触手・異種姦について
エロゲ(雑記) - 2012年11月30日 (金)
月末金曜日、つまり新作エロゲの発売日となりました。来月は冬コミもあり激戦月でもあるので今月はなるべく出費を抑えたいところです。前回最後に言ったように今回は触手・異種姦について書きたいと思います。
その前にまずは作品紹介を
海蝕輪廻パッケージ版が発売されました。
僕は一足早くDL版でプレイしたのですが前作の昆蟲姦察同様かなり楽しめました。今回は更に意欲的な面が見えたりもして異種姦シリーズ第三弾(次は鳥類かな?)が今から待ち遠しい限りです。海洋生物ということで蟲ほど生理的嫌悪感を感じることはないと思うので今回は触手・異種姦に耐性があれば問題なく楽しめるのではないでしょうか。
関連:批評空間投稿レビュー(ネタバレ有り)
ネタバレ有りですがそこまで大したものではなく、内容紹介の面が強いので興味があったら読んでみて下さい。
あとこれは個人的なことなのですがTwitterの方で昆蟲姦察・海蝕輪廻を宣伝しまくった結果、いつの間にか触手・異種姦好きというイメージがかなり先行するようになりました。最近では何度「萌えゲーも好きなんだよね」と言っても「えっ?蟲に萌えるゲームの間違いでしょ?」などと反論され誰も信じてくれず、かなり寂しい思いをしています。(ただこれは8割ぐらい自分の調子に乗ったネタ発言が原因だと思うのではっきり言って自業自得です。)
今回は触手・異種姦の話題なのでそのイメージに更に拍車が掛かるのではないかと危惧しているのですが、いずれはそのイメージを払拭するためにも萌えゲーに関する話題も記事にしないとなと思っています。
それではタイトルの内容に入ります。
先日「昆蟲姦察」「海蝕輪廻」「MONSTER PARK2」などのシナリオを担当した桜庭丸男氏がこんなことを仰っていた。
僕はこの発言を見て確かにそうだなと納得はしたが、いやでも触手・異種姦(※1)にはまた別の難しさ(※2)があるだろうなとも思った。まずはこの難しさについて説明していこうと思う。
※1 同氏は異種姦に対してのみ言っているが例としてタコも挙げているので、エロゲでよく見られる一個体としての触手を含めても大差はないだろうと判断した。ここでは主人公が触手に変身したり、触手的能力を有しているといった例外的存在に対しては考慮しない。
※2 ここでの難しさは触手・異種姦のHシーン時の場合で生じる問題のみに限定し、それ以外の難しさについては触れないものとする。つまり背景設定や上手くHシーンに入るまでの流れを描写するのが難しいといったHシーン以外での問題は考えない。ただこのHシーン以外での問題は後の論議に深く関わってくる。
◆触手・異種姦が抱える難しさ
本題に入る前にまずは陵辱ゲーと一括りされる作品群の中にはどんなシチュエーションがあるのかを確認させて欲しい。
「触手・異種姦」「強姦」「獣姦」「痴漢」「輪姦」「調教」「洗脳」「催眠」
細かいものはあれど大きく分けるとこのぐらいになるだろうか。
(機械姦は少し特殊なので意図的に省いており、蟲姦は異種姦の中に含まれるとする)
陵辱ゲーが好まれる最大の理由は普段生活している現実世界ではあり得ない「非日常」を体験できるということだ。これは上で挙げた全てのシチュに共通している。そしてプレイヤーはこの現実世界と非日常のギャップに激しい興奮を覚える。これはまさしく陵辱ゲーでなければ体験できないことである。非日常を味わいたいからといって実際に痴漢や強姦をしようとする人はまずいないだろう。陵辱ゲーは普段は理性で押し留めている欲望を開放できる数少ない場であるとも言える。(ここでは陵辱ゲーをAVに置き換えてもほぼ成立する。)
