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僕が、反社会性人格障害であるということで、よく聞かれるのが
「命の大切さをわかっているのか?」
ということです。
それは、答えるのであれば、経験としてわかっているだけで、実感としてはわかりません。
今もわかりません。
命とは何なのかは知っています。
動く生き物です。
人も動物もこれと同じです。

人の命は大切だと言います。
しかし、本当に大切だと思うのなら、何故人は動物を殺すのでしょうか?
そして食べている。
それと、何ら変わりがありません。
人はハンターです。
そうやって生きてきたのだから、それで辻褄が合います。
しかし、人の命だけは大切だと言う。
誰も疑問に思わないのでしょうか?

それを疑問に言うと、人は心を持っているからだと言う。
そして、倫理だの道徳だのと言ってくる。
押し付けも甚だしい。
では、動物は心が一切ないのかと聞くと、黙ってしまう。
そう答えなんか無いのだから。
人は都合が良すぎるんだ。
だったら、同じでいいのではないかと言うとそれは違うと言う。

僕は、人の命についての扱いが小さいころから欠落していたことは事実でしょう。
妹が邪魔で仕方が無かった。
妹が生まれて僕は憎しみを先に覚えた。
邪魔としか感じず、ただの迷惑だった。ある日、母が庭のプールで妹を遊ばせようとしていた。
まだ、小さかったと思う。
僕はボンヤリとその様子を見ていた。

すると、母が
「ちょっと見ていてね。」
と僕に寝っころがっているだけの妹を置いて家の中に入って行った。
僕は興奮した。
妹と僕だけのシチュエーションが無かったからだ。
今ここに僕は優越感を覚えた。
庭は、近くに小さな側溝があり、水はけのためその傍で母は小さなビニールのプールを用意していた。

これは、大チャンス。
と思った僕は、もちろん妹を軽く押した。
するすると妹は、ビニールのシートの上を滑り側溝の方に向かっていく。
このまま行けば小さな川にドボンだ。僕はそれを見ていた。
「お疲れ様。」
とだけ言った。
かくして、妹は無事に落ちた。見えなくなってすっきりしたのを覚えている。

すると、母が
「ただいま!」
と戻ってきた。
姿の見えない妹に気が付いて、
「あれ!」と声をあげた。
「どこ?」と聞かれたが
「知らない。」と言った。
すると母はすぐに側溝を見て、どんぶらこと流れていく妹を発見した。
ちょうど、柵のようなものに引っかかっているのが見えた。
僕は、がっかりした。

しかも残念なことに、妹はあおむけで何のダメージもなく息も出来ていた。
母は大激怒し妹を抱きかかえ
「ちゃんと見ていてって言ったじゃない!」
と言った。
だから見ていたよ。
流れて行ったけど。
妹は泣きもせず普通だった。
僕は、運のいい奴だな、と思った。
それがいけないことだと、思っていなかった。

ここまでお話し出来るのも、僕が今非常に妹を可愛がって認識しているからだ。
もちろん、あの時に命を失くさなくて良かった。
しかし、あの時の僕はそれを理解していなかった。
ただの邪魔としか、物が邪魔と大して変りが無いという認識しかないからだ。
僕はその後も妹に対して悪事を働き続けた。

妹の誕生日。大騒ぎでプレゼントを用意し、妹を祝っていた。
僕は何も嬉しくはない。妹には、音の鳴る車のオモチャが用意された。
僕は気に入らなかった。
そこで、妹が荷台に手を突っ込もうとしたのを見て思いっきり、荷台を閉めた。
その時、母は僕の顔が表情ひとつ変えていなかったと後で教えてくれた。

僕は妹の手だけを見て、表情を変えずただ力を入れていたのだと言う。
妹は大泣きし僕は、ハッとなった。
母は僕を叱り
「妹を何故いじめるの!?」と言った。
僕は理由は言えなかった。
母は、僕が母親を取られたようで寂しいのかと、それからは僕にもよくしてくれた。
しかし、邪魔ものは消えないのだ。

