
【1993年/中国・香港/172min.】
年老いた二人の京劇役者が薄暗い会場に入って来る。
二人が揃って古典の名作『覇王別姫』を演じるのは22年ぶり。
そもそも会うのだって10年ぶりだと話す段小樓に、程蝶衣が11年ぶりだと訂正する。
遡ること1924年の北平。
子供を育てられなくなった若い妓女が戲班にやって来て、まだ幼い息子の小豆子を引き取ってくれと懇願。
座長が小豆子の身体検査をすると、左手に6本の指。
引き取れないと断られた妓女は、おもむろに小豆子の6本目の指を包丁で切り落とし、半ば強引に入門を認めさせ、その子を置いて去って行く。
突然戲班に放り込まれ戸惑う小豆子。
慣れない環境で孤独な彼をいつも助けてくれるのは、兄弟子の小石頭。
小石頭を頼りに厳しい訓練にも耐え、男旦として徐々に頭角を現していく。
一度は脱走を試みたものの、戲院に紛れ込んで観た『覇王別姫』の素晴らしさに息を飲み、役者になる決意を固くする。
ある日、小豆子と小石頭は、清朝に仕えた張という太監の前で『覇王別姫』を演じる機会を得る。
かつては西太后に伴い観劇もしていた目の肥えた張公公をも満足させ、舞台は成功。
安堵する二人であったが、なぜか小豆子だけ張公公の部屋に連れ去られてしまう。
深く傷付き、夜になってようやく邸宅から出てきた小豆子をそっと迎える小石頭。
帰り道、捨てられている赤子を見付け、その子に“小四”と名付け、戲班へ連れ帰る。
時は流れ、小豆子は“程蝶衣”、小石頭は“段小樓”という芸名を与えられ、今や北平では名うての京劇役者に成長した二人。
梨園では知らぬ者がいない大物 袁世卿も二人の舞台を称賛し、食事の席を設けるという。
ところが小樓は、そんな事には興味が無く、無礼な態度で出掛けてしまったから、蝶衣は気を揉むばかり。
小樓が向かった先は花滿樓。
その店の売れっ子妓女 菊仙に入れ込み、ついには仲間たちの前で彼女を娶ると宣言。
驚き、怒り、そして悲しんだ蝶衣は、一人で袁世卿の邸宅へ向かい…。
近年、デジタル修復され劇場再上映される過去の名作が激増。
格安のサブスク配信が席巻する昨今に、若い頃からの習慣でそれなりの料金を払い映画館で映画を観ることに抵抗感の薄い中高年層を動員する策なのかも?と想像しているのですが、実際のところどうなのでしょう。
私自身はずっと映画は映画館派なので、わざわざそんな策を講じられなくても映画館へせっせと行くけれど。
但し、新作優先なので、旧作の修復版は積極的には観ていない。
でも、この『霸王別姬』は4K版で再上映と知り、是非映画館のスクリーンで再見したい!と思った。
この手の作品には注意点があり、“4K”を謳った再上映なのに、4K放映できるシステムを有している映画館が意外と少ない。
作品公式サイトの劇場情報では、4K上映している所とそうではない所を区別して表示するのを敢えて避けているようにも感じるので、自分で各々の映画館をチェックするしかない。
(4K上映していない所だと、小さく「当館では2K上映です」等と記されていることも。
残念なのは、私が応援したいのは大手シネコンではなくミニシアターなのに、そういう所は4Kの設備が整っていないことが多い。運営するだけでも大変なのに設備投資にまでお金が回りませんよね…。)
2Kが悪いというわけではないけれど、こういう場合はやはり4Kで観てみたいですよ。
…というわけで、私は本作品を4Kで上映している角川シネマ有楽町で鑑賞いたしました。
『霸王別姬』は初公開以降何度も観ている作品なので、私の中に“今更”という思いも有るのだが、初公開当時はインターネットなんて無かったし(有った?)、この機会に初めてブログに記すことにいたします。
最初に申し上げておきますが、普段の映画評より詳細なので10分で読める内容にはなっておりません。
(※当ブログからの盗用を見る度にイヤな気持ちになります。きちんとリンクをお願いいたします。)
概要
原題『霸王別姬~Farewell My Concubine』
原作は、李碧華(リー・ピクワー)の小説<霸王別姬>。
原作者の李碧華自身が蘆葦(ルー・ウェイ)と共に脚本にし、陳凱歌(チェン・カイコー)監督のメガホンで映画化。

