咲子の奥出雲山里だより

生まれ育った田舎町をこよなく愛し、一人でも多くの人にここを知ってもらい訪れて欲しいと願いながら和菓子屋の専務として日々奮闘中!家業と地域の発展にどう貢献できるか…ここでどう心豊かに暮らしていくか、そんなこと考えながら日々の暮らしを綴っていきます。

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「消えた仁王像」の追跡 ①

第1章 海を渡った仁王像

 『私の故郷、島根県仁多郡奥出雲町(旧横田町)の横田八幡宮裏山の頂上に真言宗の岩屋寺がある。残存している古文書によれば、天平勝宝年間(749年~756年)に行基による創建とされ、聖武天皇勅願所であった。1274年、最初の蒙古襲来時、博多湾沿岸に上陸した蒙古軍は暴風と高波により船の大半が沈没して運よく国難を逃れたが、次の襲来に備えることを余儀なくされた。日本の寺という寺では勝利を祈願する祭事が行われ、時の後宇多天皇は、伊勢神宮はもとより岩屋寺にも祈願する。近世まで奥出雲を代表する寺で行政の要所として権勢をふるった由緒ある寺であるが、今や廃寺となり古刹の面影はない。』


このような書き出しで始まったレポートですが、岩屋寺が由緒あるとはなんとなく聞いていましたが、700年代にここ奥出雲にこのようなお寺が建っていた事に、改めて驚きました。


レポートされた赤水眞二氏は幼少の頃ここ岩屋寺に何度も登り、山門に立ちはだかる一対の仁王像に恐怖に怯えながらも心惹かれるものがあったと記されています。
昭和50年頃この仁王像が突然消え、謎に包まれたまま歳月が流れてしまっていたとき、宮司の木山氏から『アムステルダム国立博物館に所蔵されている』という話を聞かれたそうです。

そして今年2月、‘オランダ映画『ようこそ、アムステルダム国立博物館へ』と『仁王像』’をキーワードに検索すると、岩屋寺の仁王像に関する記事が20件以上もあり、驚くべき事実が判明したと書いておられます。

この映画は平成20年に公開され、老朽化など問題を抱える博物館をリニューアルする際の騒動を納めたドキュメンタリーで、映画を鑑賞した人からの感想が寄せられていたそうです。

学芸員メノー氏の購入と研究に邁進する姿や、運ばれてきた際の愛おしそうに撫でる姿に誇らしげな表情。
昭和55年に売り出され、メノー氏が館長を説得して新設するアジア館の目玉にすることを決定し、2年半の交渉の末買い付けに成功したこと。中には芸術作品の海外流出を憂える厳しい批判など、4つの視点で書いておられます。

そしてこの博物館は平成16年から改築が始まり、紆余曲折を得て、平成25年4月13日にオープンしたのだそうです。
赤水氏はオランダとの合併企業に出向しておられた経験もあり、元同僚との再会や観光もかね、もう一度仁王像に会いたい一心でこの博物館に4月に行くことを決心されました。

映画で見るメノー氏は仁王像に愛着を持ち、入手するために心血を注いだ人なので、価格交渉の過程で仁王像にまつわる裏話を聞いておられるだろうと思い、直接会って遍歴の足取りや像の評価など聞きたい、生あるうちにもう一度仁王像に会いたい思いを書き面会を申し入れられ、快諾と丁寧な歓迎の返事をもらったことを書いておられます。

そして訪問し仁王像に対面する前に岩屋寺の現状・仁王堂がどうなっているかを確かめたくなり、3月中旬に約60年ぶりに寺を訪ねた事が記されています。

 『本堂と鎮守堂の外観は白っぽい木肌を見せているが、風雪に耐えていた。宝物殿は、草木・竹の藪に囲まれているが、金色の外観は予想したほど色あせることもなく、栄華の後をかすかにうかがわせる風情であった。
 鎌倉時代には焼き討ちを仕掛けたり、されたりして多くの宗徒が通った道を引き返し、仏教の興廃、寺の変遷に思いをはせながら下山した。』


と第一章の最後にこう記してありました。




②に続く・・・。

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Author : 内田咲子

奥出雲をこよなく愛し、町内外のひとたちにこの地方の良さを伝えていきたいと思っています。

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