が育まれ、結果として可能性の選択が現実となり、自由な思索につながる。もはや和声学は、学習者を規則論に縛りつけるシステムではない。実在と実在を介し、伝統技法とその演習を提供し、情報データの伝達のなかで価値体系が生まれる「場」を準備するシステムと変わるだろう。限定禁則的な擬似和声は存在しない。情報ネットワークによって実在の思考環境が生成されていくのである。もちろん西洋音楽の基盤となる教会旋法も存在するし、旋法和声もあるし、その環境で思索する学習者もいるのである。ただ、価値の重心が「無根拠規定・不整合矛盾」ではなく「実在の思考環境」に移るということだ。情報ネットワークでの出会いから、実在と実在との新たな認識も、もしかしたら新発見もあるのである。 ところで、ルネッサンスの理論家も、その当時の音楽が「多くの点で共存の同時的思考に従っていた」みており、その「共存の同時的思考は、あの原則を執拗に論じる人たちよりも、はるかに新時代的な作成原理や構成要素を採用している」と考えている。ジョスカン・デ・プレやオケゲムの音楽に影響されたマレンツィオとパレストリーナが、中世的な旋法の特性を受け継いだ段落と終止和声_導音カデンツ」_とは異なる存在概念にもとづいて独自の和声を表出しようとしていたことに、次世代のバロック_モンテヴェルディも気がついていたようである。モンテヴェルディからみると、「絶えず変化する事象現象」、つまり生成発展する和声とは「異なる思考による存在」であり、いわば固定化をまぬがれた思考によるものである。そして、この和声の世界のすべての思考による存在は、歴史的存在概念に由来する「思考」と、それとは「別の由来をもつ構成要素」との結合および融合体と考えられている。この場合、構成要素となりえるものは「伝統的存在概念」以外にない。 現代の和声学の概念定義によれば、和声概念の和音的傾向すなわち和音的思考が高まる16・17 世紀には、_実践的認識による存在概念_先行する時代の各旋法の旋律における固有の性質が「3和音の和声」のなかに継承され、「新しい教会調概念の作成原理」への先駆として_「 14 世紀に始まる導音カデンツ」と「段落和声の変化を図るための転移導音カデンツ」、旋法性に由来した「段落・終止の和声的傾向」、原初的な変ロ音化による「カントゥス・モッリスおよびカントゥス・ドゥルス」、多様で動的な、変化音を用いた「和音の性質変化と種類変化」、必然的に、あらゆる方向が可能な「根音進行」が、バロック前期_C.モンテヴェルディの和声に認めることができる。では、モンテヴェルディが伝統的教会調概念を根底に据えて新たな様式を構築しようとした旋法和声とはいかなるものであろうか。 #
by cantus-mollis
| 2024-01-27 14:45
| 和声学:旋法和声_教会調の概念
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2024年 01月 27日
メディア情報社会においては、学習者個人が発信あるいは受信する情報は増大している。このことは、学習者が依存してきた和声学におけるさまざまな定義的プロセス_理論・論理・概念・実在認識_を弱体化した。これらの仮説は、絶え間なく変貌してゆく情報内容に対して対応することができない。しかも、検証・分析・概念定義の拠点として機能しえなくなっている。 歴史的なアイデンティティの由来喪失が語られるのはそのためである。情報社会のこのような特質は、規則主義がもたらした禁則限定という概念規定と並んで伝統的様式に依拠した価値規範にかかわる学修から目的性を失わせることになった。検証と分析の自然的基礎論を拒否した。検証分析によって与えられる伝統的様式も排除され、実在認識は衰退した。現在、日本における和声テキストのプログラムは、内容からみると両極端に別れる。一つは、検証分析の基本が確立していないため定義力が乏しく、その結果、正しいとされた公理は決して自明なものではあり得ず、限定された同一のものを一集合にまとめた特殊な抽象に帰することから、概念定義と元の対象_バロック・古典派・ロマン派音楽で展開された和声法(技法)および和音連結(書法)_とが合致しなくなる。他は、本来的実体の本質をめぐる認識論を欠いた旧態ルールの切り貼りや丸写しをするだけで、新しいプログラムと名づけるには安易につくられていることが多い。諸対象の概念およびその規定に従う演習となると、バス課題の旋律が少し変わるというわずかの程度で、同じことの繰り返しでは習得の動機と結びつかない。 そもそも、和声学における概念の形成過程の概念化は、基礎理論としての実在検証、つまり、原則的には対象との合理的な体験から得られる事実に基づいて行なわれ、しかも理論には事象現象間の関係と機能とに焦点を合わせ、実在する和声的事実の現実性と効用性を確保しようとするものであることが求められる。そのため、ことに基礎論では、機能的な実体論への思考を確保しその実質的内実を説明するには、古典音楽という歴史的存在概念としての現存在の考察に基づく実証的研究が必要となる。考えてみれば、これらの理論的前提条件は誰もが認める合理的な経験によって得られる共通感覚は常識として、また、現代の文化社会が受容する古典音楽の和声法は有効な伝統的・実践的存在として肯定されるのが自然な姿であろう。従来のプログラムが両極端に走らざるを得なかったのはこの事情を物語る。 ところで、その必要となる実証的研究から次のことが明らかになる。この研究においては、伝統的・実践的存在の検証と分析という言葉が和声学上の基礎的な指標を意味しているということである。つまり、古典音楽とは、その存在とは何かを問いかける音楽的な思索であり、長い時代を経て現在なお高く評価されている音楽的な存在を指すが、音楽的な思索と存在がもたらす和声の概念定義は、説明的思惟の役に立つものである。和声学の対象とするものが、限定制約の局所的概念ではなく、対象の包括的な多様性・変化性の概念について述べている理論と論理であり、それを通して知識体系が構成されている構造そのものであったからである。 私たちは、何らかの存在と向き合いその事実を知るために学ぶのである。私たちは知ろうとする事実がどのようなものであるか、事実は私たちに対してどのように働きかけてくるのかを考察しようとする。それが私たちの和声学を学ぶ方向であり、その方向に沿うことが前提となってはじめて、事実の認識が可能になる。