陳凱歌 Cheg Kaige
陳凱歌は、1952年、北京生まれの映画監督。
父親の陳懷皚(チェン・ホアイアイ)は映画監督、母親の劉燕馳(リウ・イエンチー)は脚本の編集という文化度の高い家庭のご出身。
十代で文化大革命が起き、他の多くの知識青年と共に雲南に下放され、1970年には入隊。
十代で文化大革命が起き、他の多くの知識青年と共に雲南に下放され、1970年には入隊。
文化大革命終了後の1978年に遅ればせながら進学した北京電影學院で監督科を専攻し卒業。
中国第五世代の監督として、張藝謀(チャン・イーモウ)監督と並ぶ二大巨頭として世界の映画ファンに認識。
日本でも、長編監督デビュー作『黄色い大地』(1984年)で、すでに注目されていた。

中国第五世代の監督として、張藝謀(チャン・イーモウ)監督と並ぶ二大巨頭として世界の映画ファンに認識。
日本でも、長編監督デビュー作『黄色い大地』(1984年)で、すでに注目されていた。

『霸王別姬』は陳凱歌監督の大出世作。

1993年、第46回カンヌ国際映画祭に出品。
メインキャスト3人もカンヌ入り。

そして、中国語作品として初めて最高賞パルムドールを受賞という快挙。
ここ日本でも1994年に公開され、ミニシアター系としては異例のヒット。
2008年には、なんと蜷川幸雄の演出+日本人キャストで舞台化までされた。
デジタル修復した『霸王別姬』4Kは、確か公開25周年の際に台湾などでお披露目されたはず。
人気の作品なので、日本でもすぐに公開されると思いきや、ずっと音沙汰なし。
そして公開30周年の今年2023年、ようやく日の目を見ることに。
今年は、主演の一人 張國榮(レスリー・チャン)の没後20年の年でもある。
意識して公開をそこに合わせたの?
それとも、ぐずぐずしていたら、張國榮(レスリー・チャン)没後20年の年になっちゃったの?
よく分からないけれど、満を持しての再上映であります。
本作品を簡単に説明するならば…
主人公は3人の男女。

程蝶衣と段小樓は、孤児から京劇界のトップスタアに上り詰める役者コンビ。
子供の頃から一緒に成長してきた二人はただのビジネスパートナーには収まらない強い絆で結ばれている。
段小樓にとって程蝶衣は弟のように大切な存在だが、程蝶衣にとっての段小樓はそれ以上。

なのにそこに菊仙という女が降って湧いたように現れる。
菊仙は、男盛りの段小樓が惚れた妓女。
段小樓は菊仙と結婚するが、程蝶衣は永遠に続くと信じていた二人だけの世界に割って入ってきた“異物”でしかない菊仙を許せない。
菊仙にとっても同様で、今や夫の段小樓に付きまとい、面倒を起こす程蝶衣は邪魔でしかない。

1993年、第46回カンヌ国際映画祭に出品。
メインキャスト3人もカンヌ入り。

そして、中国語作品として初めて最高賞パルムドールを受賞という快挙。
ここ日本でも1994年に公開され、ミニシアター系としては異例のヒット。
2008年には、なんと蜷川幸雄の演出+日本人キャストで舞台化までされた。
デジタル修復した『霸王別姬』4Kは、確か公開25周年の際に台湾などでお披露目されたはず。
人気の作品なので、日本でもすぐに公開されると思いきや、ずっと音沙汰なし。
そして公開30周年の今年2023年、ようやく日の目を見ることに。
今年は、主演の一人 張國榮(レスリー・チャン)の没後20年の年でもある。
意識して公開をそこに合わせたの?
それとも、ぐずぐずしていたら、張國榮(レスリー・チャン)没後20年の年になっちゃったの?
よく分からないけれど、満を持しての再上映であります。
物語
本作品を簡単に説明するならば…
中国激動の半世紀を背景に
共に育った京劇俳優 程蝶衣と段小樓の人生を描く波乱の人間ドラマ!
主人公は3人の男女。

程蝶衣と段小樓は、孤児から京劇界のトップスタアに上り詰める役者コンビ。
子供の頃から一緒に成長してきた二人はただのビジネスパートナーには収まらない強い絆で結ばれている。
段小樓にとって程蝶衣は弟のように大切な存在だが、程蝶衣にとっての段小樓はそれ以上。

