
障害者差別の問題について詳しい植草学園大学教授の野澤和弘さんが、聴覚障害を持つ学生から「苦情」を受けました。授業が分かりにくいというのです。いったい何が起きたのでしょうか。社会の「差別」が、なぜ起きてしまうのか。その根源について、自らの体験から分かりやすく解説します。
個人にも企業にも広がる閉塞感
いつも周囲の目が気になり、何かにおびえている。テロや飢餓に直面しているわけでもなく、独裁体制に支配されているわけでもないのに、不安で仕方がなくて未来の破綻に備えている。今の日本はそんなふうに見える。
新型コロナウイルス禍ということもあるのだろうが、預貯金など個人の金融資産は約2000兆円にまで膨らんだ。その約7割を高齢層が持っている。企業もコストカットのために中高年社員のリストラに血道を上げているが、企業の内部留保の総額は9年連続で過去最多を更新し、484兆円に上っている。
政府や有名人を批判する言辞は世にあふれている。しかし、誰かを批判したところで、この閉塞(へいそく)感が変わるとは思えない。そんなことは国民自身が分かっているのではないか。
主体性のない「画一主義」が、この国を窒息させている元凶だ。違いを認める寛容さ、同調圧力を振り払う勇気を持つことが必要だ。
「合理的配慮」知ってますか?
障害者の話をすると、無意識のうちに耳を閉ざしたくなる人は少なくないだろう。「障害者差別解消法」や「合理的配慮」という文字を見た途端、自分とは関係がないと思う人もいる。私は、それは違うと思う。
今年5月、サービスを提供する者が障害者が社会の中で直面する困りごとや障壁を取り除く「合理的配慮」を、民間の企業や学校、団体に法的義務として課す「改正障害者差別解消法」が成立した。今後、障害の特性について理解や配慮ができないことは、企業活動にとって大きな落とし穴になる。学校や福祉施設、医療機関にとっても人ごとではすまなくなる。
法的義務というと、それだけで重苦しく感じられるかもしれないが、そればかりとはいえない。合理的配慮は多様性に満ちた社会を実現していく原動力である。画一性のコンクリートから人間を解き放つものが、そこにある。
多様性を社会の土台に埋め込まなければ、安心も希望も見いだすことはできない。多様性は一定の衝撃を与えるかもしれないが、その衝撃は社会を根底からやさしく変えていくはずだ。
学生がおしゃべりする理由
私自身の苦い体験を話したい。
毎日新聞の論説室で社会保障について社説やコラムを書いていたころのことだ。当時から、植草学園大学の客員教授として「障害インクルージョン論」という週1回の授業をしていた。
特別支援学校や小学校の先生、保育士、幼稚園教諭になりたいという学生たちに障害の特性や社会との関係について教える授業である。
100人近い学生たちが大教室で待っている。「授業中の私語は禁止。おしゃべりする学生には単位をやらない」とシラバスに書くが、高校までの校則から自由になった学生たちが完璧に守ってくれるはずもない。「静かにするように」「うるさいぞ」。注意をすると教室の雰囲気が悪くなる。ある年は、授業後に提出させるリアクションペーパーに「この授業は不愉快です」と書かれたこともある。
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植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさしい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問(非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員なども。著書に「弱さを愛せる社会へ~分断の時代を超える『令和の幸福論』」「あの夜、君が泣いたわけ」(中央法規)、「スローコミュニケーション」(スローコミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。