はじめに) 反近代。 論理より情緒。 民主主義より武士道。 家族→地域→郷土→国家への“愛” 世界からの尊敬への欲求、世界を導く日本(の私)。 その全てがあった。 その時代の実相と結末を忘れ、「父」「母」の喪失を受容できない固着した想いという私情の産物を“国家”の名で包装した書籍が受け入れられる。(参照:新田次郎によろしく/『国家の品格』への道) その時代の結末が民衆に示したはずの教訓を忘れて、もうすぐ、“国と郷土を愛する”義務教育が始まろうとしている。 ******** 以下の冗長な私の文章にウンザリという方、つまらなそうだと感じた方へ。 書いている本人が申すのも何ですが、読まなくて結構です。 『ねじ曲げられた桜』大貫恵美子著(岩波書店)定価4200円を読んでください。(⇒ライフログへ追加しておきました) 書店にお勤めの方は、『国家の品格』の平積みはトイレの個室に入れて置いて、『ねじ曲げられた桜』を空いた場所へ置いてください。 値段は『国家の品格』の約6倍です。ページ数は約3倍です。 『国家の品格』は39字×14行、『ねじ曲げられた桜』は46字×18行です。 『国家の品格』は藤原正彦さんが専門外のことについて過去のエッセイで定型句化するまで書き連ねたものを講演で話し、さらに書籍にした「楽して儲ける」「出涸らし」です。 『ねじ曲げられた桜』は、150ページ近い注と付録が示すとおり、大貫恵美子さんが専門の象徴人類学に基づいて膨大な資料、特攻隊員たちの手記・日記を読み解いた作品です。 本物と偽者の文章・作品を比べてみてください。 本文は450ページありますので、丸一日はかかるでしょう。 しかし、各章に要約がついています。 また、文章は簡明であり、専門用語も多くはありません。 桜という一つの象徴を通じで、日本の近代と敗戦の歴史が語られています。 価格は書籍としては手が出しにくいという方もいらっしゃるでしょう。 しかし、一回飲みに行くのを止めるだけの価値はあります。 (ソープへ行け! こちらのほうが、ソープよりも安いでしょう) 来年の花見でお酒を召し上がるとき、それ以前とは桜を見る想いが違っているでしょう。 花見で繰り返される刹那的な享楽の虚しさではない、桜の美しさを感じることができると思います。 おまけに、藤原さんの妄想ではなく、まともな薀蓄も身につくでしょう。 グーグルで“国家の品格”は約200万件ヒットします。 “ねじ曲げられた桜”は約360件ヒットします。 “藤原正彦”は約150万件ヒットします。 “大貫恵美子”は約800件ヒットします。 人物の価値は分かりませんが、少なくとも、書籍の価値は全く逆です。 新書と単行本の違いではなく、それは、文字の書かれた物質としての価値という次元において違います。 以下、余力のある方はどうぞ。 (1)統率の外道 “「ご承知のとおり、最近の敵空母部隊は、レーダーを活用して空中待機の戦闘機を配備し、わが攻撃機隊に対し三段がまえでそなえている。この警戒幕によって、わが攻撃機を発見補足し、これを阻止撃退することがひじょうに巧妙になってきた。その結果、敵の警戒幕を突破、または回避してめざす攻撃目標に到達することが困難となり、しかも、いたずらに犠牲が大きく、敵に有効な攻撃をくわえることができない。この窮境を打開するためには、第一線級将兵の殉国精神と犠牲的雌性にうったえて、必死必殺の体当たり攻撃を刊行するほかに良策はないと思う。これが大儀に徹するところであると考えるので、これを大本営としても、了解していただきたい。」” ミッドウェー海戦を境にして壊滅的な劣勢へと進む中、体当たりによる攻撃が考案され、実行された。 1944年10月25日、敷島隊の関行男大尉が第一号として軍は公報したが、実際はその4日前に大和隊の久能好孚中尉が出撃して未帰還だった。 さらに、それ以前の台湾沖航空戦で第二十六航空司令官有馬正文少将が空母へ体当たり攻撃をしている。 そもそも、特攻作戦が誰によって考案され、決定されたのかが分かっていない。 上記引用は、一般的に特攻の生みの親とされる大西龍次郎中将が1944年10月初旬に軍需局総務局長から第一航空艦隊司令長官へ転任する前に海軍軍令部の首脳へ向かって述べたもの。 しかし、その年の初旬に海軍軍令部から回天(人間魚雷)の製作を指示、陸軍参謀本部でも特攻攻撃の検討がされている。 遡れば、陸軍の主兵と言われた歩兵は“突撃”を華とし、海軍は兵学校で楠正成を手本とする天皇への死を省みない忠義と“人間が測り知ることのできないものに対する謙虚な随順”という諦念の美徳が教え込まれていた。 