メキシコ中部の都市遺跡で、ユネスコ世界遺産に登録されているテオティワカンの「月のピラミッド」の内部から、愛知県立大学の杉山三郎教授らが率いる調査チームが、人間や動物を生け贄に捧げたと見られる埋葬跡を初めて発見した。発掘された遺体には腕を縛られて首を切り落とされていたり、生き埋めにされたと推定されるものがあり、月のピラミッドを建設する際に、生け贄として捧げられたと杉山教授は推測している。
月のピラミッドの発掘調査は、1998年から7年間にわたって行われ、その後杉山教授らは発掘した遺体や遺物の分析作業を続けてきた。発見された埋葬跡は全部で5カ所に及ぶ。2004年に発見された12人の男性の遺体のうち、10人は後ろ手に縛られ、打ち首にされていて、人骨の特徴などから、戦争で捕虜になった異民族の可能性がある。また2002年に発見された3人の男性の遺体は、装飾品を身にまとい、座禅のような姿勢をとっていた。装飾品などから、これらの遺体は位の高い人物だったと考えられている。最古の埋葬跡から発掘された遺体は、生き埋めにされたようで、生け贄はピラミッドの建設が進むたびに執り行われた儀式で捧げられたとみられている。
杉山教授は、これらの生け贄が「人々を為政者の意のままに従わせ、支配するのに重要な役割を果たした」と考えている。また、埋葬跡からはメソアメリカ(現在のメキシコ中部からコスタリカの一部を含む地域)の一帯で算出される黒曜石の武器や翡翠の人形も出土し、テオティワカンが広い範囲にわたって交易していたことが裏付けられた。
月のピラミッドはテオティワカンの3大建造物の一つで、一辺が約150メートル、高さが45メートルの巨大な建造物で、紀元100~400年にかけて7期にわたって建設された。今回見つかった生け贄の儀式は、紀元200~350年の第4~6期の建設で行われた。
テオティワカンは、メキシコ市の北東約50キロに位置し、紀元前後から中部メキシコで栄えた都市遺跡。紀元400年頃に全盛期を迎えたときには、市街地が20平方キロ近くに及び、同時期のローマに匹敵する規模の計画都市だった。当時の人口は20万人に及んだと考えられている。中心部には、今回発掘調査を行った「月のプラミッド」のほか、「太陽のピラミッド」や「ケツァルコアトルの神殿」などの巨大な宗教建造物が建設された。
しかし、紀元600年頃に突如崩壊し、この文明を支えた人々も姿を消した。文字記録をほとんど残さなかったこともあり、この文明の全貌は今なお多くの謎に包まれている。13世紀にアステカ人がこの遺跡を発見したときには、テオティワカンはすでに廃墟と化していた。テオティワカンもアステカ人が付けた「神々の集う場」という意味の名前で、死者の大通り、月のピラミッド、太陽のピラミッドなどの建造物も、アステカ人が自らの宗教観に基づいて名前が付けられている。
調査を主導した杉山教授は、現在テオティワカンの中心地区を三次元CGで復元するために測量調査を続けている。「テオティワカンの3大宗教施設(太陽のピラミッド、月のピラミッド、ケツァルコアトルの神殿)にはそれぞれ異なる役割がありそうです。これらの位置関係や象徴する意味を追求し、この聖なる古代都市が何を表し、どのように機能していたのか、少しでも解明できたらと考えています」と、杉山教授は今後の抱負を述べている。
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