学ぶ目的をこのように定義すると、私たちは次のような命題によって時代が要求する和声学のあり方を見定めることができる。 いわゆる和声に関する分類と組織にかかわるプログラムの構造化は、基本的前提・実体概念・一般原理を基盤とする体系にほかならない。体系には様々なものがある。西洋音楽史でいう旋法和声や調和声・拡張的調和声などは体系である。また音組織などは、多種多様な種類があり、全体は相互に関連し合ってひとつの統一体として体系をなしている。そして、ひとつの時代性、文化性のなかで、旋律進行・和音進行などの諸要素は、それを構成する個々のものが均衡を維持して存在している。いずれも体系である。 そこで、特定対象全体の和声を構造化するために、バロック・古典派・ロマン派・印象派を視野に収めた歴史的存在概念についての「理論と演習」には、「モンテヴェルディからドビュッシーまで_ 大作曲家11人の和声法 上・下巻_ 全音楽譜出版社」をテキストとして用いる。 歴史的存在概念の構成によれば、和声の歴史に沿った分類と組織にかかわる構造体系は、次の4項目およびその総合である。 和声学: * 旋法和声_バロック前期の和声 調和声_バロック・古典派の和声 拡張的調和声_ロマン派の和声 混合和声_印象派の和声 総合_相対的構造体系 この体系は、古典和声という実在した対象との実践的交渉、全体的な考察や聴取をもとにして認識され、なんらかの特徴・特質・原理によって「定義」される。その意味において、認識とは、対象の論証の過程の妥当性そのものを問題とするのが仕事である。そして定義とは、概念に含まれるすべての属性を、明確に与えることである。とはいっても定義の基本的な問題は、その対象は現実性と効用性を確保しているものであり、一般的に実在し熟知されている必要がある。和声学が解明しようとしているのはまさにこういった可能性の活動状態である実在の本質性にほかならない。 検証と分析の説明においては、書籍の出版に際して、適当なページ数への配慮があったため、やむなく多くの「譜例(連続5度および連続8度)」と「演習例(rough sketch)」を削除したが、このサイトではそれらを可能な限り記載した。 さて、プログラムを進める前に、このテキストについて多少説明を加えておくことにしよう。 伝統的な鍵盤・管弦楽・声楽・合唱という様々な演奏媒体から、自らの和声を引き出す人間的実現行為は、なにもかもがモニズムによって示されるものでなく、個々の時代に生きた大作曲家の実践における目的意識がそれぞれ異なるのは否定できない。つまり、"想像のかたち"はひとつではないことになる。大切なのは相対的な見方であって、人間が、経験として与えられた古典和声というネイティヴな世界から発せられる”多様性・変化性”を見い出すのである。その世界はその場の現実性に応じて幅があり、通常いくつもの選択肢に分かれている。 音楽家や歴史家の関心を惹く、人間的で人生のありふれた一断面であるような例を挙げてみよう。たとえば、J.S.バッハのようにモーツァルトもベートーヴェンも生真面目な作曲家であると同時に、彼らは、当時の宗教と文化社会において、セレモニーのための委嘱作品、編曲活動、それに加え現代的・進歩的なハンマー・アクションのピアノを生み出すきっかけとなる即興演奏にも精力を注いだ。その音楽活動での和声の試みは、実験的な試行であったが、斬新である。しかも、「和声空間の機能的な可能性を縦横に発展させる」という未来の音楽思考とつながったクリエイティヴな実践であって、その様々な和声法は注目に値する。 和声を学ぶ楽しみは、新しい発見にあるのではないだろうか。未知の和声法を知ることに楽しみを見いだす人は少なくない。もし、古典音楽のなかに展開される創出活動のあり方が、その本質を欠いたもの、ルールに従っていないもの、正しくないもの、つまり、例外というのであれば、どんな原理も存在しないことになる。なぜなら、音楽文化とその再現活動のなかで感受されるもの、評論されるもの、規範とされるもの、それはやはり何らかの価値ある実在に違いないからである。それを考えると、体験から得られる対象の真の姿を学ぶためには、「歴史上および実践上の実在に適応する生きた認識方法」のあるところへ、そして人間が享有する自然な調感覚に蓄えられた「人間の素質や能力を発揮し活動させる実体概念」に立ち戻ってみる必要がある。 和声学について認識論的また検証的に論じようとする場合、古典和声の世界が私たちの日常的な経験と知識の多くを構成する「分析資料」「様式特性」「理論体系の基盤」であることは無視できない。私たちにとって歴史的・実践的実在の還元とは、人々が認めてきた和声における事象現象の起源・構造・妥当性を明らかにし、その対象に共通の相対的な性質を定義することで初めて可能になるのである。 理論構成の骨格となる定義の問題は重要である。それは、言葉による言語的定義と、具体的な譜例を指し示す定義がある。定義を行う場合の基本的な問題は、対象は一般的に熟知されている必要があり、認識根拠とその過程の有効性が求められる。しかし、言葉による解説という言語的定義は、そこにおいて用いられる言葉の定義からはじめ、その再定義を求められ、それを避けるために超越論や固定観念論的な思弁に現れた循環定義に陥る危険がある。和声現象の事実は言葉だけで説明しようとすれば破壊されてしまう。理論構成の前提条件となる対象の検証分析もない、さらにいえば、歴史的・実践的存在の譜例提示もない説明の意味は事実に背くものである。したがって、譜例提示を極端に嫌う公理設定は和声学の一般的なあり方としてはあり得ないのである。 有効な理論書は、不明確な言葉による解説ではなく、できるかぎり多くのカタログ(実在という第1資料)を示すことで理論構成を行うのはこの点への配慮である。西洋においては大作曲家の創造的な「和声的実践の足跡」が譜例である。また、和声の再現を可能にし和声を「再認識可能な対象」にするのも、さらに、和声の世界を何世紀にもわたって「保存」し続けさせるのも譜例である。 それを踏まえ、テキストは、一般的に熟知されている対象を直接指し示す譜例に基づいて構成されている。補いとして短い説明文を載せてあるが、いうまでもなく、和声概念の定義の役割を果たすほんものの解説者は譜例である。