そろそろ触手・異種姦の話に入ろう。触手・異種姦は他のシチュとは決定的な違いがある。それは触手・異種姦は現実世界には存在しない要素であり、決して経験することが出来ない(※3)ということだ。日本中、いや世界中を探しても触手やオークに犯されたことがある人はいないだろう。これこそが触手・異種姦固有の難しさを生み出している。
当然だろと感じるかもしれないがこれは非常に大事なことだ。経験する事が出来ない以上、犯されている時の女性の心理・感情描写に対して答えが存在せず、それは作者の「想像力」に完全に委ねられる。
(※3)AVで擬似触手を使った触手的なジャンルがあるが、これは本来の触手とは全くの別物であるし触手姦を経験したとは言えないだろう。
触手・異種姦以外のシチュであれば困難ではあるが経験可能である。そのため答えまでとは行かなくてもそのシチュで犯されている時の女性の感情の様子・変化の一例を知ることはできる。また極論を言ってしまえば何も知らない女性を連れ出してあるシチュで犯し、その時の感情・心理を詳細或いは継続的にデータとして取り、これを何人の場合でも繰り返していけば信頼性のあるサンプルを提示することもできるのではないか。(この辺りは心理学でよく語られる領域かと思います。自分は心理学に精通している訳ではないのでこう上手い具合に言いたい事を文字に出来ない、なんとももどかしい気持ちです。)
触手・異種姦での場合に戻ろう。『触手・異種姦は経験不可能なものであり、そのため女性の心理・感情描写は作者の「想像力」に完全に委ねられる』ということだった。そもそもの話だが感情を(詳細に)言語化するのは非常に難しい。「今貴方が感じていることを言葉・文字にして伝えて下さい」と言われたら多くの人はすぐには表現できないだろう。嬉しい、楽しいだけでは明らかに不十分だし、頑張っていざ文字にして見ても恐らくは実際の感情とは違った味気ないものになっているはずだ。言語化した感情は意図せずとも言葉で語れるレベルまで削られてしまう。
つまり触手・異種姦では唯でさえ難しい感情の言語化を、誰も経験したことがない感情の場合で、作者自身の想像力だけで成さなければならない。触手やオークといった未知の物に対して犯される時に感じる恐怖・戸惑い・嫌悪感は想像に難く、その感情を言語化するということは想像を絶する難しさがあるだろう。これが触手・異種姦が抱える難しさだ。
氏は触手・異種姦は「生殖本能」という大義名分がある為、犯す側の心理描写に労を要さないから楽だと評している。これもまた一つの真実である。触手が前戯なしに二穴責めや執拗に乳首責めをしたり、Hシーンの最中に前触れ無く腹パンしたりといった疑問・唐突さを感じる行為に走ったとしても、それらは全て生殖本能だからという理由で片がつく。
触手・異種姦以外のシチュエーション(※4)においては犯す側(男)の存在が必要不可欠であり、その心理描写も重要になってくる。そのためその心理描写をほぼ必要としない触手・異種姦はその点では確かに楽であると言える。ただ、女を犯す男の心理描写(感情)と誰も経験したことがない未知の物に犯される女の心理描写(感情)のどちらを言語化するのが難しいかと言われたらそれは間違い無く後者であろう。このことから触手・異種姦は他のシチュエーションと比較しても表現するのが遥かに難しいと言える。
(※4) ここでのシチュエーションには獣姦を含めていない。獣姦を更に拡大したのが異種姦だ、というのが私見でありその為被る性質がある。今回は犯す側が人間ではないという共通点があるので含めなかった。また先程機械姦を少し特殊だと評して省いたのは犯す側(機械)に意志が存在しないことが理由である。
ここで陵辱ゲーに見られる一つの共通した展開とより抜ける陵辱ゲーについての説明をさせて欲しい。例外はあるが陵辱ゲーは「理性的なヒロインが段階的なHの過程でその理性を手放し、最終的には本能の赴くままに快楽を求める状態へと変わる過程を描いた物語」である。作品固有の設定やストーリーはあれど共通してこの大まかな流れが存在している。
