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二人の英雄

2006/04/11(火) 11:23:26
571 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/04/08(土) 22:32:03 O
マックス・シュメリングとジョー・ルイス

マックス・シュメリングは1905年、ドイツのクラインルコフに生まれた。
16歳の時からボクシングを始める。詳しいアマ戦積は不明だがドイツのアマチュア王者にも輝いているから、当時から将来を嘱望されていた俊英だったらしい。
1924年にプロに転向するとたちまちL.ヘビー級の欧州王座、ヘビー級ドイツ王座を獲得し、その鋭い強打で「ラインの槍騎兵」の異名をとった。
一次大戦の敗北に打ちひしがれていたドイツの人々はシュメリングの活躍に次第に熱い期待を寄せるようになり、彼もそれに応えて見せる。
1930年、チャンスを得たシュメリングは大西洋を超えてアメリカに渡り、ジーン・タニーが返上した後の王座に居座っていたジャック・シャーキーから4Rローブローの反則勝ちでベルトを奪い、ドイツ人初の世界ヘビー級王者に輝いた。
勝ち方はとにかく、実に100年ぶりにヘビー級のベルトが海を渡って欧州に帰ってきたのである。快挙は快挙であった。ドイツの人々は熱狂的に彼の凱旋を迎え、シュメリングは一躍国家的英雄となった。
その後シュメリングは初防衛戦をKOで飾り、1932年まで王者として君臨した。後にシャーキーにベルトを奪い返されてしまうが、ドイツの人々にとって、依然として彼は英雄だった。



572 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/04/08(土) 22:34:11 O
(続き)
一方、ジョー・ルイスは1914年にアメリカのアラバマ州ラファイエットに黒人農夫の息子として生まれた。デトロイトに引越した後に少年クラブでボクシングを始めている。
アマチュアデビュー戦こそ七度もダウンを奪われた挙句KO負けと、散々なものだったが、ルイスは持ち前の闘志で発奮し、その後は天性のセンスと強打でKOの山を築いていき、全米選手権も制覇してアマで50勝34KO7敗の好成績を残した。
1934年、20歳の時にプロに転向すると彼の勢いは更に加速する。天性の強打に加えてバランスの良いしなやかなコンビネーションは絶品で、負け知らずのまま世界ランク入りを果たす。その倒し屋ぶりは全米に知れ渡り、「褐色の爆撃機」というあだ名も付いた。
黒人でありながら彼が人気を集めた理由の一つには、当時のアメリカ社会が第二次大戦前の国際情勢の悪化により、人種を問わず軍への徴兵など国民に協力を求めていた背景もあった(実際、後にルイスが陸軍に志願する様子が徴兵キャンペーンのテレビCMに使われた)

573 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/04/08(土) 22:41:05 O
(続き)
そのルイスとシュメリングが最初に出会うのは1936年の事である。ルイスの世界前哨戦の相手に欧州王者であったシュメリングが選ばれたのだ。
ニューヨークで行われたこの試合でルイスを応援するためにヤンキースタジアムが6万人以上の観客で埋めつくされたというから、アメリカでのルイス人気の程が窺える。
しかし、この時はシュメリングが上手だった。1Rに様子を見たシュメリングは、ルイスのガードが下がる癖を見抜き、2Rに見事なカウンターでダウンを奪ってルイスを圧倒。三度ダウンを奪った上に12RにKOで勝負を着ける。ルイスはプロ初の敗北を喫した。

シュメリングはこの国際試合の勝利で再び国家的英雄として凱旋帰国するが、前回とは様子が異なっていた。まず彼を迎えたのはナチスの高官達であった。
この時ドイツは完全なナチス政権下にあり、ドイツは経済復興とナショナリズムに沸いていた。シュメリングは出国前にヒトラーから直々に激励を受けるほどの「国家の代表」になっていた。
また、元王者だった彼はナチスの標傍する「美しく自由な肉体」のモデルとして広告塔に利用され、有色人種のルイスを倒した事で、アーリア人の優秀さの象徴としても祭り上げられていく。
この事は彼にとって生涯の十字架となった。その後長い間シュメリングはナチスの協力者としての評価が固定してしまうのである。

