上京したての頃。
井の頭の女子寮に住んでいた私は、とにかくセックスの虜だった。
専門学校の女子たちにセックスやオナニーについてアンケートをとったり
セックスについての映画や本を漁ったり
「おれはセックスうまいのさ」という男とはとりあえずヤってみたり
ストイックにセックスを研究していた。
そんな私が、様々なセックスジャンルを経験していく中
「スカトロ」だけには手を出せなかった。
「スカトロ」といえばうんこだ。
「うんこ」といえば変態映画監督・井口昇だが
私はスカトロは出来ないけれど、井口昇は大好き。
何度か井口の仕事をするチャンスがあったけど
その度、私がスカトロに洗脳されるのを恐れた彼に阻まれた。
で、19歳の頃
掲示板で「スカトロに挑戦してみたい」という
私と同じ闘魂を秘めた男性と出会い、会ってみることにした。
出会いがチャットやメールの場合、普通の女子なら(男子も?)事前に写メかなんかで
外見をチェックすると思うけど、私はなるべくしないようにしてる。
そーゆー出会いの何が楽しみかって、自分の想像してた外見と実際のギャップが
醍醐味なのだ。
たとえそれが残酷な結果になろうとも、ひとつ利口になったと思えばわりと、問題ない。
絶対ハズせない、という切羽詰った時だけは交換します。
その時会った人は30才くらいで、長身で細身のステキな紳士だった。
ははーん。ジェントルぶってても頭の中はうんこまみれか
そういえば
私がスカトロまがいのことをするのはこれが初めてじゃなかった。
高校の頃付き合っていたおっさんとお風呂の中でアナルセックスしていたら
うっかり脱糞してしまい、湯船に茶物を散乱させてしまったのだ。
その時はうんこが目的じゃなかったし、おっさんにそーゆー趣味もなかったので
文字通りサラっと流したのだけど
あの時の恥ずかしかったこと。
まさに顔から火が出たような、すさまじい衝撃だった。
でもこの人とはあえてしようとしている。
人間、先のことなんて本当分かったもんじゃない。
ホテルへ着くと、その人は鞄の中から様々な道具を出しはじめた。
スカトロ=SMという安易な知識で、私たちはスカトロに挑む前にまず
SMプレイをしようじゃないか、と計画していたのだ。
私は今だからこそ胸を張って言えるが、
SMとスカトロはまったく別物。
SM好きがスカトロ好きというわけではないし、逆もそう。
アブノーマルという括りの中で、この二つはセットと思われていそうだが
ベーコンエッグがベーコンと卵のように
SMとスカトロ、根本的にまったく違う。
相手の羞恥心を煽るためにSがMに放尿や脱糞を命じたり
ご主人様への貢物として排泄物は必須アイテムな予感もするけど
(SM愛好者の一部がスカトロOKなのはこのせいだと思う)
純粋にスカトロをたしなんでいる人にそんな説明一切いらない。
ただ単にうんこが好きなんです。
女の子の顔がうんこまみれになったり食べたり出したり白い肌が汚物に染まって
見るも無残な姿になっても
それが快感なんです。
ゲロとかもそうですね。
うんことかに無理やり神秘性を持たせて盲目な信者のようにスカトロ好きを気取ってる人が
稀にまぎれ込んでますが
私はちょっと違うと思います。
そうでもしなきゃうんこ好きを肯定出来ないのかもしれませんが
所詮うんこはうんこ。
うんこはキレイと教えられて育った人がいないように
うんこはキレイじゃないんです。
「うんこ!」と叫べば子供が必ず笑うように、
うんこの運命は決まってるんです。
そんなものが好きだなんて自分はどこかおかしい、うんこにも何かいいとこがあるはずだ と
うんこの真髄を模索したって、そんなもんは後付けにすぎないし
好きならそれも、好みのひとつ。
で、私はその人とおままごとのようなSMプレイをしたわけですが
なんせお互い、SMに必須な信頼関係がゼロに等しかったので
「いたい?」「だいじょうぶ?」「もうやめる?」「ふつうにする?」なんて気遣ってばっかりで
ちっとも楽しくなかった。
プレイも佳境に入り、その人は浣腸を取り出した。
ついに「浣腸」が、生まれて初めて私の体内へ挿入されます。
「我慢できるとこまで我慢するんだよ」とその人はお決まりのセリフを言って
じっと私を見守りました。
「浣腸なんかに負けるものか」と、私は持ち前の負けん気で挑んだせいか、
いつまで経っても「もう我慢できないのお願いだからうんこをさせて~」なんて事態にはならず
私とその人の間に、「便意待ち」という非常に気まずい時間が流れた。
あれあれ、と思ったのは15分くらい経ったころか。
お腹が痛いというよりも、下っ腹が活発に動いて「うんこいつでも臨戦態勢」になった。
私は恥ずかしさもあり「まだだいじょうぶ」なんて冷静を装っていたけれど
あっという間に我慢出来ない状態まで追い込まれた。
「我を忘れる」
なんて、私全然ないんです。
我を忘れるなんて恥ずかしいし、そんな姿見られたくないし
なるだけ我を忘れないように生きてるのですが
その時ばかりは我を忘れて「うんこをさせろ!」と怒鳴りました。
その人はトイレへ急ぐ私を制して、「ここでして」と浴室に連れ込みました。
そりゃそうだ。
もし私が普通にトイレでうんこをしたら、私たちは
わざわざホテルのトイレにうんこをしにきた人たちだ。浣腸までして。
「それだけはヤダ」と、私は本来の目的をすっかり忘れて
ただひたすら便器ですることを望んだが
その人は頑として「うんこしてる姿が見たい」と譲りません。
その時すでに、ちょっとでも腹に力を入れようものならブーーーーーーーーーッと
漫☆画太郎よろしく発射してしまいそうだったので
とりあえず服は脱いで、服への被害だけはまのがれた。
裸でもじもじ、浴室で立ちすくしている私にその人は
「しゃがんで」といいました。
しゃがみようものなら確実にやってくる脱糞の嵐
「やだやだ」と、私は増していく便意と腹痛で涙目になりながら訴えた。
でももう限界です。
もう無理です、頭の中は「うんこしたい」という欲求に支配され
自分の意志とは裏腹に、私はその場に腰をおとした。
うんこしてる。人前で。
その恥ずかしさは相当なもので、しかもそれだけじゃないんです。
うんこはとっても臭いんです。
何がやだってこれがやです。
醜いうえに、臭いんです。
その人は瞬きもせずに見てましたね。
異様な空間でした。
で、一通り脱糞した私は思いました。
「このあとどうするんだろう・・・」
その人も、念願のうんこを前にただ呆然としています。
私たちは目の前の「うんこ」の重みに耐え切れず、そのまま水に流した。
ベッドの中で、その人は私を腕枕してくれました。
お互い「恥ずかしかったね」なんて、ウブな学生のように言い合った。
「心臓の音を聞いてごらん」
その人がそう言うので、私は耳を澄ましてみると
「カチカチカチ」
時計の秒針のような音がします。
その人は重い心臓病を患っていて、体内には色んな部品が備え付けてあるそうで
心臓もこうして、機械で動かしているんだそうです。
私はその話を聞いて、アンドロイドだと思いました。
「アンドロイドだー」と、バカなのでそのまま伝えると
その人は、少し笑って「そうだね」と
言ってくれました。
なんだか、その日のことは全部ひっくるめて
ファンタジーでした。