加えて抜ける陵辱ゲーとはその過程がより丁寧に描写されている作品の場合が多い。最終的に行き着く先が同じであるならばその過程の描写がより丁寧な作品に好感を抱きがちなのは当然のことであろう。(実際はシチュエーション自体などでも抜けるかどうかは変わってくるが、これは個人の趣向によるところが大きいので今は考えない。)
結構長くなってきたのでここで論旨を一度まとめると
①触手・異種姦は現実世界に存在しない要素で、経験不可能である。そのため女性の心理・感情描写は作者の「想像力」に完全に委ねられる。
②触手・異種姦では唯でさえ難しい感情の言語化を、誰も経験したことがない感情の場合で、作者自身の想像力だけで成さなければならない。これが触手・異種姦が抱える難しさである。
③陵辱ゲーは「理性的なヒロインが段階的なHの過程でその理性を手放し、最終的には本能の赴くままに快楽を求める状態へと変わる過程を描いた物語」であり、その過程がより丁寧に描写されている方が抜ける場合が多い。
これを踏まえた上で触手・異種姦に対して更に深く考えてみたい。触手・異種姦は自身が抱える難しさ故、心理・感情を繊細に描写することが困難である。しかし陵辱ゲーがより抜けるものであるためには心理描写が丁寧であることは必要不可欠だ。この問題に対して作者はどのように立ち向かっているのだろうか?
◆現在の触手・異種姦の主流
ここで作者が取りうるスタンスは二つある。
①心理描写・理性が崩壊する過程を、困難さを承知で丁寧・繊細に描こうと試みる
②理性が崩壊する過程を省略、あるいは理性を強制的に破壊する
残念ながら(※5)現在の主流は②である。これはしばしば「即堕ち」展開と揶揄され、作品ごとの差異を生じさせ難くしている。
(※5)作品にとっての理想はもちろん①である。これは多分作者も理解しているに違いない。瀬戸口作品のような生々しさ感じる心理描写で「ヒロインが未知の物に犯される恐怖・嫌悪感→そこからの快楽の目覚め・戸惑い→理性と欲望の葛藤→理性の崩壊→本能の赴くままに快楽を求める」といった過程を丁寧に描写した作品が生まれたら恐らく自分はかつてないほどの興奮を覚えるだろう。
残念ながらこのレベルの作品には自分はまだ出会ってないし諦観とでも言えばいいのか、そういった作品には出会うことはないだろうとある種の諦めも抱いている。触手・異種姦が抱える難しさから、作者が②に走った理由も理解はしている。
②に関する例を示す。
一番最初の処女喪失シーンであっても、苦痛よりも快楽を感じているヒロインを見たことはないだろうか。他にも「快楽に屈さない」と言いながらもHシーンでは無様に絶頂し、シーンが終わってからふと我に返ったように「私は負けない」と慌ててヒロインが意志を表明する場面も良く見たことはないか。
これは触手・異種姦ゲーを嗜むエロゲーマー諸兄なら誰もが経験したことがあるだろう。このように触手・異種姦ではヒロインが快楽に屈するまでが非常に早い。
これが理性が崩壊する過程の省略である。
ここでよく使われる手法が「媚薬」による理性の強制的な破壊である。
「触手の体液には催淫効果が~」「オークの精液には媚薬効果が~」
ヒロイン「(感じたくないけど感じちゃう。~…)」
触手・異種姦ゲーをプレイしていると良くこんな設定と展開を目にする。媚薬による理性の強制的な破壊は過程を省略する事の(一応の)説得力を持たせている。プレイ中我々が「ちょっと堕ちるの早くないか」と感じても「まあ媚薬の影響だししょうがないか」と納得することが出来る。この手法は非常に効果的で、要求される理性が崩壊するまでの過程を丁寧に描く必要がないので容易であり、多くの触手・異種姦に取り入れられている。
また多くの触手・異種姦には丁寧な心理描写がなくても、それ単体で抜ける力を持った非常に強い要素がある。それは何か?―「アヘ顔」である。