定義を行う場合の基本的な問題は、言葉による解説よりも、その概念に属する実在を一つづつ指してやることが有効であることもある。それは文字や記号で言い表わせない事象現象を伝える「ナビゲータ」であり、対象を説明する言葉がもつ不十分さを指摘してくれる。そして、専門家を志す人間の自己形成に必要な実証モデルとしての確かな資料や知識となる。このことから、音楽的なものと認識されている和声的な意味の多くも、私たちが音楽的に適応した結果得られた音楽的なシステムによるものと考えることができる。とすれば、和声を創造した大作曲家たちの音楽的なシステム、つまり和声システムとは、限定制約という概念規定から切り離してとらえられる可能性と、人間の音楽活動における現実性と有効性に結びついた歴史的・実践的実在である。それ以上に信頼できるサンプルがほかにあるだろうか? 各セクションの課題には、本来的に西洋和声様式の本質性とよく融合する欧米諸国の民謡を載せてある。これらの民謡は、音楽歴史において創造された当の古典和声が大作曲家の実現行為によって現実化されるそれ以前にすでに何であったかを告げるものである。美術・建築の分野に言いかえれば「それが存在した起源的存在」となるものであるが、旋法和声や調和声などまさしく生成の場面に置き戻してはじめて理解し得る概念であろう。その「本質存在」となる輪郭・略図・概要、すなわち_実践的実在=譜例_を十分に吟味しながら「演習」を進める。もちろんそのステップ・アップのためには、抽出されたテーマとなる「響き=イメージ」を、いわば増幅し具象化してみせる対象を聴くことのできる環境はどうしても欠かせない。明らかなことではあるが、まずは、私たちを取り巻く西洋古典音楽が創出した特定対象の和声現象を「事実の証明をもって認識する」ということから始め、その上で「古典和声を体験する」という “ 2つのモティベイション ” があるなら、 現代の音楽文化社会と繋がりのある認識と実践力は自ずと備わる。 音楽の世界において、古典のもとで音楽の源泉や和声の構造を左右しているものは、可能性の活動状態である人間の現実性がもつ動的(ダイナミック)な実践(プレゼンス)であると言われる。それゆえ、和声への関心を満たすためには、実在と疑似、説明と弁明、有用無用の区別をつけ、私たちもまたそれと同じ多種多様(リアル)な構造(メカニズム)を理解する必要がある。いいかえれば、人間の現実性すなわちその素質や能力を発揮し、実際に活動させた大作曲家たちの和声を想像する際に手がかりとした、聴感覚の実体と知識体系が発見できる「直示的定義」である。 演習と作曲という両者の意味は、必ずしもそれぞれが一つの機能をはたすとは限らない。その意味は、実践的課題の視点において多義的に、あるいは互いに境界線を引くことはできないものとしてはたらいて、しかも思惟可能な概念を獲得し得る古典的な実践であることは否定できないのだ。言い切ることのできない曖昧な論理で、実在が指し示す実践を演習から締め出すことは、人間の力動的な表現の大部分とその事実認識の機会を失うことである。 大作曲家は、たとえば歴史的存在概念についての基本的命題として和声の多義性と機能性を表出している。 「並進行(連続)5度」_事実存在の認識 「並進行(連続)8度」_機能性と強調性 そして、和声学基礎論となる技術知、つまり、古典和声において壮大な完結をもたらす和声法を、声楽曲や器楽曲のなかで実践してみせている。 「導音処理の自由化」「第7音の実在的機能性」_非限定性原理_理論や演習領域でのシンボル機能 「伝統的な技術知」_現代の和声学においても有効な “分析データベース“ しかし、こうした西洋的思考の伝統として定着した「人間的表現」の除去と、「事実認識」の遮断は、基本的前提である対象つまり「歴史的・実践的実在の有用な技術知」をも否定する。そのために限定に規制される「概念定義」が、和声学の分野で発展を遂げられなかったことを考えると、私たちは事実を眺め直すことを無視する「理論・論理の無秩序な状態」が判断できる。さらに、他のどこにも向かおうとしない均一な演習の「不透明性(規則)」や「不整合(禁則)を充分に知ることができる。理論的論理的説明のなかで事象現象が正確に類別され定義される状態が「秩序」というものであって、検証も分析も種類の区別もなく、みな同じように定義された状態が「無秩序」であることはいうまでもない。 無秩序な状態を定義するのは簡単で、たった一言でよい。たとえば、声部と和音の進行は一つに限定され均一であるとか、それ以外は誤りであってすべて禁じられる、といえば十分である。ところが、均一でないと、その概念定義には多くの資料が必要になるのは大作曲家の和声法を調べてみれば明らかである。このような和声の世界の特徴と性質は、想像のための知の担い手である人間の創出活動と連動しているのである。とすれば、私たちはここから人間的実現行為の問題に導かれることになる。少なくとも事実考察によって習得した体験を様々な形で積み重ねていくことは、多くの芸術家・認識者・経験者が歩んだ道をたどることと同じになり、人間が常に考えている本来的実体を知る、という目的に役立つものであるといえる。たしかに、人間というものは、生来、音楽のいろいろなサウンドに対して感性が働く人と、働かない人とに別れている。言い換えれば、ハーモニーというものに興味のある人と、興味のない人とに分れているというのである。和声の作成能力に、もって生まれたものが関与していることは誰もが知っている。だが生来といっても固定化され絶対化されたものではない。検証分析の対象となる古典音楽の情報およびその資料データすなわち学習環境によって、和声への関心度は大いに変わるからである。実践の規範として、芸術作品の一般的事実に触れることができる環境と、現実的な実践さえ耳にすることもできない環境とでは、その学習成果において「違い」が出てくるのは当然である。 上述したように、学習者の作成能力は学習プロセスによる後天的なものであろう。とりわけ和声音楽の実践と美的なものの概念が、その起原以来いかに多種多様で変化する質性をもっていたかを考えれば、なおさらである。音楽芸術に関わり生きている人間が、現実体験や実践以前にまずはルールがあると論じることは、直接的な探究を放置した観念論を盲目的に受け入れた結果である。とすれば、人間の美的経験が歴史的に具体的・現実的に確立されていく芸術作品の実践的構造を知ることによって、私たちの想像力が広がることは明白である。