なのにそこに菊仙という女が降って湧いたように現れる。
菊仙は、男盛りの段小樓が惚れた妓女。
段小樓は菊仙と結婚するが、程蝶衣は永遠に続くと信じていた二人だけの世界に割って入ってきた“異物”でしかない菊仙を許せない。
菊仙にとっても同様で、今や夫の段小樓に付きまとい、面倒を起こす程蝶衣は邪魔でしかない。

3人になったことで均衡が崩れる愛憎の物語に、さらに激動の時代が追い打ちをかける。
ごくごく普通の人だったとしても普通に生きられない時代である。
政権や政情で“正”も瞬く間に“負”に転じ、3人は不条理にも抗えない時代の波に飲み込まれていく…。
時代背景
映画『霸王別姬』の背景にもなっている中国怒涛の近現代史については、近年ドラマ絡みで繰り返し当ブログに記しているので、ごく簡単に。
映画『霸王別姬』は老いた主人公二人が出逢った頃にまで遡る回想で幕を開ける。
具体的には…
『霸王別姬』波乱の物語の幕開けは:1924年(民国13年)
余談になりますが、陳凱歌監督の母 劉燕馳(リウ・イエンチー)は裕福な家庭に育ち、教会で教育も受けていた女性だが、21歳だった1950年のある日、南京の実家に戻った時、両親がすでに台湾へ去っていたことをようやく知ったという。
一人大陸に残された監督のママは、以降1988年に亡くなるまで両親との再会は結局果たされなかったのだと。ちなみに、多感なお年頃で文革を迎えた陳凱歌監督は、父の陳懷皚(チェン・ホアイアイ)が“国民党分子”、“反革命分子”、“右派”といったレッテルで批判闘争の会場に引きずり出された時、群衆と一緒に実父を糾弾した後悔が現在に至るまでずーーーーっと拭えないとインタヴュで語っている。
その後パパは名誉回復を果たし、監督業にも復帰。
息子の監督作品『霸王別姬』には“藝術指導”として参加。

作品の最後には、監督より上にクレジット。
このパパはカンヌでのパルムドール受賞も知った後の1994年に逝去。
※ 映画には“陳懷愷(チェン・ホアイカイ)”でクレジットされているが、これは別名ではなく誤表記と推測。
パパの名は、中国大陸で使われている簡体字では“陈怀皑”と記す。
簡体字を、香港や台湾で使われている繫体字に書き換える際、間違いが起きることがしばしば。
パパの名も“陳懷愷”や“陳懷凱”に変換されることがあったけれど、“陳懷皚”が正解。
その後パパは名誉回復を果たし、監督業にも復帰。
息子の監督作品『霸王別姬』には“藝術指導”として参加。

作品の最後には、監督より上にクレジット。
このパパはカンヌでのパルムドール受賞も知った後の1994年に逝去。
※ 映画には“陳懷愷(チェン・ホアイカイ)”でクレジットされているが、これは別名ではなく誤表記と推測。
パパの名は、中国大陸で使われている簡体字では“陈怀皑”と記す。
簡体字を、香港や台湾で使われている繫体字に書き換える際、間違いが起きることがしばしば。
パパの名も“陳懷愷”や“陳懷凱”に変換されることがあったけれど、“陳懷皚”が正解。
ロケ地
陳凱歌監督と言えば、秦の始皇帝 嬴政(紀元前259-紀元前210)を描く『始皇帝暗殺』(1998年)を撮影する際、秦代の宮殿をドカーン!と建ててしまったことが当時大きな話題であった。
あれは、撮影スタジオ 橫店影視城のごく初期の建造物。
その後、橫店影視城はどんどん規模を拡張。
現在では、中国の時代劇の多くはその橫店をはじめとする撮影スタジオで撮られるのが一般的。
でもね、『霸王別姬』はそれ以前の作品。
今では考えられないが、『ラストエンペラー』(1987年)がリアル紫禁城(北京 故宮博物院)で撮られているように、『霸王別姬』も北京の名所旧跡で撮影されている。
ここには、日本の一般観光客が簡単に見学できる北京のロケ地を一部だけ挙げておく。
◆恭王府
清朝第9代皇帝 咸豐帝 愛新覺羅·奕詝(1831-1861)が異母弟の恭親王 愛新覺羅·奕訢(1833—1898)に下賜した府邸。
■映画『霸王別姬』では、清朝に仕えた宦官だった張公公府として使用。
◆梅蘭芳紀念館
京劇の名優 梅蘭芳(1894-1961)が晩年暮らした邸宅。
元々は、乾隆帝の曾孫にあたる清末の皇族、慶親王 愛新覺羅·奕劻(1838-1917)の馬屋だった建物(!)を住居に改修。
愛新覺羅さんちって、馬も素晴らしい小屋にお住まいだったのですね。