最近の陵辱ゲーの多くには「アヘ顔」が取り入れられているが触手・異種姦においてはそれが特に顕著である。ここで「アヘ顔」はヒロインの理性の崩壊の象徴としての役割を果たしている。
アヘ顔とは白目を剥いたり涙や涎などを垂れ流し、自分の意志で制御できない状態に陥った時に表す表情である。この時のヒロインは完全に無力な存在となっている。我々がアヘ顔を見て興奮する理由は大きく分けて「ギャップ」「支配欲」の二つであろう。
我々はアヘ顔を晒して無様に絶頂するヒロインを見て、普段の理性的な表情・態度では絶対に見せない差を感じ取る。このギャップに堪らなく興奮するのだ。またアヘ顔を晒して無力な存在となったヒロインを見て無意識的にであれ、自分はこのヒロインを支配下に置いた、ヒロインの全てを征服したと思い込む。この支配欲の満たしも興奮を感じる一つの理由である。
アヘ顔を見た時の視覚的インパクトは非常に大きく、それ単体でも我々は性的興奮を感じるのだ。この強さには声優の迫真の演技に依るところも大きい。
ここまでの論旨をまとめると
①現在の触手・異種姦は理性が崩壊する過程を省略、あるいは理性を強制的に破壊するのが主流になっている。これはしばしば即堕ち展開と揶揄され、作品ごとの差異を生じさせ難くしている。
②理性が崩壊する過程を省略する事に説得力を持たせるため、「媚薬」による理性の強制的な破壊がよく用いられている。
③「アヘ顔」はヒロインの理性の崩壊の象徴としての役割を果たし、それ単体でも興奮させる力を持った非常に強い要素である。
「媚薬」「アヘ顔」は触手・異種姦ではよく見られ、作品ごとの差異を生み出すものにはなっていない。次は触手・異種姦ではなく触手・異種姦ゲーと作品全体に範囲を広げ、何が作品ごとの差を生み出しているのかを考える。
◆触手・異種姦ゲーについて
Hシーンがおおよそ似たようなものであれば、Hシーン以外の要素から差を生み出すしかない。つまり最初では考えなかった背景設定やHシーンに入るまでの流れの描写といったHシーン以外での要素が重要になってくる。
背景設定が詳細でHシーンに入るまでの展開が丁寧であればあるほど、我々はヒロインが犯される状況をよりリアルなものとして想像することが出来る。触手・異種姦ゲーで重要なのは未知の物にヒロインが犯されるという究極の非日常をリアルなものとして想像させる設定・展開の細やかさである。このHシーン以外での要素でHシーンの質も変わってくる。
ここで必要になってくるのはプレイヤー自身の「想像力」だ。いくら作者が想像力を駆使して触手・異種姦を描写してもそれでけでは限界がある。プレイヤー自身も作品設定・Hシーン入るまでの流れからヒロインが犯される状況をよりリアルなものとして想像する必要がある。
少し駆け足でまとめてしまうがつまり触手・異種姦ゲーは作者とプレイヤー、両者の「想像力」の働きによって成立するジャンルである。そしてプレイヤー自身の想像力をより刺激する要素がある作品が抜ける触手・異種姦ゲーである。
ここまで読んでくれた人は共通して一つの思いを抱いていることだろう。
「普通プレイ中はこんなこと考えなくね?」
仰る通りである。今回はかなり細かく論理的に見てきたが、僕ももちろんプレイ中ではこんなことを考えたりはしない。実際は絵が自分好みで声優がお気に入りの人でアヘ顔があればそれだけで抜ける。
そもそも抜きゲーは即物的欲求を満たす物である。長々と語ってきたがぶっちゃけそんなのはどうでも良く、即物的欲求を満たすことさえできればそれで良いのだ。(身も蓋もない)
要は「抜ければ正義」これに尽きる。
ここまで語ってきたことを根底から否定しておいてなんだが、これこそが唯一の真理であろう。
その前にまずは作品紹介を
海蝕輪廻パッケージ版が発売されました。