あらゆる面での戦況の悪化を前に、下士官から首脳まで、体当たり攻撃という発想を持った人々が存在した。 大西中将の言葉に、軍令部の及川古志郎大将は“「あくまでも本人の自由意志によってやってください。けっして命令してくださるなよ」”と答え、特攻は自発的という形式を与えられた。 しかし、公報で第一号とされた関行男大尉でさえ、実質的な命令だった。 士官学校出身のエリートたちは、この作戦の無効性(敵の防御網、重すぎる爆弾と高速による操縦難、軽機体衝突の無力)を理解しており、志願者が出なかった(兵学校卒の関大尉は特攻に正統性を与えるために「志願」させられた)。 だから、予科練生などの下士官や短期間で養成されるための教育素養を持つと考えられた学徒兵たちが特攻の主体を担わされた。 陸海軍で約4000名が「志願」し、死んでいった。 宇垣纒中将は、敗戦の放送後、部下数人と最後の特攻に出て死亡。 大西中将は、敗戦の翌日、割腹自殺した。 上級将校たちの多数は生き残り、ある者は慰霊事業幹部、ある者は議員、ある者は企業幹部となっていった。形式上の「志願」を楯にとり、“崇高な犠牲”と特攻隊員を祭り上げ・美化し、作戦の実効性や責任を問うことのできない感情の領域を設定することで保身した。 (2)特攻の精神 ① 学徒兵の死の「志願」 当時、高等教育機関である旧制高校・大学への進学率は10%程度だった。 学徒兵たちはこの僅かな進学者、つまり、エリートたちだった。 旧制高校では、「デカンショ」(デカルト、カント、ショウペンハウエル)に代表されるような西洋ハイカルチャーの影響下にあり、エリートとしての余裕と教養教育から東西の古典を数百冊、中には原語で読破していた。知識人の間で流行したマルクス主義の思想は、恵まれたものとしての引け目とエリートとしての社会正義にマッチして、基本的な知識として認識されていた。同じく、明治以来の知識人に受け入れられていたキリスト教に関しても聖書は古典として、あるいは信者として受け入れられていた。 エリート集団の聖域として反軍的な思想・主張さえ見られた旧制高校・大学にいた彼らが、いかにして、特攻という最も日本軍的で、非理性的な選択に「志願」していったのか。 ② 『ねじ曲げられた桜』/美意識とメコネサンス “美的価値を自分たちの理想主義と愛国心に投影することによって、自らの犠牲を気高く美しい目的のためと正当化する上で、「一役買うことになった」” 当時最高の知性と教養にあった彼らが、明らかに悪化する戦況とそれに対する無力・不合理な選択への「志願」を自らに納得させた源泉は美意識だった。 “理想主義と人生における美の探究”と職業軍人への幻滅、エリート意識が彼らの「志願」を導き出した。 “隊員たちは皆、行動においては「天皇即国家への犠牲」のイデオロギーを再生産していた、しかし、思考においてそれをそのまま再生産していた者は一人としていなかった。彼らは皆、最後の時まで、心から生きたいと願っていたのである。” “特攻作戦を武士道の完全なる再生産とするステレオタイプとはまったく対照的に、彼らの愛国心は、複雑に交叉する世界的思潮、西洋の政治的・軍事的脅威、そしてそれ自体がローカルとグローバルの相互作用の結果である日本の知的伝統、こうしたものの結実であった。” キリスト者であり、リベラリストであり、マルキストであった学徒たちは「国のために死ぬ」(プロ・パトリア・モリ)選択をしたが、「天皇と国のために死ぬ」(プロ・レゲ・エ・パトリア・モリ)ことはしなかった。 しかし、明治以降、徹底された文化的戦略の影響を受けていたことも事実だった。 その戦略において重要な位置を占めたのが“桜”だった。 文化的ナショナリズムの象徴としては勿論。 桜は生命・生・若さ・生殖のシンボルであるのと同時に死と再生をも象徴する。 武士、男性的な潔さ・秩序と同時に女性的あるいは幼童的・中性的な美や脱規範的な狂気をも象徴する。 “象徴の美的価値のもっとも重要な点は、象徴にその広いフィールドを横切らせ、「無垢の」文化的な空間から「危険な」政治的空間へと移動させる、その美的価値の能力に関するものである。中略。自然の理想化された美が、人々の猜疑心を和らげ、国家イデオロギーにおける「自然」であっても、人々に今までどおりの「自然」であると解釈させてしまう。” 特攻に「志願」した学徒兵も、家族も、桜の喩えを多様した。 