■映画『霸王別姬』では、程蝶衣の住居として使用。
◆孔廟
元の初代皇帝 忽必烈(1215-1294)が、大都(北京)を都と定めた後、思想統治を強化し、当時被支配民族だった漢人の封建貴族や士大夫を懐柔するため1302年(元 大德6年)に創建したと言われる孔子廟。
北京のこれは、孔子(紀元前551-紀元前479)の故郷 山東省曲阜に建つ、世界遺産にも登録されている孔廟に継ぐ、中国で二番目の規模を誇る。

■映画『霸王別姬』では、文革中の批判闘争のシーンで使用。
孔廟大成殿に掲げられている“萬世師表”の扁額は清朝第4代皇帝 康熙帝 愛新覺羅·玄燁(1654-1722)の御筆。
私は随分後になって気付いたのだが、あの扁額は本来文革中にはそこに無かったはずの物。
現実世界では、清朝崩壊後、封建時代の遺物である皇帝たちの扁額は、北洋政府によって全て撤去。
代わりに黎元洪(1864-1928)の書“道洽大同”が掛けられ、康熙帝の“萬世師表”に戻されたのは1983年。

つまり、“萬世師表”は文革期には孔廟大成殿に掲げられていなかったはずの扁額であり、『霸王別姬』のあのシーンは、時代考証の面では誤りということ。
代わりに黎元洪(1864-1928)の書“道洽大同”が掛けられ、康熙帝の“萬世師表”に戻されたのは1983年。

つまり、“萬世師表”は文革期には孔廟大成殿に掲げられていなかったはずの扁額であり、『霸王別姬』のあのシーンは、時代考証の面では誤りということ。
撮影
ちなみに、『霸王別姬』の撮影担当は顧長衛(グー・チャンウェイ)。
顧長衛は1957年生まれ、『紅いコーリャン』(1987年)といった張藝謀(チャン・イーモウ)監督作品、『鬼が来た!』(2000年)といった姜文(チアン・ウェン)監督作品等でも撮影を担当している名カメラマン。
その後、自身も『孔雀 我が家の風景』(2004年)で監督デビューを果たし、処女作でありながら、第55回ベルリン国際映画祭では、銀熊賞 審査員特別賞を受賞している。

下世話ですが、顧長衛は『霸王別姬』に程蝶衣の実母役で出演している蔣雯麗(ジアン・ウェンリー)とその後1993年に結婚している。
二人の出逢いはもっと前で、陳凱歌監督や張藝謀監督が顧長衛のために開いたお誕生パーティー。
顧長衛は、若くて可愛らしい蔣雯麗に一目惚れ。
一方、蔣雯麗は12歳も年上のおじさんなんかに興味はなく、しかも当時は同世代の王全安(ワン・チュアンアン)監督と交際中。
それでも顧長衛は諦めず、陳凱歌監督の新作『霸王別姬』の小さな役を蔣雯麗にオファー。
これには蔣雯麗も感激し、撮影中徐々に心を通わせ、クランクアップ後の1993年に結婚するに至ったのだとか。

ちなみに、蔣雯麗は馬思純(マー・スーチュン)の母方の叔母。
『霸王別姬』の後は、日本で大ヒットしたNHKドラマ『大地の子』にも、上川隆也の奥さん 江月梅役で出演している。
一方、蔣雯麗は12歳も年上のおじさんなんかに興味はなく、しかも当時は同世代の王全安(ワン・チュアンアン)監督と交際中。
それでも顧長衛は諦めず、陳凱歌監督の新作『霸王別姬』の小さな役を蔣雯麗にオファー。
これには蔣雯麗も感激し、撮影中徐々に心を通わせ、クランクアップ後の1993年に結婚するに至ったのだとか。

ちなみに、蔣雯麗は馬思純(マー・スーチュン)の母方の叔母。
『霸王別姬』の後は、日本で大ヒットしたNHKドラマ『大地の子』にも、上川隆也の奥さん 江月梅役で出演している。
キャスト:孤高の名旦

