連載
現代作家として国際的に高い評価を受けている村上春樹さん。小説の執筆だけでなく、翻訳に、エッセーに、ラジオDJにと幅広く活躍する村上さんについて、最新の話題を紹介します。
村上春樹さんが見抜いた オウム真理教事件と戦争に共通するもの
8月27日放送のラジオ「村上RADIO」で冒頭、村上春樹さんのこんな珍しい発言が聞かれた(引用は番組ウェブサイトより。表記を一部改変)。
「きょうは声が少ししゃがれています。夏風邪をこじらせて、喉をやられてしまいました。次の回までには治しておきますので、きょうはすみませんが、この声にお付き合いください」
毎日ジョギングを欠かさず、もう40年以上も毎年1度はフルマラソンを走ってきた作家だけに、ちょっと驚いた。途中でも「きょうは声の調子があんまりよくなくて、すみません。でも頑張ってやります」と言っていたから、相当苦しい状態だったのではないか。
収録時期は不明だが、いずれにしても7月から8月にかけて日本列島を襲った記録的な猛暑のさなかに違いなく、さすがの村上さんの健康状態にも影響するほどだったのかと、この夏の異常気象を改めて思い知る形となった。心配したが、9月28日に早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)主催で行われる俳優の白石加代子さんによる「雨月物語」の朗読イベント(場所は同大大隈記念講堂)には、作家自身が対談相手として登場することになっている。あくまで不調は一時的なものと思われるので、ご安心を。
アメリカ滞在中のマッチョな雰囲気
さて今回は、長編小説「ねじまき鳥クロニクル」(第1~3部、1994~95年)を前に取り上げた際、積み残した問題――作家の長い海外滞在とその終わりについて考えたい。今年4月に米ボストン近郊のウェルズリー大で行った講演で、村上さんは同作を執筆した当時の思い出に少し触れ、「ここに帰ってくることができ、うれしく思います」と述べた。
30年前の93年から2年間、作家は同じマサチューセッツ州にあるタフツ大に滞在し、ボストンの隣町ケンブリッジに住んで「ねじまき鳥クロニクル」第3部を書いた。第1、2部は91~92年にニュージャージー州のプリンストン大で書かれ、この時の米国暮らしは95年夏に帰国するまで4年半も続いた。
のちに村上さんは…
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