574 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/04/08(土) 22:46:08 O
(続き)
一方、一敗地にまみれたルイスだったが、この誠実なファイティング・スピリットの持ち主は素直にシュメリングの実力を認め、その上でそれを越えようとすぐに再起していた。
再起戦を飾ると直ぐに当時の王者であったジェームス・ブラドック(映画シンデレラマンのモデル)に挑戦し、8RKO勝ちで見事に王座を奪ってみせる。その後の防衛戦も全てKOで片付け、4度目の防衛戦の相手に再びシュメリングを選んだ。
ルイスにとってシュメリングは王者の証明としてどうしても超えねばならない壁だった。1938年、こうしてシュメリングは三度海を渡る事となった。

米独はこのすぐ後に戦争に突入する間柄である。二人の意志とは関係なく、試合前の盛り上がりは異常な熱を帯びた。この試合は単なるタイトルマッチではなく、国家間の代理戦争として歴史に記録される事になる。
ニューヨークの街頭では連日反ナチスのデモが行われた。両国のメディアも、自分達の英雄を讃える一方、敵役の相手選手を貶める事にいささかの躊躇いもなかった。
特にホームのアメリカ側のそれは酷く、シュメリングを「ナチスの食人鬼」呼ばわりする新聞さえあった。
ヤンキースタジアムは前回を上回る8万人の観客で溢れたが、その全てがルイスの応援団だった。


575 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/04/08(土) 22:54:34 O
(続き)
二人の再戦はルイスの強打がスパークし、1Rで勝負がついた。
開始早々、今度はカウンターを取る暇も与えずシュメリングを倒すと、その後も鷹の様に襲いかかりあっという間に4度のダウンを奪いレフェリーストップを呼びこんだ。その間僅か124秒の完勝劇だった。
チャンスと見た時のルイスの詰めの鋭さは、史上どのヘビー級ボクサーよりも凄まじかった。(シュメリングはこのKO負けで背骨を負傷し、六週間入院した)
この試合でルイスは憎きファシズムの使徒を倒した英雄として祭り上げられた。アメリカの新聞は「彼は人種の誇りだ。人類という種族の誇りだ」と、人種を超えたスーパーヒーローの誕生を強調した。
更にルイスの黄金時代は続いて行く。彼はヘビー級王座に11年(途中兵役期間があるが)君臨し、タイトルを連続25度防衛という不滅の記録を打ち建てるのである。
反対にシュメリングは、自由主義の英雄に倒されるべくして倒されたファシズムの象徴として、長く人々に記憶される事となった。

576 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/04/08(土) 22:59:07 O
(続き)
二度目のルイス戦後、帰国したシュメリングにはさらなる苦難が待ち受けていた。
ナチスによって国家的英雄に祭り上げられていたシュメリングだったが、本人はナチズムを信じていなかった。むしろ反ナチス主義者だった。
祖国の事は愛していたが、それはファシズムを容認するような種類のものではなかった。彼の妻はチェコ人でマネージャーはユダヤ人だった。
シュメリングはその両者から手を切るようにナチスから圧力をかけられるが、無視し続けた。
度重なるナチス入党の誘いにも応じず、宣伝大臣のゲッペルスに呼び出され、直々に要請されても頑として跳ねつけた。反対に知人のユダヤ人の亡命に密かに手を貸していた(後に彼のマネージャーもアメリカに亡命した)
シュメリングは次第にナチスから煙たがられるようになり、戦況が悪化すると徴兵され、落下傘兵として最前線へと飛ばされてしまう。
それでも彼は惨憺たる負け戦を生き残り、終戦と共にドイツに生還した。ほどなく正式にボクサーを引退し、荒廃した祖国に根を張って生きていく事となる。
シュメリングは意外に商才のある男で、戦後は農場の経営に成功し、コカ・コーラの国内販売権を獲得するなどして財を築いた。
そして、その利益の多くをなるべく目立たない形で慈善施設などに寄付していた。彼は地味ながらそういう形で祖国ドイツの再建に貢献していった。