◆張國榮(レスリー・チャン):程蝶衣
幼名 小豆子。
妓女だった若い母が養育できず、6本あった手の指を一本切断され、戲班に捨て入れられた少年。
厳しい師匠のもと日々鍛錬を重ね、一緒に育った兄弟子 段小樓とのコンビでやがて花形の男旦(女形)に成長。

張國榮は、1956年 香港出身。
香港を代表するトップスタアであったが、2003年4月1日、香港文華東方酒店(マンダリン・オリエンタル香港)の上階から飛び降り、突然この世を去った。
芸能人の訃報は山ほどあるので、私自身がいつどこでそれらを知ったかなんて大抵覚えていないのだけれど、張國榮だけははっきり記憶している。
私は北京で休暇中で、滞在ホテルでテレビをつけたら、大ニュースで繰り返し放送されていたから。
あまりにも唐突で、しかもそれが4月1日だったため、エイプリルフールの悪いジョークなのかと疑った…。
あの日からすでに20年も経ったのに、張國榮の命日には未だに多くのファンがSNS等を通し追悼のメッセージを送り続けるという希代のスタア。
若い頃の張國榮は、他の香港明星と同じように、アイドル仕事が中心。
方向性が変わってきたのは90年代に入ってから、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品『欲望の翼』(1990年)辺りで、決定打はこの『霸王別姬』でしょー?!
私自身は、実のところ、生前の張國榮は、熱心なファンというほどではなかった。
あの世代の香港明星だったら、私は梁朝偉(トニー・レオン)派だったし。
でも、『霸王別姬』の程蝶衣は本当に素晴らしくて見入ってしまう。

『霸王別姬』はそもそも作品自体が良いし、それまでの張國榮出演作とは全く毛色が違った。
どんな名優でも名作に出演できる確率は案外低いものであります。
『霸王別姬』は張國榮にとって、人生に数回得られるか得られないかの“当たり”の作品であり、そして程蝶衣ほどのハマリ役はそうそう有るものではないと、今回の再見で改めて感じた。
まるで程蝶衣に張國榮が憑依したかのようで、役と張國榮本人が同一化し、見ていて息苦しくもなるのだが、存在に引き込まれてしまう。
性的マイノリティのアイコン(?)張國榮
念のため補足しておきます。
日本では本作品と『ブエノスアイレス』(1997年)の4K版が立て続けに公開され、張國榮への注目が高まったことや、近年の世界的潮流もあり、「張國榮は当時のアジアでは珍しい同性愛を公表していた俳優」と紹介されているのを最近よく目にするけれど、張國榮は生前、例えばメディアを集めて「私はゲイです」と直接的な発表をするような、いわゆる“カムアウト”は一度もしたこと無いですよ。
1997年のコンサートの時、ステージ上からファンに向け、会場に来ていた母親と恋人の唐鶴德(ダフィ・タン)を紹介し感謝の意を示した張國榮。
唐鶴德については、「僕の人生で重要な位置を占めている“好朋友(良き友)”」と紹介。
唐鶴德はそれ以前から“唐先生”と呼ばれ知られた存在であったが、これが正式なお披露目。
実質的なカムアウトではあるが、現代日本人が想像するようなカムアウトではなく、張國榮の場合は“公然の秘密”に近い感じであった。
実は張國榮は、1981年に羅啟銳(アレックス・ロウ)監督が撮った香港テレビ版『霸王別姬』でも同じ役をオファーされていたけれど、当時はアイドルとしてのイメージを守るためにお断りしたという噂。
でも、十年後の映画版『霸王別姬』では、程蝶衣役を得るため、自分から積極的に動いたとも言われている。
十年前と違い、張國榮は芸能界ですでにトップに君臨していたので、本当にやりたい仕事を選べるようになったのかも知れない。
香港では1991年に同性愛行為が非刑事事件化されたこともあり、1990年代は香港の性的マイノリティ運動の発展段階で重要な時期だったという。
張國榮が1990年代に『霸王別姬』や『ブエノスアイレス』に出演したのは、そういう時代の後押しもあったのかも知れませんね。
裏キャスト
なお、映画『霸王別姬』で程蝶衣の声は、ほんの数ヶ所を除き張國榮本人の声ではなく吹き替え。
声優はクレジットされていないし、吹き替えが明らかになったのは後年。