僕は一足早くDL版でプレイしたのですが前作の昆蟲姦察同様かなり楽しめました。今回は更に意欲的な面が見えたりもして異種姦シリーズ第三弾(次は鳥類かな?)が今から待ち遠しい限りです。海洋生物ということで蟲ほど生理的嫌悪感を感じることはないと思うので今回は触手・異種姦に耐性があれば問題なく楽しめるのではないでしょうか。
関連:批評空間投稿レビュー(ネタバレ有り)
ネタバレ有りですがそこまで大したものではなく、内容紹介の面が強いので興味があったら読んでみて下さい。
あとこれは個人的なことなのですがTwitterの方で昆蟲姦察・海蝕輪廻を宣伝しまくった結果、いつの間にか触手・異種姦好きというイメージがかなり先行するようになりました。最近では何度「萌えゲーも好きなんだよね」と言っても「えっ?蟲に萌えるゲームの間違いでしょ?」などと反論され誰も信じてくれず、かなり寂しい思いをしています。(ただこれは8割ぐらい自分の調子に乗ったネタ発言が原因だと思うのではっきり言って自業自得です。)
今回は触手・異種姦の話題なのでそのイメージに更に拍車が掛かるのではないかと危惧しているのですが、いずれはそのイメージを払拭するためにも萌えゲーに関する話題も記事にしないとなと思っています。
それではタイトルの内容に入ります。
先日「昆蟲姦察」「海蝕輪廻」「MONSTER PARK2」などのシナリオを担当した桜庭丸男氏がこんなことを仰っていた。
主人公の男がヒロインに対してなぜあんな行動をとるのか。そこの理由付けをしっかり書いていきたいのです。エッチするシーンならなおさら。そこがぼやけると男はただの強姦魔になってしまうし、ヒロインはただの股の緩いビッチになってしまう。そんなやり取りでユーザー様に満足して欲しくない。
— 桜庭 丸男さん (@sakuraba_maruo) 11月 25, 2012
その点、異種姦は楽だよな。虫とかタコとかイカとかモンスターとか、ただの生殖本能だもん。理由なんて書く必要なし!
— 桜庭 丸男さん (@sakuraba_maruo) 11月 25, 2012
僕はこの発言を見て確かにそうだなと納得はしたが、いやでも触手・異種姦(※1)にはまた別の難しさ(※2)があるだろうなとも思った。まずはこの難しさについて説明していこうと思う。
※1 同氏は異種姦に対してのみ言っているが例としてタコも挙げているので、エロゲでよく見られる一個体としての触手を含めても大差はないだろうと判断した。ここでは主人公が触手に変身したり、触手的能力を有しているといった例外的存在に対しては考慮しない。
※2 ここでの難しさは触手・異種姦のHシーン時の場合で生じる問題のみに限定し、それ以外の難しさについては触れないものとする。つまり背景設定や上手くHシーンに入るまでの流れを描写するのが難しいといったHシーン以外での問題は考えない。ただこのHシーン以外での問題は後の論議に深く関わってくる。
◆触手・異種姦が抱える難しさ
本題に入る前にまずは陵辱ゲーと一括りされる作品群の中にはどんなシチュエーションがあるのかを確認させて欲しい。
「触手・異種姦」「強姦」「獣姦」「痴漢」「輪姦」「調教」「洗脳」「催眠」
細かいものはあれど大きく分けるとこのぐらいになるだろうか。
(機械姦は少し特殊なので意図的に省いており、蟲姦は異種姦の中に含まれるとする)
陵辱ゲーが好まれる最大の理由は普段生活している現実世界ではあり得ない「非日常」を体験できるということだ。これは上で挙げた全てのシチュに共通している。そしてプレイヤーはこの現実世界と非日常のギャップに激しい興奮を覚える。これはまさしく陵辱ゲーでなければ体験できないことである。非日常を味わいたいからといって実際に痴漢や強姦をしようとする人はまずいないだろう。陵辱ゲーは普段は理性で押し留めている欲望を開放できる数少ない場であるとも言える。(ここでは陵辱ゲーをAVに置き換えてもほぼ成立する。)