577 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/04/08(土) 23:16:02 O
(続き)
一方、戦勝国の国家的英雄であったはずのルイスは、戦後は悲惨な境遇にあった。
彼は兵役によるブランク後も王者として暫く王座に居たが、戦後の彼は既に全盛期の輝きを失っていた。
苦しい防衛戦が続いた彼は自分の時代が過ぎ去った事を悟り、王者のまま引退を決意する。
だがそんな彼に予想外の災難が降りかかった。ルイスは戦時中、自身の莫大なファイトマネーの殆どを、陸軍を始めとしてあちこちに気前良く献金していた。
だが戦後になって、ルイスはそれらの献金に対して国税局から莫大な税金をかけられてしまう。
なんの税金対策もしていなかったルイスはそれらを払いきれず滞納し、さらに追徴課税金を課されてしまう(黒人の金持ちをよく思わない国税局の嫌がらせであったという説もある)
雪だるま式の税金を払う為に雪だるま式に借金が重み、ルイスはあっという間に破産。やむなくボクサー業に復帰するが、既に彼は30代後半であり、カムバックは無惨なKO負けに終わってしまう。
その後、ルイスは仕方なくプロレスのリングへと上がる。彼の妻は「大統領が駐車場係をするようなもの」と彼をなじったが、借金苦のルイスには他に道がなかった。慣れない大仰なパフォーマンスで客寄せパンダを演じるしかなかった。
その後、追徴課税の件は市民の抗議運動のおかげでなんとかなったものの、苦労が重なったルイスは体調を崩して倒れ、車椅子生活を余儀なくされるまでに健康を害してしまう。


578 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/04/08(土) 23:21:28 O
(続き)
そんなどん底の境遇にあったルイスに救いの手を差しのべたのが、他でもないシュメリングだった。
彼はルイスの苦境を聞くとアメリカに渡って彼を見舞い、旧交を温めた後に当時収入の無かったルイスの医療費を匿名で負担したのである。
その後ルイスはフランク・シナトラの援助でラスベガスのホテルでの接客係の職を得た。
車椅子のまま、シナトラのホテルのロビーで好きな時に客と適当に談笑していればいいという気楽な仕事で、ルイスはここで往年のファンと昔語りなどをしながら晩年を過ごした。
そして1980年に家族にみとられながらこの世を去った。静かな最期だったという。シュメリングは彼の葬儀費用の一部も負担した。

戦後のシュメリングの人生は、長い間、一部以外の人間に知られる事はなかった。彼は自分の行為を宣伝するような人間ではなかったから、世界の人々にとってのシュメリングのイメージは、代理戦争のやられ役という戦前のまま、更新されていなかった。
彼の本当の姿が一般に知られるようになったのは1990年代末になってからである(ドイツ国内の一部では何度か再評価の動きがあったが)。

579 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/04/08(土) 23:22:57 O
(続き)
この頃、ドイツでは東独出身のスター選手が出現し、一大ボクシングブームが巻き起こっていた。そしてブームの最中、ドイツのスポーツ史を総括しようという動きが活発になり、人々はシュメリングを再発見したのである。
だが、そうした喧騒を避けるように、シュメリングはこの世を去る。2005年2月、風邪をこじらせたシュメリングは高熱から昏睡状態に陥り、二度と目覚めなかった。享年99歳。
葬儀には現職のケーラー大統領も参列し、彼の死のニュースは世界を駆け巡った。彼がいなくなってはじめて世界は彼が高潔なゲルマンの騎士であった事を知ったのだった。
もっともそんな事は、自らの意思に従い生き抜いたシュメリングにとっては、どうでも良いことだったかも知れない。
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コメント
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#|2006/08/13(日) 10:16 [ 編集 ]
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#|2006/12/10(日) 07:36 [ 編集 ]

この二人の対戦はNHKの映像の世紀でやってたけど、その後の話はしらなかったなあ。シュメリング格好良すぎ。
#-|2008/04/12(土) 23:54 [ 編集 ]

こういう、タイプの違う二人のライバル話は好きだなあ。
しかも実話なんだね。戦争や歴史的背景が絡んだりしてスケールがでかい。
#-|2008/04/19(土) 11:01 [ 編集 ]

良い話だな

かっこいい生き方だな
#-|2009/04/06(月) 00:49 [ 編集 ]

シナトラのポジションが美味しすぎる
#-|2010/06/28(月) 05:24 [ 編集 ]
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