つまり、学習者が固定観念の芽を摘み、思い込みという内向き思考をいかにして脱するか、また、その目的をどうしたら果たせるかは、専門分野における基本的知識、必然性のある合理的な概念的方向と視点、そして自らの美的体験を基盤にしたノーマルな学習方法を知っているかどうかなのである。 さて、和声学はいったいどのような理論の概念枠組と結びついているのであろうか? このプログラムの目的はそういった概念枠組について何らかの手がかりとなるような考察を行おうとすることにある。そこで、まず最初に私たちが出発点としたいのは、人間の世界経験に根ざした対象の検証分析である。対象の検証分析は、私たちが生きている社会的かつ文化的な状況に依拠したものであり、音楽的な意味に関する判断と切り離せないものである。とするなら、和声学が概念化しようとするのは「実在的事象現象」と「検証分析的内容」がもつ事実、つまり現実に存在する「実在性」と、実在性にとって音楽的な判断の基準となる「古典的対象」がもつ事実にほかならない。それを検証分析に基づき次の4項目に分けて示してある。 1:「バロック前期_モンテヴェルディ」 2:「バロック後期_J.S.バッハ、古典派_モーツァルト、ベートーヴェン」 3:「ロマン派_R.シューマン、ブラームス」 4:「印象派_ドビュッシー」 人間は根源的に実践的存在である。自己の芸術的構想を具象化する。つまり前時代が遺した諸条件の上に新たに歴史を創造していく存在である。その実践は、空間に向かって形のない音群の状態を切り抜け、それらを自らの自由意識にしたがって秩序だてていくのである。大作曲家の実践には秘密がある。その実践力は私たちの心を無条件にとらえる。作曲家が私たちの耳もとに提供しようとしているのは「解体と再生という想像物」そして「実在的な音楽芸術の楽しみ」にほかならない。とすれば、それらは伝統的継承性によって支えられた「生きている人間が体験する事象現象の動的な概念」の側にある。結局のところ彼等自身の独創的な様式によって、また、彼等が次世代的様式の構造化を助けることによって新しい概念枠組を生み出す確かな要因となっているのではないだろうか。 ルールによって事実を証明することはできない。これは事実を構成する歴史的な実践的存在をことごとく示すことは不可能という理由からではない。そうではなく、実質的諸価値を包括した多種多様な古典和声のあり方は存在するが、そもそもルールによる絶対不可分な唯一正しい和声のあり方などというものは存在しないからである。言い換えるなら、20世紀後半の多くの音楽理論家が古典和声に関わる認識根拠とその過程を事実の考察に基づいて実証しているように、和声の起源以来、理論は歴史上のどのような時代においても、各時代にはそれなりの理論研究と情報社会の到来によってあらゆる方面に開かれた多元性を示すようになっていたからである。限界内にとどまる規則主義者の思考は、歴史に存在するコスモス全体においてはすべての人間的な言説、すべての歴史的存在を貫いている人間的な思惟を中断するものにすぎない。 古典和声の検証分析 ① _実際に機能している基本現象 ② _実在概念の本質的定義 ③ _分析領域と基礎論 対象の確かな検証と分別のある概念化を望むのは、事実を直視したいとする学習者に共通した願いであろう。その限定された象徴的概念を考え直すことは和声学にそのまま当てはまる。和声の創造は規則禁則というドグマを拒絶しながら、伝統の継承と革新的方法に関心を向け解体と再生をテーマにする。したがって、そのサンプリングは芸術的媒体_それが記録された歴史的存在_に関わりのある専門知識の基礎となる。また、事実認識や実践的課題のためのモデルとしてもっとも価値があるのは、現象の現実的な法則を見い出し私たちのさまざまな精神的・身体的状況に相対的な表出の発見を可能にしてくれるものである。だが、事実の発見に出会うには、豊かな発想とそれを見逃さない注意深さが要る。 _practice_ 理論書は3つの機能を備えた「プロット」にもとづいて編集してある。 まず、単元名に記したテーマとなる響きを「 ① 聴く探す_ follow up」することは和声学にとって無視することのできないトレイニングとなる。つぎに、その響きも数多くあるなかのひとつと考え、他の多様で変化のある事象現象に「② 近づく_approach」。それらは、いつでも使用可能な状態で目の前に存在する現実的で有効な表出法であることを、また、日常的なコンサートの演目・インターネット上の音楽配信などが示すように、現代の文化社会において人間が享有する共通感覚であることを認識する。つまり、_バロック・古典派においては起源的な旋法和声と動的で開放的な調和声、_ロマン派・印象派において拡張された調システムと混合和声の新しいコンテクストの存在を知ることである_①②の準備が整ったら、いよいよ「③実践_practice」である。対象の実在検証による和声法を基盤にしながら、つねに、可能性の開かれている「歴史的・実践的実在(譜例)」を「理論・鍵盤演習」に応用してみよう。 _rough sketch_ 演習において重要なことは、先行課程において把握した原理と知識をそれ以降の演習に引き続き用いる機転である。そして、演習例がけして一つだけではあり得ないということ、また、理論における基本的前提および概念的方向は、私たちの感覚・感性と経験的世界に分かち難く結びついていること、つまり、その音楽的で合理的な概念は古典和声における構造特性の検証データに基づいて構成されているということである。さらなる演習例として、システムの効用性を再確認するためにも随所に_ Booth「 ラフ・スケッチ rough sketch 」_を設定した。 そこには、テキストの掲載された譜例のほかに、大作曲家の代表的な作品、たとえばバロック_モンテヴェルディの演習であるなら「Madrigals」「Orfeo」「L’ incoronazione di Poppea」、J.S.バッハであれば「Suiten」「Brandenburgishe Konzerte」「M-atthäus Passion」、モーツァルト、ベートーヴェン「Piano sonate」「Symphonie」、R.