そろそろ触手・異種姦の話に入ろう。触手・異種姦は他のシチュとは決定的な違いがある。それは触手・異種姦は現実世界には存在しない要素であり、決して経験することが出来ない(※3)ということだ。日本中、いや世界中を探しても触手やオークに犯されたことがある人はいないだろう。これこそが触手・異種姦固有の難しさを生み出している。
当然だろと感じるかもしれないがこれは非常に大事なことだ。経験する事が出来ない以上、犯されている時の女性の心理・感情描写に対して答えが存在せず、それは作者の「想像力」に完全に委ねられる。
(※3)AVで擬似触手を使った触手的なジャンルがあるが、これは本来の触手とは全くの別物であるし触手姦を経験したとは言えないだろう。
触手・異種姦以外のシチュであれば困難ではあるが経験可能である。そのため答えまでとは行かなくてもそのシチュで犯されている時の女性の感情の様子・変化の一例を知ることはできる。また極論を言ってしまえば何も知らない女性を連れ出してあるシチュで犯し、その時の感情・心理を詳細或いは継続的にデータとして取り、これを何人の場合でも繰り返していけば信頼性のあるサンプルを提示することもできるのではないか。(この辺りは心理学でよく語られる領域かと思います。自分は心理学に精通している訳ではないのでこう上手い具合に言いたい事を文字に出来ない、なんとももどかしい気持ちです。)
触手・異種姦での場合に戻ろう。『触手・異種姦は経験不可能なものであり、そのため女性の心理・感情描写は作者の「想像力」に完全に委ねられる』ということだった。そもそもの話だが感情を(詳細に)言語化するのは非常に難しい。「今貴方が感じていることを言葉・文字にして伝えて下さい」と言われたら多くの人はすぐには表現できないだろう。嬉しい、楽しいだけでは明らかに不十分だし、頑張っていざ文字にして見ても恐らくは実際の感情とは違った味気ないものになっているはずだ。言語化した感情は意図せずとも言葉で語れるレベルまで削られてしまう。
つまり触手・異種姦では唯でさえ難しい感情の言語化を、誰も経験したことがない感情の場合で、作者自身の想像力だけで成さなければならない。触手やオークといった未知の物に対して犯される時に感じる恐怖・戸惑い・嫌悪感は想像に難く、その感情を言語化するということは想像を絶する難しさがあるだろう。これが触手・異種姦が抱える難しさだ。
氏は触手・異種姦は「生殖本能」という大義名分がある為、犯す側の心理描写に労を要さないから楽だと評している。これもまた一つの真実である。触手が前戯なしに二穴責めや執拗に乳首責めをしたり、Hシーンの最中に前触れ無く腹パンしたりといった疑問・唐突さを感じる行為に走ったとしても、それらは全て生殖本能だからという理由で片がつく。
触手・異種姦以外のシチュエーション(※4)においては犯す側(男)の存在が必要不可欠であり、その心理描写も重要になってくる。そのためその心理描写をほぼ必要としない触手・異種姦はその点では確かに楽であると言える。ただ、女を犯す男の心理描写(感情)と誰も経験したことがない未知の物に犯される女の心理描写(感情)のどちらを言語化するのが難しいかと言われたらそれは間違い無く後者であろう。このことから触手・異種姦は他のシチュエーションと比較しても表現するのが遥かに難しいと言える。
(※4) ここでのシチュエーションには獣姦を含めていない。獣姦を更に拡大したのが異種姦だ、というのが私見でありその為被る性質がある。今回は犯す側が人間ではないという共通点があるので含めなかった。また先程機械姦を少し特殊だと評して省いたのは犯す側(機械)に意志が存在しないことが理由である。
ここで陵辱ゲーに見られる一つの共通した展開とより抜ける陵辱ゲーについての説明をさせて欲しい。例外はあるが陵辱ゲーは「理性的なヒロインが段階的なHの過程でその理性を手放し、最終的には本能の赴くままに快楽を求める状態へと変わる過程を描いた物語」である。作品固有の設定やストーリーはあれど共通してこの大まかな流れが存在している。
