名古屋市北東部のはずれにある守山区は名古屋のチベットと呼ばれている。
守山区在住の私としても、それは一部認めざるを得ないところがある。一番奥まったエリアは確かに山に近いし、名古屋市最高峰の東谷山(とうごくさん/193m)も守山区にある。けど、まさか守山に本物のチベット寺院があるとは思いもよらなかった。
寺の名前を本山大昭寺別院強巴林(チャン・バ・リン)という。
日本で唯一のチベット寺院を自称するこの寺は、隣接する修験宗倶利加羅不動寺の森下永敏住職が、ユネスコの世界遺産でもあるラサのチベット仏教総本山大昭寺(ジョカン寺)で修行して、チベット仏教では初の外国人女性受戒者となって帰国したのち、平成17年3月に建てたものだ。
そう、守山区は文字通り名古屋のチベットだったのだ。ここに明かされる衝撃の真実。
日本でただひとつというから、日本のチベットと呼んでもらってもかまわない。広島にも龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院という日本初のチベット僧院があるものの、あちらはチベット式の寺院を建立してるわけではないので、こちらが日本初のチベット寺院だという主張なのだろう。中国のチベット自治区お墨付きというのも本当らしい。
名古屋方面から行くと、龍泉寺を左手に見つつ竜泉寺の湯を過ぎてすぐの右手にそれは突然現れる。中央分離帯で区切られていて右折して入ることができないので、その先でUターンすることになる。
車を駐車場にとめて歩き出すと、倶利加羅不動寺の屋根の向こうにひときわ異彩を放つ金色の建物が顔をのぞかせる。あれだ、間違いない。
どこかで見たことがあるようなこの感じ。そうか、リトルワールドだ。本物なんだけどどこか嘘っぽい。日本の風土に馴染まない風情がそう感じさせるのか。
偽物っぽいとか安っぽいとかいうのではなく、唐突すぎて違和感があるだけとも言えるし、それだけでないようなキワモノっぽさもある。この寺院をチベットにそのままそっくり移して現地で見たとしても、微妙な感じを受けるような気がする。
看板には「ようこそ! ようこそ!」と日本語で書かれていて歓迎ムードなので思い切って入ってみることにする。他にも物珍しそうに訪れる人々がいて心強い。みんな一様に及び腰に見えたのは気のせいだったろうか。
建物は、チベットで最も古い歴史を持つ大昭寺の全面協力によって4年の歳月をかけて作られたという。外観は大昭寺の一部を模し、佛像、佛画、建築資材などはチベットから運んだそうだ。確かに近づくほどに本物感が強くなるというのは感じた。チベットから招いた本場の僧侶たちにも評判は上々とか。
強巴林の名は、チベット語の弥勒(みろく)を意味する強巴と、寺院を意味する林から来ていて、森下永敏住職の法名は強巴曲珍(チャン・バ・チュ・ドゥン)というそうだ。
右手にあるモンゴル風のテントは、本物のチベットものなのだろうか。今ひとつ判断がつかなかった。中は椅子と机が置かれた普通の休憩所風で、明らかにチベットではなかった。
写真に写ってない左手には土産物屋の建物がある。恐ろしくて入れなかったけど、ウワサによるとここでしか手に入らないような数々のチベットグッズが販売されているんだとか。けど、チベットに対するイメージがまったくないので、どれが本物で何がありがたいのかも分からないし、何が欲しいのか自問自答してみても答えは返ってこない。一体何を買えばいいのだろう。チベットTシャツとか売ってるんだろうか。中国政府のオフィシャルグッズ店らしいので、いい加減なものは置いてないのだろうけど。
入口の門の左右にはマニ車があった。内部には経文が納められていて、表面にはマントラが刻まれている。右回りに手で回すと、回転させた分だけお経を唱えたのと同じだけの功徳を積めると言われている。
残念ながらここから先の内部は撮影禁止になっているので、写真はない。
本尊は大昭寺と同じ十二歳の釈迦牟尼像で、これはかなり立派なものだった。大きさといい、顔といい、周りの装飾やきらびやかさにもありがたみを感じた。けど、なんで出家する前の王子でしかないゴータマ・シッダールタを神として祀らなければいけないのかがちょっと不思議だ。12才っていえば小6だし。シッダールタが出家したのは19才で、悟りを開いたのは30才のときとされている。拝むならそれ以降の釈迦像にしたいと思った。