シューマン「Fantasie-stücke」「Wal-dszenen」、ブラーム「Intermezzi」、印象派_ドビュッシーにおいては「Preludes」「Estampes」「Images」に試みられた和声法を、テーマに応じて示してあるので参考にしてほしい。 _古典和声の始原_ 西洋古典和声にある「存在論的機能」つまり「実践的実在」の多義性は、私たち日本人にはそれほど分かりにくいものではない。原則や声部書法の規定によっていっさいの本源性を抜きとられた脱け殻のような疑似和声ではなく、「人間の素質や能力という可能性」を豊かに包み込み、そこから生成されるような存在だからである。大作曲家たちが多義的な「始原の存在」ということで考えているのも、このような存在であるにちがいない。 すべての「存在論的機能」は、それが限定ではなく、したがって実践的実在であり、したがって多義的であるがゆえに、ある本源性を含むものなのである。そういう意味で、西欧人はこの「本源性」つまり「始原の存在」とは、何世紀にもわたって音楽的思考の伝統として定着した実現態(音楽が音楽として立ちあらわれてくる実在)_「民謡」である、と理解している。_とすれば、演習課題に設定された西欧諸国の民謡には、大作曲家が考えた「柔軟(スマート)な和声」がよく似合う。 概念定義の基盤となる譜例は、すべて、西洋音楽における芸術作品から引用された和声システムであり、そのコンテンツが和声学の「出発点」となる。いわば、それらは私たちを取り巻く音楽的な出来事の核心にあるような「実践和声」である。概念の形成過程における多種多様な検証分析は、思考の概念的方向を指し示してくれる多くの直接的なコンポーネントとの意思疎通をはかろうとする人にとっては、どうしても体験する必要がある関門であろう。さらに大事なことは、そうした状況に正面から取り組み、いかにして「可能性のある実在」に到達できるかを考え、学習者が積極的に自分のための和声についての概念形成ができたら、と願っている。 私たちは情報を記録するという意味ではコピーやペーストで用が足りる生活をしていて、「楽譜を書く」という習慣からつい離れてしまいがちであるが、楽譜を読むという音楽人 2000年の蓄積はおろそかにできない。楽譜を書くことは、対象とする概念の形成過程で、和声の世界全体の特徴と性質を生成している事象現象を検証することを目的としている。得られたデータは、様式特性や概念定義の再生、演習内容の効用性の向上、他の楽曲の分析といったことに役立てられる。その過程は、かならず楽譜をともなうものである。この楽譜は認識根拠とその過程の「眼」と「耳」として機能する。 したがって、学習者は、実際に知り得た対象についての「情報の記録(検証・分析・理論)」と「諸活動(事実認識・概念形成・演習)」そして「自己表出という究極の目的から和声を聴くときの手がかり」となる「実在性(事象現象)」すなわち「演習を支えている譜例」すべてを「リアルタイム」で「連動」させるためには、ごく近いところに自筆の記録が必要になる。それが5線譜スペースの設定理由である。しかしこの書籍の紙幅では、それに対応する「空の5線譜」の数は充分ではない。だが、そうした「演習スクリプト蓄積」の具体的な方法については、旋法和声_バロック前期の和声 _( 9. 教会調による音程と和音の連結 )_に示してある。 記号が本来もつ特徴とは、両方の間に入って仲立ちをするものである。認識において、記号のもつ役割は、対象を別のもので認識する手段である。知ることは何かについて知ることであり、対象を必要とし、対象についてある判断を形成するための概念化を前提としている。記号はその代わりをするものにほかならない。ところで、新しい概念枠組から今までの知見を眺め直すことのできない古い知識にとらわれ、バロック音楽においては和音の意識はなかったという閉ざされた歴史観、さらに、そのような記号がまだ存在していない16・17 世紀に創出された音楽の検証や分析において、それを用いることは無意味であるという、基本的意図がうまく読みとれない日本独特な俗説と幼稚な考えがあった。 しかし、記号は対象を通して多様な指示関係のネットワークを成す解釈項へと連鎖していく。それゆえ、世界各国に共通した「ヨーロッパ方式の伝統的な和音記号」と「欧米人が現代において考案したコード・ネーム」は、対象の明確な ID となって実証的な理論上に登場してくるものであり、示唆的なものである。その表記(シンボライズ)は決して無意味なことではない。 和声作成のために、規則禁則を覚えるのに何ヶ月もの時間をかける前に、もっと効率的に時間を管理し、作成能力をのばす方法を考えてもいいのではないだろうか。ルール遵守能力評価を得ようと焦ってエクササイズ・ヴォリュームの矮小な、バロック・古典派音楽を解析したという言葉だけの歪んだ基本的前提、しかも変化が苦手な規則、安易にゲーム化されてしまうような質の低い禁則(和声学の体系としての無矛盾性の追究が主要な内容である”中級・上級課程”では捨ててしまうもの)に熱中していては、和声は逃げるばかりである。だが、事象現象に関する事実の存在を得るために譜例を読み響きを聴く、という冷静な姿勢で臨めば、検証・分析・演習能力そして和声の一般の知識は自然に身についてくるものなのである。 和声を聴く_バロック音楽の旋法和声を_マドリガルやコラールで西洋の古典和声を感じる_モンテヴェルディの和声で旋法性を聴く_譜例を見ながら聴くバッハのコラール_その調和声の進化を_古典派和声における開放的な人間の思惟選択を学ぶ_ベートーヴェンとロマン派シューマンの和声はどこが違うのか_なぜ日本人はその違いが判らないのか_印象派の音楽から混合和声を聴いてハーモニー・スパンを広げる。その上で「Web -音楽配信」を活用すれば、それを通じてより多くの情報を得ることが可能になる。そのような問題意識をもつのはいくら早くても早すぎるということはない。したがって音源媒体を介して和声を聴くに際しても、終止形だけを聴くのではなく、和音変化や同形反復のリズム、用いられた和音の種類、段落・終止における現象の違いをすべて吸収してみよう、という目標がないなら一般原理の修得はできない。 ところで、「初学者にとって解説が少ないと演習ができない」という声を耳にするが、それは大切なことと、得ることが少ないこととが反対になる考えではないだろうか。このように、和声学習において個々の感受能力は軽く見られがちである。