加えて抜ける陵辱ゲーとはその過程がより丁寧に描写されている作品の場合が多い。最終的に行き着く先が同じであるならばその過程の描写がより丁寧な作品に好感を抱きがちなのは当然のことであろう。(実際はシチュエーション自体などでも抜けるかどうかは変わってくるが、これは個人の趣向によるところが大きいので今は考えない。)
結構長くなってきたのでここで論旨を一度まとめると
①触手・異種姦は現実世界に存在しない要素で、経験不可能である。そのため女性の心理・感情描写は作者の「想像力」に完全に委ねられる。
②触手・異種姦では唯でさえ難しい感情の言語化を、誰も経験したことがない感情の場合で、作者自身の想像力だけで成さなければならない。これが触手・異種姦が抱える難しさである。
③陵辱ゲーは「理性的なヒロインが段階的なHの過程でその理性を手放し、最終的には本能の赴くままに快楽を求める状態へと変わる過程を描いた物語」であり、その過程がより丁寧に描写されている方が抜ける場合が多い。
これを踏まえた上で触手・異種姦に対して更に深く考えてみたい。触手・異種姦は自身が抱える難しさ故、心理・感情を繊細に描写することが困難である。しかし陵辱ゲーがより抜けるものであるためには心理描写が丁寧であることは必要不可欠だ。この問題に対して作者はどのように立ち向かっているのだろうか?
◆現在の触手・異種姦の主流
ここで作者が取りうるスタンスは二つある。
①心理描写・理性が崩壊する過程を、困難さを承知で丁寧・繊細に描こうと試みる
②理性が崩壊する過程を省略、あるいは理性を強制的に破壊する
残念ながら(※5)現在の主流は②である。これはしばしば「即堕ち」展開と揶揄され、作品ごとの差異を生じさせ難くしている。
(※5)作品にとっての理想はもちろん①である。これは多分作者も理解しているに違いない。瀬戸口作品のような生々しさ感じる心理描写で「ヒロインが未知の物に犯される恐怖・嫌悪感→そこからの快楽の目覚め・戸惑い→理性と欲望の葛藤→理性の崩壊→本能の赴くままに快楽を求める」といった過程を丁寧に描写した作品が生まれたら恐らく自分はかつてないほどの興奮を覚えるだろう。
残念ながらこのレベルの作品には自分はまだ出会ってないし諦観とでも言えばいいのか、そういった作品には出会うことはないだろうとある種の諦めも抱いている。触手・異種姦が抱える難しさから、作者が②に走った理由も理解はしている。
②に関する例を示す。
一番最初の処女喪失シーンであっても、苦痛よりも快楽を感じているヒロインを見たことはないだろうか。他にも「快楽に屈さない」と言いながらもHシーンでは無様に絶頂し、シーンが終わってからふと我に返ったように「私は負けない」と慌ててヒロインが意志を表明する場面も良く見たことはないか。
これは触手・異種姦ゲーを嗜むエロゲーマー諸兄なら誰もが経験したことがあるだろう。このように触手・異種姦ではヒロインが快楽に屈するまでが非常に早い。
これが理性が崩壊する過程の省略である。
ここでよく使われる手法が「媚薬」による理性の強制的な破壊である。
「触手の体液には催淫効果が~」「オークの精液には媚薬効果が~」
ヒロイン「(感じたくないけど感じちゃう。~…)」
触手・異種姦ゲーをプレイしていると良くこんな設定と展開を目にする。媚薬による理性の強制的な破壊は過程を省略する事の(一応の)説得力を持たせている。プレイ中我々が「ちょっと堕ちるの早くないか」と感じても「まあ媚薬の影響だししょうがないか」と納得することが出来る。この手法は非常に効果的で、要求される理性が崩壊するまでの過程を丁寧に描く必要がないので容易であり、多くの触手・異種姦に取り入れられている。
