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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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やり返さない勇気と覚悟 胸を打たれる被爆者の言葉 斉藤とも子さん

インタビューに答える女優の斉藤とも子さん=東京都江東区で2024年12月8日、三浦研吾撮影
インタビューに答える女優の斉藤とも子さん=東京都江東区で2024年12月8日、三浦研吾撮影

 俳優の斉藤とも子さんは四半世紀前の舞台出演を機に被爆者と出会うようになった。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授与に、大切な言葉を託してくれた方々への感謝の思いを深めている。

俳優・斉藤とも子さん

「お祝いで終わらせてはならない」

 亡くなった被爆者の方々の顔が、走馬灯のように浮かんできたんです。ノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に贈られるというニュースを知って「やっと認められた」と涙が出ました。同時に「今こそ目覚めろ」と世界に対して言ってくれたのだと受け止めました。

 世界では核抑止どころか、核兵器が脅し文句に使われています。1発の核兵器が、どれほどの惨状を人にもたらすのか。身をもって体験し、その身を削りながら証言を続けてきた被爆者の方たち。80歳、90歳を超えて最後の力を振り絞ろうとする姿に胸が詰まります。これからは私たちが頑張らないといけません。ノーベル平和賞をお祝いで終わらせてはなりません。何もしなければ、世界の状況が悪化していくことに、知らず知らずに加担しているかもしれないのですから。

舞台出演がきっかけ

 私が被爆者と出会うきっかけは1999年、井上ひさしさん作の舞台「父と暮(くら)せば」への出演でした。広島の原爆で生き残った負い目に苦しむ娘の前に、被爆死した父親が幻となって現れる2人芝居です。俳優を続けるか悩んでいた時期でした。「生きとるんが申し訳のうてならん」「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」。そんなせりふが…

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