◆影武者:楊立新(ヤン・リーシン)
程蝶衣の声をあてたのは、北京出身、大陸のベテラン俳優 楊立新。
えっ、あんなオジさん俳優が程蝶衣?!と驚く人もいるだろうけれど、楊立新だって生まれた時からオジさんだったわけではない。
1957年生まれで、1956年生まれの張國榮よりむしろ年下。
それにしても、以前「アゴの骨格が似ていると声も似る、だから演じている俳優と似たアゴの形の声優を選ぶ」と聞いたことがあるけれど、あれは事実ではないのでしょうかね。
顔は全然似ていませんよね、張國榮と楊立新。

ちなみに、こちら、楊立新と似ている楊立新の息子で、同じく俳優の楊玏(ヤン・ルー)。
楊玏は1987年生まれで、現在、父親が程蝶衣だった頃(?)とほぼ同じ年齢だけれど、やはり張國榮っぽさはない。
『霸王別姬』で張國榮の声が吹き替えであることを伏せられたのは、吹き替えだとカンヌなど国際映画祭では俳優賞の候補から外されてしまうからだとも言われているが、実情は不明。

私は、張國榮が公開当時日本のテレビのインタヴュで「“北京訛り”までは出来なくても良いから、最低限標準的な普通話(≒北京語)はマスターする事というのが監督から出された条件だったので、数ヶ月北京に滞在し言葉と戯曲を学びました」と北京語で答えていたのを朧げに覚えている。
日本では実写映画で俳優の声を吹き替えるなんて発想すら無いので、誰もが張國榮はマスターした北京語を『霸王別姬』で披露しているのだと漠然と信じただろうし、今現在でもほとんどの日本人は吹き替えだったとは知らないはず。
以前にもブログに書きましたが、KADOKAWAも当時からこの事を知っていれば、陳凱歌監督の後年の作品『空海 KU-KAI~美しき王妃の謎』(2017年)で中国語に挑戦した染谷将太の声が中国人声優に吹き替えられたと知っても、狼狽して日本語吹き替え版のみで公開などという愚かな選択をせず、事前にもっとマシな対処法を考えられたと思いますよ。
それにしても、楊立新の吹き替え、上手いですね。
地声がよく知られている張國榮なのに、違和感が無い。
キャスト:罪な男

◆張豐毅(チャン・フォンイー):段小樓
幼名 小石頭。
母親に捨てられ、戲班でも居場所のない小豆子(程蝶衣)を守り、一緒に成長していく頼れる兄貴分。
程蝶衣とのコンビで一躍京劇界の人気役者になると、妓院通いを始め、花滿樓の売れっ子妓女 菊仙に惚れ、彼女を娶る。
いきなり現れた菊仙という邪魔者の存在に嫌悪感を露わにする程蝶衣と、程蝶衣から夫を遠ざけたい菊仙、二人の間で板挟みに。

張豐毅は、1956年 湖南省長沙出身、北京電影學院卒。
若い頃から俳優として数々の作品に出演してきた張豐毅だけれど、“国際的に認知”となると、やはりこの『霸王別姬』ではないだろうか。
今回の『霸王別姬』再見でまず感じたのは、張豐毅の見た目年齢が、この30年で極端に変化していないということ。
元々童顔カワイイ系ではないから、当時からすでに貫禄がある。
でも、張豐毅って、実は張國榮と同じ1956年9月生まれの同い年なんですよね。
映画の中だと、程蝶衣(張國榮)に慕われる頼れる兄貴にしか見えない。

↑こういう需要が有るのかは不明だが、張豐毅の肉体作り歴はすでに30年以上。

しかも身長182センチという立派なボディの持ち主だから、霸王の扮装もお似合い。
しかし、普段の段小樓は良く言えば柔軟、悪く言うと風見鶏で人の顔色を窺う少々セコイ部分があり、その堂々たる姿やゴツイ顔立ちとのギャップで余計に情けなく見え、可笑しみと悲哀を誘う。

そんな彼が犯した最悪の出来事、批判闘争で卑屈にも程蝶衣と菊仙を裏切りなじるシーンは印象的。
二人に対する酷い仕打ちであるが、あの時代と段小樓の追い詰められた心境を考えると、なんとも複雑な気持ちに。
父親を糾弾した後悔が未だに拭い去れないという陳凱歌監督は、どういう思いでこのシーンを撮ったのだろうとも考えてしまった…。
キャスト:三人目の女