しかし、それは“意味のフィールドから違う意味(ミーニング)を引き出しながら、自分たちが同一の意味(シグニフィケーション)を共有していないことにほとんど気付いていない”メコネサンス(象徴的誤認)によって成立したコミュニケーションだった。 それこそが、明治以降に、大日本帝国の首脳達が目指したものだった。 不条理・不合理を受苦させるための武器こそが、美だった。 敷島の大和心を人問はば 朝日にによう山桜花 本居宣長のこの歌は、新渡戸の『武士道』でも紹介されている。 第一号特攻とされた隊、敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊はこの歌から名づけられている。 生命を意味(シクニファイ)していた本居の歌が、意味のフィールドを横切らせて、特攻隊員の死を美化するのに使われた。 他の特攻隊命名の多くも桜から採られ、写真などでも有名なように特攻隊員たちは桜を胸に挿し、見送る人々の手にも桜があった。 靖国の桜には、いつのまにか彼らの再生の意味を込められるようになった。 “毎年桜の季節になると、大勢の若者が靖国神社の境内(第一鳥居から第二鳥居まで)で飲めや歌えの花見をにぎやかに繰り広げる。彼らは、自分たちの行動の悲惨なアイロニーに気づいていない。” ③ロマン主義、日本浪漫派 特攻に「志願」した学徒兵の美意識に表現を与えたのが、当時、世界的潮流でもあったロマン主義、日本においては雑誌『日本浪漫派』。 ロマン主義は、産業社会、資本主義が発展して伝統や自然が失われてゆく中で、過去や異国、神秘への憧れ、逃避、想像などの主観的要素を持つ。 戦後、橋川文三は日本浪漫派を“耽美的パトリオティズム”“産土のパトリオティズム”と呼び、その典型を保田與重郎に見た。 “日本人の生活と思想において、あたかも神の観念のように、普遍的に包括するものが「美」に他ならなかった” “政治が政治として意識される以前に、政治の作用が日常的な生活意識の次元で、その美意識の内容として受け取られる”“政治意識の美意識への還元”が行われ、自然である政治が作り出す結果が“絶対に変更することのできない現実━歴史━美の一体的観念が、耽美的現実主義の聖三位一体を形成する。” “保田や小林が「戦争イデオローグ」としてもっとも成功することのできたのは、戦争と言う戦時的極限状態の苛酷さに対して、日本の伝統思想のうち、唯一つ、上述の意味での「美意識」のみがこれを耐え忍ぶことを可能なら閉めたからである。いかなる現実もそれが「昨日」となり「思い出」となるときは美しい。” そもそも、日本浪漫派というグループは“マルキシズムの陣営で政治と闘って闘い敗れた人か、戦わずに敗れた人か、乃至はてんで闘う意志も経験も持たない人の集団”(江口渙)“雑然たる諸傾向がレアリズムに反対するという意味で合流したに過ぎないものであったから。浪漫主義を欠如したロマンチストの集団、反レアリズムのみを共同座標軸とする消極的なエスプリ”“浪漫主義としての積極性を築き上げることができなかった”(伊豆公夫)という評価を戦前から受けていた。 しかし、“「都会」の「近代」に傷ついた無垢な地方青年の「故郷」奪還の運動であった、といえるので、それがけっして現実に所有できぬものであることを知悉していたればこそ、彼らにおいて「イロニー」が唯一の時代的現実へのアプローチの方法たりえた”(大久保典夫)のであり、死を「志願」することしか現実にはなかった学徒兵にとって“死ぬことが必然であるとき、戦争のあるべからざることを説いたところで、リアリティをもちえ”(松本健一)ずに、保田與重郎自身が当時の戦争の意味づけには無関心に“憧憬の純潔を守ろうとする心情現実と夢とに強いられた反抗の身振り”(桶谷秀昭)が「イロニー」であっても、「散華の美学」の経典となった。 “「ヱルテル」は既に云った如く対象の描写より、専ら主体の分析を描いた。つまり近代である。これは先験哲学と共通の発想である。そうしてそのことによって、批判はなんらの存在の確保でないといふことをたしかめてくれた。批判は不安の増大に他ならなかった。宗教の神に代わった愛情の不定と、その不安を克服するための観念論は、ついに愛情の不安と、その不安の増大確保者という、反対の結果を生んだ。中略。主体の分析の無力、この新時代の獲得した価値のもつ泥沼がはつきりとここに示されたのである。中略。ロッテのために、ロッテのために、私はその犠牲になります。とヱルテルは 遺書のなかでくりかえした。この純情の言葉は、残忍な復讐とみえないだろうか。