観光旅行に行った先でも、チャンスがあれば、何かしようとした。
僕が妹を危険にさらすことで、旅行が台無しになるなど、まったく考えも及ばない。
行った先のレストランは二階だった。
僕は、妹を階段の一番上から盛大に突き飛ばした。
コロコロと転がっていく妹をただ見ていた。
皆それを見ていたそうだ。

「みらい!なんてことを!」
妹は、本当に運が良い。何も無かったのだ。
怪我の一つもしなかった。
母は僕を見て何か考えていたようだった。
僕の中のおかしな部分に、この時ばかりはぞっとしたのだと言う。
そして行動を見られるようになった。
僕は悪くはない。ただ、妹が前に居たから邪魔だっただけだ。

母は、僕のことを大切に愛情で育て始めた。
そして、母と子、また、兄と妹、人と人の繋がりを認識させようとした。
命の大切さについては、何も言わなかった。
言ってもわからないのではないかと、本能的に悟ったのであろうか。
特に言われた覚えはない。
しかし、これが僕に劇的な変化をもたらした。

僕には、根本的に「命の大切さ」を教えるよりも、
ゆたかな自然や、家族との繋がり、そして、その大切さを教えた方が有効だ。
こんこんと人を殺してはいけません、動物を殺してはいけません、倫理・道徳的にいけません、
などと何時間も教えるよりも有効だ。
人との繋がりを教えることこそが正解だ。

僕は一人では生きてゆけない。
またそしてそれは、僕が利用しなくてはいけない社会もそうだ。
家族は、僕にとって小さな社会である。
だからこそ、家族の大切さを教えること、もしくは、人との繋がりを教えることが一番わかりやすい。
家族とは、僕にとって寄生する対象なのだろうか、と考えることもある。

しかしそれは違ったのだ。
寄生するために居るのではない。と教え込むことがまた大切である。
寄生という考えは危険である。
なぜなら、存在価値が無くなったら、すぐさま不要になってしまうからだ。
それは、また家族の愛情の中では排除しなくてはならないだろう。
利用価値という意味で、である。

僕は、その二点を教わったのだ。
人は、繋がりを持つことでお互いを生きるために必要であると言うこと。
また寄生する、すなわち、利用するものではないということ。
これは、僕にとって新しい情報である。
僕が生きるためにはこの二点は大きかったと思うし、心を育てるためには必要だったのだ。

反社会性だけではないだろう、この二点は一般的にも通用する。
しかし、薄くても持っている良心と、まったく持っていない場合とは、教え方が違ってくる。
そこを良く理解してほしいのだ。いいね?わかっているね?などと言ったところで、伝わるわけがない。
一から教えなくてはいけないと言うことなのだ。

ただの邪魔ものな妹にやっと命が吹き込まれるのだ。
そして少しずつ視野が広がっていく。
それが、母だったり、父だったり、兄だったり、友達だったり、祖父、祖母だったり、ありとあらゆることに説明がついてゆく。
それをわかっているだなんて言わずに一つずつ関係性を説明してほしいのだ。

面倒くさがると、放置されてしまう。それだけはいけない。
反社会や、サイコパスと言われる人には、最初から説明せねばならない。
ルール・倫理・道徳は、何も意味が無いのだ。
それをどうやって犯すのかを楽しむのだから、余計に悪化させ圧迫するだけだ。
それは、後回しだと思う。
先に心を育てなくては。

また、僕もそうだが、すぐに勝った・負けたの世界に入ろうとする。
そして何が何でも勝とうとする。
それも人の命に関係してくるのだ。
人に勝てば優越感でいっぱいだ。
または、人を支配するとしよう。
僕のルールを理解させたとしよう。
それこそが、最上の喜びである。
だからこそ、命を奪おうとするのだ。