◆鞏俐(コン・リー):菊仙
花滿樓の売れっ子妓女。
積極的に言い寄ってくる京劇役者の段小樓に惹かれ、それまでに得た金銀財宝を捨て、文字通り身一つで彼のもとに飛び込む。
段小樓とメオトになったは良いが、夫には程蝶衣という有り難くないオマケが付いてきた。
嫉妬されるくらいなら良いけれど、程蝶衣が起こす面倒に夫が巻き添えを食らうのではないかとハラハラ。

鞏俐は、1965年 遼寧省瀋陽生まれ、山東省濟南育ち、中央戲劇學院卒。
銀幕デビュー作である張藝謀(チャン・イーモウ)監督作品『紅いコーリャン』(1987年)が、いきなり第38回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。

プライベートでも恋仲だった張藝謀監督とのコラボは続き、『秋菊の物語』(1992年)では第49回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞のみならず、鞏俐自身も主演女優賞を受賞。
中華人民共和国建国後、最初に国際的スタアになった大陸の女優って鞏俐じゃない?
その前に誰かいます??
ここ日本でも、『紅いコーリャン』ですでに注目。
“中国の山口百恵”と紹介され、広く知られるようになった。

確かに若い頃の鞏俐は山口百恵っぽく見えることがあった。
そういう見た目の良さでも注目されたのだろうけれど、それ以上に鞏俐って実力派で、演技が非常に上手い。
純情可憐なしおらしい女性より、勝ち気で気位の高い女性や芯の強い女性を演じることが多く、それは『霸王別姬』の菊仙もほぼ同じ。
但し、気位が高いのは妓女の菊仙。
脱ぎ捨てた靴と一緒に“虚栄”も花滿樓に置いていき、菊仙は質素ないでたちで段小樓のもとに飛び込んでゆく。

あゝ、なのに、なのに…。
文革の批判集会で、信じた段小樓に突き放された菊仙の絶望の表情が、見ていてもう辛くて辛くて…。

幸福の記憶である赤い婚礼衣装を見にまとい自ら命を絶つシーンは、少々ベタかも知れないけれど、グッと来ましたよ…。
キャスト:タニマチ

◆葛優(グォ・ヨウ):袁世卿
通称“袁四爺”。
京劇を愛好する没落貴族で、梨園のパトロン。
程蝶衣を懇意にする。
清末-民国期の“袁”さんと言うと、やはり袁世凱(1859-1916)を連想しますよね。
但し、袁世凱は、『霸王別姬』の幕開け1924年(民国13年)にはすでに故人ですが。

『霸王別姬』の袁四爺は、その袁世凱の次子 袁克文(1889-1931)がモデルとも言われている。
袁克文は、張學良(1901-2001)らと並び、民国期の名家の御曹司4人“民国四公子”にも挙げられ、父親とは違い天下取りなどには興味が無く、詩歌や崑曲を愛した風流人だったから。
でも、それ以外の部分では、『霸王別姬』の袁四爺と重ならないので、この役は“袁克文からインスピレーションを得て創った民国没落貴族”くらいに考えるのが妥当なのでは。

葛優は、1957年 北京出身。
今気付いたけれど、葛優も張國榮と同世代だったのですね。
葛優は、人気知名度が、現地中国と日本で極端に差がある大陸俳優の一人ではないだろうか。
あちらではトップスタア。

脇役で出演した陳凱歌監督のこの『霸王別姬』の後、張藝謀監督の『活きる』(1994年)では鞏俐とのW主演で夫婦を演じ、第74回カンヌ国際映画祭では男優賞を受賞。
(『活きる』はその年のカンヌで審査員グランプリも受賞した大層な話題作であったが、日本ではなぜか2002年まで公開されなかった。)
その後の葛優は特に馮小剛(フォン・シャオガン)監督とのタッグで知られ、同監督が手掛けた大ヒットお正月映画の数々で主演。
それらの多くはコメディであり、日本未上陸のため、日本で葛優の知名度は低いんですよね、多分。

でもね、中国に北海道旅行ブームを起こしたと言われる映画『狙った恋の落とし方。』(2008年)も監督 馮小剛+主演 葛優。
実は葛優は日本のインバウンドに多大な貢献をした立役者なのであります。
『霸王別姬』で葛優扮する袁四爺は名家の出でありながら見た目がやや貧相で不気味に可笑しい。
本作品はコメディ映画ではないけれど、袁四爺登場シーンはちょっとした息抜きポイントにも感じられた。
キャスト:愛弟子