また多くの触手・異種姦には丁寧な心理描写がなくても、それ単体で抜ける力を持った非常に強い要素がある。それは何か?―「アヘ顔」である。
最近の陵辱ゲーの多くには「アヘ顔」が取り入れられているが触手・異種姦においてはそれが特に顕著である。ここで「アヘ顔」はヒロインの理性の崩壊の象徴としての役割を果たしている。
アヘ顔とは白目を剥いたり涙や涎などを垂れ流し、自分の意志で制御できない状態に陥った時に表す表情である。この時のヒロインは完全に無力な存在となっている。我々がアヘ顔を見て興奮する理由は大きく分けて「ギャップ」「支配欲」の二つであろう。
我々はアヘ顔を晒して無様に絶頂するヒロインを見て、普段の理性的な表情・態度では絶対に見せない差を感じ取る。このギャップに堪らなく興奮するのだ。またアヘ顔を晒して無力な存在となったヒロインを見て無意識的にであれ、自分はこのヒロインを支配下に置いた、ヒロインの全てを征服したと思い込む。この支配欲の満たしも興奮を感じる一つの理由である。
アヘ顔を見た時の視覚的インパクトは非常に大きく、それ単体でも我々は性的興奮を感じるのだ。この強さには声優の迫真の演技に依るところも大きい。
ここまでの論旨をまとめると
①現在の触手・異種姦は理性が崩壊する過程を省略、あるいは理性を強制的に破壊するのが主流になっている。これはしばしば即堕ち展開と揶揄され、作品ごとの差異を生じさせ難くしている。
②理性が崩壊する過程を省略する事に説得力を持たせるため、「媚薬」による理性の強制的な破壊がよく用いられている。
③「アヘ顔」はヒロインの理性の崩壊の象徴としての役割を果たし、それ単体でも興奮させる力を持った非常に強い要素である。
「媚薬」「アヘ顔」は触手・異種姦ではよく見られ、作品ごとの差異を生み出すものにはなっていない。次は触手・異種姦ではなく触手・異種姦ゲーと作品全体に範囲を広げ、何が作品ごとの差を生み出しているのかを考える。
◆触手・異種姦ゲーについて
Hシーンがおおよそ似たようなものであれば、Hシーン以外の要素から差を生み出すしかない。つまり最初では考えなかった背景設定やHシーンに入るまでの流れの描写といったHシーン以外での要素が重要になってくる。
背景設定が詳細でHシーンに入るまでの展開が丁寧であればあるほど、我々はヒロインが犯される状況をよりリアルなものとして想像することが出来る。触手・異種姦ゲーで重要なのは未知の物にヒロインが犯されるという究極の非日常をリアルなものとして想像させる設定・展開の細やかさである。このHシーン以外での要素でHシーンの質も変わってくる。
ここで必要になってくるのはプレイヤー自身の「想像力」だ。いくら作者が想像力を駆使して触手・異種姦を描写してもそれでけでは限界がある。プレイヤー自身も作品設定・Hシーン入るまでの流れからヒロインが犯される状況をよりリアルなものとして想像する必要がある。
少し駆け足でまとめてしまうがつまり触手・異種姦ゲーは作者とプレイヤー、両者の「想像力」の働きによって成立するジャンルである。そしてプレイヤー自身の想像力をより刺激する要素がある作品が抜ける触手・異種姦ゲーである。
ここまで読んでくれた人は共通して一つの思いを抱いていることだろう。
「普通プレイ中はこんなこと考えなくね?」
仰る通りである。今回はかなり細かく論理的に見てきたが、僕ももちろんプレイ中ではこんなことを考えたりはしない。実際は絵が自分好みで声優がお気に入りの人でアヘ顔があればそれだけで抜ける。
そもそも抜きゲーは即物的欲求を満たす物である。長々と語ってきたがぶっちゃけそんなのはどうでも良く、即物的欲求を満たすことさえできればそれで良いのだ。(身も蓋もない)
要は「抜ければ正義」これに尽きる。
ここまで語ってきたことを根底から否定しておいてなんだが、これこそが唯一の真理であろう。