それは目の前に居なくなった方が、即座に勝ったことになるからである。
だからそこに行きつかせることを阻止しなくてはならない。
なぜ勝つこと、ゲームのようにやりたがるのだろうか?
それは刺激的だからだ。その刺激を他に向けさせねばならない。
しかし、それには前提の心を育んでおくことが条件だ。

僕の実体験では、反社会・またはサイコパスには、無機質な心を育てておくこと、
そして、勝つことにこだわること、これを薄めなくてはならない。
そして、そこにルール違反だという言葉は一切入れてはいけない。
話がこんがらがるからだ。
ルールなどと言い出せば、下手をすれば論破されてしまうだろう。

人は論破されると激怒する。
僕だってこれは最高に楽しいのだ。
しかし、論破されるような状況にさせてはいけない。
優越感に浸らせてもいけないのだ。感情を出してはいけないと言うことだ。
それは、母が淡々とやっていたことが良かったと僕は思うからだ。
母は僕を見て泣きもせずに屈しなかったのだ。

反社会だろうがアスペだろうかADHDだろうがお構いなし。
自然を見せ、人はそこに居て生きていて、繋がりを持ち、社会を形成している。
この事実を淡々と見せるに限る。
そして、愛情を何も躊躇せずに、損得抜きで与える。
何か隙を見せ、損得を持って来ればすぐに僕に見抜かれて馬鹿にされるからだ。

母が頭に来ることも僕は散々言った。
一生懸命作った料理を、僕は「手抜き」と見破り馬鹿にして食べない。
そこで感情を見せるといけない。
母は、「その通り、仰る通り。」と言い、
「良く見抜けたわね、ただ今日は時間もなくて、これが最善の策なのよ。みらいが可愛いからこそ、時間を短縮したのよ。」

僕は納得したのだ。
そうか僕のためなのだな。それじゃあひとつ食べてやるとしよう、となるのだ。
母は僕より上手だ。
おそらく母も多少、反社会、僕のことがわかる(理解出来る)種の人ではないかと僕は思っている。
それが何故なのかは、僕は母の冷酷さも知っているからだ。
母も僕に似ていたからだった。

僕と同じようなことを母もしていたのだ。
詳しくは書かないが母には弟が居る。
その弟に対して僕と同じことをしていた。
僕が色々とやらかしたときに、母が感じたのは自分と同じだという、においだったのではないだろうか。
母と僕は似たような性質を持った。
だからこそ、僕の育て方を変更したのだと思う。

その切り替えが、普通の人では出来なかったであろう。
母だからこそ出来た。
それは、同じ性質特性を持つもの同士だけが、ピタッと一致させることが出来たからだ。
僕は、母を見てそう解釈した。
女性はグロテスクなものを苦手とするであろう。
しかし、母はむしろ好んでいる。その異質さを僕は知っている。

それこそ普通の人から見たら二代に渡っての悪魔の誕生である。
しかし僕はそれで助かったともいえる。
遡れば祖母の偉大さを感じる。
祖母は、愛情豊かに、自由に母を育て否定しない人だ。
母は、何故子供を産んだのだろう、と質問したことがある。
すると母は
「味方が欲しかったから。」
と言ったのだ。

僕は母の答えに感嘆した。
そして味方になることを受け入れたのだ。
母の無償の愛で僕は育ち、絶対的な親子になったのだった。
そこには、何にも負けない親子の絆が育ったと思う。
そしてやっと僕は、他の存在を認め始めたのだ。
今は絶対に「命の大切さ」について、理解をしそのために行動も出来るのです。

僕の体験では以上に書いたことが、
支援を必要とする発達障害の子供、または反社会性人格障害の子供を、
上手に育てるコツもあるのだと思う。
僕は子育てをする気は無いから、同じような障害を持って苦しむ家族の皆さんにどうしても伝えたい。
まずはリセットということだ。
一から、これをおススメする。  終