一等美しい言葉ばかりでかかれた遺書は、断末魔の呪言よりも怖ろしくなかろうか。” 『ヱルテルは何故死んだか』保田與重郎(新学社) ④近代の超克 “近代の超克ということは、政治においてはデモクラシーの超克であり、経済においては資本主義の超克であり、思想においては自由主義の超克を意味する”(鈴木成高) 雑誌『文学界』昭和17年10月号に掲載された座談会「文化総合会議シンポジウム」で、京都学派・日本浪漫派・文学界の三派の論客によって“近代の超克”が論じられた。 京都学派とは、旧制高校生の三大必読書の一つ『善の研究』の著者であり、その名を関して哲学が語られる数少ない日本人哲学者、西田幾多郎を中心とした哲学者のグループ。 その代表的な論客であった高坂正顕(国際政治学者 高坂正堯京大教授の父)は、“近代の超克”についてこのように考えた。 中世が古代ギリシア的な世界をキリスト教会の内面の支配(外的世界の否定)によって変化させたが、外的世界の否定によって外的世界を支配することの矛盾から結局は自己否定されて、近代へと変化せざるをえなかった。近代は、中世の神の中心から人間中心へ、そして人間が機械を利用して世界を支配する時代、自由と合理性の世界、だが、機械による支配が実現した後で逆に人間自身が機械として利用され、否定されてしまった。 “近代の超克”が過去の歴史と同様に必然的に求められ、それを担うのが日本である。 “東洋の原理はまさに無であるのである。西洋的実在は、自然にせよ神にせよ人間にせよ、要するに有の原理である。ここに無を原理とする東洋の特殊な意義がある。中略。そして日本はかかる世界秩序の主要契機であるべき課題を負わされているのである。” また京都学派の哲学者 高山岩男(京大教授、戦後公職追放)は時代的要請としての大日本帝国の役割、第二次大戦の意義をこう述べている。 “自由主義の根本原理は、かくて無内容な倫理的理想と権力横行の事実と結びつかぬ並存を帰結し、なんら世界の恒久平和をもたらすべき実質的な道義的力を有し得なかったのであって、大戦はこの原理の含む矛盾を如実に示し、従って当然この原理に代わるべき新しい根本原理を産むべき機会に直面した” “西欧的な近代資本主義、西欧的な機械技術、西欧的な近代科学、西欧的な個人主義法制、西欧的な政党的議会主義、等々のヨーロッパ文化の世界的普及、中略、このような観念の破れつつのが、まさしく現代の世界史的事実に他ならない。そしてこの世界史の転換に最も重大な役割を演じているのがわが日本である。” さらに、このシンポジウムには参加していないが、西田と並んで京都学派を代表する田辺元(京都帝大教授)の学徒兵に対する影響も大きかった。 田辺は出征する予定の学生たちに向かってこう演説した。 “我々凡夫が身をささげるのは直接に神のためだとは考えられない。国のためである。今日おかれている国家の危急と言うときは、もはや国と自己はくっついている” “近代の超克”を唱えた中で最も理論性を持っていたはずの京都学派でさえ、その“超克”された先の像はまったく抽象的なものとしか言えなかった。 したがって、結局、“近代の超克”が示しえたのは“「超克」というこのことばがうかべる表情の美”“稀薄さにもかかわらず、どこか深長な意味を蔵するかのように巧に粧いえたという、この語のもった、まさに表情”が“人を強いて「近代の超克」という発想を産ましめた”(谷崎昭男)ということなのかもしれない。 これは、『国家の品格』の“品格”にも全く同じことが当てはまと思える。 (3)浪漫的滑走 “「既に開化と云うものが如何に進歩しても、案外其開化の賜として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争其他からいらいらしなければならない心配を入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変わりはなさそうである事は前御話した通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされる為にただ上皮を滑って行き、又滑るまいと思って踏ん張る為に神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言はんか憐れと言はんか、真に言語道断の窮地に陥つたものであります、私の結論は夫丈に過ぎない、アァなさいとか、こうしなければならぬとか云うのではない、どうすることも出来ない、実に困つたと嘆息する丈できわめて悲観的の結論であります」” 夏目漱石講演「日本の開化」 保田與重郎は、近代文明に疲れ、近代文明に敗れて還るべき過去も失った人々、特に若い人々を結果として浪漫的な“上皮を滑”りへと誘ってしまった。 