◆雷漢(レイ・ハン):小四
程蝶衣と段小樓に拾われた孤児で、戲班で育つ。
成長すると、大陸で熱を帯びてきた共産党に傾倒。
自分に厳しく接する程蝶衣を逆恨みし、時代を追い風に程蝶衣を突き落としのし上がって行く。
とんだ魔物に育ってしまった小四。
“飼い犬に手を嚙まれる”とはまさにこの事。
小賢しくて、キーッ!となってしまうのだが、でも小四も文革に夢中になって戯曲を捨てた人とは言い難く、程蝶衣のような名旦になりたかった人なんですよね。

だから、文革で程蝶衣が糾弾された後、自分自身が綺麗に着飾るが、そこに紅衛兵がぞろぞろとやって来る、…というのが小四登場の最後のシーン。
私、その後の小四がどうなったのか気になっております。

雷漢は、1962年 四川省重慶出身。
私が近年郷愁にかられた雷漢ニュースは、“ドラマ版『霸王別姬』”とも称される『君、花海棠の紅にあらず~鬢邊不是海棠紅』に雷漢が出演していたこと。

演じているのは、“寧九郎”という北平のベテラン名旦。
映画『霸王別姬』では時代の波に飲まれ裏切り者になる雷漢だけれど、ドラマ『鬢邊不是海棠紅』では力を増す日本軍に屈することを拒み、出家という道を選ぶ芯の有る人。
雷漢のドラマへの起用は『霸王別姬』を意識したからだと察するので、敢えて“小四の汚名返上”になるような役の設定にしたのかも?
よく“不朽の名作”と言うけれど、本当に朽ちない映画なんて一体どれだけ有るのでしょう。
昔の映画は現在の物と比べ、脚本が単純明快で俳優の演技も誇張気味だったりするし、また、当たり前だけれど、映像技術が古い。
映画も日々進化しており、私自身その進化の過程を体験しながら今日に至り、最新の物に慣れてしまっているため、昔の映画を観ても心の底からの感動を得られないことがボチボチあるんですよね。
鑑賞の瞬間は楽しめても、それが後々まで記憶に刻まれる作品になることも意外と少ない。
でも、この『霸王別姬』は私にとっての数少ない“不朽の名作”の一本、時を経ても朽ちない藝術作品であると、今回の再見で改めて感じた。
今観ても、脚本、演出、映像、俳優の演技、そのどれもに引き込まれる。
ただでさえ中国激動の時代はドラマティックだが、それにしても本当に上手い脚本じゃない?

これまであまり気にしていなかったけれど、今回の再見で、特に物語の重要アイテムである宝剣の使い方の上手さに唸った。

あのラストシーン、私は単純に“程蝶衣が自分と虞姬を重ね命を絶った”、“戲曲『霸王別姬』を地で行った”と長年ずっと受け止めていた。
確かにそうなのだけれど、それ以上に、幼い頃からずっと“自分を皇后にしてくれる”と信じて覇王に贈った宝剣を覇王から奪って命を絶つのが肝だったのですね。
余計にジーンと来たわ…。
あっ、あと、映画前半で程蝶衣が張公公に手籠めにされた(…と連想させる)シーン。
次のシーンになると、時間が飛び、程蝶衣と段小樓は成長して、すでに北平の人気役者になっている。
これまで私はそのシーンを「少年時代には辛いことも有ったけれど、成長した二人は人気役者になりました」と単純に捉えていた。
…が、今回見方が変わった。
程蝶衣が張公公と関係を持ち、有力者の後ろ盾を得たから有名になれたのだろう、と。
こう捉えたのは、ジャニーズ騒動があったからだと思う。
少年を手籠めにするなんて、現代ならMeTooに発展ですよ。
そして、もちろん、4Kで蘇った映像美。
実際には様々な色が使われているわけだが、宣伝でもメインカラーになっている赤がやはり記憶に焼き付く映画。
血の赤、燈籠の赤、男旦の目元を彩る化粧の赤、婚礼衣装の赤、紅衛兵が掲げる旗の赤、宝剣が投げ入れられる炎の赤…。
「これぞ映画!」という映画の魅力に溢れた作品。
あの美しい映像を再び映画館の大きなスクリーンで鑑賞できたという体験も含め、今回の4K版公開は大満足でございました。
ちなみに、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『悲情城市』(1989年)も、4K版が日本で再公開されれば評判になるであろう中華の名作で、私は今年2023年の日本上陸を予想していたのですが、現時点で何の音沙汰も無しですね。