コラム

沈黙の継承と歴史認識

2009年10月14日(水)12時37分

 この欄で告知をさせていただいたように、去る10月11日(日)、ロサンゼルスにて櫻井よしこさんとの公開対談に参加してきました。櫻井さんといえば、歴史認識の問題などを中心に保守派の論客として知られた方ですので、予め「立場の違い」があるが「大丈夫か?」ということを、主催者の方々を通じて櫻井さんサイドにもお伝えしての参加となりました。

 構成は第1部が櫻井さんの「ソロ」講演で「日本人の美しさ」というタイトルで文明論的な中からスタートしたのですが、やがて中国への手厳しい批判に入っていきました。会場には櫻井さんのお書きになったものの読者の方も多く、かなりの熱気となっていく中で、第2部の私との公開対談へと移って行ったのでした。第2部の最初は日本の民主党政権に関して櫻井さんが懐疑的な視点から、私が多少擁護の視点から議論を進めることからスタートしました。

 私は、この欄でも以前にお話した「アジア共同体」の成立条件(加盟国がすべて民主政体、人権が高いレベルで統一、域内の領土紛争がすべて解決)を紹介しました。その条件がなくては共同体など不可能という話です。そうして、私が「鳩山さんは理系の頭脳でこの条件のことはお分かりだと思いますよ」と述べ、櫻井さんが「お分かりではないでしょう」と返されたあたりから、お互いに調子が出てきた感じでした。

 やがて、話題は自然と歴史認識の問題に移っていきました。櫻井さんは「戦犯の無念を晴らすのが自分たちの責務」であり、南京事件はなかったなど、日頃の持論を改めて持ちだされました。アメリカ在住の日本人にも、こうした歴史認識の問題で譲ってはならないと強い調子で訴える内容になっていきました。私は、この問題に関しては、一線を越えて「名誉回復」に固執することは、米国世論との関係を考えると益のないことだという立場です。その一方で「使い古された表現では、よい議論にはならない」という危機感もありました。そこで「沈黙の継承」と「国体の浄化」というお話をしたのです。

 私は「終戦の詔勅」を引用し、その中の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という昭和天皇のお言葉を、日本人は守り通し、戦後の苦難の中で誠実に生きたのは紛れもない事実であり、これを通して「国体は浄化された」という表現をしました。敗戦により国体が変革されたという法理も私は検討から捨ててはいませんが、そうなると現在の日本人が過去の日本人を「悪しき存在」として批判することになってしまいます。それでは国論の分裂状態は半永久的に固定されることを意味します。

 いつまでも「歴史認識論議」が平行線というのは不幸なことです。特に在米の日本人の間で分裂を抱えるというは、それ自体が痛々しいことだと思います。ですから、私は「国体は継続されているが浄化したのである」という理論を持ち出したのでした。どういうことかというと、現在の日本の国体は浄化されているのだから、今の世代の日本人が例えば中国人から歴史の問題で挑発を受けても「現在形の問題」としてケンカを買わずに済むという理屈です。一緒になって過去の日本の批判をするのでもなく、現在形でのケンカを買って相手の術中にはまるのでもなく、今風に言えば「スルーする」つまり「ケンカを買わない」という姿勢です。

 その姿勢が、昭和天皇や、戦犯遺族の残した「沈黙の継承」ということであり、戦後の日本人の誠実な歩みによって成された「国体の浄化」を守ってゆくということだ、そのような申し上げ方でお答えしたのでした。いつの間にか、会場は大変な熱気となりました。櫻井さんの熱心なファンからは、大きな拍手はいただけませんでしたが、真剣に聞いていただけたのは大きな喜びでした。櫻井さんからも「同意はしませんが、お気持ちは分かります」と理解していただきました。

 そんなわけで、私としては勉強になった講演会ですが、1つ大きな気がかりがあります。というのは、櫻井ファンが中心という特殊な事情があるにせよ、在米日本人の中にかなり強い「中国人への対抗心」があるということを改めて感じたということです。勿論、私も共産主義の理念をごまかしながら開発独裁から覇権独裁へと向かう中国の脆弱性を、その規模ゆえにハラハラしながら注視しているのは事実です。ですが、ここアメリカでは、同じ東洋系として日本人、日系人は中国人や中国系と紳士的な連携を維持すべきだと思うのです。

 勤勉であること、数字や金銭に理詰めであること、儒教的な人間関係の処世術を持っていることなど、共通の美質を持つこの2つのグループはアメリカ社会の中で、連携することこそが筋であり、感情的に敵対するのは不自然です。何よりも、同じ東洋系として恥ずかしいことだと思います。勿論、カリフォルニアという厳しい環境の中で、ビジネスの世界を生きていく中での自然な対抗心が出てくるというのは分からないではありません。ですが、かつてルイジアナ州で起きた「服部青年射殺事件」の際に「人種差別の匂いがする」として世論を喚起し、民事事件での有利な判決をサポートしてくれたのは他でもないカリフォルニアを中心とした中国系でした。

 そうした連携が今はなかなか望めなくなっているということの背景には、中国当局が政治的な計算の上で「歴史認識問題」を「現在形の問題」にスリ替える挑発を行い、そのケンカを買ってしまった流れがあるように思うのです。また、在米の中国人のかなりの部分が、本国の言論誘導に抗することができないという悲しい現実も出てきています。こうした悪しき流れを絶つにはどうしたら良いのでしょう。私には改めて重たい課題を背負わされた気分が残りました。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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