2週間ほど前に友だち数人と飲みに出た。私の他はイギリス人、ポルトガル人、フランス人、スペイン人各1名づつのメンツであれば、自然とイギリスのEU離脱/残留の国民投票の話にならざるをえない。もちろん全員、残留を望んではいたのだけれども。
スペインから来たエヴァ(社会福祉関係の仕事に従事)が「それでもね、政府の援助を受けて高等教育を終了したスペインの若者が、職やより良い機会を求めてイギリスにやってくる。イギリス社会は彼らの貢献を通して、スペインの公的資金の恩恵を受けることになる。そうやって、他国の人的資源を安価で(投資の必要もなく)利用することに慣れた国は、自国の若者に投資して人的資源を育成しようとはしないでしょう。それはスペイン国家にとっても、イギリスの若者にとっても、とても不公平で不幸なことだと思う」というのだ。
ポルトガル出身の同業者(建築士)のイザベルも「ポルトガルでも同じことが起きている。資源も資金も貧しい地域から豊かな地域に流れてゆく。吸収される。搾取される。それがEU経済の仕組み」と同意する。そう分かっていながらも、この国で特に不自由もなく暮らせるぐらいには恵まれた私たちは「それでもやはりEUに残留して欲しいと思ってしまう」と皆で苦笑したんだった。
地域内の経済的格差を解消しないままの市場の統合は、格差の及ぶ範囲の拡大とより急進的な富の集中に終わるというのは、常に左派からの欧州連合への批判の中心であった。
今回「離脱」への強い意思を示した人々の多く、特に停滞と貧困にあえぐ北イングランドの、機会も援助も切り詰められ、見捨てられたと憤る人々の多くは、そのことを腹の底で、少なくとも「感じて」はいるんだと思う。ただ彼らはその「腹の底の苦く重いもの」をアーティキュレートする言葉や手段を失ってしまっていて、その隙を突くように彼らの「代弁者」のような顔をしてしゃしゃり出てきたのがファラージ他であった、いやファラージ他しかいなかったというのが最大の不幸だったのだ。
ところで、彼らから、自らの置かれた許されざる状況を客観的に見つめ分析する「言葉」を、深く激しい憤りを改革への建設的な運動へと変える「手段」を奪ったのは、マギー・サッチャーによる労働組合運動の徹底的な破壊だったんだと思う。
足元の地盤が確固としていないと、猜疑心や陰謀論やにつけこまれやすくなる。あっという間にさらわれてしまう。その点「独立」というアーティキュレーションの言説/手段を身につけたスコットランドは幸運(?)だったのではないかしら。
だから「離脱」へと一票を投じた個々人を、あるいは彼らを十羽一絡げにして「レイシスト」「無知」「愚か者」と失望のレッテルを貼って捨て去ってしまうことは、彼らの切り捨てようとするネオリベラルの行為と目糞鼻糞なのではないか。
「移民/余所者/他者への不信と嫌悪」「将来への不安」「支配者(とされる者=所謂「ブリュッセル」)への反感」に、負の感情にのみ突き動かされた「離脱への思い」なのだと、その表層だけ見ていては駄目なんじゃないかと思う。その下に隠された構造、彼らを動かした真の原動力を見極めねばならないし、そこから学んでEUの構造的不平等を解消しなくては、ただ「残留」しただけでは何の意味もないんじゃないか。格差もその及ぶ地域も広がり続けるのみだ。苦しむ人の数は増え続ける一方だ。
などと、カビ臭い構造主義者の埃まみれの繰り言。笑
だからと言って「EUは全部駄目。救済不可能」とは思ってはいないし、古き良き「欧州社会民主主義」の恩恵は手放すには惜しいことも確かなので、コービンの「ここは止まってうちから改革を」の訴えには共感を覚えた。(だから最終的には「残留」派であったのだけれど)ちょっと遅かったかなあ。彼の言葉が届かない、いくらノックをしても扉は開かないくらいに人々の心はすでに頑なになってしまっていたのかも。
それにしても、何に腹がたつって、例え残留したにせよ離脱するにせよ、上の所謂「1%」の生活はきっとあまり変わらないのよ。ちょっと入国審査が面倒になるとか、そんな程度で。どっちにしたって大打撃を受けて締め付けられて搾り取られるのは「99%」なんだってのが、悔しいやら悲しいやら。