内部にはチベット仏教にまつわる様々な品や絵などがあったり、現地から招いた僧がパンフレットなどを手渡してくれたりする。法要日に赤丸を打たれた住職の写真入りポスターをもらって持てあましたりなどということもありつつ、内部をひととおり見学させてもらった。
感想は、ほぉとかへぇとかふーむとかそんな感じだ。一番印象的だったのは、住職がスティービー・ワンダーやパパ・ブッシュ、星野仙一などと嬉しそうに一緒に写っている写真の展示コーナーだった。けっこういい人かもしれない。
お供え物にやたらポテトチップスなどのお菓子がたくさんあって、僧侶たちが寺院の真ん中の坐る場所でネットの動画サイトを見て盛り上がっていたのも、いい意味で微笑ましかった。
裏手の山に登って見下ろすと、チャンバリンの全景やその向こうの春日井市の街並みが見渡せる。ちょっとした夜景鑑賞スポットにもなっているようだ。
それにしても金ぴか趣味だ。本場の大昭寺も写真で見ると確かに金色をしてはいるけど、これとは質感が違う。金色のラッカーで塗った自転車みたいだ。まだ新しいからで、古くなってくるといい感じに渋くなっていくんだろうか。50年後くらいを楽しみにしよう。
そもそもチベットとは何かということを説明し始めると長くなる。
ごくごく簡単に言えば、中国の西にあって、620年代にガムポ王が統一王朝としての吐蕃国を建国したことから始まる。その後、モンゴルに支配されたり、独立のために戦ったり、中国とくっついたり反発したりの歴史があって、戦後の1950年に中国人民解放軍が解放の名のもとに侵攻してきて、武力で乗っ取られて、今に至っている。その後もあれこれありつつ、独立はかなわず現在は中国の自治区という扱いになっている。
ブラッド・ピット主演の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』で描かれたダライ・ラマ14世は知っている人が多いだろう。中国の侵攻によってインドに亡命せざるを得なくなったものの、今でもチベットの国家元首はダライ・ラマ14世であることに変わりはない。もちろん、中国はそれを認めてはいないけど。
1960年代には600万人いたチベットの人口も今では220万人ほどになっている。多くは近隣のネパールやインドなどに亡命したり、中国による弾圧で命を落としたりした。現在でも、年間3,000人以上のチベット人が雪のヒマラヤを命がけで越えて亡命しているという。
チベットの文化や寺院などは中国自治区よりも亡命した先で受け継がれている。自治区では多くの寺院などが徹底的に破壊されてしまった。暮らしは豊かになったようだけど、昔ながらのチベット色は失われつつあるという。中国に勢いがあるうちはしばらくこの状態が続くのだろう。その後力を失ったとき、チベットは再び独立を勝ち得るのだろうか。
世界最高峰のチョモランマや神の山カイラス山、天の湖ナムツォ湖は、そんな人間たちの争いを知ってか知らずか、はるか大昔からかの地にあって、今も変わらない姿をとどめている。
神の地ラサ。チベット人なら一生に一度は参拝したいと願う聖なる地。そこにある大昭寺。そんな雄大な自然の中で厳しい歴史を経てきた大昭寺とチャンバリンを比べるのは酷というものだ。チャンバリンはあくまでも名古屋のチベットとしてこれからも守山区の片隅に在り続けることでよしとしなければなるまい。
ぜひ名古屋周辺の方は一度訪れて自分の目で確かめて欲しい。本物かどうかはともかくとして、チベットという無縁の世界に触れて、チベットとは何かを考えるきっかけにはなるだろうから。
今後は守山区を名古屋のチベット呼ばわりされても反論できないのがちょっと悔しい。
【アクセス】
・ゆとりーとライン「竜泉寺停留所」から徒歩約12分
・無料駐車場 あり
・拝観時間 9時-17時
強巴林(チャンバリン)/倶利迦羅不動寺webサイト
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