相手は目には見えない和声、対象となるものは旋律と和音、その見えないことで想像は膨らむ。というのも、響きを言葉にした語学的な記述を追いすぎると自然な聴感覚は鈍るからである。いずれにせよ、和声学の基本的な演習は実際の音の助けなしでは困難である。より正確にいうなら曖昧な言葉による解説ではなく、現実に存在する事象現象が音符で記された直示定義として指し示される確かな譜例を、何らかの形で示してくれる「何らかの音源がなければ」和声感覚を身につけることは不可能でああろう。 今日の和声学は実在検証の成果や分析の結果資料を基盤にした学問であって、その発展は、和声法の検証面での技術的・質的な進歩と、実証学の、それも特に実証研究の進歩を抜きにして語ることは不可能である。一方で和声学は、本来的に理論的・演習的なものであり、内容的にはもっとも総合的な学問であるから、規則や禁則は、和声を考えるうえで何の役にも立たないとして一蹴する人の方が多い。たしかに現代和声学以前に比べると、和声学において実証研究の果たす役割は飛躍的に増加し、今世紀に入ってその大部分は和声学の領域となり、さまざまな基本的な問題が解決されてきたのは事実である。 実在を見失った時代に、他性を異質なものとして例外視する規則論の時代に、わたくしたちは何ができるのか。失われた実在を追憶しつつその実像が立ち現われるのを待つことだけ、と現代の研究者や理論家は考えている。和声学の基礎論とその演習において必要なことは、悩まず実在する和声を聴き続けることである。様々なジャンルの名曲などを繰り返し聴き、音楽の歴史において人類が蓄積した「基礎的想像力」、過去に経験した事象現象を思い起こす「再生的想像力」、さらには、新しい事象現象を思い浮かべ根本的矛盾がひそむ固定観念から私たちを解放する「創造的想像力」の原点に直接触れることなのである。 そこでまず、その「和声の変遷」から検証していくことにしよう。 中 村 隆 一 「 大作曲家11人の和声法 」 著者 #
by cantus-mollis
| 2024-01-27 14:43
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2024年 01月 27日
和声の変遷
和声の変遷 p.10 ~11 歴史家がいう「和声の歴史」とは、いっさいの超越論や枠組みを超えて、多様性の中に存在している「一般的に熟知されている和声の世界の総体」を指す。和声学において、和声の歴史に関する考察と分析による実体概念の本質的規定が理論構成のための基本的基準となる。古典という実在と古典という言葉の意味の論点をつなげることは、また、そのさまざまな和声の様相をたどること、古典の和声を知ること、そして共有することは、そうした対象を再生することでもある。したがって、和声についての事実に基づく情報といわれるものは、特定対象を存在した通りに保存しておく必要のあるものであって、多種多様な生成の中から検証を通じて歴史的・実践的事実によって構成されたものである。とすれば、そこで、理論構成はどのような基本的基準によってなされるのか、という対象の認識方法に関する質性と、その価値が多様を通してどのような普遍妥当性を真に確保できるのか、という「和声の歴史的経緯」に関する実証性が問題になる。 では、以下その歴史を事実に基づいて考察する。 Direction1) p.10 ~p.11 (見開き) 「和声の変遷」を開いてみよう。 D2) 中世から印象派までの、「年代」と「時代様式」の名称を順序立てて覚えておこう。 ;時代様式は7つの名称 教会旋法の歴史的な3 種の区分とその多様化 Q1) 800~1900 年代における西洋古典音楽の「根源的音組織」とは何を指すのか? 長・短音階ではないことは明らかである D3) 音組織における教会旋法の時代によって変わっていく数的変化を指摘する。 西洋音楽の歴史には多数の音組織の体系が存在した Q2) 変化音_ B♭ ・F♯_ が文献上に現われたのは、いつ頃か? 左ページ、音組織 ↓ 変化音_の項、最上枠 その譜例と理論書名は、p.25 下段 [ N. B. ] D4) 教会 12 旋法の名称に注目。 D5) 和声の根元的な音組織として定位されている_教会 12 旋法_がどのように変容していく のか。その概要を考察しなさい。 D6) 変容する教会 12 旋法の歴史観は、古典和声学という理論体系(現実態)の「骨格」とな るものである。 教会12旋法 ↓ D7) 20 世紀において、和声学に生じた新しい展開_「伝統的な音組織の復活とその多様化」_を 支える旋法と各音階の名称を覚えよう。 |音程・和音| ・ ・ D1) 5種の時代様式の名称は「太字」で示してある。 Q1) 9世紀から17世紀までの和声様式を何と呼ぶのか? D2) 音程・和音_の歴史的な経緯をたどってみる。 音程 ↓ Q2) 和声現象において3和音素材が生成されたのは何世紀頃か? 音程 ↓ ▶ 音程と3和音 ↓ 3和音 ↓ 3和音と7の和音 ↓ 和音構成法の多様化 D3) 「3度・6度」の用法変化に注意。 Q4) 15c において「3和音」は、いかなる音程の集積と捉えられていたのか? Q5) 「導音化」の概念は、どのような時代様式・和声形態において創出されたのか? D4) 「和音性質変化」とは、 たとえば、短 3 和音を長 3 和音に変化させるという和声 法(志向)などによっても、新たな和音素材が準備されて いることを意味する。 長3和音化 p.117 譜例 76. 短3和音化 p.123 譜例 78. 減3和音化 p.127 譜例 80. 増3和音化 p.131 譜例 81. D5) 音組織_「変化音」そして音程・和音_「変化和音」の発展的構想である「根音変化和音」 という素材が、古典派和声においても多様な構造特性の進化の要因となっていたことをその 考察と分析によって知るであろう。和声の世界の、根元的で伝統的な和音素材に注目。 |和声作法| p.11 ・ ・ フォーブルドン Q) 15世紀の特徴ある和声作法とは何か? [ N. B. 1 ] p.46 譜例 30. 実線の括弧└──────┘ p.47 譜例 31. 譜例 32. 半音階法 Q) 「半音階法」は西洋音楽の歴史において連綿と続いた概念である。