ゴタゴタ騒ぐ前に歴史的背景をおさらいしておきましょう。

たまたま私が夏に一部を翻訳したカン・ジョング(平和·統一研究所、国大学科教授)
氏の論考が手元にあるので、それを筆者への断りなく勝手に掲載8·15韓日平和運動討論での発表のために書かれたもの。ここに掲載するのは私が翻訳した部分のみ。

朝鮮半島の平和·統一
と東北アジアの平和に向けた歴史展望と課題


1.はじめに

古今東西を問わず、この世の中でもっとも貴いものは命である。人種や国籍、あるいは教を問わずすべての人間に命の尊厳という道徳的価値を与えるべきという人間生命中心主義を志向することは、あまりにも当然のことである。加えてこの高貴な生命権(right to life)は、人間界のみならず自然界にも最大限に適用、尊重されるべきである。

人間の生命の高貴さの普遍化は、すべての人類会においてもっとも悪い犯罪を殺人罪に、もっとも重い極刑に処される犯罪者を殺人犯としていることでも確認できる。生命権の侵害にはいくつかの種類があるであろうが、もっとも大規模に、また短期間に起こる生命権の侵害は戦争において起こる殺傷と大量虐殺(genocide)だ。したがって戦争を阻止し、平和を定着させ、生命権を確保する平和生命権ほど切迫し、貴重なものはない。

にもかかわらずこの平和生命権は国連などで基本的人権の核心カテゴリーに位置していない。またわれわれが住む朝鮮半島には、生命権を短期間に大規模に奪う戦争の危機と核の危機が連続している。同時に哨戒艦「天安」沈没事故の真実も究明されていないにもかかわらず、(イ)(ミョン)(バク)政権はこれを北の所業と断定し、アメリカと日本はこれに同調し、核空母(核搭載空母、または原子力空母のこと。訳注)ジョージ・ワシントンまで動員して戦争ごっこを繰り広げつつ、朝鮮半島と東北アジア戦争危機に陥れているのが、まさに今日の現実である。

このように、絶え間ない平和生命権の危機下において、このような反人倫的、反自然的戦争危機と核危機を克服せんとする平和の模索は、われわれすべての最優先の義務であり課題であって、徳目である。このような構図において6·15南北共同宣言、北の核実験、2·13合意、9·19共同声明など、朝鮮半島の平和体制模索する動きの歴史が姿を現した。これはまさにこの切迫した歴史的要求に照応するために現れたのである。

庚戌国恥(韓国併合)100年、アメリカ主導の65年、国軍駐屯65年、解放65年、6·25拡大戦争 60年、6·15南北共同宣言10年を迎え、この稿はこれら朝鮮半島の戦争危機と核危機の実情がどのようなものだったのかを点検する。続いてこれの克服に向けた朝鮮半島平和体制(協定)のあり方を示す。そして平和体制を超えて民族的悲願である統一と東北アジアの平和を担保する東北アジア平和協力体のあり方の展望と、その実現に向けた韓・日民衆勢力課題を探ってみたいと思う。