特攻とはその典型だと言える。 (4)『菊と刀』の絶望と希望 “日本人の恒久普遍の目標は名誉である。他人の尊敬を博するということが必要欠くべからざる 要件である。その目的のために用いる手段は、その場の事情の命ずるままに、取り上げかつ捨て去る道具である。事情が変化すれば、日本人は態度を一変し、新しい進路に向かって歩みだすことができる。” 敗戦後の占領統治のために、アメリカ合衆国が始めて日本を分析した書、『菊と刀』はこう結んでいる。 “日本人は、侵略戦争を「誤謬」とみなし、敗れた主張とみなすことによって、社会変革への最初の大きな一歩を踏み出した。彼らはなんとかして再び平和な国々のあいだで尊敬される地位を回復したいと希望している。が、そのためには世界平和が実現されなければならない。中略。日本の行動の動機は機会主義的である。日本はもし事情が許せば、平和な世界の中にその位置を求めるであろう。もしそうでなければ、武装した陣営として組織された世界の中に、その位置を求めるであろう。現在、日本人は、軍国主義を失敗に終わった光明と考えている。彼らは、軍国主義は果たして世界のほかの国々においてもまた失敗したのであろうか、ということを知るために、他国の動静を注視するであろう。もし失敗しなかったとすれば、日本は自らの好戦的な情熱を再び燃やし、日本がいかに戦争に貢献しうるかということを示すことであろう。もし他の国々においても失敗したということになれば、日本は、帝国主義的な侵略企図は、決して名誉に到る道ではないという教訓を、いかに見に体したかということを証明する。” 皮肉なことに、日本に関する「古典」のうち、新渡戸の『武士道』より『菊と刀』の方が藤原正彦さんと件の本が受け入れられた現状を示すのには適していると言わざるを得ない。(新渡戸武士道について:とりあえず、武士道) 私が怒りを感じるのは、ここまで述べてきたような見事なまでの戦前との一致を何故、年長者までもが知った話だと気付かないのかということ、なぜ諌める側へ回らないのかということ、何万歩か譲って“品格”云々を認めたとして、そこで槍玉に挙げる現状を作り出してきた(おまけに、現状への道で散々利益に踊った)加害者としての自覚の無さです。 過去から学ぶのはいつなのか。 また、繰り返したいのか。 一つ言えるのか、その結果を蒙るのはこれからの世代だと言うこと。 いつの時代でも、決定に参与できなかった世代が、最も悲惨な責任を負わされること。 特攻へ「志願」した学徒兵の様に。 「玉砕」した兵士たち、餓死した兵士たち、「自決」した人々の様に。 藤原正彦さんがどこに突っ込もうと構いません。 好きなだけ検便容器を壊せばいい。(※) しかし、彼の妄想と無知によって、再び美意識しか逃げ場の無い状況へ後の世代を追い込むことになるかもしれない。 だから、彼の態度・姿勢を本気で批判しなければならない。 最後に⇒『国家の品格』を超えて/ゆきよふれ 追記) ここまで読んで頂いた方で「ナショナリズムはダメだけど、パトリオティズムはいいんだよ!」と寝言を仰る方はいらっしゃらないと思いますが、念のため。9・11の後、アメリカ合衆国で成立した連邦政府の調査権限を強大化させた法律の通称名が何かを思い出していただけると、寝言が寝言でしかないことは理解されると思います。 ※)『父の威厳 数学者の意地』(新潮文庫) 長男が小学校の修学旅行にあたって検便をすることを聞いて “「こんなものは提出する必要がない。絶対に提出してはいかん」私はそう叫ぶが早いか、容器を袋ごとつかんで二つに折り、くずばこに投げ捨ててしまった。”(p266) 主参照) 『特攻』森本忠夫著(文芸春秋) 『「特攻」と日本人』保坂正康著(講談社現代新書) 『日本浪漫派』日本文学研究資料刊行会編(有精堂) 『保田與重郎』桶谷秀昭著(講談社学術文庫) 『浪漫的滑走』桶谷秀昭著(新潮社) 『日本浪漫派批判序説』橋川文三著(講談社文芸文庫) 『<近代の超克>論』広松渉著(講談社学芸文庫) 『菊と刀』ルース・ベネディクト著 長谷川松治訳(社会思想社)
by sleepless_night
| 2006-05-17 20:50
| 藤原正彦関連
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