その拡張は19世紀末 の和声音楽ではとりわけ特徴的な構造特性であったが、それ以前に半音法が盛んに実践さ れた歴史があった。それはいつの時代か? [ N. B. 2 ] 考察と分析: p.60 譜例 54. p.282 譜例 147 ポリフォニーとホモフォニー ホモフォニーの実践的事実と実在性は18 -19 世紀だけに限らた和声様式ではなく、西洋和声音楽におけるどのような時代にも存在した。和声様式のこうした西洋的な理解の仕方は、たしかに、大作曲家の発想を解きほぐしてみれば明らかにそこに存在していたものであり、決して強引でも筋違いでもないのである。してみれば「ポリフォニー」とか「ホモフォニー」と言われる場合、その時代区分を単に2つに区分してそう難しく考える必要はなさそうである。 その事実を確認してみよう。 「ホモフォニー」はバロック・古典派時代よりもはるか以前に存在した和声様式である。 その和音的効果やポリフォニーに対して相対的な構造特性はすでにどの時代に生成されて いたのかを、図表において追跡すると、 中世 ● 和音効果 p.31 15c ● ポリフォニーとホモフォニー p.49 16c ● ホモフォニー p.58 にその事実が認められる。 [ N. B. 3 ] 考察と分析: p.31 譜例 12. p.49 譜例 33. p.58 譜例 45. 47. 48. 18 世紀 D) 時代様式_バロック後期・古典派における和声作法の概念を指摘しなさい。 19 世紀 D) 時代様式_ロマン派における和声作法の概念の名称を引き出してみよう。 20 世紀 D) 時代様式_印象派の和声作法において20世紀の音楽を象徴する構造特性と作法の項目 に注目。 |段落・終止法| p.11 ・ ・ 終止における低音進行は,様々な形態がある: D1) 低音2度上行の終止の実践を把握しなさい。 中世・ルネッサンスの枠 ↓ 低音2度上行 ↓ 例 _ p.26, 27, 28, 32, 34 D2) 低音2度下行の終止および5度下行のカデンツ(終止)を参照しなさい。 ↓ * 低音2度下行 ↓ 例 _ p.32, 34, 35, 40, 42 * 低音5度下行 ↓ 例 _ p.49, 50, 51, 52 Q) 終止において完全3和音が用いられるようになったのは何世紀頃か? 具体的に年代と時代様式を指摘し、それを実践した作曲家は誰か? 右ページ、段落・終止法_の項 例 _ 譜例 52. 53. 54. 62.~71. D3) 段落・終止法に関連する和声学用語をチェックし、索引 p.490 でも確認する。 D4) 歴史上の「導音カデンツとその転移」についての各時代様式における様相を考察しな さい。 |作曲家 *| ・ ・ Q) 作曲家イザーク、ジョスカン、パレストリーナが活躍したのはいつの時代か? D) 作曲家C.モンテヴェルディ、J.S.バッハが活躍した年代はいつか、またその時代様式を 答えなさい。 左ページ、|年代||時代様式|_の項 右ページ、|作曲家 *| #
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| 2024-01-27 14:42
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2024年 01月 27日
教会旋法と和声法
教会旋法と和声法 p.12 〜 p.13 今日、和声学基礎論における西洋古典音楽の「音組織」の問題についての、問題本来の広範な領域を視野にとり入れるためには、音素材をまとめるための「構成原理」いわゆる「旋法」を理解しておくことが是非とも必要である。旋法とは、単なる音階的な概念である以前に、音楽存在の場の基本構造を決定づける要素にほかならない。知覚される多様な性質を担い、多様に変化する音楽の根底にあって、言いかえれば音楽がそれなしには考えられないような概念「シンボル機能」なのである。さしあたり、西洋古典音楽における和声法の性質的規定を総合する音組織「教会旋法」の考察からはじめよう。 「教会旋法と和声法」の要旨: 前半部分 : 中世キリスト教音楽の重要な基盤 8 種類の教会旋法 12 教会旋法 フォーブルドン Direction1) 下記のグレゴリオ聖歌を歌ってみよう。 グレゴリオ聖歌 例 D2) この Salve Regina の旋律はドリア(教会)調である。p.14 参照。 D3) 旋法の名称は、ギリシャ時代の、地中海、エーゲ海、黒海沿岸に実在した国・地方・民 族名あるいは建築様式名にちなんで付けられたものである。海を介在して一つの世界を つくり上げた「古代地中海文明」に関する地図を見ながら、その所在を確かめるのも楽 しい。その地図は「古代美術書」に掲載されている。 D4) 第 1 旋法_ドリアとフリギアのトニックとドミナントの音程関係の違いを確認。 D5) 15行目「各旋法には、......... グレゴりオ聖歌の教会調は分類される」に注意。 つぎのことが判る: 第1旋法_ドリアと第 8 旋法_ヒポミクソリディアの属性の違い D6) p.14 の楽譜で第 3 旋法_フリギアと第 10 旋法_ヒポエオリアを比較すると、 D5)の両旋法におけるTonicとdom.の支配音と音程関係の違いとの違いと 同様に、音階上の音域は同じであるが、フリギアとヒポエオリア旋法の属 性は異なる。 中間部分 : 3 和音の和声 旋法和声 教会調 教会旋法における大きな転機 D1) 「旋律的認識における旋法性」が 「和音的認識における3 和音の和声」の中に継承さ れたことは、西洋音楽の構造特性に関する歴然たる歴史的事実なのである。 D2) 「教会旋法の大きな転機とは何か」を把握しておこう。 後半部分 : 段落・終止法および転調法 旋法和声の存続 拡張的調和声 旋法作法の復活 教会 7 旋法 異種機構との混合 D1) 18 世紀の和声構造_フーガやソナタ_は「どのような遺産を継承しながら成長して いったのか」をもう一度整理してみる。 D2) 文末にある、「以後 20 世紀の和声法に対する探究の先駆けとなった新しい調概念」 は、当然、学術に関わる人間に必要な「専門知識」といえよう。 D3) p.13 には教会旋法とそれが影響を及ぼした和声法に関する音楽用語(=和声用語) を歴史的な経緯に沿って示してある。 16世紀 ・ Glarean, Heinrich ; 「 Dodecachordon 12弦法 」 音組織における旧旋法概念_8旋法を、12旋法とする ・ Zarlino, Gioseffo ; 「 Le institution harmoniche 和声法教程 」 協和和音の単一性の原則 ・ Salinas, Francisco de ; 「 De musica libri septem 音楽論 」 すでに1オクターヴの12等分割法を提唱 17世紀 ・ Agazzari, Agostino ; 「 Del sonare sopra il basso 通奏低音の奏法 」 後世に大きな影響を与えた通奏低音の奏法に関する論考 ・ Werckmeister, Andreas ; 「 Musikalishe Temperatur 音楽的な平均率 」 J.S.Bachが採用した12等分割法_平均率理論 #
