fc2ブログ

長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ

新潟県長岡市で活動します長岡アジア映画祭実行委員会!です。

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

「阿賀に生きる」と出合い

©KOMORI HARUKA

被災地の風景に聞く 〈下〉

-----------

「阿賀に生きる」と出合い

映像作家・小森はるか(新潟市在住)

 東日本大震災から1年後、岩手県陸前高田市で暮らし始め、その後の3年間は「被災地」にいることが私の日常になった。町の人たちと何げない会話をするようになり、震災前の記憶を聞く機会が増えた。懐かしむ表情や声の優しさが、いまここにいたい人たちを近くに感じさせてくれる。
 一方で、話を聞くほどに人にカメラを向けられなくなった。親しくなった人たちへ「被災者」という目線を向けることになるのでは…。まちの人たちとの関係が壊れるのを恐れて、ただ風景ばかり撮影するようになった。
 その頃に見た映画が佐藤真監督の「阿賀に生きる」(1992年)だった。新潟水俣病の被害を受けた阿賀野川流域で、若いスタッフ7人が暮らしながら作り上げたドキュメンタリーだ。登場する3組の老夫婦らが見せてくれる、その人なりの堂々たる生きざまに圧倒された。仕事場や茶の間、あるいは公害裁判へ向かうバスの中でも、阿賀に生きた人たちの日常の時間はこんなふうに流れたのかと、ただそれを知ることに深い感動がある。
 未認定の水俣病患者である事実を字幕が伝えても、彼らを「被害者」として捉える視点には転ばない。いま目の前に見えているものこそが問うてくること、そのままを写し撮るカメラに憧れた。
 公害と自然災害を同じようには語れないが、私には阿賀と陸前高田とが重なった。ここで何が起き、失われたのか。伝えきれない出来事の大きさに気づくのは、いづれも日常の中だ。私は見えているものにすら、目を向けてこなかったのではないか。では何を撮るべきか、すぐに答えはでなかったが、陸前高田で出会えた人を撮りたいと思った。
 佐藤さんの著書のなどで、映画づくりが始まった頃、悩んでは阿賀野川をただ眺めていた時期があったと知った。風景ばかり撮っていた私に、悩む時間も必要だと言ってくれたようで励まされた。
 現在の阿賀を撮りたいと思うようになり、去年の春、新潟市内に引っ越した。日本海側の雪の降り方に東北とはまた違う冬の厳しさを知る。制作は道半ばだが、今度は陸前高田で教えてもらったことに支えられながら、撮影を続けている。阿賀野川沿いを歩くとふと佐藤さんの言葉を思い出す。

===============

3月3日付に続き、

前向く兆しを撮りたくて 
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-3684.html

本日3月10日付の新潟日報文化面に小森はるか監督が寄稿していたので書き写します。
ちなみに隣の紙面には小森監督とは↓こちらで縁のある
https://twitter.com/aruharufilm/status/1628380902811369473
佐藤そのみ監督の顔写真が掲載されてたのは偶然なのか必然なのかと。

3月12日 『空に聞く』長岡上映会
http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/blog-entry-3638.html

| 未分類 | 21:42 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

TRACKBACK URL

http://nagaokatsukurukai.blog.fc2.com/tb.php/3690-6f390eaa

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT