2024
Nov
16
人生最高レベルの幸せとは
何年か前に、ワクワクしながら家族旅行の予定を立てて、ウキウキしながらその初日を迎えたとき、ふと「自分の人生において、これ以上に幸せというか楽しいことはどれくらいあるのだろう?」と考えたことがあります。
家族旅行なんて、ごく普通のありふれたものですし、それ以上に幸せを感じることができるものなんていくらでもありそうです。が、意外と、というか、ほとんど思いつかなかったのです。
もう少し若い頃であれば、将来に向けての野望や目標、異性との恋愛などにおいて、幸せや楽しさの大きな起伏があったかもしれません。まだ知らぬものに対する期待もたくさんあったでしょう。
しかしながら、それなりに多くのことを経験し、高い仕事の目標や自己実現はほぼ諦め、子供もそれなりに育ちつつあり、夫婦で仲良く生活している今となっては、なかなかそれ以上のものが思い浮かばないのです。
家族旅行なんて、ごく普通のありふれたものですし、それ以上に幸せを感じることができるものなんていくらでもありそうです。が、意外と、というか、ほとんど思いつかなかったのです。
もう少し若い頃であれば、将来に向けての野望や目標、異性との恋愛などにおいて、幸せや楽しさの大きな起伏があったかもしれません。まだ知らぬものに対する期待もたくさんあったでしょう。
しかしながら、それなりに多くのことを経験し、高い仕事の目標や自己実現はほぼ諦め、子供もそれなりに育ちつつあり、夫婦で仲良く生活している今となっては、なかなかそれ以上のものが思い浮かばないのです。
◎旅行以上のものって
夫婦や家族での旅行以外で、(それ以上に)今後の人生において幸せを感じることができそうなことを思い浮かべて無理やり候補に挙げたみたものといえば、
・子供の成長や活躍を見る(楽しめるのはあと数年程度かも)
・アニメ・映画・コンサート鑑賞、読書、スポーツ観戦など?
・気の置けない仲間と酒を飲む?
・美味いものを飲み食いする?
・得意なことで社会貢献?
そのくらいのものでした。
なんか、あまりにもありふれたものだけで、たいしたことがないですよね。
しかも、上記ようなものであっても、家族旅行以上に楽しくて幸せなレベルを味わうとなると、かなり限定的になりそうです(例えば、美味いもののレベルも相当高くなるし、かなり面白い映画でないと家族旅行は上回れないはず)。
まあ、きっと人生なんてそんなものなのでしょう。
美味いものを飲み食いして、いくつかのお気に入りの娯楽を楽しんで、家族や友人と仲良くできるのであれば、それ以上に幸せなことなんてそうそうないということなのだと思います。普通に生きていれば。
【参考記事:これまでの人生で幸せだった瞬間】
◎仕事に全力投球している人は違うかも
もちろん、仕事に全力を注ぎ、そこにやりがいや充実感があるような人生を送っていたら、見える景色は違ったかもしれません。
大きな仕事をして、世の中に自分の存在の爪痕を残せるような状況なら、幸せなんぞを通り越して夢中になったりもできるのかも。仕事の成功によって得られるものは、時間を犠牲にしたとしても捨てがたいものだと思います。
ただ、残念ながら、私はそういう状況にはなりませんでした。仕事の先も見えてしまったというか、そこに全力を注ぐ人生を選択していません。
【参考記事:仕事とは我慢して耐えることなのか】
◎自覚しながら楽しんでいきたい
進化生物学的には、生物個体は遺伝子の乗り物であり、次の世代を残した時点でその役割は終わりだというような話を聞いたことがあります。
また、どんなに大きな幸福感や満足感も、ずっと続くものではないようです。時間と経過共に薄れて(慣れて)しまいます。
残りの人生(余生)では、そのようなことを踏まえたうえで、近くにいる人に迷惑をかけない範囲で、上述した5つくらいのことをほどほどに楽しめれば充分なのかもしれないと最近は思うようになっています。
ただし、毎日娯楽ばかりでは飽きてしまうでしょうし、私を含む多くの普通の人は、それだけをしていては食べていくことができないはずなので、現実的なラインを模索しつつ、今を楽しむことを自覚しながら生きていたいものです。
そういえば、大江英樹さんが『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方』という著書の中で、以下のようなことを書いていたのを思い出します。
・モノよりもコト
・思い出は誰にも奪うことのできない一生の宝
・人生でいちばん大切なのは「思い出」なので、そこにお金を使うべし!
【参考記事:もし余命数ヵ月とかだったら何を優先するか】
※この記事を書いたのは私が身体を壊す前なので、現在はそもそも「できること」がだいぶ減ってしまいました。

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