by cantus-mollis
| 2024-01-27 14:41
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2024年 01月 27日
教会旋法の推移
教会旋法の推移 p.14 〜15 概要: | 時代様式 | _ 中世( 9 世紀)〜印象派( 20 世紀) | 音楽の様相 | _ グレゴリオ聖歌〜和音構成法の多様化 中世・ルネッサンスにおける旋律的認識と和音的認識の両立 → Polyphony → Monophony < → Homophony → | 旋法性の比較 | _ 時代によって旋法の個数が異なる 中世 8 旋法(教会 12 旋法)は時代経過とともに減少するが 現代 20 世紀においてそのすべてが復活する 旋法を支配するトニックとドミナントの音程関係 ドリア _5度関係 ヒポドリア _3度関係 フリギア_6度 ヒポフリギア_4度 ・ ・ ・ ・ | 旋法性の比較 | _ 時代によって旋法の個数が異なる 中世 8 旋法(教会 12 旋法)は時代経過とともに減少するが 現代20世紀においてそのすべてが復活する 旋法を支配するトニックとドミナントの音程関係 ドリア _5度関係 ヒポドリア _3度関係 フリギア_6度 ヒポフリギア_4度 ・ ・ ・ ・ D) 中世・教会 12 旋法から 18 世紀・教会 2 旋法の集約を経て、現代における「旋法の 多様化」にいたる経緯をたどってみよう。 左ページ、|中世|ルネッサンス|バロック前期| p.25 p.46 p.55 右ページ、|バロック後期・古典派|ロマン派|印象派|<_の経緯 p.304 下巻→ 教会 12 旋法 ● 中世8旋法に、グラレアーヌス(16c)が追認した・・・・・ D1) 教会 12 旋法の項、下段_記号 * を読みなさい。 D2) 教会 12 旋法と教会 8 旋法の名称に関する認識根拠については、次に示してある。 左ページ、旋法性の比較_の項、教会 12 旋法_*記号の説明 D3) 教会 8 旋法の名称を答えなさい。 左ページ、教会 12 旋法_の項、Ⅰ〜Ⅷ D4) 中世-教会 12 旋法におけるそれぞれの tonic と dominant の音程関係とその違いを指 摘しなさい。 左ページ、教会 12 旋法_の項、Ⅰ〜Ⅻ _における白音符 / 下方がtonic、上方がdom. D5) カテゴリ_序章 - 教会旋法と和声法_に掲載されているグレゴリオ聖歌の旋律と旋法を もう一度確かめよう。 D6) 譜例 9. メリスマ声部の旋法名を答えなさい。 D7) 譜例 15.に示された音程和声の旋法(音組織)の分析を試みる。 教会 6 旋法 D) ルネッサンス・バロック・古典派・ロマン派時代のtonicとdominantの音程関係を確認 しよう。 左ページ、教会 6 旋法_の項 教会 2 旋法 D) 説明文にある集約、転化の「語意」を把握してその和声構造に関わる伝統的な音楽構 造理論_「音組織の歴史的経緯」を理解しなさい。 右ページ 記号 →の方向 旋法の多様化 D) 教会旋法の中で 20 世紀_印象派音楽以前には用いられなかった旋法がある。 右ページ、旋法の多様化_の項、下から2番目の旋法 Question1) ところで、学習を始めるにあたって「音組織_長・短音階」の原理を知る必 要がある。それらは音楽の歴史の中でどのようにして生成されたのか? 右ページの左枠 より詳しくは、 p.304, 305_ バロック後期の和声_バッハ_長旋法・短旋法 Q2) 以上、「和声の変遷 _ p.10,11」「教会旋法と和声法 _ p.12,13」、「教会旋法の 推移_p.14,15」という音楽理論史概論を考察すると、西洋音楽の構成原理となる音 組織は長・短音階ではないことが判る。では、もしあなたが西洋音楽の和声の原理と 各様式を学びたいと考えているのであれば、その出発点となる構成原理つまり和声の 起源的な音組織を知る必要があるだろう。それは何か? #
by cantus-mollis
| 2024-01-27 14:40
| 教会旋法の推移
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カテゴリ
和声学:旋法和声_教会調の概念 前記 和声の変遷 教会旋法と和声法 教会旋法の推移 音程・和音表記法 譜例および演習について 旋法和声_中世・ルネッサンスの和声 音程の和声 初期の音程作法 平行法 オルガヌムにおける声部進行の比較 メリスマ作法 対照的和声作法 リズム・モード 和音的効果 不協音程 協和的3度音程と3和音 13世紀までの終止法 音程作法 強拍部の3・6度音程 イソリズムとリズムの複雑化 段落・終止法 音程と3和音の和声 フォーブルドン ポリフォニーとホモフォニー 低音5度下行の導音カデンツ 3和音の和声 模倣 ホモフォニー 掛留と経過音 終止における完全3和音 半音階法 連続5度 旋法和声_バロック前期の和声 01. 教会6旋法/モンテヴェルディ 02. 旋法転移 03. 原和音と変化和音 04. 導音カデンツとその転移 05. 段落・終止法 06. 変ロ音化 07. 和音性質変化 08. 根音進行 09. 教会調 音程と和音の連結 総合演習 10. 声部修飾 REFERENCE Data
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